6 / 11
第5話 父を止めるのは難しい(サラ視点)
しおりを挟む「おはようございます、お嬢さま。ご気分はいかがでしょうか?」
忠実な侍女アンの穏やかで優しい声に起こされるのは毎日のことです。私の朝はいつもこうして始まります。
伸びをしながら身体を起こすと、いつもとは違うアンの心配顔が私を凝視しています。
「あぁ、お可哀想に……目が腫れてますね。
すぐ冷やす物をご用意いたします。しばしお待ちを」
私の状態など想定内だったのでしょう。
すぐに冷たいおしぼりを目の上に当てられました。背中には柔らかいクッションがいくつも積み上げられます。本当に至れり尽くせりです。ありがたいことです。
昨夜気が済むまで泣いたせいでしょうか。
私自身は意外とスッキリした気分ですが、ただ泣きじゃくる私に付き添っていたアンはそうではないですよね。私を心配している気配があります。
それでもなにも訊いてこないアンは、侍女の鑑ですね。昨夜もですが、黙って、ただ私に寄り添ってくれる……ありがたいものです。優しさが心に染みます。
思えばアンは私の乳母ハンナの娘で、彼女が仕事を辞めたのと入れ替わるように私付きの侍女になってくれました。
私は勝手に自分のお姉さんのように思っているけど、アンは私のことを娘のように心配してくれています。
ハンナといいアンといい、愛情深い親子です。私は二人が大好きなのです。
「アン。朝のしたくを――」
しばらく目元を冷やした後、タオルをアンに渡そうと彼女の顔を見た私は絶句しました。
え
なに? どうしたの?
アンの背中におどろおどろした暗黒星雲の幻が見えるわ……。
顔も夜叉のお面着けてる? ってくらい怖いのだけど!
「アン? 怒ってる、の?」
そう問えば、ぱっといつもの穏やかな笑みに変わるアン。
背後はいつもの私の部屋の壁紙が見える……。
凄い瞬間芸を持ってるのねアン。知らなかったわ。
「さ。お召し替えいたしましょう? 旦那さまが食堂でお待ちでいらっしゃいますよ?」
私の着替えを素早く行い、髪もいつもどおり可愛く仕上げてくれるアン。
今日はハーフアップね。
でもね、鏡越しの風景がいつもと違う気がするの。たしかにアンは笑顔なのだけど、纏う雰囲気が殺伐としてるの 。
……端的に言って怖いわ、アン。
どうしたの? って逆に私が訊きたいくらいだけど、これはたぶん、きっと、私のことを案じ過ぎてるがゆえの怒り……だと推測します。
思い起こせば、アンは私と一緒に王子殿下のお部屋にお邪魔しています。一部始終をその目に焼き付けているのです。
あら!
それなら、私が殿下にしてしまった失態を、アンなら分かるかも知れないわね。第三者の目から見た冷静な判断が聞けるわ。
「ねぇ、アン。私、昨日はどんな失敗をしてしまったのかしら。あなた分かる?」
アンったら、目が点になってる……いえ、目が落ちるんじゃない? って心配になるほど目の玉ひん剥いてるわぁ……。
ホント、今日はどうしたの?
そんなに顔芸ができるなんて知らなかったわよ。
「お嬢さまが? 失敗? なんの話ですか?」
アンの声が震えています。寒いのかしら?
「昨日の王宮で、私、なにか失敗したらしいの。だから殿下がお怒りになって……。
でもなにをしたのか解からなくて……
解らなくては、反省も謝罪もできないでしょう?
あなた、なにか思い当たることないかしら?」
アン。本当はあなたって表情豊かだったのね。
いつもは、穏やかで優しい笑顔の上品なお姉さまって風情なのに。
今のアンは……視線が凄い勢いで上を向いたり下を向いたり横を見たりで、すっごく困ってる? 悩んでる? 焦ってる?
それらが全部合わさった複雑怪奇な表情をしててよ?
……私の質問って、そんなに困ることだったのね……。
「お嬢さまには、なんの落ち度もありませんでした。ですが、一つだけ、もしかしたらと思い当たることが」
「! なに?! 教えて!」
さすがアン! 頼りになります!
「昨日の殿下との会話の中で、姫殿下のことが話題に登りました。
その中でお嬢さまは三回ほど、姫殿下にお会いしたい、と申し上げていました。
その後で、なんとな~く殿下の態度がよそよそしくなったような……気がします。
殿下は妹姫さまを大切になさっていると伺っていますから、まだ初対面のお嬢さまとは会わせたくないのかしら、と……」
まあ、なんてことでしょう!
私、姫さまに会いたいって三回も強請っていたの? 記憶に無いわ。
でもたしかに図々しかったわね。反省しなくては。
解決の糸口を掴めたと思ったとき、ノックと同時に私の部屋のドアが開きました。
「サラ。体調が悪いのかい?」
入ってきたのはお父さまです。
お父さまはお名前をクールベアトといいます。クールベアト・フォン・ベッケンバウワー公爵閣下。三十七歳のイケオジ外務大臣です。
艶のある黒髪とアイスブルーの瞳。
じつはお父さまのお母さま(私から見て父方の祖母ですね)、その方が現在の国王陛下の伯母さまにあたるのだとか。
王家の姫君が公爵家に降嫁され、お父さまは生まれました。
陛下とお父様は従兄弟同士となりますね。
昔は兄弟同然に育った、なんてお話もうかがったことがあります。陛下やお父さまの少年時代……きっとおふたかたとも可愛らしかったことでしょう!
……って、お父さまってば怖いお顔。
「サラ……。こんなに、目を腫らして……」
そう言いながら私の頬を優しく撫でてくれますが、起きてから目を冷やしていたので腫れはだいぶ収まっていますよ?
「昨夜は酷く泣いていたと聞いた。……そんなに、王子との婚約話は嫌だったのか?」
「はい?」
「解った。すぐに解消してくる。お父さまに任せなさい」
「え? お、おとうさまっ?! なにを」
「大丈夫だ、すぐに憂いは晴らしてあげるから――――」
お父さまってば、話しながら部屋から飛び出して行ったから、最後の方はなんて言ってらしたのか聞き取れませんでしたよ?
ドップラー効果かしら。
なんでしょう、あれ。
疾風怒濤? 電光石火? 暴走モード突入?!
とにかく、凄い勢いだったけれど。
「私、嫌だなんて言ったかしら?」
「お嬢さま。さきほど旦那さまの『嫌だったか?』という問いに『はい』とおっしゃっていましたよ」
はあ?!
「あれは了承の『はい』じゃないわ! 聞き返しただけの『はい?』なのよっ! 語尾が疑問形じゃなかった?」
「旦那さまとしましては『言質を取った状態』……とでも言いましょうか。
なんとかして婚約解消しようと画策してらしたので」
婚約解消ですって?!
「たいへんっ! ぼんやりしてる場合じゃないわ! すぐにお父さまを止めないと!」
慌ててお父さまを追いましたが、出遅れました。執務室へ行ったのかと思ったら、馬に乗って王宮に向かったって!
国王陛下と婚約解消の直談判をするつもりなんだわ!
せめて馬車の用意を待ってくれていたら追いつけたのにっ!
「私もお父さまを追います! 馬車の用意をお願いっ」
執事に――お父さま専属の執事だから、私の命に従う義務はないのだけど――お願いすると、すぐに手配してくれました。
ありがとう、助かるわ。
彼、執事だけどセバスチャンじゃないのよ。
執事は全員もれなくセバスチャンなのかと思ってたわ、まだ子どものころに。
「アン! 着替えるわ、手伝って」
外出予定ではなかったから、部屋着のワンピースのままだったのですが。
「こんなときに無理なお願いで悪いのだけど、最速で私を可愛らしくしてくれる?」
「……なぜ、とおうかがいしても?」
アンの質問の答えって、とっても恥ずかしいことだから言いたくないけど、言わなきゃダメよね。我儘言ってる自覚あるし。
「王宮に行くなら、もしかしたら、殿下にお会いするかも……だし。
できればこんな普段着じゃなくて……その、可愛らしい私でお会いしたい、から……」
なんでしょう。恥ずかしいわっ恥ずかし過ぎる理由だわっ。
お父さまの暴走を止めるためにできるだけ早く追いかけなければならないのにっ。
家と家の決定事項である婚約――私たちの場合は王家との婚約です。
それをホイホイと簡単に解消できるとは思えませんが、お父さまのあの謎の迫力で勝ち取ってしまうかもしれません。そんなことになったら……。
「解消なんて、嫌よ」
「お嬢さま……じつは、私、昨夜お嬢さまが泣いてらしたので、この婚約をお嬢さまが嫌がっているのだとばかり、思っておりました」
「え゛?」
「ですが、違ったのですね……」
にっこりと微笑むアン。
私はどうしてか顔に熱が集まるのを自覚して、いたたまれない気持ちで彼女に髪を梳かされていました。
20
お気に入りに追加
467
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
拝啓、大切なあなたへ
茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。
差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。
そこには、衝撃的な事実が書かれていて───
手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。
これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。
※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ほら、誰もシナリオ通りに動かないから
蔵崎とら
恋愛
乙女ゲームの世界にモブとして転生したのでゲームの登場人物を観察していたらいつの間にか巻き込まれていた。
ただヒロインも悪役も攻略対象キャラクターさえも、皆シナリオを無視するから全てが斜め上へと向かっていってる気がするようなしないような……。
※ちょっぴり百合要素があります※
他サイトからの転載です。
拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。
石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。
助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。
バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。
もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】悪役令嬢の妹ですが幸せは来るのでしょうか?
まるねこ
恋愛
第二王子と結婚予定だった姉がどうやら婚約破棄された。姉の代わりに侯爵家を継ぐため勉強してきたトレニア。姉は良い縁談が望めないとトレニアの婚約者を強請った。婚約者も姉を想っていた…の?
なろう小説、カクヨムにも投稿中。
Copyright©︎2021-まるねこ
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
私は悪役令嬢になる前に躓き、失敗ヒロインと出会った。王子様はどうなったの?
あとさん♪
恋愛
悪役令嬢になる運命を回避しようとして、父親に不信感をもたれ、物語が始まるまえに修道院に入れさせられたローズ・ガーネット。(前世の記憶持ち)
悪役令嬢になるコースを外れたから、いいのかしら? いろいろあって実家から逃げ修道院を転々と変えたら、そこにヒロインがやってきた。
あれれー? おかしいぞぉ? あの物語って漫画じゃなかった? 分岐のあるオトメゲームじゃなかったよね? ヒロインは自らコースを外れたの? それとも失敗したの? 何があったのか話しを聞きたいので、まずは私がどうしてこうなったのか、詳しく話しますね。
※閑話込みで全26話。
※現実世界に似たような状況がありますが、拙作の中では忠実な再現はしていません。なんちゃって異世界だとご了承ください。
※拙作は小説家になろうにも掲載しております。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
もしかして俺は今、生きるか死ぬかの岐路に立っているのではなかろうか
あとさん♪
恋愛
あぁぁ。落ち着け俺。たった今、前世の記憶を取り戻した途端、切羽詰まった状態なのを自覚した。
これってまるで乙女ゲーム?
そのクライマックス!
悪役令嬢断罪シーン?!
待て待て。
この後ざまぁwwwwされるのって、もしかしてもしかすると
俺なんじゃねぇの?
さぁ!彼が選び取るのは?
Dead or Alive !
※ちょいちょい女性に対する不適切な発言があります。
※お心の広い人向き
※オタクを許して
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
嫌われ王妃の一生 ~ 将来の王を導こうとしたが、王太子優秀すぎません? 〜
悠月 星花
恋愛
嫌われ王妃の一生 ~ 後妻として王妃になりましたが、王太子を亡き者にして処刑になるのはごめんです。将来の王を導こうと決心しましたが、王太子優秀すぎませんか? 〜
嫁いだ先の小国の王妃となった私リリアーナ。
陛下と夫を呼ぶが、私には見向きもせず、「処刑せよ」と無慈悲な王の声。
無視をされ続けた心は、逆らう気力もなく項垂れ、首が飛んでいく。
夢を見ていたのか、自身の部屋で姉に起こされ目を覚ます。
怖い夢をみたと姉に甘えてはいたが、現実には先の小国へ嫁ぐことは決まっており……
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました
みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。
ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。
だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい……
そんなお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる