触らぬ聖女に祟りなし

あとさん♪

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5.呪うしかない

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(ゴールデンゲイトブリッジが……壊れて……落ちた……)

 瓦礫と化した橋は、リンたちが見ている前でゆっくりと魔峡谷の暗闇の中へ落ちていった。
 深すぎる魔峡谷の底などないと思っていたが、ずいぶんと時間が経ってから谷底面へと到着したのだろう落下音が聞こえてきた。

「……ふっ……ははは……」

 リンにとってあの橋は、彼女が地球にいたという記憶の象徴だった。
 自分の持っていた記憶が、この異世界でも通用すると魔法騎士が証明してくれた。
 魔法で造られたものだけど、デザインや構造は地球の物理。彼女にとっては文字どおり地球と異世界との架け橋だったのだ。
 あぁわたしはこの異世界でこれからも生きていくんだと、改めて誓った象徴の橋。

 それが、破壊された。
 そしてリンは仲間たちから亡き者にされようとしている。

 ぜんぶ。……ぜんぶ『おじゃん』。『ぱー』。

「……ははっ……はーっはっはっ、アーッハハッハッハッハ……」

 リンは狂ったように笑いだした。
 笑うしかない、と思った。

 この異世界に突然召喚されて二年。
 右も左も分からない、魔法だなんて摩訶不思議なものがある世界。
 人類を救うための使命とやらを、勝手に背負わされた。

 がむしゃらにがんばってきた。
 立ち止まってゆっくり考えていたら泣いてしまいそうだったから、無我夢中で使命とやらを果たすためにがんばってきた。

 なんとか魔法を使えるようになって。
 恐くて気持ち悪い魔獣と戦う毎日になって。
 仲間のひとりを失って。
 どうにかこうにか、使命を果たせたと思っていたのに。

 その功績は、ぜんぶ、リンから取り上げられようとしている。
 仲間だと認識していたひとたちから、邪魔だから死ねと思われている。

 そして彼女にとってこの異世界でもちゃんと生きていこうと誓った象徴の橋が落ちた。

 こんなひどい話があるだろうか。もう、リンにできることは笑うことくらいではないか。

 発作を起こしたようにリンは笑い続けた。

 魔峡谷にリンの笑い声がこだまする。
 どこか狂ったような……悲鳴のような声が響いた……。





 さんざん笑い、その笑いの発作が治まったころ。
 リンの中ではふつふつと怒りの感情が湧き始めた。小さかったその怒りは、火山が噴火するかのように、一気に彼女の思考を支配した。

 (あぁもう! どうにでもなれ!)

「……ふっ……ふざけるなフザケるな巫山戯ふざけるな! 恨んでやる恨んでやる呪ってやる呪ってやる!」


 高笑いを止めたリンの口からは、禍々まがまがしい呪いのことばがボロボロとこぼれ落ちた。


「話したよな?! わたし、話したはずだよな?!
 ツライ旅の道中、百物語とか怖い話とか日本の話を! 日本流の呪い、いまわたしがやってやる!」

 なかなか寝付けなかった野宿。
 夜の闇の恐ろしさも利用して、怪談話で盛り上がった晩があった。
 仲間たちとのちいさな交わり。仲良くなれたと思っていた。

「恐ろしいんだぞ? この国のそれがどうか知らんけど、日本の呪いは本当に効くんだぞ?
 古来から触らぬ神に祟りなしって言われるくらい、日本の神は祟るんだぞ?」

 王子と魔法騎士はおもしろがってリンの話を聞いていたが、公女は怖い話はやめてと耳を塞いでいた。
 少し年上の戦士は、和気あいあいとしたリンたちのようすを微笑みながら見守っていた。

 今となっては懐かしい光景がリンの脳裏をよぎる。

(仲良くなったなんて、幻想だったね!)

「わたしは日本では神社の家系に生まれててね。巫女のバイトはさんざんやったんだ。
 大学に入って勉強して資格とって神主になろうと思ってたわたしの人生設計はめちゃくちゃにされた。
 この国の! おまえらの! 誘拐犯どものせいで!」

 リンは王子を指差した。
 そうだ。こいつらのせいでリンは苦労するはめになったのだ。
 この犯罪者たちのせいで!

「誘拐犯?」

 王子が驚愕に目を見開きながら呟いた。
 リンはなおも続ける。

「あぁ、なに? もしかして自分が犯罪者だっていう自覚なし?
 さっすが! 無自覚犯罪者はおっかないね!
 わたしからしたら、おまえらは誘拐犯だ! こっちの意思なんて関係なく親元から引き離して別の場所に拉致する行為を誘拐と言わずなんと言う!? この犯罪者の息子めっ!」

「リン! あなた、なんてこと言うの?!」

 リンの言い草に堪りかねたのか公女が口を挟んだが、リンは血走った眼を公女へ向けて叫んだ。

「おまえは犯罪者の親戚だっ! おまえだって犯罪者だ! 国ぐるみでの大規模な誘拐犯ども!
 人類のためとか言ってたけど、わたしには異世界の人類じゃないか!
 そいつらの未来を縁もゆかりもない誘拐してきた小娘に賭けるなんてどうかしてる!
 おまえら全員狂ってるんだよっ! おまえらなんて呪われてしまえばいいんだ!」

 長い黒髪が乱れ、血走った眼で仲間たちを見やるさまは狂人のそれであった。

「こっちで聖女なんて笑っちゃったけどさ、もとは巫女だったんだよわたし。
 神さまへの舞とか舞ってたんだよ?
 そんなわたしだからね。たとえこっちで得た能力が封じられたとしても!
 ここがわたしから見たら異世界で故郷が遠くとも!
 神に祈ることぐらいできるね、できるとも、やってみせるさ!!」

 本当に狂ってしまったのではと思わせるほど凄まじい形相でリンは叫び続けた。
 王子たちは、あまりにも変わった彼女の雰囲気に呑まれ、目を見開いてただ見守っていた。

 リンは崩れ落ちた橋があった方向へ顔を向けた。
 両手をあげて声を張り上げる。

「かしこみかしこみ、いと遠きところにおわす第六天魔王よ!
 我が声を聞きたまえ! 我が恨み聞き届けたまえ!
 この晴らせぬ恨み、異世界の王家への恨み辛み、呪詛にして奴らに倍返ししたまえ!
 呪いたまえ、やつらの血が根絶やしになるまで! 末代まで! 延々と続き脈々と呪いたまえ!
 あなたさまに倣い、王を民に! 民を王としたまえ!
 滅びてしまえ! こんな異世界の人類なぞ!」


 喉も潰れろとばかりの大声量での絶叫は、魔峡谷にこだまして消えた。


「リン……、きみは……」

 王子は愕然としていた。
 いつも困ったような笑顔を見せていた聖女の、こんな激しい一面は初めて見た。

 リンはすこし咳きこんだあと、またしても笑った。イヒヒという笑い声は、もしかしたら王子たちを嘲笑ったのかもしれない。

「ざまーみろだ! わたしは呪った! 『ことあげ』してやった! 祟ってみせるとも! 子々孫々に至るまで怯え、震え、今日のこの日を忘れるな!」

 リンが王子たちをゆっくりと見まわした。
 そして薄笑いを浮かべながら、公女を指差した。 

「アイリーン公女! おまえのその腹から生まれる子から呪った!
 赤子の肌に、それとわかるアザがあるだろうさ! その子が滅びの象徴!
 王家を、おまえたちを破滅に導く幼き使者だ!
 わたしの死で、わたしの流した血をもって、この呪いは完成される。
 さあ! 今こそわたしを谷底へ突き落とすがいい!
 おまえたち自身の手でな!」

 公女は怖気づき、一歩下がった。
 王子は戦士へ命じた。

「リンを確保しろ! 殺してはならん! 塔に幽閉して──」

 リンの死で呪いが完成するというのなら、彼女が死ななければいい。
 そうだ。リンは誰にも見せない触れさせない場所で幽閉すればいい。
 王子である自分だけが彼女を好きにするのだ。
 そうだ、そうしよう。

 王子の指示に従い、戦士が手に持っていた剣を下ろした。彼は歩を進め、リンを捕まえようとしたそのとき──。

「はっ! させるかよ!」

 リンは戦士の手から逃れるよう地面を蹴って飛び退しさった。自ら谷底へ向けダイブしたのだ!

「せいぜい良い夢見ろよ、あばよ!」

 捨て台詞とともに高笑いしながらリンは深い深い谷底へ落ちていった。
 自らダイブしたリンの身体は、吸い込まれるように魔峡谷の暗闇の中へ消えていき──。
 しばらくリンの高笑いが聞こえていたが、それが止んだとほぼ同時に、ズシャリという落下物が地面に叩きつけられる音が微かに聞こえた。


 崖の上に取り残された王子たちは、かなり長い時間、だれもなにも言えないまま呆然とその場に立ち竦んでいた。

 魔峡谷の空には曇天。
 冷たい風が吹き、やがてシトシトと静かに雨が降り始めた。

 まるで空も泣いているかのように――。





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