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第470話 幕引き
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――何時からだろうか……。景色がゆっくりと見える現象に気が付いたのは……。
その所為か、戦闘中だというのに余計な所に気が向いてしまうのは、俺の悪いクセだ。
目の前に迫るベヒモスの牙は鋭利で、如何にも痛々しい。
歯並びは決して良いとは言えず、付着する汚れは目を背けたくなるほど。
ちゃんと歯磨きをしているウチの従魔達の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだが、それよりも気になったのは、ベヒモスの奥歯に挟まっていた1枚の布切れだ。
間違いない。その意匠は、八氏族評議会の代表だけが身に着ける事を許されたローブの一部。
血に染まったそれが何を物語っているのかは、想像に難くない。
だからといって、特別何かを感じることもなく、精々捜索する手間が省けたというだけの話。
そこまで考えて、また余計な思考を巡らせてしまったと反省する。
何も考えずに戦うというのも、中々に難しいものである。
「このまま圧し潰してくれるわッ!」
ベヒモスの顎下へと入ったはいいものの、肉迫するベヒモスの胸筋。
手入れのされていないゴワゴワの剛毛でのハグなぞ、こちらから願い下げだ。
地面をクルクルと転がり、プレスを避けつつ起き上がりながら側胸部へと一撃。
メキメキと聞こえた不快な音は、肋骨がイッた音だろう。その手ごたえも相まって、不快な響きだ。
もちろん、その程度でベヒモスを倒そうとは考えてはおらず、ダメ押しとばかりにこっそり傷口に塩を揉み込んでおく。
「【呪いの傷跡】」
それは、僅かな傷からでも内部を徐々に蝕んでいく腐敗の呪い。
ベヒモスにいくら体力があろうと関係ない。いずれはそれが枷となり運動能力は次第に衰え、やがては命を落とすだろう。
だからと言って、油断はしない。もとより時間切れを待つつもりはないのだ。
両前足からの激しい連打は、岩のような爪が地面を豆腐のように抉る。
隙があれば攻撃の手を加えようと身構えてはいるが、避けながらでの有効打は難しい。
一撃必殺、フルスイングでクリティカルヒットという訳にもいかず、もどかしい限り。
余計なことは考えるな、全てのリソースを戦闘に回せ……。集中しろ……。
俺なら出来る……。相手の動きを観察し、もっと速く……。
エルザから奪った竜の魂に、更なる魔力を流し込む。
まるで自分の心臓が、戦車のエンジンになってしまったのかと思うほどの燃費の悪さだが、不思議と悪い気はしない。
魔力を込めれば込めるほど、力となって自分に返ってくるのだ。それは、愉しいとさえ思えるほどの快感であった。
今まで、これほどまでに集中したことがあっただろうか……。
視界の中にあるもの全てが見えている感覚。風に揺らめく草原の草花1本1本の動きが、手に取るようにハッキリとわかるほどに研ぎ澄まされていると言っても過言ではない。
ベヒモスが前足を振り上げ、同時に舞う土煙の細かな粒子の動きまでもが良く見える。
恐らくは、時間の感覚と肉体の強化が釣り合った為だろう。
ゆっくりと動く景色の中で、俺だけがいつもの速度で動ける世界。
それは、まるで別次元――。
「おのれぇぇぃ! ちょこまかとッ!」
ベヒモスからの攻撃を躱し続け、隙を見つけては殴打する。
相手は、白い悪魔のような軟体生物じゃない。姿形は、四足歩行の獣と同じだ。
どれだけの間、従魔達とじゃれ合ってきたと思っているのか。
関節の動きと筋肉の盛り上がりで、ベヒモスから繰り出される攻撃は瞬時に把握できていた。
「どうした? 息が上がってきてるぞ?」
勢い良く燃えていたトレントも下火へと転じる頃、ベヒモスの身体は随分と見違えるようになっていた。
図体に似合わず俊敏な動きを見せていたのに、今や緩慢で大振りな攻撃ばかり。
ようやく、そのスタミナにも陰りが見え始めたと言ったところか……。
幾度となく殴打した箇所は見るも無残に腫れあがり、中の肉が見えてしまうほどに捲れた毛皮からは鮮血が滴り落ちる。
その幾つかは既に内部が腐り始め、壊死していた。
「何故、我が貴様なんぞにッ……」
血の混じった涎が垂れているのを、気にする素振りすら見せず吠えるベヒモス。
歯茎が見えるほど歯を食いしばり睨みつけるその姿は、ファフナーや巫女への怨みすら忘れ、俺への怒りと悔しさが全身から溢れ出ているかのよう。
ファフナーならまだしも、よくわからない無名の男に敗北を喫することになるのだ。
たとえ今から俺をどうにか出来たとしても、後に控えているファフナーと殺り合う体力も気力も残されていないのは、誰の目から見ても明らか。
「おのれぇぇッ! 貴様だけでも殺してやるッ!」
まるで道連れにでもするかのような台詞を吐きながら、残りの力を振り絞り飛び掛かってくるベヒモス。
しかし、それは届かない。既に雌雄は決しているのだ。
次の瞬間、空から滑空してきたファフナーが、ベヒモスを再び地へと押し付けた。
それを振り解く余力は、ベヒモスに残されてはいないだろう。
ベヒモスの身体を押さえつけながらも、器用に頭だけを持ち上げるファフナー。
俺はその下に潜り込むと、ベヒモスの胸にそっと手を当てた。
「最後に聞いておく。カイエンを魔眼の呪縛から解放しろ」
「何をするつもりか知らんが、やってみろ。貴様の従魔が元に戻らなくてもいいならなッ!」
望むところである。これだけ痛めつけても効果がないなら、何をしても無駄だろう。
効率的な拷問方法なぞ知っているはずもなく、だからと言ってじっくり説得する時間も自信もない。
「じゃぁ、死ね……」
俺の右手が面妖な光を帯び、それは抵抗なくベヒモスの中へと飲み込まれていく。
「【強奪】」
目標としていた物を無慈悲にも強く握り締めると、ベヒモスの身体がビクンと跳ねた。
「……カ……ハッ……!」
何かを喉に詰まらせたかのような嘔吐きの後、飲み込まれた腕を一気に引き抜くと、ベヒモスは深い眠りにつくかのように目を瞑り、力の抜けた四肢はダラリと伸びきった。
魂と肉体の分離。それは完全なる死を意味する。どんな生き物でさえ例外はない自然の摂理。
俺の手に握られているのは、如何にもな禍々しさを誇るベヒモスの魂。
ドクドクと脈打ち蠢くそれは、本来は感じない重さを錯覚してしまうほどの大きさ。
それを見ていると、命の儚さを思い知る。
自分の力加減一つで、生かすことも殺す事も出来るのだから……。
その所為か、戦闘中だというのに余計な所に気が向いてしまうのは、俺の悪いクセだ。
目の前に迫るベヒモスの牙は鋭利で、如何にも痛々しい。
歯並びは決して良いとは言えず、付着する汚れは目を背けたくなるほど。
ちゃんと歯磨きをしているウチの従魔達の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだが、それよりも気になったのは、ベヒモスの奥歯に挟まっていた1枚の布切れだ。
間違いない。その意匠は、八氏族評議会の代表だけが身に着ける事を許されたローブの一部。
血に染まったそれが何を物語っているのかは、想像に難くない。
だからといって、特別何かを感じることもなく、精々捜索する手間が省けたというだけの話。
そこまで考えて、また余計な思考を巡らせてしまったと反省する。
何も考えずに戦うというのも、中々に難しいものである。
「このまま圧し潰してくれるわッ!」
ベヒモスの顎下へと入ったはいいものの、肉迫するベヒモスの胸筋。
手入れのされていないゴワゴワの剛毛でのハグなぞ、こちらから願い下げだ。
地面をクルクルと転がり、プレスを避けつつ起き上がりながら側胸部へと一撃。
メキメキと聞こえた不快な音は、肋骨がイッた音だろう。その手ごたえも相まって、不快な響きだ。
もちろん、その程度でベヒモスを倒そうとは考えてはおらず、ダメ押しとばかりにこっそり傷口に塩を揉み込んでおく。
「【呪いの傷跡】」
それは、僅かな傷からでも内部を徐々に蝕んでいく腐敗の呪い。
ベヒモスにいくら体力があろうと関係ない。いずれはそれが枷となり運動能力は次第に衰え、やがては命を落とすだろう。
だからと言って、油断はしない。もとより時間切れを待つつもりはないのだ。
両前足からの激しい連打は、岩のような爪が地面を豆腐のように抉る。
隙があれば攻撃の手を加えようと身構えてはいるが、避けながらでの有効打は難しい。
一撃必殺、フルスイングでクリティカルヒットという訳にもいかず、もどかしい限り。
余計なことは考えるな、全てのリソースを戦闘に回せ……。集中しろ……。
俺なら出来る……。相手の動きを観察し、もっと速く……。
エルザから奪った竜の魂に、更なる魔力を流し込む。
まるで自分の心臓が、戦車のエンジンになってしまったのかと思うほどの燃費の悪さだが、不思議と悪い気はしない。
魔力を込めれば込めるほど、力となって自分に返ってくるのだ。それは、愉しいとさえ思えるほどの快感であった。
今まで、これほどまでに集中したことがあっただろうか……。
視界の中にあるもの全てが見えている感覚。風に揺らめく草原の草花1本1本の動きが、手に取るようにハッキリとわかるほどに研ぎ澄まされていると言っても過言ではない。
ベヒモスが前足を振り上げ、同時に舞う土煙の細かな粒子の動きまでもが良く見える。
恐らくは、時間の感覚と肉体の強化が釣り合った為だろう。
ゆっくりと動く景色の中で、俺だけがいつもの速度で動ける世界。
それは、まるで別次元――。
「おのれぇぇぃ! ちょこまかとッ!」
ベヒモスからの攻撃を躱し続け、隙を見つけては殴打する。
相手は、白い悪魔のような軟体生物じゃない。姿形は、四足歩行の獣と同じだ。
どれだけの間、従魔達とじゃれ合ってきたと思っているのか。
関節の動きと筋肉の盛り上がりで、ベヒモスから繰り出される攻撃は瞬時に把握できていた。
「どうした? 息が上がってきてるぞ?」
勢い良く燃えていたトレントも下火へと転じる頃、ベヒモスの身体は随分と見違えるようになっていた。
図体に似合わず俊敏な動きを見せていたのに、今や緩慢で大振りな攻撃ばかり。
ようやく、そのスタミナにも陰りが見え始めたと言ったところか……。
幾度となく殴打した箇所は見るも無残に腫れあがり、中の肉が見えてしまうほどに捲れた毛皮からは鮮血が滴り落ちる。
その幾つかは既に内部が腐り始め、壊死していた。
「何故、我が貴様なんぞにッ……」
血の混じった涎が垂れているのを、気にする素振りすら見せず吠えるベヒモス。
歯茎が見えるほど歯を食いしばり睨みつけるその姿は、ファフナーや巫女への怨みすら忘れ、俺への怒りと悔しさが全身から溢れ出ているかのよう。
ファフナーならまだしも、よくわからない無名の男に敗北を喫することになるのだ。
たとえ今から俺をどうにか出来たとしても、後に控えているファフナーと殺り合う体力も気力も残されていないのは、誰の目から見ても明らか。
「おのれぇぇッ! 貴様だけでも殺してやるッ!」
まるで道連れにでもするかのような台詞を吐きながら、残りの力を振り絞り飛び掛かってくるベヒモス。
しかし、それは届かない。既に雌雄は決しているのだ。
次の瞬間、空から滑空してきたファフナーが、ベヒモスを再び地へと押し付けた。
それを振り解く余力は、ベヒモスに残されてはいないだろう。
ベヒモスの身体を押さえつけながらも、器用に頭だけを持ち上げるファフナー。
俺はその下に潜り込むと、ベヒモスの胸にそっと手を当てた。
「最後に聞いておく。カイエンを魔眼の呪縛から解放しろ」
「何をするつもりか知らんが、やってみろ。貴様の従魔が元に戻らなくてもいいならなッ!」
望むところである。これだけ痛めつけても効果がないなら、何をしても無駄だろう。
効率的な拷問方法なぞ知っているはずもなく、だからと言ってじっくり説得する時間も自信もない。
「じゃぁ、死ね……」
俺の右手が面妖な光を帯び、それは抵抗なくベヒモスの中へと飲み込まれていく。
「【強奪】」
目標としていた物を無慈悲にも強く握り締めると、ベヒモスの身体がビクンと跳ねた。
「……カ……ハッ……!」
何かを喉に詰まらせたかのような嘔吐きの後、飲み込まれた腕を一気に引き抜くと、ベヒモスは深い眠りにつくかのように目を瞑り、力の抜けた四肢はダラリと伸びきった。
魂と肉体の分離。それは完全なる死を意味する。どんな生き物でさえ例外はない自然の摂理。
俺の手に握られているのは、如何にもな禍々しさを誇るベヒモスの魂。
ドクドクと脈打ち蠢くそれは、本来は感じない重さを錯覚してしまうほどの大きさ。
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