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第590話 緻密な策謀
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ミスト領シュトルムクラータ。そこは、公爵であるニールセンが治める街。
そんな街の中心。小高い丘の上に聳え立つニールセン家の屋敷では、盛大な溜息をつく2人の親子の姿があった。
書斎机に向かい、黙々と動かしていた手を止め顔を上げるニールセン公。
その視線の先にいたのは、部屋の窓から再建されたフェルス砦を眺めていたアレックスだ。
「アレックス。募兵は順調か?」
「ええ。目標達成にはまだ時間がかかりますが、要求の半分程は達成しています……」
「そうか……。まぁ、こればっかりは仕方ない……」
緊急時であれば強制的な徴兵を掛けるのだが、今のところシュトルムクラータは大人しく、火急の出兵も予定されてはいない為、志願兵を募っている。
争う相手が決まっておらず、すぐに戦場に駆り出される訳でもないため志願者は多いが、当然その分出費はかさむ。
「しかし、レイヴン公は僕たちにどうしろと……」
「単純に防衛力の強化とも考えられるが……」
九条の魔王発覚後、第4王女派閥の影響力は薄れに薄れた。
その筆頭であったアンカース家とガルフォード家は、リリーと共に王宮へと幽閉され、他の者も当然罰を受けた。
貴族位の剥奪や領地の没収こそなかったものの、発言力は皆無であり、行動は常に監視される事となったのだ。
そんな状況の中、唯一それを免れたのがニールセン家。
当然、ニールセン家にも制裁をと考えていたアルバートだったが、それを止めたのは他でもないレイヴン公だった。
ニールセン公の治めるシュトルムクラータは、国境の街でもある。シルトフリューゲルとのいざこざは絶えず、警戒を解くわけにはいかない。
そこを弱体化すれば、相手の思う壺である。魔王問題の解決後に攻勢を強めてくる可能性は十分考えられる――。
流石のアルバートもそれにはぐうの音も出ず、ニールセン家への処分は、自領での謹慎という最低限のものに落ち着いたのだ。
それからだ。レイヴン公と、頻繁にやり取りするようになったのは……。
最初は、アルバートかバイアス公からの指示を伝えているだけかとも思ったのだが、どうにもおかしい要求が続く。
「兵力の増強は理解出来ますが、それを指示があるまで使うなとは……」
その目標値は遥かに高い。
王都に加え、貴族達が保有する兵の全てを合わせると、その数はおおよそ4万弱。
とは言え、自領の防衛に必要な最低限の兵力を除けば、王都に集められる現実的な数は、恐らく3万前後といったところだ。
にも拘らず、レイヴン公がニールセンへと求めている兵力は2万を超える。それは多ければ多いほど良く、使わずに温存しておけというのだ。
元々、シュトルムクラータには3000の兵が常駐している。アレックスの結婚騒動以来、有事の為にと兵を増強し6000程。
そこから更に増えに増え、現在は12000ほどの兵力を有していた。
「恐らくは、九条に対する備えなのだろう……」
「お父様には何度も申し上げておりますが、僕は九条さんを相手に戦うつもりはありません。九条さんが魔王であろうとなかろうと、助けていただいたのは事実です」
「わかっている……。老いたとは言え、私だって騎士の端くれ。恩を仇で返す様な行為、到底できるわけがない……。それに、まだそうと決まった訳ではないからな」
その理由というのが、維持費の問題。
兵が増えるという事は、当然増えた分だけの給金を支払わなければならず、装備や訓練なども含めればその費用は膨大。
それを、レイヴン公が一部負担するというのである。
同じ公爵とは言え、仲が良いという訳でもない。違う派閥に属しているのだから当然なのだが、正直今まででは考えにくい提案だった。
しかし、既に1000を超える防具が納入され、次回搬入分の予定も決まっている。
2人には、その真意がわからなかった。
魔王に対する兵力が必要なら、自分で集めればいい。その費用を、ニールセン家が負担するなら理解できる。
九条に与していた者の罰として、違和感なく受け入れることができるからだ。
カネは出すから兵を集めておいてくれ。それが魔王対策でもなく、かといってシルトフリューゲルの対策にも使えない。……となると、一体に何の為に――と、2人は頭を悩ませていた。
静まり返った書斎。そんな2人の思考を遮ったのは、控えめなノック。
「旦那様、ヴァイエイト財団の方がいらっしゃいました」
「え? 面会の予定は入っていなかったはず……」
聞き慣れた使用人の声に、お互い顔を見合わせながらも首を傾げるアレックス。
それは定期的にやってくるレイヴン公からの使者。ヴァイエイト財団は、レイヴン公が代表を務める団体の1つだ。
魔法研究の推進や社会貢献、地域振興などを目的として作られた団体で、その資金源は当然レイヴン公である。
「いつもの部屋に案内しておいてくれ。すぐに行く」
予定にないとは言え、無下にする訳にもいかない。
ニールセン公は、2度目の溜息をつきながらもゆっくりと席を立った。
「遠路遥々ようこそ。今回はヴェクター殿でしたか」
「これはこれは、ニールセン公爵様。突然の来訪になってしまい。申し訳ございません」
軽い挨拶と同時に、がっちりと握手を交わす2人。
長身の男で、20代とまだ若いヴェクター。これと言った特徴はないが、ヴァイエイト財団では営業のような役回りを任されていて、仕事は出来ると評判だ。
そのおかげで、レイヴン公には気に入られており、外遊に連れ回されることも少なくない。
「では、ひとまず座っていただいて……。本日の御用件を伺いましょう。兵力増強の件は、現在のところ至って順調。報告するようなことも特には……」
「いえ、本日はそれとは別件……いや、完全に別件とは言えないのですが……」
奥歯に衣着せるような言い方に若干の違和感を覚えるも、その申し訳なさそうな視線が何を意味しているのかわからないニールセン公ではない。
静かに右手を上げると、部屋に常駐していた使用人達は軽い一礼ののち、部屋を出て行く。
残ったのは、ニールセン公にアレックス。そしてヴェクターの3人だけ。
「アレックスは構いませんね?」
「もちろんです。先方もそれをお望みですので」
「……先方?」
「ええ。突然で申し訳ないのですが、公爵様に面会を求めている方がおりまして……。非常に申し上げにくいのですが、少々ご足労いただきたく……」
「今からですかな? 面会なら、直接連れてこられても……」
「あぁいや、公爵様の申し出はありがたいのですが、少々訳アリでして……」
その時だ。窓も開いていないのに、部屋に一陣の風が吹き抜ける。
それに驚き僅かに顔を背けた瞬間、ヴェクターの座るソファーの裏からそっと顔を覗かせたのは、目つきの鋭い黒ずくめの暗殺者。
「やっほ……」
「――ッ!?」
護身用の杖に手を伸ばそうとしたのも束の間、アレックスは大きく息を吐き出し安堵の表情。
その侵入者が、敵ではないことに気付いたからだ。
「驚かさないでください。ザラさん……」
そんな街の中心。小高い丘の上に聳え立つニールセン家の屋敷では、盛大な溜息をつく2人の親子の姿があった。
書斎机に向かい、黙々と動かしていた手を止め顔を上げるニールセン公。
その視線の先にいたのは、部屋の窓から再建されたフェルス砦を眺めていたアレックスだ。
「アレックス。募兵は順調か?」
「ええ。目標達成にはまだ時間がかかりますが、要求の半分程は達成しています……」
「そうか……。まぁ、こればっかりは仕方ない……」
緊急時であれば強制的な徴兵を掛けるのだが、今のところシュトルムクラータは大人しく、火急の出兵も予定されてはいない為、志願兵を募っている。
争う相手が決まっておらず、すぐに戦場に駆り出される訳でもないため志願者は多いが、当然その分出費はかさむ。
「しかし、レイヴン公は僕たちにどうしろと……」
「単純に防衛力の強化とも考えられるが……」
九条の魔王発覚後、第4王女派閥の影響力は薄れに薄れた。
その筆頭であったアンカース家とガルフォード家は、リリーと共に王宮へと幽閉され、他の者も当然罰を受けた。
貴族位の剥奪や領地の没収こそなかったものの、発言力は皆無であり、行動は常に監視される事となったのだ。
そんな状況の中、唯一それを免れたのがニールセン家。
当然、ニールセン家にも制裁をと考えていたアルバートだったが、それを止めたのは他でもないレイヴン公だった。
ニールセン公の治めるシュトルムクラータは、国境の街でもある。シルトフリューゲルとのいざこざは絶えず、警戒を解くわけにはいかない。
そこを弱体化すれば、相手の思う壺である。魔王問題の解決後に攻勢を強めてくる可能性は十分考えられる――。
流石のアルバートもそれにはぐうの音も出ず、ニールセン家への処分は、自領での謹慎という最低限のものに落ち着いたのだ。
それからだ。レイヴン公と、頻繁にやり取りするようになったのは……。
最初は、アルバートかバイアス公からの指示を伝えているだけかとも思ったのだが、どうにもおかしい要求が続く。
「兵力の増強は理解出来ますが、それを指示があるまで使うなとは……」
その目標値は遥かに高い。
王都に加え、貴族達が保有する兵の全てを合わせると、その数はおおよそ4万弱。
とは言え、自領の防衛に必要な最低限の兵力を除けば、王都に集められる現実的な数は、恐らく3万前後といったところだ。
にも拘らず、レイヴン公がニールセンへと求めている兵力は2万を超える。それは多ければ多いほど良く、使わずに温存しておけというのだ。
元々、シュトルムクラータには3000の兵が常駐している。アレックスの結婚騒動以来、有事の為にと兵を増強し6000程。
そこから更に増えに増え、現在は12000ほどの兵力を有していた。
「恐らくは、九条に対する備えなのだろう……」
「お父様には何度も申し上げておりますが、僕は九条さんを相手に戦うつもりはありません。九条さんが魔王であろうとなかろうと、助けていただいたのは事実です」
「わかっている……。老いたとは言え、私だって騎士の端くれ。恩を仇で返す様な行為、到底できるわけがない……。それに、まだそうと決まった訳ではないからな」
その理由というのが、維持費の問題。
兵が増えるという事は、当然増えた分だけの給金を支払わなければならず、装備や訓練なども含めればその費用は膨大。
それを、レイヴン公が一部負担するというのである。
同じ公爵とは言え、仲が良いという訳でもない。違う派閥に属しているのだから当然なのだが、正直今まででは考えにくい提案だった。
しかし、既に1000を超える防具が納入され、次回搬入分の予定も決まっている。
2人には、その真意がわからなかった。
魔王に対する兵力が必要なら、自分で集めればいい。その費用を、ニールセン家が負担するなら理解できる。
九条に与していた者の罰として、違和感なく受け入れることができるからだ。
カネは出すから兵を集めておいてくれ。それが魔王対策でもなく、かといってシルトフリューゲルの対策にも使えない。……となると、一体に何の為に――と、2人は頭を悩ませていた。
静まり返った書斎。そんな2人の思考を遮ったのは、控えめなノック。
「旦那様、ヴァイエイト財団の方がいらっしゃいました」
「え? 面会の予定は入っていなかったはず……」
聞き慣れた使用人の声に、お互い顔を見合わせながらも首を傾げるアレックス。
それは定期的にやってくるレイヴン公からの使者。ヴァイエイト財団は、レイヴン公が代表を務める団体の1つだ。
魔法研究の推進や社会貢献、地域振興などを目的として作られた団体で、その資金源は当然レイヴン公である。
「いつもの部屋に案内しておいてくれ。すぐに行く」
予定にないとは言え、無下にする訳にもいかない。
ニールセン公は、2度目の溜息をつきながらもゆっくりと席を立った。
「遠路遥々ようこそ。今回はヴェクター殿でしたか」
「これはこれは、ニールセン公爵様。突然の来訪になってしまい。申し訳ございません」
軽い挨拶と同時に、がっちりと握手を交わす2人。
長身の男で、20代とまだ若いヴェクター。これと言った特徴はないが、ヴァイエイト財団では営業のような役回りを任されていて、仕事は出来ると評判だ。
そのおかげで、レイヴン公には気に入られており、外遊に連れ回されることも少なくない。
「では、ひとまず座っていただいて……。本日の御用件を伺いましょう。兵力増強の件は、現在のところ至って順調。報告するようなことも特には……」
「いえ、本日はそれとは別件……いや、完全に別件とは言えないのですが……」
奥歯に衣着せるような言い方に若干の違和感を覚えるも、その申し訳なさそうな視線が何を意味しているのかわからないニールセン公ではない。
静かに右手を上げると、部屋に常駐していた使用人達は軽い一礼ののち、部屋を出て行く。
残ったのは、ニールセン公にアレックス。そしてヴェクターの3人だけ。
「アレックスは構いませんね?」
「もちろんです。先方もそれをお望みですので」
「……先方?」
「ええ。突然で申し訳ないのですが、公爵様に面会を求めている方がおりまして……。非常に申し上げにくいのですが、少々ご足労いただきたく……」
「今からですかな? 面会なら、直接連れてこられても……」
「あぁいや、公爵様の申し出はありがたいのですが、少々訳アリでして……」
その時だ。窓も開いていないのに、部屋に一陣の風が吹き抜ける。
それに驚き僅かに顔を背けた瞬間、ヴェクターの座るソファーの裏からそっと顔を覗かせたのは、目つきの鋭い黒ずくめの暗殺者。
「やっほ……」
「――ッ!?」
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