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第412話 西のビーストマスター メリル

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 馬車は時々足を止めながらも、宿へと走る。
 東西を分かつ谷に掛かる幾つもの橋は、今にも壊れてしまいそうな年季物から、馬車でも楽々通れそうな頑丈な物まで様々。
 谷を越えての往来に苦労はなさそうだが、雪捨て場としての側面がある所為か柵がない。
 ある意味、樹上で生活していたウッドエルフの里よりも恐ろしい。

「あの橋を超えれば、宿まですぐですので」

 ローゼスが向けた視線の先には、そこそこ大きな吊り橋。それ自体に問題はなさそうに見えるが、そこには人だかりが出来ていた。
 通れなければ馬車は止まるしかなく、ローゼスは少々憤った様子で立ち上がる。

「こんな往来で一体何の騒ぎでしょう。見て参りますので、少々お待ちくださいませ」

 防寒着を羽織り、馬車から出て行くローゼス。
 馬車の前に立ち塞がっていたのは、1人の女性。傍には2匹の白豹と、それを取り囲む人々。
 護衛の兵達が群衆を追い散らし始めると同時に、ローゼスも説得を始めた様子。

「どうしたんだろうね、おにーちゃん」

「さぁな。揉めているようにも見えるが……」

 不穏な空気を感じながらも、それは時間にして3分程。橋の上には誰もいなくなり、残ったのはローゼスと見知らぬ女性のみ。
 激しく言い争う2人。女性の傍に控える白豹は毛を逆立て、ローゼスに向かって唸り声をあげている。
 出て行って仲裁に乗り出すべきか、それとも傍観を決め込むか……。
 勝手にでしゃばり余計にややこしくしてしまう可能性も否めないが、話を聞く分には構わないだろうと仲裁方向に心が傾いたその時だった。
 見知らぬ女性がローゼスを突き飛ばし、馬車から覗いていた俺達をこれでもかと睨みつけたのだ。

「プラチナプレート冒険者である九条殿が乗る馬車であるとお見受けする! あたいはネクロエンタープライズの長にして、同じプラチナ冒険者のメリル! 貴殿に決闘を申し込む! いざ尋常に勝負せよッ!!」

 車内にいても聞こえる大声。皆の視線は俺に集まり、俺は溜息をついた。
 この世界に来て決闘を申し込まれるのはこれで2度目だ。正直勘弁してほしい。
 ケシュアをギロリと睨みつけるも、激しく首を横に振る。

「違う! 確かにネクプラはウチの傘下だけど、私は何も聞いてない! そもそも私は1人でグランスロードに入る予定だったの! 九条と一緒なのは想定外なんだってば!」

「やっぱり仲間なんじゃねーか……」

 だが、嘘ではない様子。

「どうするの? おにーちゃん……」

「どうするって言われてもなぁ……。俺には受ける理由がない」

「我が行って蹴散らしてこようか?」

「ワダツミの気持ちはありがたいが、俺が直接断る。呼んだら来てくれればいい。外にはカイエンもいるし、まぁ大丈夫だろ」

 ローゼス同様防寒着を羽織り、馬車を降りる。
 白いロングのコートを羽織った女性は、俺を確認すると、頭のフードを捲りその顔を見せた。
 顔は人だが、尖った耳は獣人特有のもの。大きな目に鋭い眼光。鼻元から伸びる数本の毛はヒゲだろうか? 猫系の獣人にも見えるが、乏しい知識では見極めきれない。

「馬車から降りて来たという事は、決闘を受けてくれるのだな?」

 歳は20前半といったところか……。スリムな顔立ちは大人びて見えるが、声の質は柔らかい。

「九条様。受ける必要はございません」

 押し倒されたローゼスに手を伸ばすと、ローゼスはその手を取り立ち上がる。

「もちろん受ける気はありません。俺は、馬車が通れないからどいてくれと言いに来ただけなので」

「ほう。強そうなブルーグリズリーを従えているクセに、謙虚な御仁のようだ。それとも臆しているだけかな?」

 メリルと名乗る女性の首にはプラチナのプレート。
 それだけの実力者なのはその気迫からなんとなくわかるが、ただ強さを求める無鉄砲の様には見えない。
 ケシュアには知らされず、ネクロガルドが実力行使に出たという事なのだろうか?

「何と言われようと、決闘は受けない。お引き取り願おう」

「九条殿が勝てば、潔く退くことを約束する。しかし、あたいが勝ったら言うことを聞いて貰うぞ」

「勝手に話を進めるな。くどいぞ」

「メリルッ! 他国からの来賓に決闘を申し込むなど無礼千万! プラチナの冒険者とて許される事ではありませんよ。この国がどうなってもいいのですか!?」

 泥にまみれた衣服も気にせず、強い口調で非難するローゼス。
 激しく吐き出される白い吐息は、興奮を覚えた湯気のよう。

「百も承知の上だ! あたいはあたいのやりたいようにやる! 邪魔をするなッ!」

 メリルが右手を突き出すと、白豹達が前に出る。
 よく訓練されているのだろう。流石はプラチナの獣使いビーストテイマーと言ったところか。
 その圧にローゼスは一歩後退り、悔しそうに拳を握る。
 ただの案内人であるローゼスと、プラチナの冒険者。その実力差は歴然だ。
 法や権力で縛れない者が厄介なのは、身をもって良く知っている。
 どうせここで話し合っていても平行線を辿るだけ。だからと言って、こちらも折れる訳にはいかないのだ。

「はぁ……。メリルと言ったか。少しここで待ってろ。準備してくる」

「九条様!」

「ありがとう九条殿。恩に着る……」

 頭を抱えるローゼスに、僅かばかりに頭を下げるメリル。
 どちらも何か勘違いをしているようだが、ひとまずはそれでいい。

「おにーちゃん……」

「ようやく我の出番だな?」

 馬車にもどると心配そうな顔を向けるミアに、嬉々として立ち上がるワダツミ。
 鼻息も荒くやる気に満ちてはいるのだが、その段階にはまだ早い。

「大丈夫だミア。心配するな。……それと、ワダツミの出番は次の作戦が失敗したらな」

 不安の拭えないミアに対し、少し残念そうなワダツミ。
 そんな2人を横目に我関せずを決め込んでいたケシュアであったが、俺がその手を取ると素っ頓狂な声を上げた。

「……へ?」


 その間僅か3分程。馬車からケシュアを引き摺り出すと、二の腕を掴み無理矢理に歩かせる。

「ちょっと九条! 痛い!」

 ケシュアの腕は後ろ手に縛られ、バランスが取れず覚束ない足取り。
 俺は、その首筋に金剛杵を容赦なく突きつける。

「こいつがどうなってもいいのか?」

「ケシュアッ! 何故ここにッ!?」

 驚きのあまり見開かれた目。ケシュアの名を叫んだのはメリルだ。
 同じ組織ならば、知り合いの可能性もあるだろうとは思ってはいたが、どうやら効果は抜群の様子。

「アハハ……。ちょっとお使いを頼まれたんだけど、途中で九条に見つかっちゃって……」

 苦笑いを浮かべるケシュア。首筋に当てられた金剛杵からは、真紅の雫が滴り落ちる。

「まさか、九条殿がこれほど下劣な者であったとは……。卑怯だぞッ!」

 どうやら怒らせてしまったようだが、まったく気にもならない。こちらとしては、その唇を縫い合わせてやりたい気分である。
 いつも俺が正しいはずなのに、やっていることは悪者役のそれ。正直勘弁してほしいが、これ以外に大人しく引き下がらせる策は思い浮かばなかった。
 ローゼスの言う通り、俺は他国からの使者として扱われているはず。冒険者ギルドの仕事として来ている訳ではない。街中でのドンパチは御免である。
 俺がノルディックを殺した時でさえ大騒ぎになったのだ。他国のプラチナを殺したともなれば、外交問題は免れない。
 もちろん相手が挑んできた決闘だ。俺はまったく悪くないが、世間の心証は言わずもがなだろう。どうせ自国を擁護するに決まっている。
 俺の評判はリリーの評判――とまではいかずとも、多少の影響はあると認識しているのだ。

「どうする? ケシュアを殺してまで決闘するか? 大人しく道を譲った方がいいんじゃないか?」

 メリルの表情から伝わって来るのは、想定外だと言わんばかりの戸惑い。
 ローゼスに至っては、流れについて行けずに棒立ちだ。

 そんな拮抗した状態が続くこと5分。それも限界がやってくる。

「ぐ……ぐじょ……。ざ……ざむい……はやぐなんとかじて……しんじゃう……」

 ガタガタと震える身体で弱音を吐いたのはケシュア。しかし、なんとかするのは俺ではなく相手側。
 ケシュアはこの極寒の中、バニーガール衣装のまま橋の上で立たされ続けているのだ。
 谷に掛かる橋は風通しが良く、それが吹く度にガチガチと合わさる歯の音は既にトップスピード。
 涙は凍り、最早鼻水を啜る気力さえないのだろう。人質という立場だと言うのに、なんとか暖を取ろうと身体をグイグイと押し付けてくる。

「何時まで悩んでるつもりだ? せめてケシュアのタイムリミットまでには答えを出した方がいいんじゃないか?」

「くッ……見損なったぞ……九条殿」

 そもそも見損なうほど評価されているのかという疑問は置いておくとしても、ケシュアはそろそろマジでヤバイ。
 掴んだ二の腕から伝わってくる熱は既に感じられず、目は虚ろだ。

「……わかった。だが、諦めた訳じゃない。次に会う時は――」

「御託は良いからさっさと帰れ」

 悔しそうな表情で俺を睨みつけながらも、メリルは白豹達を連れ街中へと消えて行った。
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