上 下
6 / 32
本編

6.逃避

しおりを挟む
※イザーク視点、続きます



 冷え切った空気の中、濃い瘴気が立ち込める森の奥深くを走り抜ける。
己が身に身体強化魔法をかけ、崖の岩肌を使い高く跳躍する。
目指すは空を飛ぶ魔物ワイバーン。
火の精霊の加護を与えた愛刀を振るい、魔物ワイバーンを一閃の元、屠る。
倒した魔物の死体は、その場で解体。即座にマジックバックにしまう。これに時間をかけると、死体の血の匂いが他の魔物を呼び寄せてしまう。

 ――血の匂い。
脳裏にすぐさま蘇るのは、シーツに赤い血が広がっている光景。
その赤い血の上に横たわった自分の嫁。
白い顔。
血塗れの下半身。
こんなに出血したら人は死ぬ。そうとしか思えない衝撃的な図だった。

 血など見飽きていると思っていた。
魔物と戦い無傷でいられる人間は稀だ。
未熟な人間は奴らの圧倒的な力の前に平伏ひれふす。鍛えていても、何かの間違いで怪我を負う場合もある。前辺境伯、俺の父親がそれだ。魔物との戦闘で片腕と片足を失った。そんな人間はゴロゴロいる。弱い人間、油断した人間、運の悪い人間、どんどん淘汰されていく。
そんな日常で、人の血を見るなんて、なんとも思っていなかったのに。

――彼女は、アリスだけは違った。シーツに広がっていく赤い血の上に横たわった彼女を見た瞬間、心が抉れたと思った。俺は治癒魔法を使えない。今の俺は役立たずだ。どうすれば、いい?  どうしたら、いい?
脳裏を過ったのは、信頼の置ける、治癒魔法の使い手――、





『イザーク?  そなた、いつまで魔の森ここにいるつもりだ?』

鬱々とした俺に話しかけたのは、燃えるような赤い髪をした精霊。我がフィーニス家代々の当主と契約し、加護を与えてくれる火の精霊だ。契約を交わした人間の姿かたちに近い形態をとる為、今は俺によく似ている。


『“フィーニスの当主は魔の森に住む”と人の子に揶揄されているらしいが』

誰のせいだ。誰の。

『大掛かりな討伐の後始末は先月済んだであろう? 単独で深部に乗り込むとは……嫁が来たと聞いたのは2週間も前だったが……そなた、嫁を放置したままここで燻っていて、よいのか?』

己によく似た男の顔をした精霊がにやにやと訊いてくる。業腹だ。

「フレイには関係ない」

合わせる顔が無いなんて、例えフレイにでも言えない。 
父上が当主だった時には『フレイヤ』と呼んでいたらしいが、俺はその名を引き継がなかった。

『そうかぁ?  ……しかし、そなたの嫁御は小さいのぉ。そなたの肩までもない。あんなに小さくてそなたの子を産めるのか?』
「……フレイには関係ない」

火の精霊であるフレイは、火がある状況の場を見聞きする事が可能だ。恐らく、今、アリスは火の前にいるのだろう。火を通してアリスを視ているのだ。部屋のランプの灯か、暖炉にくべられた火なのか、それはフレイに聞かねば判らんが。

『そうか?  寂しそうに火を見ているぞ?  ……あぁ、そなたの母が一緒にいるな。そなたの父も……うむ、二人とも元気そうだな』

 父母と同席しているのなら、本家邸宅のサロンだろうか。盗み見をしているようで悪趣味だとは思うが、アリスの様子を教えてくれるのは有り難かった。特に、起きて笑っていると聞いた時の安堵感は……。

……寂しそう、か。俺がいなくて寂しい……というわけではないだろう。物に溢れる賑やかな王都から、何もないこの辺境の地に来たのだ。寂しさにも慣れて貰わなければ。

『そなたの父が自分の嫁だと言ってそなたの母を我に紹介してくれた日が懐かしいのぅ。すぐにパルフェのはらにそなたは宿った。……そなた、嫁を我に紹介してはくれないのか?  薄情な奴だ。奥手だし、前任者とえらい違いだ』

煩い。余計なお世話だ。

夫人パルフェが“女の子がいると華やかになって良い”と上機嫌だ。ふむ。家族団欒の場、というわけだな。笑い合っておる』

え?

「5人?  アリスと、父上と母上の他に?」
『そなたの2人の弟もおるぞ。家族なのだろう?  当然ではないか』

聞いた瞬間、本家邸宅へ向け地を蹴って駆け出していた。あいつら!  俺は近づくなと命じたはずなのに!

『お?  戻るのか?  そなたの足でも2日はかかるだろうに、走るつもりか?』

答えている暇はない。

『即刻戻りたいのなら、我の手を取ればよかろう。そなた、何年我と契約している?  我を有効活用しても怒らぬぞ?』

火の精霊の持つ特殊能力の一つ。火の有る場所へ瞬間移動が出来る。
だが、あれを使うと煤だらけになるから母上に怒られる事必至だ。
しかし、背に腹は代えられぬ。今は時間が惜しい。

「フレイ!」
手を伸ばせば

『承知』
俺と同じ顔がにやりと笑った。












◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
この回、題名を悩みました。
逐電、出奔、逃走、逃避、家出
日本語は難しいね!(生まれた時から日本人ですがww)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

不妊を理由に離縁されて、うっかり妊娠して幸せになる話

七辻ゆゆ
恋愛
「妊娠できない」ではなく「妊娠しづらい」と診断されたのですが、王太子である夫にとってその違いは意味がなかったようです。 離縁されてのんびりしたり、お菓子づくりに協力したりしていたのですが、年下の彼とどうしてこんなことに!?

婚約者が知らない女性とキスしてた~従順な婚約者はもう辞めます!~

ともどーも
恋愛
 愛する人は、私ではない女性を抱きしめ、淫らな口づけをしていた……。  私はエスメローラ・マルマーダ(18)  マルマーダ伯爵家の娘だ。  オルトハット王国の貴族学院に通っている。  愛する婚約者・ブラント・エヴァンス公爵令息とは七歳の時に出会い、私は一目で恋に落ちた。  大好きだった……。  ブラントは成績優秀、文武両道、眉目秀麗とみんなの人気者で、たくさんの女の子と噂が絶えなかった。 『あなたを一番に愛しています』  その誓いを信じていたのに……。  もう……信じられない。  だから、もう辞めます!! 全34話です。 執筆は完了しているので、手直しが済み次第順次投稿していきます。 設定はゆるいです💦 楽しんで頂ければ幸いです!

【完結】私の婚約者(王太子)が浮気をしているようです。

百合蝶
恋愛
「何てことなの」王太子妃教育の合間も休憩中王宮の庭を散策していたら‥、婚約者であるアルフレッド様(王太子)が金の髪をふわふわとさせた可愛らしい小動物系の女性と腕を組み親しげに寄り添っていた。 「あちゃ~」と後ろから護衛のイサンが声を漏らした。 私は見ていられなかった。 悲しくてーーー悲しくて涙が止まりませんでした。 私、このまなアルフレッド様の奥様にはなれませんわ、なれても愛がありません。側室をもたれるのも嫌でございます。 ならばーーー 私、全力でアルフレッド様の恋叶えて見せますわ。 恋情を探す斜め上を行くエリエンヌ物語 ひたむきにアルフレッド様好き、エリエンヌちゃんです。 たまに更新します。 よければお読み下さりコメント頂ければ幸いです。

あなたへの想いを終わりにします

四折 柊
恋愛
 シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

お金のために氷の貴公子と婚約したけど、彼の幼なじみがマウントとってきます

恋愛
キャロライナはウシュハル伯爵家の長女。 お人好しな両親は領地管理を任せていた家令にお金を持ち逃げされ、うまい投資話に乗って伯爵家は莫大な損失を出した。 お金に困っているときにその縁談は舞い込んできた。 ローザンナ侯爵家の長男と結婚すれば損失の補填をしてくれるの言うのだ。もちろん、一も二もなくその縁談に飛び付いた。 相手は夜会で見かけたこともある、女性のように線が細いけれど、年頃の貴族令息の中では断トツで見目麗しいアルフォンソ様。 けれど、アルフォンソ様は社交界では氷の貴公子と呼ばれているぐらい無愛想で有名。 おまけに、私とアルフォンソ様の婚約が気に入らないのか、幼馴染のマウントトール伯爵令嬢が何だか上から目線で私に話し掛けてくる。 この婚約どうなる? ※ゆるゆる設定 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでご注意ください

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

処理中です...