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第359話 死して屍拾う者なし
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バルザックの氷結壁もそう長くはもたない。くまなく探索している時間はなく、運を天に任せ2人はダンジョンを潜って行くも、その足取りは重かった。
「貴族なんぞやるもんじゃないな。これほどまでに身体が鈍っていたとは……」
バルザックが身体を鍛えていない訳じゃない。とは言え本業は魔術師。ゲオルグやレギーナと比べれば圧倒的に非力だ。
軽いとは言え鎧を着込んだ成人男性を支えている。その重みは、どれだけゲオルグが重症であるかを暗に示していた。
「すまねぇ、バルザック……」
「何を謝る事がある? 私とお前の仲だろう?」
「へへっ……ちげぇねぇ……」
軽快そうな口ぶりを装うゲオルグではあるが、その重みは徐々に増していくばかり。そんなゲオルグをバルザックは必死に支えた。
口数も少なく、黙々とダンジョンを進んでいくバルザック。
それもそのはず、その頭の中ではどうすれば助かるのか、どうすれば助けられるのかを必死に思案していたからだ。
会話に興じる暇なぞ、あろうはずがない。
「バルザック……」
「なんだ? 何か脱出の手掛かりになるものでも見つけたか?」
「俺が死んだら、俺の死体を使え……」
「……何をバカなことを……」
「前に言ってただろ。肉体の強さがそのままアンデッド化に反映されるって……。自慢じゃねぇが身体には自信があるんだ。それにお前は俺の事を良く知ってる。きっと教会の聖職者も腰を抜かすほどの最強のアンデッドが出来上がるぞ?」
「大丈夫だ。お前は死なん」
「あぁ、アレでもいいぞ? 死体を爆発させる魔法なんてのもあっただろ? 確か……置き土産だ」
「話を聞け! ゲオルグッ!!」
「なんだよ……。そんなデケェ声出さなくても聞こえてるよ……」
「冗談なぞ言ってないで、お前も脱出方法を考えろ」
「冗談なんかじゃねぇ……。お前なんかよりよっぽど現実を見てるつもりだがな……」
「……弱音を吐くとは、お前らしくもない……」
「らしくねぇのはお前の方だバルザック。白々しいんだよ。お前だってわかってるだろ?」
バルザックは何も言わなかった。ゲオルグの言った通り、心の中では最悪の展開を想像してしまっていたからだ。
それを否定するほどの言い訳が、バルザックには思い浮かばなかった。
暫くして、2人の行く手を阻んだのは一際豪華な金属製の扉。王宮の門戸に勝るとも劣らないそれを開けると、そこに現れたのは謁見の間と見紛うほどの巨大な空間。
人の気配はなく、奥に見えるのは書斎机と大きな玉座。それに続くのは真紅の長いカーペット。
巨大な柱がいくつも立ち並び、それなりの明るさが確保されているにも拘らず、天井は呑み込まれそうなほどの闇に包まれていた。
「バルザック……すまん。ちょっと疲れた」
「あ……ああ。そこの柱でいいか?」
地面に腰を下ろし、ゆっくりと柱にもたれ掛かるゲオルグ。
息は荒く、脂汗も酷い。傷口の流血は止まらず、天を見上げるその顔は痛みに耐え兼ね時々歪む。
「バルザック。残念だが、俺はここまでだ」
「諦めるなゲオルグ! きっと何か策が……」
「もういいんだバルザック。俺の事は忘れて、自分の事だけを考えろ。死者に義理立てして命を散らすこたぁねぇ。スラム育ちのお前ならわかるだろ?」
「そうじゃない! そうじゃないんだゲオルグ! 私はお前がいたからこそ、ここまで来れたんだ。これからお前なしで私はどうすればいい!? だからお願いだゲオルグ! 逝くな! 私を1人にしないでくれ!!」
それがバルザックの本音であった。感情は高ぶり、込み上げてきた想いを素直にぶつける。それが無茶であることは百も承知なのにだ。
2人の出会いは幼少期にまで遡る。シュヴァルツフリューゲルの小さな街のスラムでゴミを漁り、残飯で飢えを凌ぎ暮らしていたバルザックとゲオルグ。
親の顔なぞ知らず、物心が付いた時から生き残る事が人生の全て。時には犯罪にも手を染め、がむしゃらに生きてきたのだ。
いつかはデカくなろうと誓い合った仲。それは血の繋がりを越えた真の兄弟であった。
「俺と違ってお前には待ってる家族がいるだろ?」
「お前には私がいるじゃないか! 私達だって家族だったはずだ!」
「おい。やめてくれよ……。そんな事言われたら逝きにくくなるじゃねぇか……。……ちくしょう……こんなことならレギーナにちゃんと返事してやればよかったぜ……」
それを聞いて、バルザックは目に涙を溜めながらも精一杯微笑んで見せた。
「心配するなゲオルグ。その想いは今ちゃんと伝わった……」
その言葉の意味を理解したゲオルグは、柔らかな笑みを浮かべながらも虚空へと手を伸ばす。
「ああ、そうか……。そうだったな……。近くにいるのか……。それなら……なんの不安も……ねぇ…………」
「ゲオルグッ……!?」
伸ばした手は、何も掴まず垂れ下がる。バルザックはその手を取り、歯を食いしばった。
気を失ったかのように目を閉じたゲオルグ。その瞼が開くことは二度とない。その顔は安らかで、最後はその生涯に悔いがないと言わんばかりの穏やかな往生であった。
「……ザラ……レギーナ……ゲオルグ……。必ず仇は取ってやるッ!」
流れる涙に復讐を誓い、悲しみに暮れながらも仲間達に祈りを捧げるバルザック。涙を拭い立ち上がると、バルザックは奥に見えていた玉座へと歩みを進めた。
そこに置かれていたのは、煌びやかな冠。それにバルザックは跪き、頭を下げたのである。
「少しばかり騒がしくなってしまうことをお許しください……」
そこには誰もいなかった。しかし、それこそがかつてここに主が居たであろう証であるとバルザックは礼を尽くしたのだ。
ローレンスとフランツが謁見の間へと辿り着いたのは、それから30分後のこと。
「ようやく追い詰めたぞ。バルザック……」
巨大な空間に驚きを隠せない連れの者達をよそに、ローレンス卿の声が辺りに響き渡る。
バルザックはそれに見向きもしなかった。玉座の前に置かれていた書斎机に向かいながら、一心不乱に何かを書き殴っていたのだ。
「よし。出来たぞ」
満足そうな表情を浮かべ机から離れたバルザックは、右手に嵌めていた指輪をスッと外し、躊躇なく地面へと叩きつけた。
「――ッ!?」
突然の行動に身構える者達。細かいガラスの破片が辺りに舞うと、バルザックの前に現れたのは小さな帰還ゲート。
「そんな物がお前の奥の手なのか? それでは帰還できまい」
「そんなことはわかっている」
バルザックの手には2つに分解されたアストロラーベが握られていた。
その持ち手となる筒状の棒の中に小さなメモ書きを仕舞うと、アストロラーベを元へと戻し帰還ゲートへ放り込んだのだ。
「これから死ぬと言うのに、そんなにその杖が大事か!?」
「いいや? 別に杖でなくともよかったんだがな。残された家族の為、金目の物は残しておいた方がよかろうと思ってな」
「ほう。殊勝な心がけだな。大人しく死を受け入れるとは」
その時だ。低い唸り声と共に柱の影から飛び出してきたのは1体のゾンビ。
「グゥォォォ!」
それは後列に待機していた聖職者の1人に掴みかかり、勢いよく首筋にかぶり付くとブチブチと不快な音を立て噛み千切る。
「ぎゃぁぁぁ!」
「か……神の僕たる我らが祈りを聞き届け、従順なる我等にその御加護を示し給え! 【怨敵退散】!」
「がぁぁッ!」
神の力が生ける屍を灰と化す神聖術。まともにその光を浴びれば、アンデッドはひとたまりもない。
例に漏れず藻掻き苦しむゾンビではあったが、それをどうにか耐え凌いでいた。
「【怨敵退散】! 【怨敵退散】! 【怨敵退散】!!」
連続して放たれる神聖術に、いつまでも倒れる気配を見せないゾンビ。見かねたフランツがそれを易々切り刻むと、ゾンビはようやくその動きを止めた。
「まさかゲオルグの死体を使うのが奥の手なんてな。死んでまでも酷使するとは……。死霊術師に人の心はないのか?」
「何とでも言え。何事も経験だと教えただろ? まぁフランツにはその意味もわかるまい」
ゲオルグのアンデッド化は断腸の思いであった。それでも実行に移したのは、教会の聖職者達がどれほどの力を有しているかの確認の為。
デスナイトを葬り、アンデッド化したゲオルグには耐えられる程度の信仰力。それを知る事こそがバルザックの目的。
「そんな言葉で煙に巻こうとするとは……。黒翼騎士団の頭脳とも呼ばれた男も地に落ちたな……」
「私は自分を頭脳などと自称したことはない。周りが勝手にそう呼んでいるだけだ。むしろ自分ではバカだと思っておるがね。――私も皆と同じ道を歩もうとしているのだから……」
「なんだと?」
「……すまんな。私は今日……初めてお前達との約束を破ろうと思う……」
「約束? 何の事だ」
それはフランツに向けた言葉ではなかった。
周囲に漂う3つの魂をなだめながらもバルザックは柔らかな笑みを浮かべ、魔法書の最後のページを開く。
そして、ローレンスとフランツを鋭い眼光で睨みつけたのだ。
「我が死霊術の神髄を見せてやるッ!」
その宣言の直後、凄まじい魔力の奔流がバルザックを覆った。
目から流れる涙は紅く、その瞳からは光が消える。
深い憎しみを込めた詠唱と共に、バルザックを包み込む魔力は真っ赤な炎へと姿を変えた。
「血肉は腐り、その実は熟す。我等の前に道はなく、もはや光も消え失せた。灰へと染まる愚かな眼は、濁る憎悪と遍く深淵。我が命の全てを捧げ、暗き棺の主に願う。古の叡智をこの身に宿し、揺るぎなき魔術の源流を我が手に!」
それは生涯に1度しか使えない禁断の魔法。故に試用も出来ず、バルザックでさえその成功率は未知数。
魔術の深淵を覗く対価は自分自身。膨大な魔力と全ての生命力を供物とすれば、強大な力を得ることが出来る反面、二度と戻っては来られない邪道へと堕ちる。
「【穢れなき闇の祝福】!!」
その瞬間、赤き炎は黒へと移り、激しく燃え上がった。
闇の炎に抱かれ、朽ちていくバルザックの肉体。そんな凄惨な光景にも拘らず、バルザックはその中で高らかに笑っていたのだ。
それを見ていた者達は、ただ茫然と立ち尽くしていた。
命の燃え尽きる瞬間は、美しくも儚い。ある者はそれに魅入られ、ある者はそれに畏怖を覚える。
ダンジョンに響き渡るバルザックの笑い声がピタリと止み、黒き炎が霧散すると、そこには絶望が立っていた。
その姿はリッチと呼ぶに相応しく、纏う魔力は人間のそれを遥かに超えていたのである。
「さあ、敵討ちを始めよう。愚か者どもよ……後悔しながら死んでゆけ!」
「貴族なんぞやるもんじゃないな。これほどまでに身体が鈍っていたとは……」
バルザックが身体を鍛えていない訳じゃない。とは言え本業は魔術師。ゲオルグやレギーナと比べれば圧倒的に非力だ。
軽いとは言え鎧を着込んだ成人男性を支えている。その重みは、どれだけゲオルグが重症であるかを暗に示していた。
「すまねぇ、バルザック……」
「何を謝る事がある? 私とお前の仲だろう?」
「へへっ……ちげぇねぇ……」
軽快そうな口ぶりを装うゲオルグではあるが、その重みは徐々に増していくばかり。そんなゲオルグをバルザックは必死に支えた。
口数も少なく、黙々とダンジョンを進んでいくバルザック。
それもそのはず、その頭の中ではどうすれば助かるのか、どうすれば助けられるのかを必死に思案していたからだ。
会話に興じる暇なぞ、あろうはずがない。
「バルザック……」
「なんだ? 何か脱出の手掛かりになるものでも見つけたか?」
「俺が死んだら、俺の死体を使え……」
「……何をバカなことを……」
「前に言ってただろ。肉体の強さがそのままアンデッド化に反映されるって……。自慢じゃねぇが身体には自信があるんだ。それにお前は俺の事を良く知ってる。きっと教会の聖職者も腰を抜かすほどの最強のアンデッドが出来上がるぞ?」
「大丈夫だ。お前は死なん」
「あぁ、アレでもいいぞ? 死体を爆発させる魔法なんてのもあっただろ? 確か……置き土産だ」
「話を聞け! ゲオルグッ!!」
「なんだよ……。そんなデケェ声出さなくても聞こえてるよ……」
「冗談なぞ言ってないで、お前も脱出方法を考えろ」
「冗談なんかじゃねぇ……。お前なんかよりよっぽど現実を見てるつもりだがな……」
「……弱音を吐くとは、お前らしくもない……」
「らしくねぇのはお前の方だバルザック。白々しいんだよ。お前だってわかってるだろ?」
バルザックは何も言わなかった。ゲオルグの言った通り、心の中では最悪の展開を想像してしまっていたからだ。
それを否定するほどの言い訳が、バルザックには思い浮かばなかった。
暫くして、2人の行く手を阻んだのは一際豪華な金属製の扉。王宮の門戸に勝るとも劣らないそれを開けると、そこに現れたのは謁見の間と見紛うほどの巨大な空間。
人の気配はなく、奥に見えるのは書斎机と大きな玉座。それに続くのは真紅の長いカーペット。
巨大な柱がいくつも立ち並び、それなりの明るさが確保されているにも拘らず、天井は呑み込まれそうなほどの闇に包まれていた。
「バルザック……すまん。ちょっと疲れた」
「あ……ああ。そこの柱でいいか?」
地面に腰を下ろし、ゆっくりと柱にもたれ掛かるゲオルグ。
息は荒く、脂汗も酷い。傷口の流血は止まらず、天を見上げるその顔は痛みに耐え兼ね時々歪む。
「バルザック。残念だが、俺はここまでだ」
「諦めるなゲオルグ! きっと何か策が……」
「もういいんだバルザック。俺の事は忘れて、自分の事だけを考えろ。死者に義理立てして命を散らすこたぁねぇ。スラム育ちのお前ならわかるだろ?」
「そうじゃない! そうじゃないんだゲオルグ! 私はお前がいたからこそ、ここまで来れたんだ。これからお前なしで私はどうすればいい!? だからお願いだゲオルグ! 逝くな! 私を1人にしないでくれ!!」
それがバルザックの本音であった。感情は高ぶり、込み上げてきた想いを素直にぶつける。それが無茶であることは百も承知なのにだ。
2人の出会いは幼少期にまで遡る。シュヴァルツフリューゲルの小さな街のスラムでゴミを漁り、残飯で飢えを凌ぎ暮らしていたバルザックとゲオルグ。
親の顔なぞ知らず、物心が付いた時から生き残る事が人生の全て。時には犯罪にも手を染め、がむしゃらに生きてきたのだ。
いつかはデカくなろうと誓い合った仲。それは血の繋がりを越えた真の兄弟であった。
「俺と違ってお前には待ってる家族がいるだろ?」
「お前には私がいるじゃないか! 私達だって家族だったはずだ!」
「おい。やめてくれよ……。そんな事言われたら逝きにくくなるじゃねぇか……。……ちくしょう……こんなことならレギーナにちゃんと返事してやればよかったぜ……」
それを聞いて、バルザックは目に涙を溜めながらも精一杯微笑んで見せた。
「心配するなゲオルグ。その想いは今ちゃんと伝わった……」
その言葉の意味を理解したゲオルグは、柔らかな笑みを浮かべながらも虚空へと手を伸ばす。
「ああ、そうか……。そうだったな……。近くにいるのか……。それなら……なんの不安も……ねぇ…………」
「ゲオルグッ……!?」
伸ばした手は、何も掴まず垂れ下がる。バルザックはその手を取り、歯を食いしばった。
気を失ったかのように目を閉じたゲオルグ。その瞼が開くことは二度とない。その顔は安らかで、最後はその生涯に悔いがないと言わんばかりの穏やかな往生であった。
「……ザラ……レギーナ……ゲオルグ……。必ず仇は取ってやるッ!」
流れる涙に復讐を誓い、悲しみに暮れながらも仲間達に祈りを捧げるバルザック。涙を拭い立ち上がると、バルザックは奥に見えていた玉座へと歩みを進めた。
そこに置かれていたのは、煌びやかな冠。それにバルザックは跪き、頭を下げたのである。
「少しばかり騒がしくなってしまうことをお許しください……」
そこには誰もいなかった。しかし、それこそがかつてここに主が居たであろう証であるとバルザックは礼を尽くしたのだ。
ローレンスとフランツが謁見の間へと辿り着いたのは、それから30分後のこと。
「ようやく追い詰めたぞ。バルザック……」
巨大な空間に驚きを隠せない連れの者達をよそに、ローレンス卿の声が辺りに響き渡る。
バルザックはそれに見向きもしなかった。玉座の前に置かれていた書斎机に向かいながら、一心不乱に何かを書き殴っていたのだ。
「よし。出来たぞ」
満足そうな表情を浮かべ机から離れたバルザックは、右手に嵌めていた指輪をスッと外し、躊躇なく地面へと叩きつけた。
「――ッ!?」
突然の行動に身構える者達。細かいガラスの破片が辺りに舞うと、バルザックの前に現れたのは小さな帰還ゲート。
「そんな物がお前の奥の手なのか? それでは帰還できまい」
「そんなことはわかっている」
バルザックの手には2つに分解されたアストロラーベが握られていた。
その持ち手となる筒状の棒の中に小さなメモ書きを仕舞うと、アストロラーベを元へと戻し帰還ゲートへ放り込んだのだ。
「これから死ぬと言うのに、そんなにその杖が大事か!?」
「いいや? 別に杖でなくともよかったんだがな。残された家族の為、金目の物は残しておいた方がよかろうと思ってな」
「ほう。殊勝な心がけだな。大人しく死を受け入れるとは」
その時だ。低い唸り声と共に柱の影から飛び出してきたのは1体のゾンビ。
「グゥォォォ!」
それは後列に待機していた聖職者の1人に掴みかかり、勢いよく首筋にかぶり付くとブチブチと不快な音を立て噛み千切る。
「ぎゃぁぁぁ!」
「か……神の僕たる我らが祈りを聞き届け、従順なる我等にその御加護を示し給え! 【怨敵退散】!」
「がぁぁッ!」
神の力が生ける屍を灰と化す神聖術。まともにその光を浴びれば、アンデッドはひとたまりもない。
例に漏れず藻掻き苦しむゾンビではあったが、それをどうにか耐え凌いでいた。
「【怨敵退散】! 【怨敵退散】! 【怨敵退散】!!」
連続して放たれる神聖術に、いつまでも倒れる気配を見せないゾンビ。見かねたフランツがそれを易々切り刻むと、ゾンビはようやくその動きを止めた。
「まさかゲオルグの死体を使うのが奥の手なんてな。死んでまでも酷使するとは……。死霊術師に人の心はないのか?」
「何とでも言え。何事も経験だと教えただろ? まぁフランツにはその意味もわかるまい」
ゲオルグのアンデッド化は断腸の思いであった。それでも実行に移したのは、教会の聖職者達がどれほどの力を有しているかの確認の為。
デスナイトを葬り、アンデッド化したゲオルグには耐えられる程度の信仰力。それを知る事こそがバルザックの目的。
「そんな言葉で煙に巻こうとするとは……。黒翼騎士団の頭脳とも呼ばれた男も地に落ちたな……」
「私は自分を頭脳などと自称したことはない。周りが勝手にそう呼んでいるだけだ。むしろ自分ではバカだと思っておるがね。――私も皆と同じ道を歩もうとしているのだから……」
「なんだと?」
「……すまんな。私は今日……初めてお前達との約束を破ろうと思う……」
「約束? 何の事だ」
それはフランツに向けた言葉ではなかった。
周囲に漂う3つの魂をなだめながらもバルザックは柔らかな笑みを浮かべ、魔法書の最後のページを開く。
そして、ローレンスとフランツを鋭い眼光で睨みつけたのだ。
「我が死霊術の神髄を見せてやるッ!」
その宣言の直後、凄まじい魔力の奔流がバルザックを覆った。
目から流れる涙は紅く、その瞳からは光が消える。
深い憎しみを込めた詠唱と共に、バルザックを包み込む魔力は真っ赤な炎へと姿を変えた。
「血肉は腐り、その実は熟す。我等の前に道はなく、もはや光も消え失せた。灰へと染まる愚かな眼は、濁る憎悪と遍く深淵。我が命の全てを捧げ、暗き棺の主に願う。古の叡智をこの身に宿し、揺るぎなき魔術の源流を我が手に!」
それは生涯に1度しか使えない禁断の魔法。故に試用も出来ず、バルザックでさえその成功率は未知数。
魔術の深淵を覗く対価は自分自身。膨大な魔力と全ての生命力を供物とすれば、強大な力を得ることが出来る反面、二度と戻っては来られない邪道へと堕ちる。
「【穢れなき闇の祝福】!!」
その瞬間、赤き炎は黒へと移り、激しく燃え上がった。
闇の炎に抱かれ、朽ちていくバルザックの肉体。そんな凄惨な光景にも拘らず、バルザックはその中で高らかに笑っていたのだ。
それを見ていた者達は、ただ茫然と立ち尽くしていた。
命の燃え尽きる瞬間は、美しくも儚い。ある者はそれに魅入られ、ある者はそれに畏怖を覚える。
ダンジョンに響き渡るバルザックの笑い声がピタリと止み、黒き炎が霧散すると、そこには絶望が立っていた。
その姿はリッチと呼ぶに相応しく、纏う魔力は人間のそれを遥かに超えていたのである。
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