上 下
3 / 13

3.妻の遺したメッセージカード

しおりを挟む
 
  
「ゆいごん……?」

 意外なことばにジュリアンは目を白黒させた。

「えぇ。お母さまご本人たってのご希望。わたくしたちは粛々とそれに従ったに過ぎませんわ」

 当然といった顔で言いきるエリカ。息子たちも揃って頷いた。

「玩具になるなんて……お父さまの見識不足も甚だしいですわね。
 たしかに献体なんてって、最初はわたくしたちだって反対しましたわよ? でもお母さまのご遺志は、ご自分の遺体解剖をすることで医学の礎たらんと。病理の研究が進み、同じ病に侵されている患者が希望を持てる日が一日でも早く来ることをお望みでしたわ」

 知らなかった。
 ジュリアンはなにも知らなかった。
 妻の死に際にすら間に合わなかった彼には、彼女の考えも、ましてや遺言なんて……。

 意気消沈するジュリアンに対し、息子たちが畳みかけるように意見した。

「それに、生前の母上は大学病院の名誉理事に名を連ね毎年多額の寄付をしていました。もちろんご自分名義の財産を使って、です。ご自分が関与した大学病院の発展に力添えするのは普通だと思いますよ?」

「ハヴ。我々家族に関心の無い父上が、母上がどこの名誉総裁になっているのかとか名誉理事になっているのかなんて事情、ご存じなくて当然だろう?」

「あぁ、そういえばそうだったねダン。さっきの父上の涙にうっかり騙された」

「ダン、ハヴ。当て擦りはおやめなさい。下品だわ」

「姉上。口調が母上そっくりだ」
「そっくりだね。母上がいるみたい」


 同じ顔をした双子の息子たちと、彼らの前に立つ妻によく似た美貌の長女。
 喪服を身に纏った彼らを見ていると、三人とも疲れたような笑顔であった。

 そんな子どもたちを見て、ジュリアンは気がついた。
 彼らは彼らだけで病身の母を看取ったのだ。
 仕事三昧で家にいない父親に頼ることなく。

 ジュリアンは本当に知らなかった。
 妻が病気だったことも、献体希望だったことも。

 ……息子ふたりがなんという愛称で呼ばれているのかも。

 やっと帰ってきたと思ったら棺に縋り泣くばかりの父親。
 本来ならば喪主として葬儀を執り行わなければいけない立場のはずなのに。

 子どもたちはそんな父親の姿を見て幻滅したのではなかろうか。
 だから、彼らは涙を封印し葬儀を手配したのだ。

 母をきちんと見送るために。
 ……父親ジュリアンが頼りないから。

 忸怩じくじたる思いに駆られながら、けれど子どもらになんと声をかければよいのか分からないジュリアンは逡巡していた。
 そこへ、いつの間に近づいたのか侍女が話しかけた。クリスティアナの腹心ジャスミンである。
 彼女の手には一通の白い封書があった。

「ご歓談中、失礼いたします。閣下。僭越ながら、お手紙を預かっております」

 妻の長年の侍女が差し出した一通の封筒。隅に特徴的な花の紋。

「待って! その封筒って、お母さまがよく使ってらした……!」

 戸惑うジュリアンよりさきに、エリカが奪うように引ったくると中身を確認した。
 双子も姉の手元を覗き込み、ジュリアンも釣られるように一緒に覗き込んだ。

 エリカが封筒から取り出したのはメッセージカードが一枚。
 その中央にひとこと、

【ニレの木の下】

 と、書かれていた。

 どういう意味だ? とジュリアンは首を傾げた。

「お母さまの筆跡……! これってもしかして……」

 エリカは嬉しそうな声を出しながら顔をあげた。視線は弟たちふたりを見上げている。

「「あぁ、あれか! 懐かしいな!」」

「懐かしい?」

 ダミアンとハーヴェイは姉のことばを聞くと即座に反応したが、ジュリアンにはなにを言いたいのか分からなかった。
 なのでオウム返ししてしまったのだが、それに応えてくれたのはハーヴェイだった。

「宝探しですよ。まだ学園に入るまえのチビのころ領地へ行って暇を持て余しているときに、よく母上が企画してくれたじゃないですか」

 そう解説をされたが、生憎ジュリアンにそんな記憶はない。ますます首を傾げるばかりだ。

「指示に従って封筒を探していくと最終的には宝物を見つけられるようなっていたな。母上が我々のために……用意してくれていたんだ……」

 ダミアンが泣いているような笑っているような、複雑な表情でつぶやいた。

「おまえたち、そんなことをしていたのか」

 思わずそう本音を溢してしまい、ジュリアンは慌てて己の口を塞いだ。
 失言ではなかっただろうかと内心で慌てるジュリアンをよそに、子どもたちはなんだか盛り上がっていた。

「これ、指示に従おうよ、ねえさま!」
「探そう! 昔みたいに!」
「ニレの木って、この邸にあったかしら」
「あるよ! 裏庭の奥の方だ」
「おさき!」
「あ、ちょっ……待ちなさいっダン!」

 ダミアンが走って礼拝堂を出ていった。
 エリカとハーヴェイもそれに続いた。

 もうおとなになっているのに、そのワクワクとした後ろ姿は幼いこどものようにジュリアンには見えた。

 ジュリアンは本当に知らなかった。
 自分がいないあいだ、妻と子どもたちがどのように過ごしていたのかを。

 宝探しゲームなんて、していたのか……

 呆然と見送るジュリアンに、侍女ジャスミンが話しかけた。

「どうぞ、閣下もご一緒に」

「私も宝探しをしろと、きみは言うのか?」

 自嘲的な笑みが頬を引き攣らせると自覚しながらジュリアンが呟けば、“僭越ながら”と前置きをしてジャスミンは言った。

「奥さまがお遺しになったモノ。閣下におかれましては、ご興味がおありかと推測いたします」

 侍女のそのことばに気がついた。
 愛妻が、クリスティアナが死した後に発動するよう仕組んだ【宝探し】。
 彼女はなにかを伝えたかったのだ。
 子どもたちへ?

 それとも

 夫であるジュリアンへ?

 ジュリアンは今までなにも知らなかった。
 妻の体調も、子どもの愛称も、彼らの時間の過ごし方も。
 けれど、妻がなにかを伝えたいのならそれを聞くのは夫の義務ではなかろうか。

 最期くらい。
 いや。最期だからこそ。

 ジュリアンの心の中に、明るい光が差した気がした。

 彼は子どもたちの後を追って走り出した。





 その後ろ姿を見送った侍女の口角が上がっていることに気づかぬまま。



しおりを挟む
感想 43

あなたにおすすめの小説

私が我慢する必要ありますか?【2024年12月25日電子書籍配信決定しました】

青太郎
恋愛
ある日前世の記憶が戻りました。 そして気付いてしまったのです。 私が我慢する必要ありますか? ※ 株式会社MARCOT様より電子書籍化決定! コミックシーモア様にて12/25より配信されます。 コミックシーモア様限定の短編もありますので興味のある方はぜひお手に取って頂けると嬉しいです。 リンク先 https://www.cmoa.jp/title/1101438094/vol/1/

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。

音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。 だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。 そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。 そこには匿われていた美少年が棲んでいて……

忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】

雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。 誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。 ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。 彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。 ※読んでくださりありがとうございます。 ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。

アリシアの恋は終わったのです【完結】

ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。 その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。 そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。 反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。 案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。 ーーーーー 12話で完結します。 よろしくお願いします(´∀`)

貴方が側妃を望んだのです

cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。 「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。 誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。 ※2022年6月12日。一部書き足しました。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。  表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。 ※更新していくうえでタグは幾つか増えます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

婚約者を追いかけるのはやめました

カレイ
恋愛
 公爵令嬢クレアは婚約者に振り向いて欲しかった。だから頑張って可愛くなれるように努力した。  しかし、きつい縦巻きロール、ゴリゴリに巻いた髪、匂いの強い香水、婚約者に愛されたいがためにやったことは、全て侍女たちが嘘をついてクロアにやらせていることだった。  でも前世の記憶を取り戻した今は違う。髪もメイクもそのままで十分。今さら手のひら返しをしてきた婚約者にももう興味ありません。

処理中です...