2 / 4
承 国王陛下の場合
しおりを挟む「やはりあの娘は逃げたのだな」
国王の重々しい言葉を前にして、王太子アラン・ド・ヴィルアルドゥアンは俯いた。
「はい……父上の仰るとおりでした……僕を愛していると言っていたのに。真実の愛を見つけたと思っていたのに……それは、嘘だったのです……」
王宮のサロンには国王と王太子の二人きり。
豪奢なソファの背もたれにその身を預けた国王は、目の前のソファで幽鬼のような雰囲気の息子に溜息をついた。
ある日。
冒険者(今は騎士爵)の娘エステル・レノーを正式な妃にしたいと願いでた息子に対し、国王は言った。
『真実の愛だと言うのなら、自分は身一つになったと、もう王族ではないと告げてみろ。何もかも無くしたお前について行くと言うのなら、それは真実の愛だ。余はふたりを認めよう』と。
アラン王太子が身分を捨て冒険者になるとエステルに言ったのは、率直に言えば嘘だ。そんな気はさらさらない。
国王の助言に従い彼女を試したにすぎない。
「だから言っただろう。『真実の愛』の相手を間違えるなと。ああいった教養もない庶民上がりの娘は、お前の身分に執着していただけなのだ。それがないと知ればあっさりお前を捨てるだろうとな」
実際、エステルは逃亡した。
寮の彼女の部屋に残された書き置きには、『真実の愛を見つけました。探さないでください』とあった。
いつの間にか誑し込んでいたパトリス(アラン王子の側近で、剣の腕が立つ寡黙な男であった)と共に夜陰に乗じ人知れず王都を去った。
「……それはつまり。父上は、僕には身分以外取柄が無いと仰りたいのですね」
がっくりとテーブルに顔をつけて落ち込むアラン王子に、国王の溜息はますます深くなる。
「そうではない。相手を間違えるなと言ったのだ」
「……相手?」
「お前の婚約者、ディアーヌ・デ・ラ・セルダ公爵令嬢なら違う反応をするだろう」
「ディアーヌが? まさか!」
アラン王子はガバっと音を立てるように顔を上げ反論した。彼にとってディアーヌは親の決めた婚約者で、いつも冷静な表情しか見せない氷のように冷たい女だ。
彼女こそ、アランが庶民になると聞いたら鼻で嘲笑いそうだ。
「お前は令嬢の冷静な表情しか記憶にないからそう思うかもしれんが、余はあの令嬢がお前の婚約者になる前をよく覚えておるぞ」
無邪気で愛らしい美少女だった。
物心つくまえのアラン王子のよい遊び相手になってくれた。気が合いそうだったので彼女を息子の婚約者に指名したのは国王だ。
息子と同じ年のディアーヌ嬢は聡明で、将来の王太子妃になる責任と意義をよく理解していた。だからこそつらい王子妃教育を修得し、成長した今では冷静沈着で優秀だと評判の淑女の鑑となった。
彼女のその余りの優秀さに、息子アランが萎縮してしまうとは思いもしなかったが。
「そんな……とても信じられません」
疑心暗鬼に駆られるアランに国王は優しく語りかけた。
「なにを隠そう我が正妃……お前の母がそうであった」
「母上が?」
現国王がまだ王太子だった昔の話。
いつも冷たい態度しかとらない婚約者に辟易し、変更を願い出た王太子は、やはり父国王に薦められたのだ。『身一つになったと言ってみろ』と。
その薦めに従い、彼は婚約者だった侯爵令嬢に言った。
『自分は国王になる重圧にもう耐えられない。王位は弟に譲る。王族から離脱し一介の冒険者になろうと思っている。こんな俺との婚約は解消して欲しい』
彼の言に婚約者の令嬢は冷静な顔で『殿下との婚約解消、拝命します』と応えた。そして続けてこう言ってのけた。
『で、どちらのダンジョンから始めますの? え? もちろん、わたくしもお付き合いいたしますわ。侯爵令嬢などという身分、いつでも返上しますもの』
そう言ってにっこりと笑った侯爵令嬢、のちの正妃の美しさに圧倒されたのをよく覚えている。
いつも冷たい印象しかなかった婚約者の、知り得なかった情熱的な一面に国王(当時は王太子)の胸は高鳴った。令嬢の冷たい態度は作られたもの。王太子妃となるために己を律していたに過ぎなかった。
本当に自分を愛し支えてくれるのは彼女しかいないと確信した瞬間であった。
「地位も名誉もなにもかも失ったとしても、この相手と共にいたいと思う気持ちこそ、真実の愛だと余は思う。それを我が妃から教わったのだよ」
「父上と母上にそんな過去があったのですか……」
両親の若かりし頃の話を聞き、アラン王子は戸惑う。
「ディアーヌ嬢はお前をきちんと見ている。お前を心底好いておるよ。余の目に間違いはない。試してみなさい」
公爵令嬢に対し、婚約解消と身分を捨てて冒険者になると告げるよう国王は言うが。
「でも、ディアーヌは……」
アランに対して、いつもいつも口煩く文句ばかり言うディアーヌ。責任感がないとかもっと周りを見ろとか大局を見ろとか。
最近は下位の令嬢を軽々しく傍に置くなと口煩かった。
確かに彼女の言うことはいつも正しい。正論だ。
だが、言い方というものがあるだろうに。
ディアーヌはアランのことを不甲斐ない存在だと思っている節があって、まるで出来の悪い生徒を見る教師のような目でいつも彼を見下しているのだ。
そんな彼女がアランに対し恋情を持っているとはとても思えない。
「王族を抜けるなんて言ったら、いつも以上に怒られそうだ」
だが、もしも。
国王の言うとおり、ディアーヌが彼に恋情を抱いているというのなら。
いつもの冷静な顔と慇懃無礼なあの態度は作られたもの、ということになる。
彼女は将来国王になるアランのことを慮り、口煩い諫めの言葉を告げているというのか。
ワザと憎まれ口をきいて、嫌われ役になっても彼の成長のために忠言しているのか。
アランを思うがゆえに。
もし、そうなら。
ディアーヌがそのためにアランに対して冷たい態度をとっているというのなら、彼は彼女の厚意に報いなければならないだろう。
きちんと彼女と向き合い彼女の真意を知り、もし恋情があるのなら、こちらから手を差し伸べるのもやぶさかではない。
月の女神のようにうつくしいと評判の公爵令嬢の真意を確かめなければならない。アラン王子はディアーヌを王宮に呼び出した。
53
お気に入りに追加
341
あなたにおすすめの小説

【完結】『私に譲って?』そういうお姉様はそれで幸せなのかしら?譲って差し上げてたら、私は幸せになったので良いのですけれど!
まりぃべる
恋愛
二歳年上のお姉様。病弱なのですって。それでいつも『私に譲って?』と言ってきます。
私が持っているものは、素敵に見えるのかしら?初めはものすごく嫌でしたけれど…だんだん面倒になってきたのです。
今度は婚約者まで!?
まぁ、私はいいですけれどね。だってそのおかげで…!
☆★
27話で終わりです。
書き上げてありますので、随時更新していきます。読んでもらえると嬉しいです。
見直しているつもりなのですが、たまにミスします…。寛大な心で読んでいただきありがたいです。
教えて下さった方ありがとうございます。


どうやら貴方の隣は私の場所でなくなってしまったようなので、夜逃げします
皇 翼
恋愛
侯爵令嬢という何でも買ってもらえてどんな教育でも施してもらえる恵まれた立場、王太子という立場に恥じない、童話の王子様のように顔の整った婚約者。そして自分自身は最高の教育を施され、侯爵令嬢としてどこに出されても恥ずかしくない教養を身につけていて、顔が綺麗な両親に似たのだろう容姿は綺麗な方だと思う。
完璧……そう、完璧だと思っていた。自身の婚約者が、中庭で公爵令嬢とキスをしているのを見てしまうまでは――。

大好きな婚約者に「距離を置こう」と言われました
ミズメ
恋愛
感情表現が乏しいせいで""氷鉄令嬢""と呼ばれている侯爵令嬢のフェリシアは、婚約者のアーサー殿下に唐突に距離を置くことを告げられる。
これは婚約破棄の危機――そう思ったフェリシアは色々と自分磨きに励むけれど、なぜだか上手くいかない。
とある夜会で、アーサーの隣に見知らぬ金髪の令嬢がいたという話を聞いてしまって……!?
重すぎる愛が故に婚約者に接近することができないアーサーと、なんとしても距離を縮めたいフェリシアの接近禁止の婚約騒動。
○カクヨム、小説家になろうさまにも掲載/全部書き終えてます
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完】まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
伯爵令嬢のマーシャはある日不思議なネックレスを手に入れた。それは相手の心が聞こえるという品で、そんなことを信じるつもりは無かった。それに相手とは家同士の婚約だけどお互いに仲も良く、上手くいっていると思っていたつもりだったのに……。よくある婚約破棄のお話です。
※他サイトに自立も掲載しております
21.5.25ホットランキング入りありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ
Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.
ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

あなたの婚約者は、わたしではなかったのですか?
りこりー
恋愛
公爵令嬢であるオリヴィア・ブリ―ゲルには幼い頃からずっと慕っていた婚約者がいた。
彼の名はジークヴァルト・ハイノ・ヴィルフェルト。
この国の第一王子であり、王太子。
二人は幼い頃から仲が良かった。
しかしオリヴィアは体調を崩してしまう。
過保護な両親に説得され、オリヴィアは暫くの間領地で休養を取ることになった。
ジークと会えなくなり寂しい思いをしてしまうが我慢した。
二か月後、オリヴィアは王都にあるタウンハウスに戻って来る。
学園に復帰すると、大好きだったジークの傍には男爵令嬢の姿があって……。
***** *****
短編の練習作品です。
上手く纏められるか不安ですが、読んで下さりありがとうございます!
エールありがとうございます。励みになります!
hot入り、ありがとうございます!
***** *****

【完結】あなたのいない世界、うふふ。
やまぐちこはる
恋愛
17歳のヨヌク子爵家令嬢アニエラは栗毛に栗色の瞳の穏やかな令嬢だった。近衛騎士で伯爵家三男、かつ騎士爵を賜るトーソルド・ロイリーと幼少から婚約しており、成人とともに政略的な結婚をした。
しかしトーソルドには恋人がおり、結婚式のあと、初夜を迎える前に出たまま戻ることもなく、一人ロイリー騎士爵家を切り盛りするはめになる。
とはいえ、アニエラにはさほどの不満はない。結婚前だって殆ど会うこともなかったのだから。
===========
感想は一件づつ個別のお返事ができなくなっておりますが、有り難く拝読しております。
4万文字ほどの作品で、最終話まで予約投稿済です。お楽しみいただけましたら幸いでございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる