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第466話 強制避難

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 トレントが会場を揺らしながらベヒモスへと向かっていく様は、まさに圧巻。
 俺は、巻き込まれないようにと距離を取る。
 振り下ろされた腕にも似た枝は、最早倒木。その重量感は、世界樹から落ちて来た枝を思い出してしまうほど。
 ベヒモスは、それに自分の角を打ち付け、いとも容易く弾き返すとトレントはヨロヨロとよろめきながらも観客席へと倒れ込む。
 木偶の棒――とまでは言わないが、見た目通りの鈍重さ。倒れる速度までスローに見える。
 とはいえ、それを補って有り余るほどの重装甲といったところか、ダメージはそれほどなさそうだ。
 観客席からは悲鳴が上がったものの、トレントに潰されてしまった不運な者はいない様子。
 トレントはすぐに体勢を立て直すと、ベヒモスと対峙する。

「あれが作戦か?」

「そうじゃ。……まぁ、アレで勝てるとも思ってはおらんがな。あくまで目くらましの一環に過ぎん」

「だろうな……」

 俺の仕事は、ベヒモスの魂をその巨体から抜き取ること。それにはゼロ距離までの接近は必須。
 近づくだけなら簡単なのだが、何処でもいいわけではない。身体の中心に近い場所。つまり狙いは胸と腹の間である。
 しかも、観客の目を盗みながら行わなければならないとなると、トレントとの協力は必要不可欠なのだが、アレは果たしてケシュアが操作しているのか? それとも俺が呼び出すスケルトンのように、単純な命令しか受け付けないタイプなのか……。

「ケシュア――は、どこ行った?」

 視界の端にチラリと映ったケシュアは、俺達に見向きもせず従魔用の出入口へと消えて行く。

樹術師ドルイドとしての仕事はもう終わったからの。次の仕事に行ってもらったまでじゃ」

「次の仕事?」

「観客の避難誘導じゃよ。魔眼対策も出来て一石二鳥だろう? 魔眼はベヒモスの切り札。追い詰められれば確実に使ってくる。客を敵に回したくはなかろう?」

 ベヒモスの魔眼。その瞳には、見た者を魅了する力があるらしい。
 と言っても、自我のない操り人形を作り出すわけではなく、相手の感情や記憶を改竄してしまうという能力。
 自分の意志で行動している為、本人に操られている自覚はなく、他人からもわかり辛いというのが最大の特徴だろう。

 それを知ったのは、つい先ほど。観客席から飛び降りるエルザを受け止めた時に、こっそり耳打ちされたのだ。
 ベヒモスの情報まで網羅しているとは、流石は2000年の歴史を持つ組織といったところか……。
 そんなことよりも、危険を犯してまで俺にそれを伝えに来てくれたのだから、エルザには頭が上がらない。

 ザナックは、その瞳に魅入られてしまったのだ。勝利への渇望が、奴を狂わせてしまったのだろう。
 獣人たちには、祭事として古くから伝わっている話。ベヒモスが敵であることくらい、ザナックだって認知していたはずである。
 もしかしたら、俺もザナックのようになっていたのかもしれないと思うと、ゾッとする。

「そう上手くいくか? 女王が号令でもかければ言う事を聞くかもしれんが……」

 非難する訳ではないが、一国の王ともなれば既に逃げ出している可能性も十分にあり得る。

「ケシュアはあくまで誘導じゃよ。客たちは、自発的に避難するじゃろうて」

 エルザの顎に促され、視線を移すとまたしてもトレントがベヒモスに弾き飛ばされ観客席へと突っ込んでいた。
 ボロボロと崩れ落ちる客席との境界に、再び上がる観客の悲鳴。

「あれ……、狙ってやってたのかよ……」

 激しい戦闘の余波に巻き込まれては敵わぬと、観客たちは戦々恐々といったところか……。
 次々と席を立ち、出口へと続く階段はかなりの賑わいを見せている。
 俺の予想とは違ったトレントの活用方法に、苦笑を禁じ得ないが、理には適っている。
 観客達に逃げろと声を上げれば、それは弱点を晒している事と同義。ベヒモスはそれを良しとはしないだろう。
 ならば危機感を演出し、自発的に逃げてもらった方が余計な刺激を与えずに済む。
 褒められたやり方ではないが、ベヒモスの排除が最優先。一定の効果が見込めている以上、観客への影響については目を瞑ろう。
 仮に全ての観客がいない状態を作り出せれば、勝利は決まったようなものだ。

「お主は客の避難が終わるまで、魔眼を使われぬよう適度にベヒモスの気を引いておれ。ワシは構わんが、観客を人質に取られるのは困るじゃろう?」

「俺は、ミアとキャロが無事ならそれでいいが、モフモフ仮面としては……まぁ、ダメだろうな……」

 被害は少ないに越したことはないが、観客への安全まで考えるほどの余裕はない。
 俺への応援は非常にありがたいのだが、正直言って邪魔でしかなく、さっさと家に帰って寝てろ――というのが、本音である。
 そもそも今回に関しては巻き込まれただけだ。メリルには申し訳ないが、ベヒモスが陳謝し大人しく帰るならそれでよかった。
 ただ、ミアとキャロに手を出すというのなら、その限りではないというだけの話。

「10分もあれば、十分じゃろ」

「わかった」

 善戦するトレントの元へと駆け付けるも、ベヒモスは俺を警戒してか後退する。
 辺りは崩れた客席の瓦礫と削られたトレントの木くずだらけ。一方のベヒモスは、多少息が上がった程度でまだ無傷。
 鋭い目つきで睨みつけられるも、睨み返すような愚行はしない。目を合わせないことが、唯一の魔眼対策であるからだ。

 先に動いたのはトレント。ドスンドスンと地面を揺らし、2本の腕でベヒモスを掴みにかかる。
 その迫力たるや、こちらが畏怖を覚えるほど。味方のはずなのだが、踏みつけられそうでヒヤヒヤだ。
 それを迎え撃つベヒモスは、頭を下げると、そのまま勢いをつけてトレントへと突進。
 片方の角がトレントの幹に突き刺さるも、その勢いは止まらない。そのままベヒモスを圧し潰してしまうかと思いきや、次の瞬間にはトレントが宙を舞っていた。
 まるでカブトムシが、その角でクワガタムシをひっくり返してしまうような、ベヒモスの鮮やかな巴投げ。
 それに感心している場合ではない。俺はその隙を突き駆け出すも、ベヒモスは瞬時に顔をこちらに向け、暴風のようなブレスを放つ。
 それ自体、大したことはないのだが、若干の速度ダウンと視界の悪さはどうにもならない。巻き上がる木くずと土埃は、まるで砂嵐だ。
 ブレスが止むと、頭上に迫るベヒモスの剛腕。
 もちろんそのままでいれば踏み潰されてしまうので、一度回避行動をとってから反撃に移るのが一般的。ベヒモスだってそうなると思っているに違いない。
 だからこそ意表を突き、逃げずに立ち向かう。
 俺らしくないのは百も承知。竜の魂エンハンスドドラゴンソウルがあればこその策だが、力負けしても耐えられるだろうという憶測の元、金剛杵を振り上げた。
 それはもう、これ以上ないくらいに思いっきり。空振ってしまったら、自分の肩が外れてもおかしくないほどの力を込めて。

 インパクトの瞬間。電気が奔ったかのような衝撃が身体に伝わり、両足が軋むも負けじと歯を食いしばる。
 しかし、それは相手も同じ。金剛杵がベヒモスの前足にめり込むと、肉とは思えないゴリッとした感触が手にハッキリと伝わってきた。
 マスクのおかげで血飛沫も苦にならないのは、儲けもの。
 俺の反撃に驚いたのか、それとも痛みに耐えかねたのか……。ベヒモスは俺を潰す事を諦め、距離を取った。

「生身のクセに我を傷付けるとは、中々やるではないか」

「別にお前に褒められたって、嬉しくねぇよ」

「その強がりが、何時まで続くかな?」

 ニヤリと口角を上げるベヒモス。
 その自信が何処から来ているのかは知っているというのに、随分と呑気な奴である。
 そこからは、乱戦という名に相応しい泥仕合。
 投げ飛ばされても屁の河童。ボロボロになりながらも、トレントは容赦なくベヒモスへと突っ込み、隙あらば俺も殴り掛かる。
 戦いながらも客席を気にする余裕はないが、それでも横目で見る分には観客の避難も順調な様子。
 それは、同時にトレントの客席破壊も順調ということに他ならない。
 既に会場の4分の1が瓦礫の山と化していた。
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