15 / 20
十ご。なぜその愛を疑うのだ?
しおりを挟むポールったら、蒼白な顔のまま旦那さまに詰め寄っていますよ。いつもは従者として一歩下がっている彼が、珍しいこと。
そういえばポールは旦那さまの幼馴染みでしたわね、たしか十歳差の。
ポールから見た旦那さまは手のかかる弟……みたいなものだったのかしら。動揺しているのか、その頃の感じになっているのかも?
……あらあら。旦那さまったら。
眉間に皺を寄せて(これはよく見慣れているけど)、口を真一文字に閉じて……どこか子どもっぽい、意地でも喋るもんかってお顔をなさっているわ。
これは、わたくしが状況をちゃんと聞かなければいけませんね。
「ポール。あなたの見たままの事実をわたくしに教えて。あなたは、わたくしの私室から出る旦那さまを目撃しているのね? それも、何度も」
そう問いただすわたくしに、ポールはそうですそうですと頷き語ってくれました。
朝方、まだだれも起きていない時間帯。
わたくしの私室のドアから出てくるジュリアン・カレイジャス公爵閣下の姿を見かけたと。それも、何回も。
だからポールは公爵夫妻は夜の時間をちゃんと過ごしていたのだと思っていたのだと。
これこそ誤解ですわね。
わたくしとしては、彼が私室に入ってきた覚えなどありません。
「わたくしの部屋に勝手に侵入していたなんて……盗むものでもありましたか?」
わたくしの貶すようなことばに、旦那さまはバッと顔を上げて叫びました。
「盗みだなんて! 顔を見に行っていただけだ!」
「だれの?」
「きみに決まっているだろう!」
「なんのために?」
「寝顔ならば……じっくり見つめていても……きみを不快にさせない、から」
「は?」
いまこのひと、なんて言いました?
憲兵に突き出すべきかしら。
ここに不審者がいますって。
「待って、待ってくれジュウ! 奥さまの寝顔を見るためだけに私室に忍び込んでいた、ということか?」
ポールが混乱しているのか、とうとう幼いころの愛称で旦那さまを呼んでしまいました。
彼の平常心は遥か彼方へ旅立っているのね……かく言うわたくしも、初めて知った真実に動揺を隠せませんけど。
「私は口を開けば、不用意なことばでクリスティアナを不愉快にさせてしまう。
だが、寝顔を見ているだけなら……余計なことを言わずに済む。早朝なら、まだ侍女たちも起きていないから、邪魔されないし……」
「それで、奥さまのおっしゃるとおり、奥さまを抱いてはいないんだな?! ダミアンさまたちが生まれてから、ただの一度も?!」
悲鳴のようなポールの問いに、旦那さまはしぶしぶといったようすで頷きました。
そうなのよ。
スキンシップのない仮面夫婦なのよ、わたくしたちは。
ダミアンとハーヴェイの双子の息子が生まれてから七年。
寝顔だけ見てたなんて言われても、そんなことこちらは知りません。
「夜の時間もない。誕生日にお祝いのお花もカードも贈り物の類がいっさいない。記念日は忘れている。やさしいことばも褒めことばも気遣いすらない。そもそも視線が合わないし、いつも不機嫌そうに睨まれるのがせいぜい。
……無いことばかりたくさんあるわ。ね、ポール。この状態なら『捨て置かれている』とわたくしが思っても仕方のないことではなくて?」
肩を竦めてそう言ったわたくしの目の前で、蒼白な顔のままのポールが凄まじい勢いで両手両膝を床につけました。
「申し訳ありませんでしたっっっ!!!」
悲鳴のような声で叫ぶと頭まで床につけました。
もの凄い衝突音がしたのだけど……。ポールの額はだいじょうぶなのかしら。
「てっきり……っ、てっきりおふたりの時間はあるのだとばかり思っておりましたっ!
人の目のある昼間は素っ気なく対応していても、夜ふたりきりになったらそれなりに過ごしているのだと……。
わたくしどもの教育が行き届かなかったせいで、奥さまには多大なご不快とご心痛を与えることになってしまいましたっ。伏して! 伏してお詫び申し上げますっっ」
「教育って……ジュリアンさまは成人してからだいぶ経つ、もういいおとななのよ? あなたのせいじゃないわ」
「いいえ……いいえ! 私の認識不足でしたっ! まさかジュウがそんな単純なことを怠るとは……。私の口から申し上げるのも間違っているかもしれませんが、ジュウの……ジュリアン・カレイジャスの愛する女性は、あなたしかいないのですっ奥さま! それだけは、疑わないでくださいっ」
そう訴えられても困りますわ。
「ちょっと待ってくれ」
今度の「待ってくれ」は旦那さまのお口から零れたことばでした。
彼は……なんだか怪訝そうなお顔です。
そのお顔のまま、じつに意外なことを問いました。
「夜の時間がないのは、そんなに大事なのか?」
はい?
わたくしとポールは動きを止めたまま、旦那さまを見つめてしまいました。
「誕生日の花や祝いカードとか贈り物の類とやらは、ないと困るものなのか? 公爵夫人用の品位維持費用があるだろう? 使っていないのか?」
え? いま、なんておっしゃいまして?
「記念日、とやらも祝うものなのか?」
――は、い?
「やさしいことばとは、どんなものを指すのだ?」
いまわたくしは、なにを聞かれているのかしら。
「褒めことばとは、なんなんだ?」
「これらがないと愛を感じられないというのか?」
「私たちは神の前で永遠の愛を誓った夫婦なのだぞ? なぜその愛を疑うのだ?」
さきほどからもたらされる旦那さまのおことばに、わたくしは目を白黒させていました。
あぁ、子どものころの旦那さまはドライな環境でお過ごしになっていたのね、とか。わたくしが過ごした伯爵家とはその様相があまりにも違うのね、とか。
けれど、旦那さまの口から怒涛の勢いで零れ落ちた質問の数々に、わたくしは白黒どころか遠い目になってしまいました。
え? ええ??
旦那さま。いまなんておっしゃってましたの?
本日何度目になるのでしょう、この問いを自分自身に投げかけるのは。
わたくしと旦那さまとの常識の差に眩暈がしそう……いいえ。眩暈に襲われています。
真剣な真顔で問うているその姿に、彼の本気度が伺えますが……。
え?
ええ?
そういうことに無頓着でしたの?
悪気はいっさいなかったの?
品位維持費用……たしかに莫大な費用がわたくし名義になっておりますが……そこから自分へのプレゼントを用意しろと?
え?
「ジュウ! ジュリアン・カレイジャス! 俺は言ったよな、結婚まえのおまえに!
女性の心を捕まえるにはどうしたらいいのかとか、デートのときはどのように対応したらいいのかとか! 女性への対応のあれこれを! あれをもう忘れたとは言わないよな?!」
わたくしの前に手をついていたポールが、慌てたように立ち上がると旦那さまに詰め寄っています。
「聞いたしよく覚えている。
大切に思う女性にする対応のことだろう? だがこうも言っていたじゃないか。
『結婚までにしなければいけないこと』だと。『令嬢にしてみれば見ず知らずの公爵家から急に命じられた婚約なのだから、結婚するまでにおまえの気持ちをはっきり伝えろ』と。私はちゃんと彼女に伝えた。愛していると。自分の意思であなたと結婚したいと」
そうでしたね。あのころは……ちゃんとした愛のことばをいただいていました。
結婚後には、ちらりとも聞かなくなりましたけど。
「じゃあ! なぜそれを結婚後も続けないんだ?」
信じられないといった顔をしたポールに詰め寄られた旦那さまは、
「……結婚した後も必要なのか?」
などと、ポカンとした表情で応えています……。
「あたりまえだ!」
「そんなこと、言われなければ分からない」
「分かっていて欲しかった……」
ポールったら、がっくりと肩を落としてしまいました……。
旦那さまは……そうか、結婚後も必要なことだったのかと呟いています。至極、まじめなお顔で何度か頷きながら。
なんというか……。
なんと言ったらいいのでしょう。
えーと。つまり?
婚約者時代のジュリアンさまがわたくしに告げた愛のことばは、すべて真実であったと?
わたくしへのあの完璧な婚約者としての態度は、ポールのアドバイスに従った結果であったと?
結婚するまでの期限があるものだと思っていたと?
神の前で誓いをしたから、その後は不要だと思っていたと?
根本的には素直。
そして融通が利かない。……なんて面倒くさいひとなの……。
「旦那さま」
105
お気に入りに追加
1,455
あなたにおすすめの小説

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ
しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話

痛みは教えてくれない
河原巽
恋愛
王立警護団に勤めるエレノアは四ヶ月前に異動してきたマグラに冷たく当たられている。顔を合わせれば舌打ちされたり、「邪魔」だと罵られたり。嫌われていることを自覚しているが、好きな職場での仲間とは仲良くしたかった。そんなある日の出来事。
マグラ視点の「触れても伝わらない」というお話も公開中です。
別サイトにも掲載しております。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。


最後の思い出に、魅了魔法をかけました
ツルカ
恋愛
幼い時からの婚約者が、聖女と婚約を結びなおすことが内定してしまった。
愛も恋もなく政略的な結びつきしかない婚約だったけれど、婚約解消の手続きの前、ほんの短い時間に、クレアは拙い恋心を叶えたいと願ってしまう。
氷の王子と呼ばれる彼から、一度でいいから、燃えるような眼差しで見つめられてみたいと。
「魅了魔法をかけました」
「……は?」
「十分ほどで解けます」
「短すぎるだろう」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる