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本編

26.フィーニスにはフィーニスの流儀がある

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「この話は聞いていない」

旦那さまが憮然とした表情で仰るのですが、今日、昼間、あの山の上の花畑でお話したと思うのですが……?

「話しましたよ、ね?」

「男子学生のマドンナだったなんて、聞いていない」

「へ?」

あ、そっちですか?
私としては余り気に留めていなかったので、記憶にも残っていなくて、だからこそ話題に出来なかった訳で……よっぽど上級生のお姉さま方に囲まれた事の方が記憶に鮮明で、私の行動基準になっていたのでとてもよく覚えていたのですが……。

『無駄な悋気で嫁を困らせるな』

本当に楽しそうな表情で旦那さまの眉間を突く精霊王さま。だからと言って、旦那さまの眉間に刻まれた皺が解かれる事はないようで。ううむ、どうしましょう。どうしたら旦那さまのご機嫌は直るのでしょう?

「旦那様」

いつもより畏まった態度でピアが話しかけます。……あら? ピアの後ろに使用人一同が整列しています。まるで、使用人たちが意見を持って、その代表としてピアが来たみたい、ですよ? ……労働者組合でも作ったのかしら。

「不埒な輩の情報は直ぐに夫に知らせます。夫経由で性根を叩き直す事も可能でしょう」

ピアの夫って、誰でしたっけ……確か、辺境警備隊、第一部隊隊長ヤン・エトホーフトさま、でしたよね? 辺境警備隊の中でも第一部隊は精鋭部隊だったと記憶してます。

「……標的の顔が判らないのでは?」

旦那さまが憮然とした表情のまま、ピアと対峙しています。

「いえいえ。奥様と同じ魔法学校出身者だというのなら、履歴書で一発ですよ」

にんまりと笑うピア。ピアもそうやって笑うとなんだか悪人っぽいですよねぇ……。

「奥様。ご卒業なさったのは王都の『王立アレティ魔法学校』、で間違いありませんよね?」

はい。間違いないので頷きます。ピアと、彼女の後ろに控えて並んでいた使用人一同が、それはもう、悪い笑顔で頷いています。……なんというか、何かやる気に満ち満ちているようです。

「この件、お前たちと第一部隊に一任する。フィーニスにはフィーニスの流儀がある事を教え込んでやれ」

「「「「「「はっ」」」」」」

旦那さまのお返事に、その場にいた使用人一同、揃って畏まり良いお返事をしました。
……おぉ、感動しました。私、ここに来てから初めて正しい「主人と使用人」の図を見ましたよ!
いえ、使用人の皆さんは礼儀正しいデスよ? ただ単に旦那さまに対する態度が、むにゃむにゃ……。

そう言えば、昔、お祖母さまからフィーニスの掟を伺いました。
力こそ全て。
能力の有る者は優遇される。
それがフィーニスなのだと。
フィーニスの掟に基づいて、彼らがやる気になったのなら、私に止め立てする権利はありません。

「よーし。ここ3年間に新規加入の王都から来た奴らを虱潰しに扱けばいいんだな!」
「ま、有態に言えば、そういうこった!」

……嬉しそうに言うのは、庭師の方々、だったはずです。……元々、庭師だった訳ではなさそうですねぇ。

「私はここを離れられないのが悔しい気もする」
「ピアは奥様の専属だからな」
「不埒な輩なんて、潜入していないかもしれないんだぞ?」
「まぁ、情報としては真偽半々だな」
「だからこそ、居たら楽しみだなぁ~」
「音を上げるまでシゴける~」
「コネで務まるほど、ここは甘くないんだって、教え込まなければならないからなぁ」
「案外、もう悲鳴を上げて都に逃げ帰ってるかもわかりませんよ?」
「ちげーねぇー!」

弾ける笑い。皆さん、とても……とっっても楽しそうです。
私としては、申し訳ないような、娯楽を提供したのかも? ならいいのかしら? という複雑な気分です。




『して、アリス。そなたに声をかけたという男子学生とやらを思い出せ』

使用人の皆さんを眺めていたら、精霊王さまの温かい手が私の額に伸びてきました。
脳内では魔法学校時代の思い出がまざまざと浮かびます。

『アリス、そなた……』

精霊王さまがくつくつと笑い始めました。

『男子学生、とやらの胸元より上は見ないのだな。興味がないとそうなるのか』

……そうだったかしら? だって忙しい時に声を掛けられても対応しきれないもの。

「フレイ?」

『そなたも観るか?』

精霊王さまが、旦那さまの額にも手を翳しています。

「あぁ、なるほど……」

どうやら、精霊王さまは、人の記憶を読み取ると共に、その記憶を他者に観せる事も可能なようです。なんというか、便利ですねぇ。話をするより、映像として観せる方が一瞬で済みますものねぇ。

「アリスは耳がいい。一度その声を覚えると、次に声をかけられた時、顔まで見ないで無難な返事をしている……だが、これでは目線を合わせない気弱な女性だと受け取られて、余計に声をかけられる悪循環になっていたのかもしれない」

『アリス本人の意識では余り気にしていないのが幸いだな……ふむ、常に数人の女生徒と行動を共にしていたのか。若い娘はよくやるな。小魚の生存本能だとウンディーネが言うておったが』

「あぁ……弱者が単独行動をとれば狩られる確率が上がるからな。自明の理だ」

……先程から旦那さまと精霊王さまは、私の記憶を見て話をしているのですよね? 小魚の生存本能? もしや学園は狩場だったのかしら?
女子学生が数人で行動するなんて、普通の事だと思っていましたが、旦那さまクラスの武人になると、狩られない為の作戦行動のように理解されるという事でしょうか。これが男女の違いなのかしら。それともフィーニスの流儀とは、これ? 常に生き残る事が至上命題の辺境の地の運命さだめ? なかなか興味深いですね!


「では、父上、母上。そしてセドリック義兄上。我々はこの辺で失礼いたします」

旦那さまがお義父さまたちにそう挨拶したと思ったら、私を左腕一本でひょいっと抱えて(昼間、ピクニックに行った時の片手抱っこですね)、すたすたと大広間を後にしてしまいました。んん?

「アリス!」

後ろからセディ兄さまのお声がしたので振り返れば、旦那さまも足を止めてくれました。

「お前がここで皆に大切にされているようで、安心したよ」

私とよく似た色彩を持つ次兄が、晴れ晴れとした良い笑顔でそこに立っていました。言葉の通り、心配していたけど憂いが去った、という事かしら。

「大切に、します。絶対」

私が返事をする前に、旦那さまが答えてしまいました。その時、私を抱き上げる手にぎゅっと、ちょっとだけ強く力を込められたのを感じました。……なんだか、“誰にも渡さない”という意思が込められていたような……

「両親に成り代わり、お願い申し上げます。大切な妹です。幾久しく」

次兄はそう言うと、ゆっくりと頭を下げました。顔を上げた時、しみじみとした笑顔で私を見て言ってくれました。

「婚姻式に間に合わなくて、本当に済まなかった。だが、家族みんな、お前の幸せを願っている」

……なんだか、何かがジィィンと胸に押し迫ってきました。

「兄さま、来てくれてありがとう。また明日ね! お休みなさい」

私、この時は笑顔で次兄と普段通りの挨拶をして別れました。忙しい次兄は翌日早々に王都に向けて出立する予定だった、なんて知らなかったので。
そしてそれを知るのは三日後。
旦那さまによって昼夜もよくわからない生活に突入してしまった私には、天蓋のカーテンの外の事は、まったくもって知らされない蜜月、というものが待っていたのでした。



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