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其の拾壱
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『わぁ~、馬車に乗りながら空を飛ぶなんてぇ、画期的ですぅ。ハイカラですぅ~空気が美味いですぅ~』
騒ぎは、アベル・ハウンド侯爵一行がサクラ公国を出発してすぐ、ナギの懐から飛び出してきた短剣シロが、外を眺めつつ溢した感想から始まった。
『あらぁ! あそこに見えるのは、ワイバーンの巣ですぅ。まぁ! ワイバーンったら、こちらに気付いて警戒しているわぁ。きっと、私の強さにぃ、恐れ戦いているのねぇ』
『まぁ! あれは湖?! 湖面がキラキラと輝いて、なんて美しいのかしらぁ。あ、でもぅ、私の美しさには負けるわねぇ』
『あ! あちらには、村がありますぅ。なんて、長閑なのかしらぁ。老後はぁ、あんな村でぇ、のんびりしたいものよねぇ。もぅ、宝物庫に閉じ込められるのはごめんだしぃ……』
独りごちたシロは、ちょこまかと馬車内を移動しはじめる。
外への興味が落ち着いたのだろう。
後方で借りてきた猫の様に、静かに座っているイルミラとルフィーノの元へと向かった。
『あらぁ。これはぁこれはぁ、初めましてかしらぁ? ナギの愛剣『シロ』と申しますぅ。気軽に『シロちゃん』と、お呼びくださいねぇ。うふ』
それに対し、ルフィーノは満面の笑みで答えてしまう。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。私はルフィーノと申します。こちらは、妻のイルミラでございます。道中、宜しくお願い致しますね」
エルフの美しくも儚げな面立ち。
輝かんばかりの笑顔。
それは、誰が見ても美青年であり、好青年である。
ゆえに、シロは体を器用にくねらせ、こう言った。
『あらぁ、いい男! 私がもう少し若ければぁ、アタックしていたのにぃ、残念~』
そもそも生物ですらないシロが、ルフィーノにアピールする事自体が間違っている。
恋のお相手となろうはずがない。
そう。
ないはずなのに……。
「美しいシロちゃんにそう仰って頂けると、とても嬉しいですね。私もイルミラと出会う前なら、シロちゃんに心を奪われていたかも知れません」
なぜか、ルフィーノはさも残念そうに返答しているのである。
『もぅ、ルフィーノちゃんってば! イルミラちゃんがやきもち焼いちゃうわよ。あ、大丈夫よぅ、イルミラちゃん。ルフィーノちゃんは、貴女にほの字だからねぇ。だから、安心して。うふ』
くねくねと動く奇妙な短剣『シロ』を、ルフィーノの背に隠れながら見つめていたイルミラは、顔を覗かせこう呟く。
「ルフィーノ? 私と出会う前なら、この短剣シロちゃんに心を奪われていたの? 」
イルミラの表情からは、絶望と期待が入り混じった様子が窺える。
そんな不安を拭い去る様に、ルフィーノはイルミラの頬に手を優しくあてがいながら、諭すように囁いた。
「イルミラ。貴女と出会う前なら、そうだったかも知れません。けれど、私は貴女と先に出会い、愛したのです。この一篇の曇りなく、揺ぎ無い私の愛を信じてくれますか? 」
「ええ、もちろんよ。ルフィーノ……私も貴方を愛しているわ」
手を取り合い、見つめ合う2人が作り出す空間は果てしなく甘く美しい。
それは、何人たりとも足を踏み入れる事が叶わない絶対領域であるかのように。
ゆえに、空気の読める漢シロは。
『あらあら、若いっていいわねぇ。私もぉ、また恋がしたくなっちゃったわぁ』
そう呟き、ナギの隣へと戻って行ったのだった。
シロが次に目を付けたのは、アベル・ハウンド侯爵。
愛娘ルイーズと愛息ジョゼとは面識のあるシロだが、アベルに会ったのは本日初めてであった。
出来る漢シロは、アベルの横顔を覗き見た後、分析し話しかけた。
『あら、こちらも初めましてかしらぁ? 初めましてぇ、私はナギの相棒シロちゃんと申しますぅ。よろしくお願いしたしますねぇ。おやぁ? その髪の色は、あの愛らしい御令嬢のルイーズ様と同じ色! それにぃ、あの天使の様なジョゼ坊ちゃまとも、面影が似てるわぁ。もしやぁ、ルイーズ様やジョゼ坊ちゃまのお父上なのぅ? 』
シロの分析能力は、場末のスナックのママと同程度である。
よって、持ち上げ方が割と雑なのだが。
「ああ、其方がシロちゃんか。愛娘から話は聞いている。私は愛らしいルイーズと天使の様なジョゼの父、アベル・ハウンドと申す。よろしく頼むな」
子煩悩なアベルには効果てきめんであったようだ。
『やっぱりねぇ。知的な雰囲気がそっくりだものぅ。私ぃ、常々ルイーズ様やジョゼ坊ちゃまにはぁ、お世話になったからぁ、何か恩返しがしたいと思っていたと所なのよぅ。だからぁ、今回の旅ではぁ、皆を守るわねぇ』
「そうしてくれると助かる。私は、馬車を操るのに手一杯ゆえな」
アベルが馬車を操るのに手一杯な訳がない。
にもかかわらず、そう告げたのは。
守ると宣言したシロに花を持たせたかったという気持ちがあったからだ。
『お任せをぅ。それはそうとぅ、ルイーズ様はお元気ですかぁ? 』
「ああ、娘は相変わらず元気で愛らしいぞ」
『それは重畳だわぁ。今回の旅にはぁ、遅れてくるのよねぇ? 』
「ああ。愛娘は魔道具を開発した後、それを使い合流すると踏んでいる」
『魔道具ぅ? 』
「愛娘ルイーズは、魔道具開発が得意でな。今回の旅にも同行したいと、少々駄々を捏ねていたが、私は優しく突っ撥ねたのだよ。『学生たる身で、長期間学業を疎かにする訳にはいくまい。これが、3日ほどの日程なれば、私も喜んで連れて行くのだがな……』とな。すると、愛娘はこの言葉の意味を感じ取った様だ。瞳に輝きが増し、本当に天使の愛らしい表情を浮かべていたからな……」
その時のルイーズは、きっと何かを企んでいる━━悪役みたいな表情だったに違いない。
だが、子煩悩なアベルは、そんな悪代官みたいな顔をする娘も天使に見えてしまう病に侵されているゆえ気付かない。
うっとりと愛娘の顔を思い出しているアベルに、シロが淡々と問いかける。
『ルイーズ様がぁ、愛らしいのはぁ、いつもの事よぅ。で、今のお話とぅ、魔道具開発ってぇ、どういう繋がりがなるのぅ? 』
「うむ? シロちゃんには、難しかったか? 私は学園を休んでいいのは、3日程度と言ったんだ。なら、あの子の事だ。決まった期日内で私達と合流し、遊べる計画を立てるだろう。私は、当主より賜った宝珠の様に一瞬で、且つ行った事もない場所へ移動できる魔道具を作り出すと予想している」
『なるほどぅ……一瞬で、移動できる魔道具をねぇ……もしかしてぇ、ルイーズ様って天才? 』
このシロの発言で、アベルに火が付いた。
「そうなのだよ! あの子は愛らしいだけでなく、天才なのだよ。それに、料理も得意でな。そうそう、この旅では、愛娘の手料理が食せるぞ。……あ、シロちゃんは食せるのか? 」
『あ、お構いなくぅ。食材そのものは摂取できませんがぁ。匂いや味などはぁ、料理のそのものを纏う気で分かりますのでぇ』
シロの分かり辛い説明を聞き、アベルが首を傾げている。
それを補足するように、隣に座るナギが説明を始めた。
「侯爵様、俺が説明するね。シロはこの地上にある全ての存在の纏う気が見えているんだって。わかりやすく言えば、マナだね。そのマナの状態を確かめる事で、全てを知ることが出来る。この全てとは、敵、味方だけじゃなく、無害なのか有害なのかもわかるから、森にシロを連れて行くと重宝するよ。後ね、大事にされている道具なんかだと、会話も出来るんだって」
「ほう、マナの状態で全てを知る━━つまり、味がわかるのはその特殊能力の一環なのだな? 」
「うん。それと言い忘れていたけど、シロは人間の味も分かるからね。ちなみに、俺は甘じょっぱいせんべいみたいな味なんだって。ワケわかんないよね。ハハハ━━」
訳が分からないと大笑いするナギの手を、シロは柄でペシペシ叩きながら反論した。
『もうもう~ナギっちったらぁ。それは、内緒って言ったじゃない~もう、恥ずかしい~~』
そう言って鞘を真っ赤に染めるシロ。
表現方法が、実に多彩である。
「ふむ。人の味か……それは、実際舐めて確かめる訳ではないのだろう? 」
狭い御者台の上で、腰を引くアベル。
シロから舌が飛び出し、ペロリと舐めとられる?! と警戒したからである。
『当然よぅ!実際、舐める訳ないじゃない~私ぃ、口も何もついてないのよぉ。纏う気を吸い込んで味わってる、だ、け、よ♪ 』
だけよと言いながら、シロは決めポーズを取った。
それを見たナギは、更に大爆笑。笑い過ぎて目尻から流れ落ちた涙を袖口で、乱暴にこすっている。
「ハハハハハ、もう、もう、やめて、シロ……お腹がよじれて痛い━━」
『もう、ナギっちったら、笑い上戸さんねぇ。ついでだからぁ、白状しちゃうけどぉ。侯爵様はぁ、ゴマ団子の味がするわぁ』
「やばいっ、ゴマ団子って、ハハハ━━美味しいけど━━ハハハハハハ━━━━いてっ」
ナギは笑い過ぎて、御者台から荷台へと転げ落ちた。
瞬間、 後ろを振り返ったアベルは、ナギの瞳に光る物を見つけた。
しかも、ナギは蹲り頭を抱えている。
それは、笑い過ぎた時に浮かべた涙だったのだが、アベルは痛みが激しいのだと勘違いをした。
「ほら、怪我をしたんじゃないのか? 回復魔法をかけるから、こちらに来なさい」
「は~い」
「『回復魔法』どうだ? もう、痛みはないか? 」
「うん、大丈夫」
アベルとナギの間に、ほのぼのとした空気が流れている。
アベルは、出会いから5年という月日がながれたものの。
共に旅をする事によって、互いの胸に刺さる小さな棘が抜けたのだと感じた。
ゆえに、愛おしさを籠めて、こう呟いたのだが。
「こういうそそっかしい所は、愛娘と似ているな」
ナギには、納得いかない言葉だった様だ。
「ええっ! 俺、ルイーズよりしっかりしているよっ」
アベルは愛らしい娘と似ている。つまり、最高の称賛を送ったはずなのに。
ナギが不満を漏らしたため、容認できず声を荒げてしまう。
「ルイーズの何処が不満なのだ。愛らしいだけでなく、料理も出来る。魔法にも長けていて、魔道具生産もお手の物。しかも━━」
我が子の長所をつらつらと上げ、アベルはナギを睨め付けた。
「知っているよ! でも、ルイーズは脇が甘い所があるじゃないかっ。ここで、人に頼っていれば、大事ならずに済んでいるはずなのに。って事多いでしょう? そんな、後先考えずに突っ込ん入ってしまうルイーズと、俺を似ているなんて言わないで! 俺は━━」
頼る者も無く、幼く弱かったゆえ、抗えず贄にされてしまったナギはこの5年間、心身共に鍛錬を重ねて来た。
再び、ただの道具として、利用されないためにも。
ルイーズや信頼を寄せる者達を守るためにも。
「確かに愛娘は詰めの甘い所はあるが、そんなものを全て覆い隠せるほどの実力と愛らしさがあろう! 」
「実力も愛らしさもあるし、大事になっても自分で何とかしてしまうかも知れないけど。そういう事じゃないでしょっ」
だが、アベルにしてみれば、トラブルに首を突っ込む娘の尻ぬぐいは自身で完璧にやり遂げられるため。
相談する時期がいつであろうと、問題ないと考えているのだ。
まあ、最初に相談してくれればと、考えなくもないアベルではあるが。
愛娘の性格上、それは無理だろうなと諦めている。というか、諦めたのだ。
ナギとアベルの立ち位置、立場の違い。
それが、ルイーズに対する思いと、認識の違いである。
ナギとアベルのルイーズに対する上げ下げの激しい言い争いが続く中。
空気の読める漢シロが仲裁に入った。
『まぁまぁ、侯爵様もぅ、ナギっちもぅ。いい加減にしなさいよぅ。ルイーズ様が、こんな争いを知ったらぁ、ぷんぷん怒るわよぅ。お仕置きにご飯抜きぃ? それともぅ……最悪ぅ、嫌われちゃうかもねぇ』
ナギやアベルがルイーズに持つ感情を人質に、脅しをかけるシロ。
信頼、愛情、友情を捨ててまで、言い争いを続けるのか?
この事は、合流したのち、しっかり報告させてもらうぞ。と言っているのである。
「シロちゃん。愛娘には黙っていてくれ。この通りだ」
シロに頭を下げ懇願するアベル。
「ルイーズに言ったら、宝物庫に返すからね! 」
ぷんと横を向き、シロを逆に脅すナギ。
『ナギっちったらぁ、私がそんな脅しに屈するとでも思っているのぅ? 』
シロはそう言いながらも、ぶるぶると震えている。
「シロは、必ず屈するね。けど、俺も鬼じゃないし、シロが黙っていてくれるんなら、いつまでも俺達は相棒だ。どうする? 」
『いいわぁ、その条件で手を打つわぁ。でもぅ、もぅ、喧嘩は駄目よ。いいわねぇ? 侯爵様もいいわねぇ? 』
脅しに屈したものの、シロの仲裁は成功した。
シロは、もう喧嘩する事はないだろうと2人を見遣る。
見遣るとは言っても、シロに目玉は付いていないので、鞘の向きで判断するしかないのだが。
「侯爵様、ごめんなさい……ルイーズに頼って貰える人間になりたくて、これまで鍛錬を重ねて来たのに。まだまだ、手がかかる子供だって言われたみたいで、カチンときたんだ」
「いや、私も申し訳なかった。私も親だからな、娘や息子がいくつになっても、手を貸したことに喜びを感じるんだ。だから、ナギのコブを癒せたことが嬉しくてな……」
「侯爵様……それって俺も我が子の様に感じてくれてるって事? 」
ナギの瞳が揺らいでいる。
ナギにとって、親と呼べる者は、当主サクラしかいない。
けれど、当主は孫の様にナギに接している為、祖母の様な立ち位置なのである。
「ああ、ナギは私の子供だ。我が子の様に想っているぞ」
実際、アベルはナギに対して色々便宜を図って来た。
それは、身分証となる物から始まり、衣食に至るまでである。
更に、住に関しては当主の屋敷に同居しているので必要ないものの、家具や寝具に至ってはアベルのポケットマネーから捻出されていた。
「本当? 」
「ああ、本当だ」
「でも、父様とは呼ばないよ」
「ならば、パパと呼んでくれ」
「無理」
そう言ってそっぽを向くナギを、アベルは優しい瞳で見つめている。
そこで、空気の読める漢シロが呟いた。
『やれやれだわぁ。本当に世話の焼ける子達ねぇ。まぁ、雨降って地固まるって言うしぃ。これで良かったのかもねぇ。そうそう、さっき言い忘れていたけどもぅ、ルフィーノちゃんは、豆大福の味でぇ、イルミラちゃんは、鉄錆味ね。不味いったらないわぁ』
シロは空気の読める漢ではなかった。
アベルとナギが口喧嘩をしている最中でも、甘い空気に包まれていたイルミラとルフィーノに爆弾を投げ落としたのだから。
不味い鉄錆味と聞いて、イルミラがブルブルと震えている。
ルフィーノは豆大福味より、素敵だとフォローを入れてみるが、火に油を注いだけのようだ。
イルミラはヒステリックに叫び声を上げ、ルフィーノ目掛けて手を振り下ろした。
瞬間、パンッという音と共に、ルフィーノが馬車内を転げる。
ルフィーノはムクリと起き上がり、痛む頬に手を添え、イルミラに向かって叫んだ。
「イルミラ━━」
『お父さんにも殴られた時がないのにぃ』
誰も理解できないネタをいきなりぶっ込むシロ。
もちろんネタの提供者は、ルイーズなのだが。
場の空気が硬直したのはいうまでもない。
「はいはい。シロは大人しくしていようね」
空気が読めなくなったシロは、ナギに捕獲された。
アベルは、ヤレヤレと肩を竦めている。
呆気に取られていたルフィーノはイルミラに先ほど言い損ねた言葉を告げようと口を開いた。
「イルミラ。貴女は甘く、香り高い『ほうじ茶ラテ』の様な方だと私は思っておりますよ」
「ほうじ茶ラテって! 意味わかんないわよっ」
イルミラはそう叫び、またもやルフィーノの頬を打った。
そして、頬に手形を付けたルフィーノは、小さく呟く。
「意味って……私の大好きな飲み物なのに……」
例え、ほうじ茶ラテがルフィーノの大好き飲料だとしても、女性に使っていい文句ではない。
やはり、女性は高貴な薔薇や可憐な花などに譬えるのが常套句というもの。
そんな乙女心が分からないルフィーノとイルミラの戦闘━━夫婦喧嘩は、野営地に着いても続くのであった。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。
野営地に着いた侯爵一行は、川のほとりで天幕を張る事にした。
張ると言っても、侯爵の持つ特大容量を誇るアイテムバッグに、そのまま入っている物を取り出すだけなのだが。
傍から見ているナギが歓喜するのをいい事に、アベルは何度も出し入れをして見せている。
「侯爵パパのアイテムバッグって、規格外だよね……」
イルミラとルフィーノがまだギスギスしているため、場の雰囲気を和ませようと、ナギがアベルの事を『侯爵パパ』と呼んで話しかけた。
「ナギ……私をパパと呼んでくれるのか? 」
「まぁね」
ナギは照れ隠しなのか、頬を掻いている。
そんなナギを見て、アベルは感無量といった風だ。
「よし! 今日はお祝いだ。ルイーズの作ってくれたとっておきを出そう! 」
そう言って取り出したのは、バースデーケーキ。
なぜ、ルイーズはアベルにバースデーケーキを持たせたのかは謎だが。
ホールケーキと言えば、バースデーケーキよね。とかの単純な理由である事は間違いない。
「わぁ! 凄いケーキだね。でも、これってデザートでしょう? 食事は? 」
「もちろん、あるさ。これだ━━」
次にアベルが取り出したのは、巨大な肉の塊であった。
「うわぁ! 何それ? どうやって食べるの? 」
ナギの瞳がキラキラと輝いている。まるで、宝物を見つけた幼子の様に。
「これはな、『ドネルケバブ』という食べ物だそうだ。肉をナイフで薄く削いだ物と野菜を『ピタパン』と呼ばれるもので挟んで食べるんだよ」
「へぇ」
ナギがゴクンと喉を鳴らした。
お腹が空いて、我慢できないようだ。
アベルは苦笑を漏らし、ルフィーノに指示を出す。
「さぁ、ルフィーノ。テーブルをセッティングしてくれないか? 」
細かなテーブルセッティングは、アベルが苦手とするものである。
ゆえに、こういった作業は、イルミラの元従者であるルフィーノに任せるほかない。
「はい、只今」
手慣れた手つきで、ルフィーノがテーブルクロスを敷く。
そして、中央に肉を置き、野菜が入ったボールやピタパンが入った籠などを盛りつけた。
その間、イルミラはルフィーノにまだ怒っているのか、不機嫌そうに突っ立っているだけで何も手伝おうとしない。
喧嘩をしている者が居ると、場の空気が重くなる。
この空気のままでは、折角の料理も台無しになってしまう。
そう感じたナギは、アベルに問いかけた。
「ねぇ、侯爵パパ。通信用宝珠って持って来てる? 」
イルミラやルフィーノに関してルイーズから報告を受けているナギは、仲裁をしてもらおうと考えたのである。
「うん? ああ。持ってきているが、誰に━━そうか! ルイーズと話がしたいのだな。待っていろ、今出してやるからな」
「「ルイーズ様っ!! 」」
夫婦喧嘩をしている2人の肩がびくりと跳ねた。
「どうしたのだ、2人とも。ナギがルイーズと話したいと言っているだけではないか。何か言われて拙い事でもあるのか? 」
アベルは、通信用宝珠をナギに手渡しつつ、イルミラとルフィーノに向かってそう言い放った。
もはや、イルミラとルフィーノに成す術はない。
肩を落とし、頭を垂れる。
まるで、処刑を待つ罪人の様な2人に、ナギは救いの手を差し伸べた。
「もう、仲直りするって言うんなら、ルイーズには言わないでおいてあげるけど? 」
一筋の光明。
神のお導き。
お釈迦様が垂らす、蜘蛛の糸とでもいうのだろうか。
青褪めていたイルミラとルフィーノの頬に赤みがさした。
「本当ですか! もちろん、仲直りいたします」
「ええ、仲直りするわ。だから、ルイーズ様には言わないで」
「そう? じゃあ、仲直りの証に互いが『ごめんなさい』って言ってね」
「はい! イルミラ、女性の扱いに長けていなくて、気を悪くさせてしまいましたね。本当に、『ごめんなさい』」
「いいのよ、ルフィーノ。貴方が、女性の扱いに長けていたら、やきもちで気が狂いそうになるわ。だから、そのままの貴方でいいの。でも、しっかり謝罪はさせて。頬を打ってしまって『ごめんなさい』。そして、こんな私でも、嫌いにならないでね」
「嫌いになどなるはずがありません。愛しておりますよ、イルミラ」
「ええ、私も愛しているわ」
仲直りした2人を半眼で見つめているナギとアベル。
「侯爵パパ。宝珠を返すね」
「おや、いいのか? ルイーズと話さなくて」
「いいんだ。俺が同行しているのを知らない方が、合流した時に面白いでしょ」
「それもそうだな。なら、食事にしようか」
「うん、お腹ペコペコ。でも、ケーキは今度にしようよ」
「うむ。それには私も賛成だ」
甘い空気を醸し出す2人のせいで、ケーキを食べる気持ちが失せたナギとアベル。
2人にとっての喧嘩は恋のスパイス、甘いケーキの酸っぱい苺。
そう考えると、喧嘩とすら言えないのかもしれない。
ナギとアベルは、イルミラとルフィーノを放置して、テーブルに着く。
無論、シロも一緒だ。
ナギ達はドネルケバブを堪能しながらも、未だに見つめ合っている2人を見遣り、溜息を吐いた。
そして、シロが呟く。
『夫婦喧嘩は犬も食わぬとも申しますがぁ、この甘い雰囲気も食えたものじゃないわねぇ。ほんとう、先が思いやられるわぁ』
と………。
騒ぎは、アベル・ハウンド侯爵一行がサクラ公国を出発してすぐ、ナギの懐から飛び出してきた短剣シロが、外を眺めつつ溢した感想から始まった。
『あらぁ! あそこに見えるのは、ワイバーンの巣ですぅ。まぁ! ワイバーンったら、こちらに気付いて警戒しているわぁ。きっと、私の強さにぃ、恐れ戦いているのねぇ』
『まぁ! あれは湖?! 湖面がキラキラと輝いて、なんて美しいのかしらぁ。あ、でもぅ、私の美しさには負けるわねぇ』
『あ! あちらには、村がありますぅ。なんて、長閑なのかしらぁ。老後はぁ、あんな村でぇ、のんびりしたいものよねぇ。もぅ、宝物庫に閉じ込められるのはごめんだしぃ……』
独りごちたシロは、ちょこまかと馬車内を移動しはじめる。
外への興味が落ち着いたのだろう。
後方で借りてきた猫の様に、静かに座っているイルミラとルフィーノの元へと向かった。
『あらぁ。これはぁこれはぁ、初めましてかしらぁ? ナギの愛剣『シロ』と申しますぅ。気軽に『シロちゃん』と、お呼びくださいねぇ。うふ』
それに対し、ルフィーノは満面の笑みで答えてしまう。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。私はルフィーノと申します。こちらは、妻のイルミラでございます。道中、宜しくお願い致しますね」
エルフの美しくも儚げな面立ち。
輝かんばかりの笑顔。
それは、誰が見ても美青年であり、好青年である。
ゆえに、シロは体を器用にくねらせ、こう言った。
『あらぁ、いい男! 私がもう少し若ければぁ、アタックしていたのにぃ、残念~』
そもそも生物ですらないシロが、ルフィーノにアピールする事自体が間違っている。
恋のお相手となろうはずがない。
そう。
ないはずなのに……。
「美しいシロちゃんにそう仰って頂けると、とても嬉しいですね。私もイルミラと出会う前なら、シロちゃんに心を奪われていたかも知れません」
なぜか、ルフィーノはさも残念そうに返答しているのである。
『もぅ、ルフィーノちゃんってば! イルミラちゃんがやきもち焼いちゃうわよ。あ、大丈夫よぅ、イルミラちゃん。ルフィーノちゃんは、貴女にほの字だからねぇ。だから、安心して。うふ』
くねくねと動く奇妙な短剣『シロ』を、ルフィーノの背に隠れながら見つめていたイルミラは、顔を覗かせこう呟く。
「ルフィーノ? 私と出会う前なら、この短剣シロちゃんに心を奪われていたの? 」
イルミラの表情からは、絶望と期待が入り混じった様子が窺える。
そんな不安を拭い去る様に、ルフィーノはイルミラの頬に手を優しくあてがいながら、諭すように囁いた。
「イルミラ。貴女と出会う前なら、そうだったかも知れません。けれど、私は貴女と先に出会い、愛したのです。この一篇の曇りなく、揺ぎ無い私の愛を信じてくれますか? 」
「ええ、もちろんよ。ルフィーノ……私も貴方を愛しているわ」
手を取り合い、見つめ合う2人が作り出す空間は果てしなく甘く美しい。
それは、何人たりとも足を踏み入れる事が叶わない絶対領域であるかのように。
ゆえに、空気の読める漢シロは。
『あらあら、若いっていいわねぇ。私もぉ、また恋がしたくなっちゃったわぁ』
そう呟き、ナギの隣へと戻って行ったのだった。
シロが次に目を付けたのは、アベル・ハウンド侯爵。
愛娘ルイーズと愛息ジョゼとは面識のあるシロだが、アベルに会ったのは本日初めてであった。
出来る漢シロは、アベルの横顔を覗き見た後、分析し話しかけた。
『あら、こちらも初めましてかしらぁ? 初めましてぇ、私はナギの相棒シロちゃんと申しますぅ。よろしくお願いしたしますねぇ。おやぁ? その髪の色は、あの愛らしい御令嬢のルイーズ様と同じ色! それにぃ、あの天使の様なジョゼ坊ちゃまとも、面影が似てるわぁ。もしやぁ、ルイーズ様やジョゼ坊ちゃまのお父上なのぅ? 』
シロの分析能力は、場末のスナックのママと同程度である。
よって、持ち上げ方が割と雑なのだが。
「ああ、其方がシロちゃんか。愛娘から話は聞いている。私は愛らしいルイーズと天使の様なジョゼの父、アベル・ハウンドと申す。よろしく頼むな」
子煩悩なアベルには効果てきめんであったようだ。
『やっぱりねぇ。知的な雰囲気がそっくりだものぅ。私ぃ、常々ルイーズ様やジョゼ坊ちゃまにはぁ、お世話になったからぁ、何か恩返しがしたいと思っていたと所なのよぅ。だからぁ、今回の旅ではぁ、皆を守るわねぇ』
「そうしてくれると助かる。私は、馬車を操るのに手一杯ゆえな」
アベルが馬車を操るのに手一杯な訳がない。
にもかかわらず、そう告げたのは。
守ると宣言したシロに花を持たせたかったという気持ちがあったからだ。
『お任せをぅ。それはそうとぅ、ルイーズ様はお元気ですかぁ? 』
「ああ、娘は相変わらず元気で愛らしいぞ」
『それは重畳だわぁ。今回の旅にはぁ、遅れてくるのよねぇ? 』
「ああ。愛娘は魔道具を開発した後、それを使い合流すると踏んでいる」
『魔道具ぅ? 』
「愛娘ルイーズは、魔道具開発が得意でな。今回の旅にも同行したいと、少々駄々を捏ねていたが、私は優しく突っ撥ねたのだよ。『学生たる身で、長期間学業を疎かにする訳にはいくまい。これが、3日ほどの日程なれば、私も喜んで連れて行くのだがな……』とな。すると、愛娘はこの言葉の意味を感じ取った様だ。瞳に輝きが増し、本当に天使の愛らしい表情を浮かべていたからな……」
その時のルイーズは、きっと何かを企んでいる━━悪役みたいな表情だったに違いない。
だが、子煩悩なアベルは、そんな悪代官みたいな顔をする娘も天使に見えてしまう病に侵されているゆえ気付かない。
うっとりと愛娘の顔を思い出しているアベルに、シロが淡々と問いかける。
『ルイーズ様がぁ、愛らしいのはぁ、いつもの事よぅ。で、今のお話とぅ、魔道具開発ってぇ、どういう繋がりがなるのぅ? 』
「うむ? シロちゃんには、難しかったか? 私は学園を休んでいいのは、3日程度と言ったんだ。なら、あの子の事だ。決まった期日内で私達と合流し、遊べる計画を立てるだろう。私は、当主より賜った宝珠の様に一瞬で、且つ行った事もない場所へ移動できる魔道具を作り出すと予想している」
『なるほどぅ……一瞬で、移動できる魔道具をねぇ……もしかしてぇ、ルイーズ様って天才? 』
このシロの発言で、アベルに火が付いた。
「そうなのだよ! あの子は愛らしいだけでなく、天才なのだよ。それに、料理も得意でな。そうそう、この旅では、愛娘の手料理が食せるぞ。……あ、シロちゃんは食せるのか? 」
『あ、お構いなくぅ。食材そのものは摂取できませんがぁ。匂いや味などはぁ、料理のそのものを纏う気で分かりますのでぇ』
シロの分かり辛い説明を聞き、アベルが首を傾げている。
それを補足するように、隣に座るナギが説明を始めた。
「侯爵様、俺が説明するね。シロはこの地上にある全ての存在の纏う気が見えているんだって。わかりやすく言えば、マナだね。そのマナの状態を確かめる事で、全てを知ることが出来る。この全てとは、敵、味方だけじゃなく、無害なのか有害なのかもわかるから、森にシロを連れて行くと重宝するよ。後ね、大事にされている道具なんかだと、会話も出来るんだって」
「ほう、マナの状態で全てを知る━━つまり、味がわかるのはその特殊能力の一環なのだな? 」
「うん。それと言い忘れていたけど、シロは人間の味も分かるからね。ちなみに、俺は甘じょっぱいせんべいみたいな味なんだって。ワケわかんないよね。ハハハ━━」
訳が分からないと大笑いするナギの手を、シロは柄でペシペシ叩きながら反論した。
『もうもう~ナギっちったらぁ。それは、内緒って言ったじゃない~もう、恥ずかしい~~』
そう言って鞘を真っ赤に染めるシロ。
表現方法が、実に多彩である。
「ふむ。人の味か……それは、実際舐めて確かめる訳ではないのだろう? 」
狭い御者台の上で、腰を引くアベル。
シロから舌が飛び出し、ペロリと舐めとられる?! と警戒したからである。
『当然よぅ!実際、舐める訳ないじゃない~私ぃ、口も何もついてないのよぉ。纏う気を吸い込んで味わってる、だ、け、よ♪ 』
だけよと言いながら、シロは決めポーズを取った。
それを見たナギは、更に大爆笑。笑い過ぎて目尻から流れ落ちた涙を袖口で、乱暴にこすっている。
「ハハハハハ、もう、もう、やめて、シロ……お腹がよじれて痛い━━」
『もう、ナギっちったら、笑い上戸さんねぇ。ついでだからぁ、白状しちゃうけどぉ。侯爵様はぁ、ゴマ団子の味がするわぁ』
「やばいっ、ゴマ団子って、ハハハ━━美味しいけど━━ハハハハハハ━━━━いてっ」
ナギは笑い過ぎて、御者台から荷台へと転げ落ちた。
瞬間、 後ろを振り返ったアベルは、ナギの瞳に光る物を見つけた。
しかも、ナギは蹲り頭を抱えている。
それは、笑い過ぎた時に浮かべた涙だったのだが、アベルは痛みが激しいのだと勘違いをした。
「ほら、怪我をしたんじゃないのか? 回復魔法をかけるから、こちらに来なさい」
「は~い」
「『回復魔法』どうだ? もう、痛みはないか? 」
「うん、大丈夫」
アベルとナギの間に、ほのぼのとした空気が流れている。
アベルは、出会いから5年という月日がながれたものの。
共に旅をする事によって、互いの胸に刺さる小さな棘が抜けたのだと感じた。
ゆえに、愛おしさを籠めて、こう呟いたのだが。
「こういうそそっかしい所は、愛娘と似ているな」
ナギには、納得いかない言葉だった様だ。
「ええっ! 俺、ルイーズよりしっかりしているよっ」
アベルは愛らしい娘と似ている。つまり、最高の称賛を送ったはずなのに。
ナギが不満を漏らしたため、容認できず声を荒げてしまう。
「ルイーズの何処が不満なのだ。愛らしいだけでなく、料理も出来る。魔法にも長けていて、魔道具生産もお手の物。しかも━━」
我が子の長所をつらつらと上げ、アベルはナギを睨め付けた。
「知っているよ! でも、ルイーズは脇が甘い所があるじゃないかっ。ここで、人に頼っていれば、大事ならずに済んでいるはずなのに。って事多いでしょう? そんな、後先考えずに突っ込ん入ってしまうルイーズと、俺を似ているなんて言わないで! 俺は━━」
頼る者も無く、幼く弱かったゆえ、抗えず贄にされてしまったナギはこの5年間、心身共に鍛錬を重ねて来た。
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『まぁまぁ、侯爵様もぅ、ナギっちもぅ。いい加減にしなさいよぅ。ルイーズ様が、こんな争いを知ったらぁ、ぷんぷん怒るわよぅ。お仕置きにご飯抜きぃ? それともぅ……最悪ぅ、嫌われちゃうかもねぇ』
ナギやアベルがルイーズに持つ感情を人質に、脅しをかけるシロ。
信頼、愛情、友情を捨ててまで、言い争いを続けるのか?
この事は、合流したのち、しっかり報告させてもらうぞ。と言っているのである。
「シロちゃん。愛娘には黙っていてくれ。この通りだ」
シロに頭を下げ懇願するアベル。
「ルイーズに言ったら、宝物庫に返すからね! 」
ぷんと横を向き、シロを逆に脅すナギ。
『ナギっちったらぁ、私がそんな脅しに屈するとでも思っているのぅ? 』
シロはそう言いながらも、ぶるぶると震えている。
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『いいわぁ、その条件で手を打つわぁ。でもぅ、もぅ、喧嘩は駄目よ。いいわねぇ? 侯爵様もいいわねぇ? 』
脅しに屈したものの、シロの仲裁は成功した。
シロは、もう喧嘩する事はないだろうと2人を見遣る。
見遣るとは言っても、シロに目玉は付いていないので、鞘の向きで判断するしかないのだが。
「侯爵様、ごめんなさい……ルイーズに頼って貰える人間になりたくて、これまで鍛錬を重ねて来たのに。まだまだ、手がかかる子供だって言われたみたいで、カチンときたんだ」
「いや、私も申し訳なかった。私も親だからな、娘や息子がいくつになっても、手を貸したことに喜びを感じるんだ。だから、ナギのコブを癒せたことが嬉しくてな……」
「侯爵様……それって俺も我が子の様に感じてくれてるって事? 」
ナギの瞳が揺らいでいる。
ナギにとって、親と呼べる者は、当主サクラしかいない。
けれど、当主は孫の様にナギに接している為、祖母の様な立ち位置なのである。
「ああ、ナギは私の子供だ。我が子の様に想っているぞ」
実際、アベルはナギに対して色々便宜を図って来た。
それは、身分証となる物から始まり、衣食に至るまでである。
更に、住に関しては当主の屋敷に同居しているので必要ないものの、家具や寝具に至ってはアベルのポケットマネーから捻出されていた。
「本当? 」
「ああ、本当だ」
「でも、父様とは呼ばないよ」
「ならば、パパと呼んでくれ」
「無理」
そう言ってそっぽを向くナギを、アベルは優しい瞳で見つめている。
そこで、空気の読める漢シロが呟いた。
『やれやれだわぁ。本当に世話の焼ける子達ねぇ。まぁ、雨降って地固まるって言うしぃ。これで良かったのかもねぇ。そうそう、さっき言い忘れていたけどもぅ、ルフィーノちゃんは、豆大福の味でぇ、イルミラちゃんは、鉄錆味ね。不味いったらないわぁ』
シロは空気の読める漢ではなかった。
アベルとナギが口喧嘩をしている最中でも、甘い空気に包まれていたイルミラとルフィーノに爆弾を投げ落としたのだから。
不味い鉄錆味と聞いて、イルミラがブルブルと震えている。
ルフィーノは豆大福味より、素敵だとフォローを入れてみるが、火に油を注いだけのようだ。
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瞬間、パンッという音と共に、ルフィーノが馬車内を転げる。
ルフィーノはムクリと起き上がり、痛む頬に手を添え、イルミラに向かって叫んだ。
「イルミラ━━」
『お父さんにも殴られた時がないのにぃ』
誰も理解できないネタをいきなりぶっ込むシロ。
もちろんネタの提供者は、ルイーズなのだが。
場の空気が硬直したのはいうまでもない。
「はいはい。シロは大人しくしていようね」
空気が読めなくなったシロは、ナギに捕獲された。
アベルは、ヤレヤレと肩を竦めている。
呆気に取られていたルフィーノはイルミラに先ほど言い損ねた言葉を告げようと口を開いた。
「イルミラ。貴女は甘く、香り高い『ほうじ茶ラテ』の様な方だと私は思っておりますよ」
「ほうじ茶ラテって! 意味わかんないわよっ」
イルミラはそう叫び、またもやルフィーノの頬を打った。
そして、頬に手形を付けたルフィーノは、小さく呟く。
「意味って……私の大好きな飲み物なのに……」
例え、ほうじ茶ラテがルフィーノの大好き飲料だとしても、女性に使っていい文句ではない。
やはり、女性は高貴な薔薇や可憐な花などに譬えるのが常套句というもの。
そんな乙女心が分からないルフィーノとイルミラの戦闘━━夫婦喧嘩は、野営地に着いても続くのであった。
◇ ◇ ◇
夕暮れ時。
野営地に着いた侯爵一行は、川のほとりで天幕を張る事にした。
張ると言っても、侯爵の持つ特大容量を誇るアイテムバッグに、そのまま入っている物を取り出すだけなのだが。
傍から見ているナギが歓喜するのをいい事に、アベルは何度も出し入れをして見せている。
「侯爵パパのアイテムバッグって、規格外だよね……」
イルミラとルフィーノがまだギスギスしているため、場の雰囲気を和ませようと、ナギがアベルの事を『侯爵パパ』と呼んで話しかけた。
「ナギ……私をパパと呼んでくれるのか? 」
「まぁね」
ナギは照れ隠しなのか、頬を掻いている。
そんなナギを見て、アベルは感無量といった風だ。
「よし! 今日はお祝いだ。ルイーズの作ってくれたとっておきを出そう! 」
そう言って取り出したのは、バースデーケーキ。
なぜ、ルイーズはアベルにバースデーケーキを持たせたのかは謎だが。
ホールケーキと言えば、バースデーケーキよね。とかの単純な理由である事は間違いない。
「わぁ! 凄いケーキだね。でも、これってデザートでしょう? 食事は? 」
「もちろん、あるさ。これだ━━」
次にアベルが取り出したのは、巨大な肉の塊であった。
「うわぁ! 何それ? どうやって食べるの? 」
ナギの瞳がキラキラと輝いている。まるで、宝物を見つけた幼子の様に。
「これはな、『ドネルケバブ』という食べ物だそうだ。肉をナイフで薄く削いだ物と野菜を『ピタパン』と呼ばれるもので挟んで食べるんだよ」
「へぇ」
ナギがゴクンと喉を鳴らした。
お腹が空いて、我慢できないようだ。
アベルは苦笑を漏らし、ルフィーノに指示を出す。
「さぁ、ルフィーノ。テーブルをセッティングしてくれないか? 」
細かなテーブルセッティングは、アベルが苦手とするものである。
ゆえに、こういった作業は、イルミラの元従者であるルフィーノに任せるほかない。
「はい、只今」
手慣れた手つきで、ルフィーノがテーブルクロスを敷く。
そして、中央に肉を置き、野菜が入ったボールやピタパンが入った籠などを盛りつけた。
その間、イルミラはルフィーノにまだ怒っているのか、不機嫌そうに突っ立っているだけで何も手伝おうとしない。
喧嘩をしている者が居ると、場の空気が重くなる。
この空気のままでは、折角の料理も台無しになってしまう。
そう感じたナギは、アベルに問いかけた。
「ねぇ、侯爵パパ。通信用宝珠って持って来てる? 」
イルミラやルフィーノに関してルイーズから報告を受けているナギは、仲裁をしてもらおうと考えたのである。
「うん? ああ。持ってきているが、誰に━━そうか! ルイーズと話がしたいのだな。待っていろ、今出してやるからな」
「「ルイーズ様っ!! 」」
夫婦喧嘩をしている2人の肩がびくりと跳ねた。
「どうしたのだ、2人とも。ナギがルイーズと話したいと言っているだけではないか。何か言われて拙い事でもあるのか? 」
アベルは、通信用宝珠をナギに手渡しつつ、イルミラとルフィーノに向かってそう言い放った。
もはや、イルミラとルフィーノに成す術はない。
肩を落とし、頭を垂れる。
まるで、処刑を待つ罪人の様な2人に、ナギは救いの手を差し伸べた。
「もう、仲直りするって言うんなら、ルイーズには言わないでおいてあげるけど? 」
一筋の光明。
神のお導き。
お釈迦様が垂らす、蜘蛛の糸とでもいうのだろうか。
青褪めていたイルミラとルフィーノの頬に赤みがさした。
「本当ですか! もちろん、仲直りいたします」
「ええ、仲直りするわ。だから、ルイーズ様には言わないで」
「そう? じゃあ、仲直りの証に互いが『ごめんなさい』って言ってね」
「はい! イルミラ、女性の扱いに長けていなくて、気を悪くさせてしまいましたね。本当に、『ごめんなさい』」
「いいのよ、ルフィーノ。貴方が、女性の扱いに長けていたら、やきもちで気が狂いそうになるわ。だから、そのままの貴方でいいの。でも、しっかり謝罪はさせて。頬を打ってしまって『ごめんなさい』。そして、こんな私でも、嫌いにならないでね」
「嫌いになどなるはずがありません。愛しておりますよ、イルミラ」
「ええ、私も愛しているわ」
仲直りした2人を半眼で見つめているナギとアベル。
「侯爵パパ。宝珠を返すね」
「おや、いいのか? ルイーズと話さなくて」
「いいんだ。俺が同行しているのを知らない方が、合流した時に面白いでしょ」
「それもそうだな。なら、食事にしようか」
「うん、お腹ペコペコ。でも、ケーキは今度にしようよ」
「うむ。それには私も賛成だ」
甘い空気を醸し出す2人のせいで、ケーキを食べる気持ちが失せたナギとアベル。
2人にとっての喧嘩は恋のスパイス、甘いケーキの酸っぱい苺。
そう考えると、喧嘩とすら言えないのかもしれない。
ナギとアベルは、イルミラとルフィーノを放置して、テーブルに着く。
無論、シロも一緒だ。
ナギ達はドネルケバブを堪能しながらも、未だに見つめ合っている2人を見遣り、溜息を吐いた。
そして、シロが呟く。
『夫婦喧嘩は犬も食わぬとも申しますがぁ、この甘い雰囲気も食えたものじゃないわねぇ。ほんとう、先が思いやられるわぁ』
と………。
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