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本編
5.イザークの初恋
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※イザーク視点、続きます。
呆然自失で過ごした二週間後。
初めて、婚約者を見た。
瞳孔が開いたのを自覚した。
馬車から降りて来た少女は小柄で、可憐で、愛らしくて。
優しい色の金髪が柔らかく波打って背中を覆っていた。
丸いぱっちりとした二重に若草色の瞳がキラキラと輝いていた。
丸く愛らしい頬は薄紅色。
小振りの形良い唇から花の香がした。
変に作られた香水の匂いが無い。花の香りと、本人の、この、香りは…。
何かが本能に訴えていた。
ざわざわと肌を駆け巡る“何か”。
挨拶をする為に、彼女の小さな手を取った。短く綺麗に揃えられた爪。細い指。口元に近づけた手は白く柔らかく軽く温かく、とても、香しい……。
耳元で心臓が刻む血流の音が響く。
――待て俺自重しろこんな小さくて柔らかくて儚い存在を壊してはならんぞいいか絶対だこれは壊してはならない慎重に慎重を重ねてもまだ生温いぞ俺が触ってもいいのか許されるのか大丈夫なのかこれが俺の婚約者だというのかなんの冗談だ冗談ではないのかいや待て婚約者なのは今日までで今日からは嫁かっ嫁になるのかっえ?これが嫁?俺の嫁?本当に?本当の事実なのか?こんな可憐で愛らしい少女が俺の嫁になってくれるのか嘘だろ嘘じゃないのか誰か俺の頬を抓ってくれメイスで頭を叩いてくれても良い夢なら醒めるないいや夢じゃない現実だこの縁談を結んだのは誰だ功労賞ものだぞそうだそうだった叔父上が結んでくれた縁談だったありがとう叔父上感謝します叔父上!
呆然としている間に少女は、ハンナに連れられて控室に行ってしまった。残り香まで愛おしい…心臓が激しく鼓動を刻んでいる。体温が上がる。全力で魔の森を駆けた後のようだった。
「あーにきっ」
呆然自失だった俺の肩に回る腕。
「いやー、可愛い婚約者さまだね! あれが義姉さんになるのかぁ」
弟1、シュテファンである。
「すごいや、兄さん。あんな可愛い女、初めて見た! 王都にはあんな女がゴロゴロいるの? うわー、俺も嫁欲しいなぁ、探しに行こうかなぁ」
弟2、カミルである。
2人とも、不遜だ。
「「うわっ」」
こいつら…
「兄貴? どうした? なんでそんな闘気出してんの?」
「こわいこわい、兄さん、なんも無いとこで殺気出さないでくれよ…え? それ俺らに向けてんの?」
怯えて二人で手を取り合う弟たちを睥睨する。
「――俺の嫁を見るな触るな声をかけるな。……判ったか?」
無言で何度も小刻みに頷く二人を見て、やっと殺気が鎮まった。
結婚式場である礼拝堂に足を向けた俺の背後で、二人の弟が苦笑していたが、どうでもいい事であった。
礼拝堂の天窓から届くやわらかい光の下に天使が舞い降りたと思った。白い衣装に着替えた俺の嫁……アリス・アンジュ・アウラード嬢の愛らしさを称える言葉が思い浮かばない。ただ可愛い。ただただ愛らしい。こんな天使、よくも現世にいたものだ。そういえばこの天使は、あの『魔戦場のミハエラ』さまの孫娘だったな。ミハエラさまの庇護下の天使の孫娘、なるほど、アリス嬢が天使なのは致し方ないな。だがミハエラ様と違って、アリス嬢には戦闘能力がない。自分を守る術がない。魔力は感じるが、この細腕では軽い矢さえ持てないだろう。平和な王都で育ったのなら当然か。俺はこの天使を全力で守らねばならない。全ての魔から、全ての悪意から、ありとあらゆる全ての災厄から、彼女を守ると神に誓おう。あぁ、神に誓うなど生まれて初めてだ。
神様、ありがとう。俺にアリス嬢を引き合わせてくれて。いや、この縁談を結んでくれたのは叔父上だったか。叔父上の政治力に完敗の上、乾杯だ。あんた、良い人だ。常日頃、口煩いオヤジだと思ってて悪かった。
気が付けば結婚式は終わっていた。
披露宴は一族すべての人間が集まったのでは?と思われる規模で行われた。皆が祝福してくれて有難いが、すべての男どもがアリス嬢を狙う不届き者に見えて気が休まらなかった。
アリス嬢が小首を傾げて俺を見上げる……可愛い。可愛いが過ぎるにもほどがある。あぁ、何か気の利いた言葉の一つや二つ、言えたのなら! 言えない朴念仁な俺が不甲斐ない。母上の仰る通りだ! 俺は不甲斐ない。何か、言えないのか? 彼女を褒め称える言葉は無いのか? バカの一つ覚えのように『可愛い』しか出ない。
アリス嬢をちらちらと盗み見るしか出来ない、俺はなんと情けない男なのか!
……あぁ、アリス嬢の存在が既に可愛い。そこに居るだけで心が温まる。いとおしい。かわいい。アリス嬢……。いや、嫁か。今日から俺の嫁か。なんという幸運! なんという僥倖! ……こんな事、あってもいいのか? 俺、この披露宴が終わったら誰かに殺されるんじゃないのか? 今日は俺の命日になる予定日なのでは?
だんだん疑心暗鬼になって不安が増す。
アリス嬢がハンナに連れられて、披露宴を途中退場した途端、妙な緊張感が抜けた。
そんな俺に父上と家令が囁いた。(ちなみにギルベルトはハンナの夫だ)
「しかと励めよ」
「若旦那さま、若奥さまを壊してはなりませんぞ?」
……え?
二人が嫌みなくらいにこやかに俺に微笑んだ。
この期に及んで俺はやっと気が付いた。
この後、俺を待ち受けるのが何なのかを。
うれしはずかし……しょ……
呆然自失で過ごした二週間後。
初めて、婚約者を見た。
瞳孔が開いたのを自覚した。
馬車から降りて来た少女は小柄で、可憐で、愛らしくて。
優しい色の金髪が柔らかく波打って背中を覆っていた。
丸いぱっちりとした二重に若草色の瞳がキラキラと輝いていた。
丸く愛らしい頬は薄紅色。
小振りの形良い唇から花の香がした。
変に作られた香水の匂いが無い。花の香りと、本人の、この、香りは…。
何かが本能に訴えていた。
ざわざわと肌を駆け巡る“何か”。
挨拶をする為に、彼女の小さな手を取った。短く綺麗に揃えられた爪。細い指。口元に近づけた手は白く柔らかく軽く温かく、とても、香しい……。
耳元で心臓が刻む血流の音が響く。
――待て俺自重しろこんな小さくて柔らかくて儚い存在を壊してはならんぞいいか絶対だこれは壊してはならない慎重に慎重を重ねてもまだ生温いぞ俺が触ってもいいのか許されるのか大丈夫なのかこれが俺の婚約者だというのかなんの冗談だ冗談ではないのかいや待て婚約者なのは今日までで今日からは嫁かっ嫁になるのかっえ?これが嫁?俺の嫁?本当に?本当の事実なのか?こんな可憐で愛らしい少女が俺の嫁になってくれるのか嘘だろ嘘じゃないのか誰か俺の頬を抓ってくれメイスで頭を叩いてくれても良い夢なら醒めるないいや夢じゃない現実だこの縁談を結んだのは誰だ功労賞ものだぞそうだそうだった叔父上が結んでくれた縁談だったありがとう叔父上感謝します叔父上!
呆然としている間に少女は、ハンナに連れられて控室に行ってしまった。残り香まで愛おしい…心臓が激しく鼓動を刻んでいる。体温が上がる。全力で魔の森を駆けた後のようだった。
「あーにきっ」
呆然自失だった俺の肩に回る腕。
「いやー、可愛い婚約者さまだね! あれが義姉さんになるのかぁ」
弟1、シュテファンである。
「すごいや、兄さん。あんな可愛い女、初めて見た! 王都にはあんな女がゴロゴロいるの? うわー、俺も嫁欲しいなぁ、探しに行こうかなぁ」
弟2、カミルである。
2人とも、不遜だ。
「「うわっ」」
こいつら…
「兄貴? どうした? なんでそんな闘気出してんの?」
「こわいこわい、兄さん、なんも無いとこで殺気出さないでくれよ…え? それ俺らに向けてんの?」
怯えて二人で手を取り合う弟たちを睥睨する。
「――俺の嫁を見るな触るな声をかけるな。……判ったか?」
無言で何度も小刻みに頷く二人を見て、やっと殺気が鎮まった。
結婚式場である礼拝堂に足を向けた俺の背後で、二人の弟が苦笑していたが、どうでもいい事であった。
礼拝堂の天窓から届くやわらかい光の下に天使が舞い降りたと思った。白い衣装に着替えた俺の嫁……アリス・アンジュ・アウラード嬢の愛らしさを称える言葉が思い浮かばない。ただ可愛い。ただただ愛らしい。こんな天使、よくも現世にいたものだ。そういえばこの天使は、あの『魔戦場のミハエラ』さまの孫娘だったな。ミハエラさまの庇護下の天使の孫娘、なるほど、アリス嬢が天使なのは致し方ないな。だがミハエラ様と違って、アリス嬢には戦闘能力がない。自分を守る術がない。魔力は感じるが、この細腕では軽い矢さえ持てないだろう。平和な王都で育ったのなら当然か。俺はこの天使を全力で守らねばならない。全ての魔から、全ての悪意から、ありとあらゆる全ての災厄から、彼女を守ると神に誓おう。あぁ、神に誓うなど生まれて初めてだ。
神様、ありがとう。俺にアリス嬢を引き合わせてくれて。いや、この縁談を結んでくれたのは叔父上だったか。叔父上の政治力に完敗の上、乾杯だ。あんた、良い人だ。常日頃、口煩いオヤジだと思ってて悪かった。
気が付けば結婚式は終わっていた。
披露宴は一族すべての人間が集まったのでは?と思われる規模で行われた。皆が祝福してくれて有難いが、すべての男どもがアリス嬢を狙う不届き者に見えて気が休まらなかった。
アリス嬢が小首を傾げて俺を見上げる……可愛い。可愛いが過ぎるにもほどがある。あぁ、何か気の利いた言葉の一つや二つ、言えたのなら! 言えない朴念仁な俺が不甲斐ない。母上の仰る通りだ! 俺は不甲斐ない。何か、言えないのか? 彼女を褒め称える言葉は無いのか? バカの一つ覚えのように『可愛い』しか出ない。
アリス嬢をちらちらと盗み見るしか出来ない、俺はなんと情けない男なのか!
……あぁ、アリス嬢の存在が既に可愛い。そこに居るだけで心が温まる。いとおしい。かわいい。アリス嬢……。いや、嫁か。今日から俺の嫁か。なんという幸運! なんという僥倖! ……こんな事、あってもいいのか? 俺、この披露宴が終わったら誰かに殺されるんじゃないのか? 今日は俺の命日になる予定日なのでは?
だんだん疑心暗鬼になって不安が増す。
アリス嬢がハンナに連れられて、披露宴を途中退場した途端、妙な緊張感が抜けた。
そんな俺に父上と家令が囁いた。(ちなみにギルベルトはハンナの夫だ)
「しかと励めよ」
「若旦那さま、若奥さまを壊してはなりませんぞ?」
……え?
二人が嫌みなくらいにこやかに俺に微笑んだ。
この期に及んで俺はやっと気が付いた。
この後、俺を待ち受けるのが何なのかを。
うれしはずかし……しょ……
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