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第四章
余りにも酷い思い違い
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「ぐひゃ!?」
奇っ怪な声を発しながら、その騎士は膝から崩れ落ちる。
そして、白目を剥いて仰向けに倒れた。
そんな様子を、少し眉を顰めながら眺める女がいた。
エリージェ・ソードルである。
多くの事を淡々とこなすこの女がそのような顔をしているのは、その騎士が自分を見る表情に気持ち悪いものを感じたからだ。
エリージェ・ソードルは右手に持つ閉じた扇子でその騎士を指すと、言った。
「レネ、それはもう一発殴っておいて」
「喜んで!」
長い茶髪を後ろで結んでいるルマ家騎士レネ・フートは陽気に答えると、倒れている騎士――ヨルク・トーンの胸ぐらを片手で掴んだ。
巨躯のはずのヨルク・トーンはまるで中身が藁のカカシのように軽々と持ち上げられ、先ほどとは逆の頬に拳がねじ込まれた。
顎が外れたようでぶらぶらし、その端を沿うように砕けた鼻や歯から流れ落ちる赤い液体が伝い、床を汚していった。
「あらら、ちょっとやり過ぎてしまいました」
「……というよりも、脆すぎるわね」
エリージェ・ソードルは苦笑をした。
目の前で伸びている男は、公爵騎士団の中ではそれなりに腕が立つ方だと聞いていた。
なので、こうもあっさりとやられると、手間がかからない反面、自領のふがいなさを突きつけられた気になるのだ。
「ねえリョウ、本当にこの程度がうちの騎士団で上位に当たるの?」
その問いに対して、騎士リョウ・モリタは渋い顔をして答えた。
「若手の中では、少なくとも上位ですね」
「あなたよりも?」
「いえ、自分は負けたことはありません。
ただ、他の若手は歯が立たないようでした」
それに、女騎士ジェシー・レーマーが口を挟む。
「お嬢様、レネさん基準――というよりルマ家騎士基準で見るのはやめた方がよいと思いますよ。
誰も彼も、化け物級ですから」
それに対して、ルマ家騎士レネ・フートがニヤリと笑う。
「なんだジェシー、それに所属していた自分も、言外に化け物だと言いたい訳か?」
「言いませんって!
わたしなんて、ただの落ちこぼれでしたから」
「ちゃんと分かっているじゃないか、ジェシー。
俺たちは、お前の実力からルマ家騎士団が測られるんじゃないかって危惧しているからこそ、こうやって張り切ってるんだぞ」
ルマ家騎士レネ・フートの言葉に、周りにいるルマ家騎士が意地の悪そうな笑みを浮かべた。
エリージェ・ソードルが小首を捻る。
「あら?
ジェシー、この前、レネ相手に惜しいところまでいったって言ってなかったかしら?」
「ちょ!?
何をおっしゃって――」
「ほほう……」というルマ家騎士レネ・フートの目に剣呑なものが映る。
女騎士ジェシー・レーマーは首と手を一緒に振りながら、必死に否定する。
「違います!
違いますから!
お嬢様!
わたしなんかが、ルマ家騎士団で五指には入る、レネさんに善戦なんて出来ませんって!」
「あら?
だったら、前の――」
エリージェ・ソードルの言葉を「何をしている!」という野太い声が打ち消した。
エリージェ・ソードルが視線を向けると、鍛錬所の入り口に巨躯な騎士――騎士団長フランク・ハマンが呆然とした顔で立っていた。
騎士団長フランク・ハマンはエリージェ・ソードルの存在に気づいたのか、早足で近づいてくる。
それは、巨体に重厚な鎧を身につけているとは思えない、淀みのない足運びだった。
それを見たエリージェ・ソードルに(強いわね)と思わせた。
騎士団長フランク・ハマンはエリージェ・ソードルの前に片膝を付き、深々と頭を下げる。
そして、顔を上げると険しい表情になった。
「お嬢様、”これ”は、いったいどうしたことでしょう?」
エリージェ・ソードルは視線を辺りに見渡した。
ルマ家騎士達が、”元”ソードル家騎士達を捕らえている。
ただ、”それだけ”でしかない。
「まあ、そうね。
あなたに内緒で行ったことは悪かったと思うわ」
エリージェ・ソードルは視線を騎士団長フランク・ハマンに向けた。
この女、エリージェ・ソードルは無愛想である。
それでもである。
その瞳の色は、女騎士ジェシー・レーマーやルマ家騎士レネ・フートに見せるそれとは違い、どことなく冷めていた。
だが、騎士団長フランク・ハマンはそれに気づかない。
だからこそ、己の主に問う。
「わたしに知らせるかどうかは、この際、大したことではありません。
問題は何故、彼らがこのような目に遭っているか?
そちらを教えていただきたく思います」
一言一言明確に発する姿には騎士団長に相応しい、洗練さがあった。
普段のエリージェ・ソードルであれば正しく評価をしていたことだろう。
しかし、この女から発する言葉は「そう?」という冷淡なものだった。
最初に気づいたのは誰だっただろうか。
だが、最初に声をかけたのは、女騎士ジェシー・レーマーだった。
「お、お嬢様?」
この女の、小さな手に握られている閉じた扇子、それがミシミシと音を立てていた。
それは徐々に大きくなり、それと共に微かに震え始めた。
この女、エリージェ・ソードルは滅多に表情が変わらない。
だからこそ、二人の護衛騎士もルマ家騎士レネ・フートも、騎士団長フランク・ハマンも気づくのに遅れた。
この女、激高していた。
不注意で粗相をしでかした使用人に対しても眉一つ動かさなかったこの女が、無礼にも義母の排除を妨害した騎士リョウ・モリタに対してすら、声を荒げる事すらしなかった女が――騎士団長フランク・ハマンに対して、激しく怒っていた。
「お嬢様?」
騎士団長フランク・ハマンが恐る恐る女に訊ねる。
エリージェ・ソードルはそれには答えず、控えていたソードル家騎士に、”元”騎士を牢屋に護送するように指示を出した。
騎士達は、騎士団長フランク・ハマンを気にしたが、新しい主の言う通りにした。
次に、ルマ家騎士レネ・フートに視線を向けた。
「申し訳ないけどレネ、少し、外して貰えないかしら」
ルマ家騎士レネ・フートは丁寧に頭を下げると、他のルマ家騎士達を引き連れて鍛錬場から出た。
その場には、エリージェ・ソードルと騎士団長フランク・ハマン、そして、護衛である女騎士ジェシー・レーマーと騎士リョウ・モリタのみとなった。
「ねえフランク、あなた、”何故”とわたくしに訊ねたわね。
逆に訊くけど、あなた、何故それが分からないの?」
「……どういうことでしょうか?」
「……そう」
エリージェ・ソードルは耐えるかのように目を閉じた。
そして、開くとさらに問う。
「あなた、さっき転がっていた”あれら”の幾人かが、怪しげな男と話し込んでいたという報告を受けていたわよね?」
「え?
お嬢様、何故それを?
……いや、はい、受けましたが」
「その時点で何故確認しなかったの?
あなたなら、”真偽の魔術石”を使う権限も与えられていたでしょう?」
”真偽の魔術石”とは、それに触れたものが嘘を付いているか、否かを判定することが出来る魔術道具である。
これを欺けるのはよほどの高位魔術師のみとされていて、その場合も、魔術の制限を行うことでほぼ回避出来るとされていた。
詰まる所、怪しいなら何故、片っ端からそれを使わないのか?
そう訊ねているのだ。
ここまで言われれば、流石に察することが出来るだろう。
あなたは何故、そこまで知っていながら、黙認したのか?
そう訊ねているのだ。
騎士団長フランク・ハマンの顔が強ばり、血の気がすぅーっと抜けていく様子が見て取れた。
「お、お嬢様……あいつらは……あいつらは何を……」
膝をつく騎士団長フランク・ハマンを見下ろす女の瞳がさらにひんやりとしたものを帯びた。
「領を混乱させて、隣国を引き込もうと画策したのよ」
「お、お嬢様!」騎士団長フランク・ハマンは腰を一瞬上げかけて、必死に自制したのか、重心を戻すと右手を胸に当てて言葉を続けた。
「あいつらは、あいつらはそんな大それた事など……。
お嬢様、それは本当のことなのでしょうか?
証拠は――」
すべては言えなかった。
代わりに乾いた音と共に騎士団長フランク・ハマンの顔が左に反れた。
彼の頬には、エリージェ・ソードルの扇子の痕がくっきりと付いていた。
「お嬢様……」女騎士ジェシー・レーマーが呟く。
義母ミザラ・ソードルが侍女を扇子で叩くのを見て殺意まで浮かべた己の主が、同じような事をする。
その”重さ”を理解してのことだろう。
だがエリージェ・ソードルにはそんなことはどうでも良かった。
一瞬、呆然とした騎士団長フランク・ハマンではあったが、「大変、失礼なことを申し上げました!」と慌てて頭を下げる。
幼いとはいえ、代行とはいえ、主に向かって訊ねる事ではない。
そう気づいたからだろう。
エリージェ・ソードルは、それを眺めながら口を開く。
「あなた、部下を自身の子供のように扱っているらしいわね。
何故?」
唐突な問いに、騎士団長フランク・ハマンは困惑気味に答える。
「は、はい。
軍隊とは信頼と団結が重要だと考えるからです。
それに、多くの子が親から離れたばかりで、戸惑っています。
そんな彼らの父代わりになり、支えてやろうと……」
「なるほどね、別段”それ”も悪くないと思うわ。
それで、信頼と団結が強固になるのであればね。
で?」
エリージェ・ソードルは片眉を跳ね上げた。
「その結果が、”これ”かしら?」
「は!
申し訳、ございません……。
わたしが、あいつらを、あいつらを……」
騎士団長フランク・ハマンは己の内蔵を手でかきむしられているかのような、苦悩の満ちた顔となった。
だが、そこまでして悔やむ騎士団長フランク・ハマンに対して、エリージェ・ソードルの瞳には温かみなど一切無い。
むしろそこには軽蔑する色があった。
「ねえフランク、あなたって”あいつら”ばかりなのね」
「え?」
見上げる騎士団長フランク・ハマンにエリージェ・ソードルは続ける。
「ねえフランク、あなたの”それ”がヨルク・トーンらを反逆に向かわせた――そうは思わないの?」
「そ、”それ”とは?」
問う騎士団長フランク・ハマンの顔に扇子が投げつけられる。
エリージェ・ソードルが――この表情を余り出さないこの女が――ついには完全に眉を怒らせた。
「あなたが守るべきは何!?
あなたが気にかけるべきは誰!?
欲にまみれた部下なの!?
違うでしょう!?
この領にいる民じゃないの?
それを違えて、何が騎士団長なのかしら!?」
「あ……」騎士団長フランク・ハマンは声を漏らす。
そこに浴びせかけるように、この女は言葉を続ける。
「そんなことだから、あなたは守れないのよ!」
ヨルク・トーン達の反乱で十人ほどの騎士が殺害された。
「”本当に”守らなくてはならないもの達を!」
だがそれだけではなかった。
「この町に住む領民達を――」
ヨルク・トーン達は騎士達に対する陽動のため、町を焼き、領民のうち百三十五人が死に、千五百三十二名が住居を含む財産のすべてを失った。
「屋敷で真面目に働く使用人達を――」
強襲を受けた屋敷では初めての殺人に興奮したヨルク・トーン達による虐殺が行われた。
その数、四十名にのぼり、中には強姦された末に殺害された侍女もいた。
その中には弟マヌエル・ソードルを逃すために、その身を犠牲にした庭師もいた。
「あなたの家族を――」
不意打ちをやり遂げ、騎士団長フランク・ハマンを殺害し、領内を見事にかき乱したヨルク・トーンら反乱者達であったが、政務官長マサジ・モリタと弟マヌエル・ソードルを逃がし、当てにしていた外国からの支援が一向に来ず、いらだちを募らせていた。
そんな中、男達は何故か騎士団長フランク・ハマンの屋敷を占拠し、その中の家族五名、使用人一名を殺害した。
「守れない。
あなたの”それ”が皆を殺すのよ」
騎士団長フランク・ハマンは呆然とした。
そして、両膝と共に両手を地面に付いた。
「申し訳、ございません」
手と手の間にぽとりぽとりと水滴が落ちる。
それを傲然と見下ろしていたエリージェ・ソードルは続ける。
「……今回のことは追って沙汰をするわ。
とにかく今は、混乱している騎士団を取りまとめなさい」
「は!」
「リョウ、あなたも手伝いなさい」
「かしこまりました」
エリージェ・ソードルは後ろを向くと、出口へと向かった。
「お嬢様」と後ろから女騎士ジェシー・レーマーが付いてくる。
しばらく進むと、女騎士ジェシー・レーマーが少し言いにくそうに訊ねてきた。
「お嬢様、あのう~
お嬢様って先ほど”何か”しましたか?」
「何かって?」
首だけで向くと女騎士ジェシー・レーマーが扇子を女に向けてきた。
それは真ん中でポキリと折れていた。
エリージェ・ソードルほどの大貴族が持つものだ。
軽いながらも頑丈な魔獣などの骨で出来ている。
幼い、ましてご令嬢の細腕でどうにか出来るほど柔ではない――はずの代物だった。
「……別に何も」
エリージェ・ソードルはそこまで言うと、何事もないように歩き始めた。
奇っ怪な声を発しながら、その騎士は膝から崩れ落ちる。
そして、白目を剥いて仰向けに倒れた。
そんな様子を、少し眉を顰めながら眺める女がいた。
エリージェ・ソードルである。
多くの事を淡々とこなすこの女がそのような顔をしているのは、その騎士が自分を見る表情に気持ち悪いものを感じたからだ。
エリージェ・ソードルは右手に持つ閉じた扇子でその騎士を指すと、言った。
「レネ、それはもう一発殴っておいて」
「喜んで!」
長い茶髪を後ろで結んでいるルマ家騎士レネ・フートは陽気に答えると、倒れている騎士――ヨルク・トーンの胸ぐらを片手で掴んだ。
巨躯のはずのヨルク・トーンはまるで中身が藁のカカシのように軽々と持ち上げられ、先ほどとは逆の頬に拳がねじ込まれた。
顎が外れたようでぶらぶらし、その端を沿うように砕けた鼻や歯から流れ落ちる赤い液体が伝い、床を汚していった。
「あらら、ちょっとやり過ぎてしまいました」
「……というよりも、脆すぎるわね」
エリージェ・ソードルは苦笑をした。
目の前で伸びている男は、公爵騎士団の中ではそれなりに腕が立つ方だと聞いていた。
なので、こうもあっさりとやられると、手間がかからない反面、自領のふがいなさを突きつけられた気になるのだ。
「ねえリョウ、本当にこの程度がうちの騎士団で上位に当たるの?」
その問いに対して、騎士リョウ・モリタは渋い顔をして答えた。
「若手の中では、少なくとも上位ですね」
「あなたよりも?」
「いえ、自分は負けたことはありません。
ただ、他の若手は歯が立たないようでした」
それに、女騎士ジェシー・レーマーが口を挟む。
「お嬢様、レネさん基準――というよりルマ家騎士基準で見るのはやめた方がよいと思いますよ。
誰も彼も、化け物級ですから」
それに対して、ルマ家騎士レネ・フートがニヤリと笑う。
「なんだジェシー、それに所属していた自分も、言外に化け物だと言いたい訳か?」
「言いませんって!
わたしなんて、ただの落ちこぼれでしたから」
「ちゃんと分かっているじゃないか、ジェシー。
俺たちは、お前の実力からルマ家騎士団が測られるんじゃないかって危惧しているからこそ、こうやって張り切ってるんだぞ」
ルマ家騎士レネ・フートの言葉に、周りにいるルマ家騎士が意地の悪そうな笑みを浮かべた。
エリージェ・ソードルが小首を捻る。
「あら?
ジェシー、この前、レネ相手に惜しいところまでいったって言ってなかったかしら?」
「ちょ!?
何をおっしゃって――」
「ほほう……」というルマ家騎士レネ・フートの目に剣呑なものが映る。
女騎士ジェシー・レーマーは首と手を一緒に振りながら、必死に否定する。
「違います!
違いますから!
お嬢様!
わたしなんかが、ルマ家騎士団で五指には入る、レネさんに善戦なんて出来ませんって!」
「あら?
だったら、前の――」
エリージェ・ソードルの言葉を「何をしている!」という野太い声が打ち消した。
エリージェ・ソードルが視線を向けると、鍛錬所の入り口に巨躯な騎士――騎士団長フランク・ハマンが呆然とした顔で立っていた。
騎士団長フランク・ハマンはエリージェ・ソードルの存在に気づいたのか、早足で近づいてくる。
それは、巨体に重厚な鎧を身につけているとは思えない、淀みのない足運びだった。
それを見たエリージェ・ソードルに(強いわね)と思わせた。
騎士団長フランク・ハマンはエリージェ・ソードルの前に片膝を付き、深々と頭を下げる。
そして、顔を上げると険しい表情になった。
「お嬢様、”これ”は、いったいどうしたことでしょう?」
エリージェ・ソードルは視線を辺りに見渡した。
ルマ家騎士達が、”元”ソードル家騎士達を捕らえている。
ただ、”それだけ”でしかない。
「まあ、そうね。
あなたに内緒で行ったことは悪かったと思うわ」
エリージェ・ソードルは視線を騎士団長フランク・ハマンに向けた。
この女、エリージェ・ソードルは無愛想である。
それでもである。
その瞳の色は、女騎士ジェシー・レーマーやルマ家騎士レネ・フートに見せるそれとは違い、どことなく冷めていた。
だが、騎士団長フランク・ハマンはそれに気づかない。
だからこそ、己の主に問う。
「わたしに知らせるかどうかは、この際、大したことではありません。
問題は何故、彼らがこのような目に遭っているか?
そちらを教えていただきたく思います」
一言一言明確に発する姿には騎士団長に相応しい、洗練さがあった。
普段のエリージェ・ソードルであれば正しく評価をしていたことだろう。
しかし、この女から発する言葉は「そう?」という冷淡なものだった。
最初に気づいたのは誰だっただろうか。
だが、最初に声をかけたのは、女騎士ジェシー・レーマーだった。
「お、お嬢様?」
この女の、小さな手に握られている閉じた扇子、それがミシミシと音を立てていた。
それは徐々に大きくなり、それと共に微かに震え始めた。
この女、エリージェ・ソードルは滅多に表情が変わらない。
だからこそ、二人の護衛騎士もルマ家騎士レネ・フートも、騎士団長フランク・ハマンも気づくのに遅れた。
この女、激高していた。
不注意で粗相をしでかした使用人に対しても眉一つ動かさなかったこの女が、無礼にも義母の排除を妨害した騎士リョウ・モリタに対してすら、声を荒げる事すらしなかった女が――騎士団長フランク・ハマンに対して、激しく怒っていた。
「お嬢様?」
騎士団長フランク・ハマンが恐る恐る女に訊ねる。
エリージェ・ソードルはそれには答えず、控えていたソードル家騎士に、”元”騎士を牢屋に護送するように指示を出した。
騎士達は、騎士団長フランク・ハマンを気にしたが、新しい主の言う通りにした。
次に、ルマ家騎士レネ・フートに視線を向けた。
「申し訳ないけどレネ、少し、外して貰えないかしら」
ルマ家騎士レネ・フートは丁寧に頭を下げると、他のルマ家騎士達を引き連れて鍛錬場から出た。
その場には、エリージェ・ソードルと騎士団長フランク・ハマン、そして、護衛である女騎士ジェシー・レーマーと騎士リョウ・モリタのみとなった。
「ねえフランク、あなた、”何故”とわたくしに訊ねたわね。
逆に訊くけど、あなた、何故それが分からないの?」
「……どういうことでしょうか?」
「……そう」
エリージェ・ソードルは耐えるかのように目を閉じた。
そして、開くとさらに問う。
「あなた、さっき転がっていた”あれら”の幾人かが、怪しげな男と話し込んでいたという報告を受けていたわよね?」
「え?
お嬢様、何故それを?
……いや、はい、受けましたが」
「その時点で何故確認しなかったの?
あなたなら、”真偽の魔術石”を使う権限も与えられていたでしょう?」
”真偽の魔術石”とは、それに触れたものが嘘を付いているか、否かを判定することが出来る魔術道具である。
これを欺けるのはよほどの高位魔術師のみとされていて、その場合も、魔術の制限を行うことでほぼ回避出来るとされていた。
詰まる所、怪しいなら何故、片っ端からそれを使わないのか?
そう訊ねているのだ。
ここまで言われれば、流石に察することが出来るだろう。
あなたは何故、そこまで知っていながら、黙認したのか?
そう訊ねているのだ。
騎士団長フランク・ハマンの顔が強ばり、血の気がすぅーっと抜けていく様子が見て取れた。
「お、お嬢様……あいつらは……あいつらは何を……」
膝をつく騎士団長フランク・ハマンを見下ろす女の瞳がさらにひんやりとしたものを帯びた。
「領を混乱させて、隣国を引き込もうと画策したのよ」
「お、お嬢様!」騎士団長フランク・ハマンは腰を一瞬上げかけて、必死に自制したのか、重心を戻すと右手を胸に当てて言葉を続けた。
「あいつらは、あいつらはそんな大それた事など……。
お嬢様、それは本当のことなのでしょうか?
証拠は――」
すべては言えなかった。
代わりに乾いた音と共に騎士団長フランク・ハマンの顔が左に反れた。
彼の頬には、エリージェ・ソードルの扇子の痕がくっきりと付いていた。
「お嬢様……」女騎士ジェシー・レーマーが呟く。
義母ミザラ・ソードルが侍女を扇子で叩くのを見て殺意まで浮かべた己の主が、同じような事をする。
その”重さ”を理解してのことだろう。
だがエリージェ・ソードルにはそんなことはどうでも良かった。
一瞬、呆然とした騎士団長フランク・ハマンではあったが、「大変、失礼なことを申し上げました!」と慌てて頭を下げる。
幼いとはいえ、代行とはいえ、主に向かって訊ねる事ではない。
そう気づいたからだろう。
エリージェ・ソードルは、それを眺めながら口を開く。
「あなた、部下を自身の子供のように扱っているらしいわね。
何故?」
唐突な問いに、騎士団長フランク・ハマンは困惑気味に答える。
「は、はい。
軍隊とは信頼と団結が重要だと考えるからです。
それに、多くの子が親から離れたばかりで、戸惑っています。
そんな彼らの父代わりになり、支えてやろうと……」
「なるほどね、別段”それ”も悪くないと思うわ。
それで、信頼と団結が強固になるのであればね。
で?」
エリージェ・ソードルは片眉を跳ね上げた。
「その結果が、”これ”かしら?」
「は!
申し訳、ございません……。
わたしが、あいつらを、あいつらを……」
騎士団長フランク・ハマンは己の内蔵を手でかきむしられているかのような、苦悩の満ちた顔となった。
だが、そこまでして悔やむ騎士団長フランク・ハマンに対して、エリージェ・ソードルの瞳には温かみなど一切無い。
むしろそこには軽蔑する色があった。
「ねえフランク、あなたって”あいつら”ばかりなのね」
「え?」
見上げる騎士団長フランク・ハマンにエリージェ・ソードルは続ける。
「ねえフランク、あなたの”それ”がヨルク・トーンらを反逆に向かわせた――そうは思わないの?」
「そ、”それ”とは?」
問う騎士団長フランク・ハマンの顔に扇子が投げつけられる。
エリージェ・ソードルが――この表情を余り出さないこの女が――ついには完全に眉を怒らせた。
「あなたが守るべきは何!?
あなたが気にかけるべきは誰!?
欲にまみれた部下なの!?
違うでしょう!?
この領にいる民じゃないの?
それを違えて、何が騎士団長なのかしら!?」
「あ……」騎士団長フランク・ハマンは声を漏らす。
そこに浴びせかけるように、この女は言葉を続ける。
「そんなことだから、あなたは守れないのよ!」
ヨルク・トーン達の反乱で十人ほどの騎士が殺害された。
「”本当に”守らなくてはならないもの達を!」
だがそれだけではなかった。
「この町に住む領民達を――」
ヨルク・トーン達は騎士達に対する陽動のため、町を焼き、領民のうち百三十五人が死に、千五百三十二名が住居を含む財産のすべてを失った。
「屋敷で真面目に働く使用人達を――」
強襲を受けた屋敷では初めての殺人に興奮したヨルク・トーン達による虐殺が行われた。
その数、四十名にのぼり、中には強姦された末に殺害された侍女もいた。
その中には弟マヌエル・ソードルを逃すために、その身を犠牲にした庭師もいた。
「あなたの家族を――」
不意打ちをやり遂げ、騎士団長フランク・ハマンを殺害し、領内を見事にかき乱したヨルク・トーンら反乱者達であったが、政務官長マサジ・モリタと弟マヌエル・ソードルを逃がし、当てにしていた外国からの支援が一向に来ず、いらだちを募らせていた。
そんな中、男達は何故か騎士団長フランク・ハマンの屋敷を占拠し、その中の家族五名、使用人一名を殺害した。
「守れない。
あなたの”それ”が皆を殺すのよ」
騎士団長フランク・ハマンは呆然とした。
そして、両膝と共に両手を地面に付いた。
「申し訳、ございません」
手と手の間にぽとりぽとりと水滴が落ちる。
それを傲然と見下ろしていたエリージェ・ソードルは続ける。
「……今回のことは追って沙汰をするわ。
とにかく今は、混乱している騎士団を取りまとめなさい」
「は!」
「リョウ、あなたも手伝いなさい」
「かしこまりました」
エリージェ・ソードルは後ろを向くと、出口へと向かった。
「お嬢様」と後ろから女騎士ジェシー・レーマーが付いてくる。
しばらく進むと、女騎士ジェシー・レーマーが少し言いにくそうに訊ねてきた。
「お嬢様、あのう~
お嬢様って先ほど”何か”しましたか?」
「何かって?」
首だけで向くと女騎士ジェシー・レーマーが扇子を女に向けてきた。
それは真ん中でポキリと折れていた。
エリージェ・ソードルほどの大貴族が持つものだ。
軽いながらも頑丈な魔獣などの骨で出来ている。
幼い、ましてご令嬢の細腕でどうにか出来るほど柔ではない――はずの代物だった。
「……別に何も」
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だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
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