生臭坊主の異世界転生 死霊術師はスローライフを送れない

しめさば

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第264話 ツアー中止のお知らせ

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 目を覚ますと、アニタは薄暗い馬車の中にいた。
 ハッとして、寝てしまった事を思い出し、急いで身体を起こすアニタ。
 寝苦しかったのは、何時の間にか掛けられていた毛布の所為だ。汗ばむ身体は不快感を覚えるほど。
 馬車は動いておらず、窓から見える景色は一面の闇。

(失態だ……)

 その様子から長い間眠りこけていただろうことは安易に想像できる。
 車内は暖炉の炎が保たれ、パチパチと爆ぜる薪の音が聞こえるだけ。そこから漏れ出る僅かな光が車内を赤く照らし、アニタの影が不気味に揺れ動いていた。

「く……九条……?」

 車内には誰も見当たらず、もちろん返事も返ってこない。
 アニタは立て掛けていた自分の杖を手に取ると、いつもの手ごたえに少しだけ落ち着けた。
 それと同時に沸き上がってきたのは、人には誰しも訪れる尿意である。生理現象はどうしようもない。それだけ寝ていたのだから当然と言えば当然だ。
 外に出て木陰でこっそりと用を足せばいいだけ。簡単なことではあるが、漂う雰囲気がそれを困難な状況にさせていた。

(大丈夫。ちょっと怖いけど、グレッグの屋敷ほどじゃない……。皆は外のテントにいるんだ。私に気を使って外で寝てくれているだけ……)

 その時だ。天井から聞こえてきたガツンという衝撃音。

「ひぃ!」

 続いて僅かに馬車が揺れ、ギィギィと軋む音が車内に響く。

(きっと木の枝か何かが天板に落ちただけ……。揺れたのは私が立ち上がろうとしたから……。きっとそう……)

 アニタは恐る恐る立ち上がると、窓から外を覗き込む。
 そして絶望した。御者に加え、いるはずの馬がいない。近くにテントでも立っているのだろうと目を凝らすも見つからず、魔物除けに焚き火は欠かさないはずなのに、外には僅かな明かりすら感じられないのだ。

「ねぇ九条。いるんでしょ!?」

 少々大きめに声を出す。それは扉が閉まっていても、外には聞こえるくらいの声。しかし、しばらく待ってみても返事はない。
 アニタは意を決して一歩前へと踏み出すと、馬車の扉が独りでに開いた。
 キィィと鳴く金属同士の擦れる音。それだけのことでさえも胸の鼓動が跳ね上がる。
 落ち着いて考えれば、九条が帰って来たと思うのが自然だ。

「九条……よね?」

 ……しかし、誰かが車内に入ってくるような気配はなかった。ふらふらと揺れ動く扉が、錆び付いたシーソーのような音を奏でているだけ。

(きっと風の所為だ……。そうに違いない……)

 震える吐息。恐怖が体を支配し、脈打つ鼓動は鳴りやまない。
 アニタはみぞおちを強く押さえつけ、平静を保つのに必死だった。
 落ち着くまで息を潜めていたいが、本能がそれをさせてはくれない。尿意の我慢が限界だ。
 杖を強く握りしめ、ゆっくり扉へ近づくと、そーっと外を確認してから扉の取っ手を静かに握る。

(大丈夫……。誰もいない……)

 本当は誰かがいてくれた方がいいに決まっているのだが、あまりの恐怖に思考は働いていなかった。
 金属製のステップは、足をかけるごとにカツンカツンと高い音を響かせる。
 辺りに人の気配はない深い森の中。身を隠せればどこでもいいと足を踏み出したその時、バタンという大きな音が後ろから聞こえた。
 アニタの身体がビクンと跳ね上がり、咄嗟に振り返ると、馬車の扉が閉まっただけ。
 しかし、それほど強く閉まったにも関わらず、風は吹いていなかった。

「だだだだ大丈夫……。ととと扉が閉まっただけだから……おおお落ち着くのよ……」

 少しでも恐怖を和らげようと声を出すも、震えた声はそれを打ち消すどころか、再認識してしまうだけ。

(こうなったら開き直るしかない。何が起きても怖いのだから、さっさとお花を摘んでしまおう……)

 そう考え、アニタが行動に移そうとした瞬間、背後から何者かに肩を掴まれたのだ。

「ようやくお目覚めで……」

「ぎぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 真っ暗闇の森の中に、絹を裂くような絶叫が響き渡る。
 それは、お世辞にも女性が出していい声ではなかった。

「……あっ……ぁぁぁ……」

 出てしまったのが声だけであれば、どれだけ良かったことか。
 何もかもが限界だった。緩んでしまった括約筋は戻らない。
 持っていた杖をあてがうも、決壊したダムの勢いを止めることは出来なかった。
 それを伝い、ちょろちょろと流れ出る聖水は、足元に小さな水たまりを作り出したのである。

 ――――――――――

「俺の所為にするな。お前が勝手に怖がって漏らしたんだろ?」

「あんたが脅かしたからでしょ!」

 出来立て熱々の鍋を木製の器によそいながらも、声を荒げるアニタ。
 よく眠れたのだろう。目元のクマは大分よくなったように感じる。

「俺はカガリと兎を狩っていただけだ。そんなに文句があるなら食うな」

「それとこれとは別よ」

「なんでだよ……」

 今夜の献立は鍋である。カガリに兎を狩ってもらい、それを俺が捌いた。
 バイスやシャーリーにやり方は教わってはいたものの、お世辞にもそれは綺麗とは言えない。
 だが、鍋なんか煮込んでしまえばどれも一緒である。多少不細工ではあるが、味がよければ形になんてこだわる必要はないのだ。

 暖炉の前に座り込んでいるアニタ。立て掛けてある杖は物干し竿と化していて、そこにはワンピースのフード付きローブと、可愛らしい上下の下着がぶら下がっていた。
 それらはまだ湿っている。と言っても、アニタは裸でいる訳じゃない。
 ぶかぶかの麻袋を逆さにして首の位置と両側面を切っただけの服……と呼ぶには少々不格好な物を被り、腰のあたりを紐で縛っているだけである。

「奴隷に炊き出ししてやってるみたいだ……」

「うっさい!!」

 文句は言うが、飯は食う。脇からチラチラと見え隠れしている緩やかな膨らみの先っちょは、迷惑料とでも思っておこう。
 その内訳がまた酷い。まずは汚れたローブと下着を洗い流すのに、持って来た水の半分以上を使われた。
 魔法で水を出せばいいものを、俺に襲われるかもしれないから魔力は温存したいとぬかしたのだ。
 土地勘のない俺には、水場が何処にあるかはわからない。カガリは水の匂いはしないと言うし、暫く水の補充は諦めるしかない状況。
 そして、もう1つは飯である。なんとアニタは、飯を忘れたのだ。それも俺が馬車を乗り換えた所為だと言う。責任転嫁も甚だしい。
 今となっては乗る予定だった馬車に、本当に荷物があったのかは確認のしようもないが、迂闊にもほどがある。
 何故パーティメンバーでもない奴に飯を作ってやらねばならないのか……。それどころかまだ敵だ。
 とは言え。アニタを連れとして選んだのには理由がある。恐らくは1番懐柔しやすそうだと思ったからだ。
 簡単に言ってしまえば、グレッグを裏切らせようと画策しているのである。
 グレッグの前で、アニタの胸を揉みしだいたのも作戦のうち。
 アニタが絶対に裏切らないと思わせる為に、非道な行為をグレッグに見せつけ、わざと不仲を装ったのである。
 俺が好き好んでアニタの胸を揉むと思うか? あれは必要な工程であり、断腸の思いであったのだ!
 ……でも、役得だとは思っていた。

「ねぇ九条。御者と馬はどうしたの? 何処かで隠れてるんでしょ? それが私を脅かそうとした証拠じゃない?」

「はぁ? 御者なんか最初からいないが?」

「えっ!?」

 今更かと溜息をつく。まさか今まで気づいてなかったとは……。
 その声も、鞭や手綱のしなる音さえ聞こえなかったというのに、違和感を覚えなかったのだろうか?
 まぁ、それだけ睡眠不足が続けば、注意力が散漫になるのも仕方のないことだろう。

「俺は死霊術師ネクロマンサーである前に魔獣使いビーストマスターだぞ? 御者なんか最初からいらない」

「でも馬は……」

「大丈夫だ。馬は近くで道草食ってる。……馬だけにな!」

「……」

 クスリともしないアニタ。上手い事言ったつもりであったが、まったくウケなかった。
 だが、言ったことは本当だ。その辺で野草でも食べているはず。魔物が近づけばカガリが気配を察知してくれるだろうし、時間になったら勝手に戻ってくる。

「俺を信じろ。……とは言わないが、脅かしたくて脅かした訳じゃない。その美味い鍋で手を打てよ。それともカネで解決にするか?」

「……確かに、美味しいけど……」

 もちろん、わざと脅かしたのだが、これも仲間に引き込む為だ。

「……わかった。今回は許したげる。あれは全て偶然だったってことで納得してあげるわ」

 それにとぼけた顔を見せ、さも当たり前の様に嘘を吐く俺。

「は? 何を言っているんだ? 俺はお前の肩を掴んだだけだ。扉が勝手に開いただの、変な音が聞こえただのはお前に憑いている霊がやったことで、俺には関係ない」

「えっ……?」

 すました顔で鍋を頬張っていたアニタの顔色が、瞬時に青ざめた。

「ちょっと! どういうこと!?」

「言った通りだよ。俺には関係ないことだ。お前達が殺したんだろ? 精々仲良くするといい」

 アニタは凄まじい剣幕で俺の両腕に掴みかかると、力強く揺さぶる。

「私はやってない! なんで私に憑いてるの!? なんとかしてよ! 死霊術師ネクロマンサーなんでしょ? プラチナなんでしょ!? お願い! 何でもするから!!」

 涙を溜め、必死に懇願するアニタ。随分と効いている様子である。
 俺なんかに騙されて可哀想に……。だが、これはまだまだ序の口だ。

「知るか。俺への依頼はグレッグに憑く霊の浄霊だ。お前のは自分で何とかしろ」

「ホントに私はやってないの! どうして信じてくれないの!!」

 それを無視し、立ち上がる。
 俺が何処かへ行くと思ったのだろう。アニタは感情を爆発させると、それを阻止しようとローブを強く手繰り寄せた。

「ひとりにしないで! もう嫌なの! ……なんで……なんでこんなことに……。ぐすっ……だずげでよぉぉぉぉ……ごわいのは嫌なのぉぉぉぉ……わぁぁぁぁ……」

 ガチ泣きである。あの屋敷に寝泊まりしているのだ。それだけ精神が病んでしまっても仕方のないことだとは思っていたが、これほどとは……。
 子供がおもちゃを買って貰えず、道端で急に泣き出したかのような気まずさが周囲に漂い、カガリからはため息が漏れる。
 まさか1発目で泣くとは思わないだろ……。相手はシャーリーと同じくらいの歳とはいえ、一応はゴールドの冒険者だぞ?

「わかった。わかったから。泣くのを止めろ。だが、交換条件だ。自分のしたことを正直に言えば考えてやる」

 少しくらい悩むと思っていた。それは仲間を裏切る事と同義だ。冒険者なら尚更その考え方は強いはず。
 しかし、アニタの中ではそんなことより恐怖の方が上回ってしまったのだろう。

「言う……。何でも言うから……。……おねがい……」

 あっさりと手の平を返すアニタ。俺はそれをなだめながらも、無駄になってしまったアイデアを惜しんでいた。
 古びた井戸の前で、皿を数える使用人に扮したゴーストなんて見どころ満載だったのになぁ……。
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