48 / 637
第48話 失意
しおりを挟む
明朝にはまだ早い時間帯。指定された場所へと辿り着き、身を潜める。
暗き森の中、デスハウンドの揺らめく魂と砦から見える松明の炎だけが辺りを怪しく照らしていた。
ネストが囚われているであろう建物の煙突から煙が上がっているのが見える。
隙あらば魔法書を渡すことなくネストの救出を優先したいところだが、相手もバカじゃないだろう。
ネストの防衛にゴールドの冒険者を3人も雇っている。それだけ用心していると思っていいはずだ。
デスハウンドをあるべき場所へと帰し、身を屈めながらその時をじっと待った。
風が吹き、草木達がざわめく。その音と共に流れてきたのは蹄の音。貴族風の男とその両脇に松明を持った騎士が2人。
ぼんやりと浮かび上がるその顔を忘れるはずがない。間違いなくブラバ卿である。
正直少し驚いた。まさか本人が来るとは思わなかったからだ。前言撤回。やはり相手はバカかもしれない。
「そろそろだな……」
朝日が昇り始める時間。森の中はまだ薄暗いが、意を決して砦の入口へと向かって歩き出す。
入口に盗賊の見張りはいなかった。俺がボコボコにしたからだろう。どこかへ運ばれたか、中に籠っているのか……。
代わりにそこに立っていたのはギースと呼ばれていた冒険者。壁に寄りかかり、腕を組む姿は暇そうである。
俺の到着を確認すると、目の前に立ちふさがり気だるそうに口を開いた。
「約束の物は持って来たか?」
魔法書をチラリと見せる。
「ついて来い」
砦の中は静まり返り、確認できたのはブラバ卿が乗ってきたであろう繋がれた馬達だけ。
案内された建物内ではアニタとタンク役の男がテーブルを囲んでいた。
絡みつく視線は俺を警戒してのことなのだろうが、なんとも不快だ。
その部屋にネストの姿はなく、ギースはそのまま奥の扉を開けた。
「連れてきました」
そこにいたのはブラバ卿と2人の騎士。そして椅子に縛り付けられ、猿ぐつわのされたネスト。
ブラバ卿の目配せに、ギースはそのまま部屋を出て行く。
ネストに外傷は見られず、命に別状はなさそうだ。扱いは貴族のそれではないが、酷いこともされていないと思われる。
俯き加減で曇っていた表情は、俺を見て生気を取り戻し酷く暴れた。
「んぅぅぅ! んんぅぅ!!」
何を言っているのかわからないが、その表情は感謝や安堵ではなく、怒りや驚きと言った方が正しい。
俺を睨みつけ、必死に何かを訴えようとしていた。何故魔法書を持って来たのか、と問いたいのだろう。
答えは簡単。ネストの命の方が大事に決まっているからだ。俺もバイスもセバスもミアも。全員がそう思っているはずである。
しかし、ネストは違うのだろう。自分の命よりも領民の方が大事なのだ。
ダンジョンで魔法書を返した時のネストの涙は嘘じゃない。それだけの意味が込められていた。
「よく来たな。護衛の……。えーっと……」
「九条だ」
「そう九条。君が来てくれて助かったよ。手間が省けた。プレートをしていないようだが、君はプラチナなんだろ? アンカースの護衛なぞ辞めてウチの派閥に入らないか? 報酬はいくらでも用意するぞ?」
その問いに少し悩むそぶりを見せる。
「んぅぅ! んんぅぅぅ!」
「じゃぁ、こうしよう。この魔法書とネストを諦めてくれれば、そっちの派閥に入ってやるが?」
たったそれだけだ。それだけのことでブラバ卿は激高した。
「お前は何様のつもりだ! 条件を決めるのは私であってお前じゃない! 冒険者風情が勘違いするな!!」
肩を激しく上下に揺らし、息も絶え絶えに俺を睨みつける。
そんなに怒らせることを言っただろうか?
ただ気が短いだけなのか沸点がやたらと低いのか……。
貴族と平民の間に絶対的な壁が存在しているのは承知の上だが、ここまで露骨な反応が返ってくるとは思わなかった。
取引という点では対等だと思ったのだが、そもそもそういう問題ではないのだろう。
「……フン……もういい。折角、私自ら誘ってやったのに……」
ブラバ卿は息を整え騎士の1人に合図を送ると、ネストを縛り付けていたロープが解かれた。
無理矢理に立たされ、首元には短剣が突き付けられる。
「アンカースの娘は返してやる。魔法書を寄こせ」
ネストは一生懸命首を左右に振っていた。渡すなと言いたいのだろうが、残念ながらそれは聞けない。
俺は言われた通り魔法書を渡すと、ブラバ卿はネストが暴れるのも気にせずペラペラとページを捲る。
「偽物ではないな」
「当たり前だ。人の命がかかっているのに偽物なぞにすり替えたりはしない」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるブラバ卿は、持っていた魔法書を乱暴に閉じると、あろうことかそれを燃え盛る暖炉の中へと投げ入れたのだ。
それには誰もが驚いた。国宝の魔法書を奪い、自分の手柄にするのだろうと思っていたからだ。
だが、ブラバ卿は一貫していた。アンカース家を没落させることしか頭にないのだろう。
「んぅぅぅぅぅぅぅぅ!! んんんぅぅぅぅぅ!!」
更に激しく暴れ、必死に振りほどこうとするネストだが、押さえている騎士の力には敵わない。
魔法書に這い寄る紅い炎が、舐めるように燃え広がっていく。
何年もかけて探し当てた魔法書。その苦労が、その努力が水泡と帰すのだ。
「離してやれ」
騎士がネストを解放すると、ネストは自分の猿ぐつわのことなど忘れ、激しく燃え盛る暖炉に両腕を突っ込んだ。
炎が腕を焼き、熱さは痛みへと変わる。
魔法書と共に引き抜いた手は焼け爛れていたが、それを気にしてはいなかった。
必至になって消火を試みるネストであったが、無情にもその勢いは止まらない。
ついにはそれを躊躇することなく抱き抱えた。
「ぐぅぅぅぅぅぅッ!!」
激痛でネストの顔が歪むも、その甲斐あってようやく炎を消し止めた。
焦げ臭さが立ち込める中、気付いた時には魔法書の半分が灰と化していたのだ。
その修復作業が困難であることは、誰が見ても明らか。瞳に涙を浮かべるネストは猿ぐつわを外すと、ブラバ卿を睨みつけた。
その表情は今にも殺してしまいそうなほどである。
「このことは陛下に報告します……」
低く恨みを込めた声だ。
「それで脅してるつもりか? 侯爵である私と、お前のような弱小貴族の言うことだ。陛下はどちらを信用するだろうなぁ?」
そんなネストに睨まれても尚見下し、むしろバカにしたように答えるブラバ卿。
魔法書の真贋を確かめるという理由もあったのだろうが、本人が来たのだ。それだけの自信があるのだろう。
「終わったな。行くぞ」
ブラバ卿はボロボロの魔法書を鼻で笑い、騎士を連れて部屋を出た。外にいた冒険者達に声を掛け、聞こえてきたのは馬の嘶き。
そして、人の気配はなくなった。
絶望は怒りへと姿を変える。ネストは語気を荒げるも、その声は震えていた。
「なんで……なんで魔法書を持って来たの!?」
「……ネストさんを救う為……」
「この魔法書にはノーピークスの……、領民の皆の命がかかってるの! 知ってるでしょ!?」
もちろん知っている。知っているが、だからどうだというのだ。俺は正義の味方ではない。
見知らぬ大勢と1人の知人。どちらを助けるかと問われれば、知人を助けるに決まっている。だからネストを選んだ。それだけの事だ。
王や貴族は領民を第1に考えるのだろう。それは素晴らしいことだが、それを俺に求められても困る。
「帰って……」
「いや、大丈夫ですから気を落とさず……」
「何が大丈夫なの!? もう魔法書はない……。もう護衛もいらない……。だから帰って!!」
「……」
やがて怒りは悲しみへと姿を変えた。帰ろうとも思ったが、ネストを1人にはしておけなかった。
絶望に打ちひしがれ、自らの命を絶ってしまう可能性を憂慮したのだ。
ネストはボロボロの魔法書を前に座り込み泣いていた。俺はただそれを見ていることしか出来なかった……。
1時間ほどすると、ネストは魔法書の残骸を手に立ち上がった。
俺には目もくれず、ゆっくりとした足取りで北へと歩み始めたのだ。
その後を追ったが、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
しばらくしてノーピークスに到着すると、門兵から町民に至るまでネストを心配し、駆け寄って来ていた。
ネストはそれに泣きながら謝罪の言葉を述べていたのだ。
その意味を理解できず困惑していた町民達ではあったが、とにかく落ち着かせようと必死に慰めていた。それだけ慕われているのだろう。
ノーピークスには領主の父親が滞在しているはず。ネストの火傷に気づいた人々がギルドへと運び込むのを見て、すでに見守る必要もないだろうと判断し、俺は一路スタッグへとデスハウンドを走らせた。
ネスト邸ではセバスとミア、それとカガリが心配そうに門の前で待っていた。
「おにーちゃん!」
ミアが俺に気づくと、全員が駆け寄ってくる。
「お嬢様は! お嬢様はどうなされたのですか!?」
俺と一緒にネストが帰ってくるはずなのに姿が見えなければ焦りもするだろう。
「ネストさんは助けました。今はノーピークスにいます。詳しいことは中で……」
自分達の部屋へ戻ると、バイスを含めた全員にあったことを全て話した。
「ありがとう……。ありがとうございます九条様……」
「俺からも礼を言うよ。九条」
ひとまずネストの無事が確認できたと安堵し、胸を撫で下ろすバイスとセバス。
「ネストが助かっただけで充分だ。九条は悪くないさ」
「さようでございます。お嬢様が無事なのです。いずれ挽回することも出来ましょう」
ネストの本家はノーピークスにある。
13歳になるとスタッグの魔法学院に入学する為、ネストは王都に住むようになった。
それでも暇を見つけてはノーピークスへと足を運ぶくらいには故郷の街を愛していたのだ。
卒業後、冒険者になったのも全ては魔法書の捜索の為。冒険者でなければ入れない遺跡やダンジョンがあるからだ。
そして自らの手でようやく故郷を救えるかもしれないというところで、このような結果になってしまった。
俺に辛く当たったのも、そういう背景があったからなのだとセバスが教えてくれたのだ。
しかし、もう済んだ事。ネストを助け出すという任務は終わった。
「ミア。荷物をまとめてくれ」
一緒に荷造りを始める。
「何してんだ九条?」
「俺のやることはなくなりました。魔法書もありませんし、ネストさんが狙われることもないでしょう。護衛としての役割は終わりです」
「せめてネストが帰って来るまでいれば……」
「いや、いいんです。俺は嫌われてしまったでしょうから」
精一杯の笑顔を作って見せた。
「そんなことはない。気にしすぎだ九条。魔法書を渡す以外の選択肢はなかった。九条の代わりに俺が行ったとしても、結果は変わらないはずだ」
「ありがとうございます。気持ちだけ受け取っておきます」
「九条様。わたくしども使用人一同、心よりお礼申し上げます。最後になりますが、お帰りの馬車の手配くらいはこちらにお任せください」
「じゃぁ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……」
コット村行きの貸し切り馬車が到着すると、それに乗り込む。
セバスと共に集まって来ていた使用人達は、一斉に頭を下げた。
「ありがとうございました九条様。またお会いできることを切に願っております」
「こちらこそお世話になりました。ネストさんにはよろしくお伝えください」
気にするなと言う方が無理な話だ。気分は乗らないが仕方ない。もう王都で出来る事は何もない。
淡々と挨拶を済ませ皆に見送られながらも、馬車はゆっくりと走り出しネスト邸の門をくぐる。
少しずつ小さくなっていくそれを見ていると、どこか寂しげな気持ちにもなった。
こんな別れ方しか出来ない自分の不器用さを呪いたくもなるが、今はこれでいいのだ。
言う訳にはいかない……。まだ諦めてはいないのだと……。
「お客さん。冒険者護衛パックなしの依頼だったんですけど、冒険者でしたらプレートをお借りしたいのですが……」
「ああ。そうだったな」
ポケットからプレートを取り出し、それを御者に手渡した。
「えぇ!? プラチナですかい? はぇー初めて見たわ……。こりゃたまげた……。この馬車が世界中で一番安全な馬車ですわ」
御者は冗談をいいながらプレートを幌の出っ張りに引っかけると、嬉しそうに手綱を握る。
「おにーちゃん。寝なくても平気?」
ミアに言われて思い出した。そういえば昨日は寝ていなかった。意識してしまうと何故か瞼は重くなる。
「そうだな。少しだけ寝ようかな……」
俺の荷物を枕にしようと思ったのだが、ふとカガリが目に入る。
「ミア。良い枕をもってるじゃないか。俺にも少し貸してくれよ」
「おにーちゃんならいいよ」
屈託のない笑顔で答えるミアはカガリの占有率を下げると、空いたカガリの腹にそっと頭を乗せた。
「よっこらせ……っと」
ふかふかである。カタカタと小刻みに揺れる馬車の振動と相まって心地いい。これなら秒で寝ることができるだろう。
「おや? ……私は許可してないんですが?」
カガリの声は聞こえていた。……いたのだが、口を開くのも億劫で代わりに腹をお腹を優しく撫でた。
「……やれやれ……」
諦めたように呟くカガリの様子は、まんざらでもなさそうであった。
暗き森の中、デスハウンドの揺らめく魂と砦から見える松明の炎だけが辺りを怪しく照らしていた。
ネストが囚われているであろう建物の煙突から煙が上がっているのが見える。
隙あらば魔法書を渡すことなくネストの救出を優先したいところだが、相手もバカじゃないだろう。
ネストの防衛にゴールドの冒険者を3人も雇っている。それだけ用心していると思っていいはずだ。
デスハウンドをあるべき場所へと帰し、身を屈めながらその時をじっと待った。
風が吹き、草木達がざわめく。その音と共に流れてきたのは蹄の音。貴族風の男とその両脇に松明を持った騎士が2人。
ぼんやりと浮かび上がるその顔を忘れるはずがない。間違いなくブラバ卿である。
正直少し驚いた。まさか本人が来るとは思わなかったからだ。前言撤回。やはり相手はバカかもしれない。
「そろそろだな……」
朝日が昇り始める時間。森の中はまだ薄暗いが、意を決して砦の入口へと向かって歩き出す。
入口に盗賊の見張りはいなかった。俺がボコボコにしたからだろう。どこかへ運ばれたか、中に籠っているのか……。
代わりにそこに立っていたのはギースと呼ばれていた冒険者。壁に寄りかかり、腕を組む姿は暇そうである。
俺の到着を確認すると、目の前に立ちふさがり気だるそうに口を開いた。
「約束の物は持って来たか?」
魔法書をチラリと見せる。
「ついて来い」
砦の中は静まり返り、確認できたのはブラバ卿が乗ってきたであろう繋がれた馬達だけ。
案内された建物内ではアニタとタンク役の男がテーブルを囲んでいた。
絡みつく視線は俺を警戒してのことなのだろうが、なんとも不快だ。
その部屋にネストの姿はなく、ギースはそのまま奥の扉を開けた。
「連れてきました」
そこにいたのはブラバ卿と2人の騎士。そして椅子に縛り付けられ、猿ぐつわのされたネスト。
ブラバ卿の目配せに、ギースはそのまま部屋を出て行く。
ネストに外傷は見られず、命に別状はなさそうだ。扱いは貴族のそれではないが、酷いこともされていないと思われる。
俯き加減で曇っていた表情は、俺を見て生気を取り戻し酷く暴れた。
「んぅぅぅ! んんぅぅ!!」
何を言っているのかわからないが、その表情は感謝や安堵ではなく、怒りや驚きと言った方が正しい。
俺を睨みつけ、必死に何かを訴えようとしていた。何故魔法書を持って来たのか、と問いたいのだろう。
答えは簡単。ネストの命の方が大事に決まっているからだ。俺もバイスもセバスもミアも。全員がそう思っているはずである。
しかし、ネストは違うのだろう。自分の命よりも領民の方が大事なのだ。
ダンジョンで魔法書を返した時のネストの涙は嘘じゃない。それだけの意味が込められていた。
「よく来たな。護衛の……。えーっと……」
「九条だ」
「そう九条。君が来てくれて助かったよ。手間が省けた。プレートをしていないようだが、君はプラチナなんだろ? アンカースの護衛なぞ辞めてウチの派閥に入らないか? 報酬はいくらでも用意するぞ?」
その問いに少し悩むそぶりを見せる。
「んぅぅ! んんぅぅぅ!」
「じゃぁ、こうしよう。この魔法書とネストを諦めてくれれば、そっちの派閥に入ってやるが?」
たったそれだけだ。それだけのことでブラバ卿は激高した。
「お前は何様のつもりだ! 条件を決めるのは私であってお前じゃない! 冒険者風情が勘違いするな!!」
肩を激しく上下に揺らし、息も絶え絶えに俺を睨みつける。
そんなに怒らせることを言っただろうか?
ただ気が短いだけなのか沸点がやたらと低いのか……。
貴族と平民の間に絶対的な壁が存在しているのは承知の上だが、ここまで露骨な反応が返ってくるとは思わなかった。
取引という点では対等だと思ったのだが、そもそもそういう問題ではないのだろう。
「……フン……もういい。折角、私自ら誘ってやったのに……」
ブラバ卿は息を整え騎士の1人に合図を送ると、ネストを縛り付けていたロープが解かれた。
無理矢理に立たされ、首元には短剣が突き付けられる。
「アンカースの娘は返してやる。魔法書を寄こせ」
ネストは一生懸命首を左右に振っていた。渡すなと言いたいのだろうが、残念ながらそれは聞けない。
俺は言われた通り魔法書を渡すと、ブラバ卿はネストが暴れるのも気にせずペラペラとページを捲る。
「偽物ではないな」
「当たり前だ。人の命がかかっているのに偽物なぞにすり替えたりはしない」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるブラバ卿は、持っていた魔法書を乱暴に閉じると、あろうことかそれを燃え盛る暖炉の中へと投げ入れたのだ。
それには誰もが驚いた。国宝の魔法書を奪い、自分の手柄にするのだろうと思っていたからだ。
だが、ブラバ卿は一貫していた。アンカース家を没落させることしか頭にないのだろう。
「んぅぅぅぅぅぅぅぅ!! んんんぅぅぅぅぅ!!」
更に激しく暴れ、必死に振りほどこうとするネストだが、押さえている騎士の力には敵わない。
魔法書に這い寄る紅い炎が、舐めるように燃え広がっていく。
何年もかけて探し当てた魔法書。その苦労が、その努力が水泡と帰すのだ。
「離してやれ」
騎士がネストを解放すると、ネストは自分の猿ぐつわのことなど忘れ、激しく燃え盛る暖炉に両腕を突っ込んだ。
炎が腕を焼き、熱さは痛みへと変わる。
魔法書と共に引き抜いた手は焼け爛れていたが、それを気にしてはいなかった。
必至になって消火を試みるネストであったが、無情にもその勢いは止まらない。
ついにはそれを躊躇することなく抱き抱えた。
「ぐぅぅぅぅぅぅッ!!」
激痛でネストの顔が歪むも、その甲斐あってようやく炎を消し止めた。
焦げ臭さが立ち込める中、気付いた時には魔法書の半分が灰と化していたのだ。
その修復作業が困難であることは、誰が見ても明らか。瞳に涙を浮かべるネストは猿ぐつわを外すと、ブラバ卿を睨みつけた。
その表情は今にも殺してしまいそうなほどである。
「このことは陛下に報告します……」
低く恨みを込めた声だ。
「それで脅してるつもりか? 侯爵である私と、お前のような弱小貴族の言うことだ。陛下はどちらを信用するだろうなぁ?」
そんなネストに睨まれても尚見下し、むしろバカにしたように答えるブラバ卿。
魔法書の真贋を確かめるという理由もあったのだろうが、本人が来たのだ。それだけの自信があるのだろう。
「終わったな。行くぞ」
ブラバ卿はボロボロの魔法書を鼻で笑い、騎士を連れて部屋を出た。外にいた冒険者達に声を掛け、聞こえてきたのは馬の嘶き。
そして、人の気配はなくなった。
絶望は怒りへと姿を変える。ネストは語気を荒げるも、その声は震えていた。
「なんで……なんで魔法書を持って来たの!?」
「……ネストさんを救う為……」
「この魔法書にはノーピークスの……、領民の皆の命がかかってるの! 知ってるでしょ!?」
もちろん知っている。知っているが、だからどうだというのだ。俺は正義の味方ではない。
見知らぬ大勢と1人の知人。どちらを助けるかと問われれば、知人を助けるに決まっている。だからネストを選んだ。それだけの事だ。
王や貴族は領民を第1に考えるのだろう。それは素晴らしいことだが、それを俺に求められても困る。
「帰って……」
「いや、大丈夫ですから気を落とさず……」
「何が大丈夫なの!? もう魔法書はない……。もう護衛もいらない……。だから帰って!!」
「……」
やがて怒りは悲しみへと姿を変えた。帰ろうとも思ったが、ネストを1人にはしておけなかった。
絶望に打ちひしがれ、自らの命を絶ってしまう可能性を憂慮したのだ。
ネストはボロボロの魔法書を前に座り込み泣いていた。俺はただそれを見ていることしか出来なかった……。
1時間ほどすると、ネストは魔法書の残骸を手に立ち上がった。
俺には目もくれず、ゆっくりとした足取りで北へと歩み始めたのだ。
その後を追ったが、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。
しばらくしてノーピークスに到着すると、門兵から町民に至るまでネストを心配し、駆け寄って来ていた。
ネストはそれに泣きながら謝罪の言葉を述べていたのだ。
その意味を理解できず困惑していた町民達ではあったが、とにかく落ち着かせようと必死に慰めていた。それだけ慕われているのだろう。
ノーピークスには領主の父親が滞在しているはず。ネストの火傷に気づいた人々がギルドへと運び込むのを見て、すでに見守る必要もないだろうと判断し、俺は一路スタッグへとデスハウンドを走らせた。
ネスト邸ではセバスとミア、それとカガリが心配そうに門の前で待っていた。
「おにーちゃん!」
ミアが俺に気づくと、全員が駆け寄ってくる。
「お嬢様は! お嬢様はどうなされたのですか!?」
俺と一緒にネストが帰ってくるはずなのに姿が見えなければ焦りもするだろう。
「ネストさんは助けました。今はノーピークスにいます。詳しいことは中で……」
自分達の部屋へ戻ると、バイスを含めた全員にあったことを全て話した。
「ありがとう……。ありがとうございます九条様……」
「俺からも礼を言うよ。九条」
ひとまずネストの無事が確認できたと安堵し、胸を撫で下ろすバイスとセバス。
「ネストが助かっただけで充分だ。九条は悪くないさ」
「さようでございます。お嬢様が無事なのです。いずれ挽回することも出来ましょう」
ネストの本家はノーピークスにある。
13歳になるとスタッグの魔法学院に入学する為、ネストは王都に住むようになった。
それでも暇を見つけてはノーピークスへと足を運ぶくらいには故郷の街を愛していたのだ。
卒業後、冒険者になったのも全ては魔法書の捜索の為。冒険者でなければ入れない遺跡やダンジョンがあるからだ。
そして自らの手でようやく故郷を救えるかもしれないというところで、このような結果になってしまった。
俺に辛く当たったのも、そういう背景があったからなのだとセバスが教えてくれたのだ。
しかし、もう済んだ事。ネストを助け出すという任務は終わった。
「ミア。荷物をまとめてくれ」
一緒に荷造りを始める。
「何してんだ九条?」
「俺のやることはなくなりました。魔法書もありませんし、ネストさんが狙われることもないでしょう。護衛としての役割は終わりです」
「せめてネストが帰って来るまでいれば……」
「いや、いいんです。俺は嫌われてしまったでしょうから」
精一杯の笑顔を作って見せた。
「そんなことはない。気にしすぎだ九条。魔法書を渡す以外の選択肢はなかった。九条の代わりに俺が行ったとしても、結果は変わらないはずだ」
「ありがとうございます。気持ちだけ受け取っておきます」
「九条様。わたくしども使用人一同、心よりお礼申し上げます。最後になりますが、お帰りの馬車の手配くらいはこちらにお任せください」
「じゃぁ、お言葉に甘えさせてもらおうかな……」
コット村行きの貸し切り馬車が到着すると、それに乗り込む。
セバスと共に集まって来ていた使用人達は、一斉に頭を下げた。
「ありがとうございました九条様。またお会いできることを切に願っております」
「こちらこそお世話になりました。ネストさんにはよろしくお伝えください」
気にするなと言う方が無理な話だ。気分は乗らないが仕方ない。もう王都で出来る事は何もない。
淡々と挨拶を済ませ皆に見送られながらも、馬車はゆっくりと走り出しネスト邸の門をくぐる。
少しずつ小さくなっていくそれを見ていると、どこか寂しげな気持ちにもなった。
こんな別れ方しか出来ない自分の不器用さを呪いたくもなるが、今はこれでいいのだ。
言う訳にはいかない……。まだ諦めてはいないのだと……。
「お客さん。冒険者護衛パックなしの依頼だったんですけど、冒険者でしたらプレートをお借りしたいのですが……」
「ああ。そうだったな」
ポケットからプレートを取り出し、それを御者に手渡した。
「えぇ!? プラチナですかい? はぇー初めて見たわ……。こりゃたまげた……。この馬車が世界中で一番安全な馬車ですわ」
御者は冗談をいいながらプレートを幌の出っ張りに引っかけると、嬉しそうに手綱を握る。
「おにーちゃん。寝なくても平気?」
ミアに言われて思い出した。そういえば昨日は寝ていなかった。意識してしまうと何故か瞼は重くなる。
「そうだな。少しだけ寝ようかな……」
俺の荷物を枕にしようと思ったのだが、ふとカガリが目に入る。
「ミア。良い枕をもってるじゃないか。俺にも少し貸してくれよ」
「おにーちゃんならいいよ」
屈託のない笑顔で答えるミアはカガリの占有率を下げると、空いたカガリの腹にそっと頭を乗せた。
「よっこらせ……っと」
ふかふかである。カタカタと小刻みに揺れる馬車の振動と相まって心地いい。これなら秒で寝ることができるだろう。
「おや? ……私は許可してないんですが?」
カガリの声は聞こえていた。……いたのだが、口を開くのも億劫で代わりに腹をお腹を優しく撫でた。
「……やれやれ……」
諦めたように呟くカガリの様子は、まんざらでもなさそうであった。
11
お気に入りに追加
383
あなたにおすすめの小説
異世界で等価交換~文明の力で冒険者として生き抜く
りおまる
ファンタジー
交通事故で命を落とし、愛犬ルナと共に異世界に転生したタケル。神から授かった『等価交換』スキルで、現代のアイテムを異世界で取引し、商売人として成功を目指す。商業ギルドとの取引や店舗経営、そして冒険者としての活動を通じて仲間を増やしながら、タケルは異世界での新たな人生を切り開いていく。商売と冒険、二つの顔を持つ異世界ライフを描く、笑いあり、感動ありの成長ファンタジー!

元公務員が異世界転生して辺境の勇者になったけど魔獣が13倍出現するブラック地区だから共生を目指すことにした
まどぎわ
ファンタジー
激務で倒れ、そのまま死んだ役所職員。
生まれ変わった世界は、魔獣に怯える国民を守るために勇者が活躍するファンタジーの世界だった。
前世の記憶を有したままチート状態で勇者になったが、担当する街は魔獣の出現が他よりも遥かに多いブラック地区。これは出現する魔獣が悪いのか、通報してくる街の住人が悪いのか……穏やかに寿命を真っ当するため、仕事はそんなに頑張らない。勇者は今日も、魔獣と、市民と、共生を目指す。

ようこそ異世界へ!うっかりから始まる異世界転生物語
Eunoi
ファンタジー
本来12人が異世界転生だったはずが、神様のうっかりで異世界転生に巻き込まれた主人公。
チート能力をもらえるかと思いきや、予定外だったため、チート能力なし。
その代わりに公爵家子息として異世界転生するも、まさかの没落→島流し。
さぁ、どん底から這い上がろうか
そして、少年は流刑地より、王政が当たり前の国家の中で、民主主義国家を樹立することとなる。
少年は英雄への道を歩き始めるのだった。
※第4章に入る前に、各話の改定作業に入りますので、ご了承ください。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
最強の職業は解体屋です! ゴミだと思っていたエクストラスキル『解体』が実は超有能でした
服田 晃和
ファンタジー
旧題:最強の職業は『解体屋』です!〜ゴミスキルだと思ってたエクストラスキル『解体』が実は最強のスキルでした〜
大学を卒業後建築会社に就職した普通の男。しかし待っていたのは設計や現場監督なんてカッコいい職業ではなく「解体作業」だった。来る日も来る日も使わなくなった廃ビルや、人が居なくなった廃屋を解体する日々。そんなある日いつものように廃屋を解体していた男は、大量のゴミに押しつぶされてしまい突然の死を迎える。
目が覚めるとそこには自称神様の金髪美少女が立っていた。その神様からは自分の世界に戻り輪廻転生を繰り返すか、できれば剣と魔法の世界に転生して欲しいとお願いされた俺。だったら、せめてサービスしてくれないとな。それと『魔法』は絶対に使えるようにしてくれよ!なんたってファンタジーの世界なんだから!
そうして俺が転生した世界は『職業』が全ての世界。それなのに俺の職業はよく分からない『解体屋』だって?貴族の子に生まれたのに、『魔導士』じゃなきゃ追放らしい。優秀な兄は勿論『魔導士』だってさ。
まぁでもそんな俺にだって、魔法が使えるんだ!えっ?神様の不手際で魔法が使えない?嘘だろ?家族に見放され悲しい人生が待っていると思った矢先。まさかの魔法も剣も極められる最強のチート職業でした!!
魔法を使えると思って転生したのに魔法を使う為にはモンスター討伐が必須!まずはスライムから行ってみよう!そんな男の楽しい冒険ファンタジー!


『転生したら「村」だった件 〜最強の移動要塞で世界を救います〜』
ソコニ
ファンタジー
29歳の過労死サラリーマン・御影要が目覚めたのは、なんと「村」として転生した姿だった。
誰もいない村の守護者となった要は、偶然迷い込んできた少年リオを最初の住民として迎え入れ、徐々に「村」としての力を開花させていく。【村レベル:1】【住民数:0】【スキル:基本生活機能】から始まった異世界生活。

加護とスキルでチートな異世界生活
どど
ファンタジー
高校1年生の新崎 玲緒(にいざき れお)が学校からの帰宅中にトラックに跳ねられる!?
目を覚ますと真っ白い世界にいた!
そこにやってきた神様に転生か消滅するかの2択に迫られ転生する!
そんな玲緒のチートな異世界生活が始まる
初めての作品なので誤字脱字、ストーリーぐだぐだが多々あると思いますが気に入って頂けると幸いです
ノベルバ様にも公開しております。
※キャラの名前や街の名前は基本的に私が思いついたやつなので特に意味はありません
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる