生臭坊主の異世界転生 死霊術師はスローライフを送れない

しめさば

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第376話 黒き厄災

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 静まり返った戦場。ニールセン公が野営地に戻ると、天幕の中で備え付けの椅子に体重を預けた。

「ふぅ……」

 張り詰めた緊張の糸が一気に解れた瞬間である。プレートの鎧を脱ぐのも忘れ、大きなため息をつく。

(あれはなんだ……。本当に占いが当たっただけなのか? それとも……)

 夢でも見ているのではないかと、ニールセン公は自分の頬をピシャリと叩く。
 ジンジンと痺れる頬。その手に付着したのは、ざらついた砂塵が混じった茶色い汗。
 すぐに立ち上がったニールセン公は、汲み置きの水桶に手ぬぐいを潜らせ、ろくに絞ってもいないそれで自分の顔を盛大に拭う。
 鼻の頭からポタポタと水が滴り落ち、視線を落とすと水面に映る自分の顔が波紋に合わせて歪んでいた。
 思い出されるのは、ヴィルヘルムを追い詰めていた時の九条のこと。

(九条はドラゴンがやったなどと冗談交じりに言っていたが、まさかあれはこの事を暗示していたのか……?)

 ドラゴンが人里に降りてくることなぞ滅多にある事ではない。運よく見れたとしても、それは遥か上空を飛ぶ姿であり、野鳥と見紛うほど小さなものだ。

(アレックスを任せた時、九条の事は調べ上げたがそのような記録はなかったはずだ……。九条の持つ魔獣使いの適性がドラゴンをも操るとしたら、伝承などで語られてもいいはず……)

 ドラゴンを操る人間の物語。そんな伝承があるとすれば、ミンストレルが黙ってはいない。大衆から人気の出そうな演目は、誰もがこぞって歌い出すに決まっているのだ。
 稀代の歌姫と呼ばれるイレース嬢でさえ、そのような歌を歌ったなどとは誰も聞いたことがない。

(確かイレース嬢の歌で最も評判の高い歌は、海を救った謎の男と海賊達の英雄譚であったはず……)

 漆黒のドラゴンのおかげで窮地は脱した。それ自体は大変喜ばしい事である。
 ただそれが九条の力であるのか、それとも占いが当たっただけなのかは知る由もない。
 ニールセン公がどれだけ悩もうともその答えが出るはずもなく、桶に浮かぶ自分の顔が波打たなくなった時、ある1つの結論に至ったのだ。

(少なくとも、九条だけは敵に回すようなことはすまい……)

 そうニールセン公が新たな決意を固めた時、天幕へと訪れたのは1人の騎士団長の男。

「失礼します。ニールセン公」

「オットーか。ドラゴンの様子はどうだ?」

 先程の悩むそぶりを微塵も見せず、ニールセン公はオットーと呼ばれる騎士団長を迎え入れると、大きく息を吐きながら備え付けの椅子へと腰掛ける。

「はっ! シルトフリューゲル軍の撤退後、星落としの影響で出来たクレーターの中で身体を丸め、就寝していると思われます」

「そうか……。それで?」

「はっ! 雇い入れていた冒険者に、あのドラゴンの事を知っているという人物がおりましたので……」

「なんだと!? 今すぐ呼んで参れッ!」

「はい。既に呼びつけております。……入れ」

 天幕の入口をソロリとめくり入って来たのは、大きな樫の杖を持った背の低いエルフ族の女性。
 ブロンドの髪を後ろで2つに分けていて、上半身はケープのような物を羽織り、下はロングのスカンツを履いている。
 少々素朴で地味な服装ではあるものの、無駄に着飾らないが故にそれが実力の表れとも取れる。その首に掛けたプレートはゴールドだ。

「お主の名は?」

「お初お目にかかります公爵様。私は樹術師ドルイドを生業とする冒険者で、名はケシュアと申します」

「……ん? ケシュア……?」

 杖を床に置き、礼儀正しく跪くケシュアを目を細めジッと見つめるニールセン公。

「……はて……どこかで聞いたような……。まぁよい。ゴールドの冒険者であれば腕の立つ者なのだろう。ひとまずはお主を冒険者達の代表として礼を言う」

「ならば公爵様! 報酬の増額を……」

「貴様ッ! 調子にッ……」

 急に身を乗り出して来たケシュアを諫めようと声を荒げたオットーであったが、ニールセン公はそれをやんわりと止めた。
 相手は一般の冒険者。礼儀なぞ説いても無駄であると諦めているのも理由の1つではあるが、それよりも謎多きドラゴンの正体が気になっていたのだ。

「それは話の内容次第だが、嘘であった時はわかっているな?」

「報酬さえ弾んで下さるなら、公爵様に嘘なんてつきません。でも、真偽を確かめる術もないと思いますけどね」

 またしても口の利き方に気を付けろと声を上げそうなオットー横目に、大きな咳払いでそれを止めるニールセン公。

「よかろう。話したまえ」

 するとケシュアは真剣な面持ちでニールセン公に一礼すると、淡々と口を開いた。

「ドラゴン族でもっともポピュラーなのが赤い鱗のレッドドラゴン。次いで緑の鱗のグリーンドラゴンですが、漆黒の目撃例はここ数百年の歴史において1件もない。それはあのドラゴンが2000年前の魔王の時代に名を馳せていた古代種だから。黒き厄災とも呼ばれ、恐れられていた個体に間違いないでしょう。漆黒の鱗に稲妻のような角。ドラゴン族にもかかわらず、魔法を巧みに操るのがその証拠」

「ふむ……。それを裏付ける物は?」

「ありませんね。強いて言うなら私の頭の中にある歴史学の知識――とだけ……」

「にわかには信じがたい話ではあるが……」

「そうですか? 1年ほど前にも古代種の目撃例はありましたよ? 公爵様はご存じない?」

「1年前?」

「そうです。アンカース領ノーピークスに迫る金の鬣きんのたてがみ。それを討伐したのは勇敢なる4人の冒険者と4匹の魔獣――……あっ、それと1人のギルド職員の子供……」

 ケシュアは左手を自分の胸に、右手を天高く掲げ、まるでオペラでも見ているかのような振る舞いを披露する。
 最後は少し締まらなかったが、ニールセン公はそれを聞いて思い出し、勢いよく立ち上がった。

「ケシュア! そうか! あの時の流れの冒険者の1人だなッ!?」

「ご明察でございます。公爵様」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべるケシュア。
 当時ケシュアだけが受勲をしなかった。王宮に顔を見せなかったのなら、ニールセン公が覚えていないのも仕方のない事である。

「そうか。ならばお前を信じよう。……オットー。この者には報酬を倍額……いや、3倍支払ってやれ」

「いいんですか公爵様!? ありがとうございますぅ」

 まるで神様に祈りを捧げるかのように両手を組み、くねくねと身を捩るケシュア。

「その代わり、九条にはよろしくと伝えておいてくれ」

「エッ……あっ……はい。それはもちろんですぅ。あはは……」

 満面の笑みであったケシュアの表情が一気に引くと、わざとらしく上げた口角で引きつった笑顔に変化する。
 ケシュアは九条の秘密をエルザに喋ってしまったのだ。故に九条は一番会いたくない相手でもある。
 とは言え、それもカネの為だと自分自身に言い聞かせたケシュアは、今は九条の仲間を装っておこうと当たり障りのない話を続け、九条を知る者同士ニールセン公とはほんの少しだけ打ち解けたのである。
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