上 下
5 / 32
本編

5.イザークの初恋

しおりを挟む
※イザーク視点、続きます。




 呆然自失で過ごした二週間後。
初めて、婚約者を見た。

瞳孔が開いたのを自覚した。

馬車から降りて来た少女は小柄で、可憐で、愛らしくて。
優しい色の金髪が柔らかく波打って背中を覆っていた。
丸いぱっちりとした二重に若草色の瞳がキラキラと輝いていた。
丸く愛らしい頬は薄紅色。
小振りの形良い唇から花の香がした。
変に作られた香水の匂いが無い。花の香りと、本人の、この、香りは…。
何かが本能に訴えていた。
ざわざわと肌を駆け巡る“何か”。

挨拶をする為に、彼女の小さな手を取った。短く綺麗に揃えられた爪。細い指。口元に近づけた手は白く柔らかく軽く温かく、とても、かぐわしい……。
耳元で心臓が刻む血流の音が響く。


 ――待て俺自重しろこんな小さくて柔らかくて儚い存在を壊してはならんぞいいか絶対だこれは壊してはならない慎重に慎重を重ねてもまだ生温いぞ俺が触ってもいいのか許されるのか大丈夫なのかこれが俺の婚約者だというのかなんの冗談だ冗談ではないのかいや待て婚約者なのは今日までで今日からは嫁かっ嫁になるのかっえ?これが嫁?俺の嫁?本当に?本当の事実なのか?こんな可憐で愛らしい少女が俺の嫁になってくれるのか嘘だろ嘘じゃないのか誰か俺の頬を抓ってくれメイスで頭を叩いてくれても良い夢なら醒めるないいや夢じゃない現実だこの縁談を結んだのは誰だ功労賞ものだぞそうだそうだった叔父上が結んでくれた縁談だったありがとう叔父上感謝します叔父上!


 呆然としている間に少女は、ハンナに連れられて控室に行ってしまった。残り香まで愛おしい…心臓が激しく鼓動を刻んでいる。体温が上がる。全力で魔の森を駆けた後のようだった。

「あーにきっ」
呆然自失だった俺の肩に回る腕。

「いやー、可愛い婚約者さまだね!  あれが義姉さんになるのかぁ」
弟1、シュテファンである。

「すごいや、兄さん。あんな可愛い女、初めて見た!  王都にはあんな女がゴロゴロいるの?  うわー、俺も嫁欲しいなぁ、探しに行こうかなぁ」
弟2、カミルである。

2人とも、不遜だ。

「「うわっ」」

こいつら…

「兄貴?  どうした?  なんでそんな闘気出してんの?」
「こわいこわい、兄さん、なんも無いとこで殺気出さないでくれよ…え?  それ俺らに向けてんの?」

怯えて二人で手を取り合う弟たちを睥睨する。

「――俺の嫁を見るな触るな声をかけるな。……判ったか?」

無言で何度も小刻みに頷く二人を見て、やっと殺気が鎮まった。
結婚式場である礼拝堂に足を向けた俺の背後で、二人の弟が苦笑していたが、どうでもいい事であった。




 礼拝堂の天窓から届くやわらかい光の下に天使が舞い降りたと思った。白い衣装に着替えた俺の嫁……アリス・アンジュ・アウラード嬢の愛らしさを称える言葉が思い浮かばない。ただ可愛い。ただただ愛らしい。こんな天使、よくも現世にいたものだ。そういえばこの天使は、あの『魔戦場のミハエラ』さまの孫娘だったな。ミハエラさまの庇護下の天使の孫娘、なるほど、アリス嬢が天使なのは致し方ないな。だがミハエラ様と違って、アリス嬢には戦闘能力がない。自分を守るすべがない。魔力は感じるが、この細腕では軽い矢さえ持てないだろう。平和な王都で育ったのなら当然か。俺はこの天使を全力で守らねばならない。全ての魔から、全ての悪意から、ありとあらゆる全ての災厄から、彼女を守ると神に誓おう。あぁ、神に誓うなど生まれて初めてだ。
 神様、ありがとう。俺にアリス嬢を引き合わせてくれて。いや、この縁談を結んでくれたのは叔父上だったか。叔父上の政治力に完敗の上、乾杯だ。あんた、良い人だ。常日頃、口煩いオヤジだと思ってて悪かった。

 気が付けば結婚式は終わっていた。
披露宴は一族すべての人間が集まったのでは?と思われる規模で行われた。皆が祝福してくれて有難いが、すべての男どもがアリス嬢を狙う不届き者に見えて気が休まらなかった。

 アリス嬢が小首を傾げて俺を見上げる……可愛い。可愛いが過ぎるにもほどがある。あぁ、何か気の利いた言葉の一つや二つ、言えたのなら!  言えない朴念仁な俺が不甲斐ない。母上の仰る通りだ!  俺は不甲斐ない。何か、言えないのか?  彼女を褒め称える言葉は無いのか?  バカの一つ覚えのように『可愛い』しか出ない。
アリス嬢をちらちらと盗み見るしか出来ない、俺はなんと情けない男なのか!

……あぁ、アリス嬢の存在が既に可愛い。そこに居るだけで心が温まる。いとおしい。かわいい。アリス嬢……。いや、嫁か。今日から俺の嫁か。なんという幸運!  なんという僥倖!  ……こんな事、あってもいいのか?  俺、この披露宴が終わったら誰かに殺されるんじゃないのか?  今日は俺の命日になる予定日なのでは?
だんだん疑心暗鬼になって不安が増す。

 アリス嬢がハンナに連れられて、披露宴を途中退場した途端、妙な緊張感が抜けた。
そんな俺に父上と家令ギルベルトが囁いた。(ちなみにギルベルトはハンナの夫だ)

「しかと励めよ」
「若旦那さま、若奥さまを壊してはなりませんぞ?」

……え?
二人が嫌みなくらいにこやかに俺に微笑んだ。
この期に及んで俺はやっと気が付いた。



この後、俺を待ち受けるのが何なのかを。




うれしはずかし……しょ……




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

不妊を理由に離縁されて、うっかり妊娠して幸せになる話

七辻ゆゆ
恋愛
「妊娠できない」ではなく「妊娠しづらい」と診断されたのですが、王太子である夫にとってその違いは意味がなかったようです。 離縁されてのんびりしたり、お菓子づくりに協力したりしていたのですが、年下の彼とどうしてこんなことに!?

婚約者が知らない女性とキスしてた~従順な婚約者はもう辞めます!~

ともどーも
恋愛
 愛する人は、私ではない女性を抱きしめ、淫らな口づけをしていた……。  私はエスメローラ・マルマーダ(18)  マルマーダ伯爵家の娘だ。  オルトハット王国の貴族学院に通っている。  愛する婚約者・ブラント・エヴァンス公爵令息とは七歳の時に出会い、私は一目で恋に落ちた。  大好きだった……。  ブラントは成績優秀、文武両道、眉目秀麗とみんなの人気者で、たくさんの女の子と噂が絶えなかった。 『あなたを一番に愛しています』  その誓いを信じていたのに……。  もう……信じられない。  だから、もう辞めます!! 全34話です。 執筆は完了しているので、手直しが済み次第順次投稿していきます。 設定はゆるいです💦 楽しんで頂ければ幸いです!

【完結】私の婚約者(王太子)が浮気をしているようです。

百合蝶
恋愛
「何てことなの」王太子妃教育の合間も休憩中王宮の庭を散策していたら‥、婚約者であるアルフレッド様(王太子)が金の髪をふわふわとさせた可愛らしい小動物系の女性と腕を組み親しげに寄り添っていた。 「あちゃ~」と後ろから護衛のイサンが声を漏らした。 私は見ていられなかった。 悲しくてーーー悲しくて涙が止まりませんでした。 私、このまなアルフレッド様の奥様にはなれませんわ、なれても愛がありません。側室をもたれるのも嫌でございます。 ならばーーー 私、全力でアルフレッド様の恋叶えて見せますわ。 恋情を探す斜め上を行くエリエンヌ物語 ひたむきにアルフレッド様好き、エリエンヌちゃんです。 たまに更新します。 よければお読み下さりコメント頂ければ幸いです。

あなたへの想いを終わりにします

四折 柊
恋愛
 シエナは王太子アドリアンの婚約者として体の弱い彼を支えてきた。だがある日彼は視察先で倒れそこで男爵令嬢に看病される。彼女の献身的な看病で医者に見放されていた病が治りアドリアンは健康を手に入れた。男爵令嬢は殿下を治癒した聖女と呼ばれ王城に招かれることになった。いつしかアドリアンは男爵令嬢に夢中になり彼女を正妃に迎えたいと言い出す。男爵令嬢では妃としての能力に問題がある。だからシエナには側室として彼女を支えてほしいと言われた。シエナは今までの献身と恋心を踏み躙られた絶望で彼らの目の前で自身の胸を短剣で刺した…………。(全13話)

そんなにその方が気になるなら、どうぞずっと一緒にいて下さい。私は二度とあなたとは関わりませんので……。

しげむろ ゆうき
恋愛
 男爵令嬢と仲良くする婚約者に、何度注意しても聞いてくれない  そして、ある日、婚約者のある言葉を聞き、私はつい言ってしまうのだった 全五話 ※ホラー無し

お金のために氷の貴公子と婚約したけど、彼の幼なじみがマウントとってきます

恋愛
キャロライナはウシュハル伯爵家の長女。 お人好しな両親は領地管理を任せていた家令にお金を持ち逃げされ、うまい投資話に乗って伯爵家は莫大な損失を出した。 お金に困っているときにその縁談は舞い込んできた。 ローザンナ侯爵家の長男と結婚すれば損失の補填をしてくれるの言うのだ。もちろん、一も二もなくその縁談に飛び付いた。 相手は夜会で見かけたこともある、女性のように線が細いけれど、年頃の貴族令息の中では断トツで見目麗しいアルフォンソ様。 けれど、アルフォンソ様は社交界では氷の貴公子と呼ばれているぐらい無愛想で有名。 おまけに、私とアルフォンソ様の婚約が気に入らないのか、幼馴染のマウントトール伯爵令嬢が何だか上から目線で私に話し掛けてくる。 この婚約どうなる? ※ゆるゆる設定 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでご注意ください

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

処理中です...