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番外編
フォーサイス公爵の走馬灯②
しおりを挟む『代わりと言ってはなんだが……宰相の座を君に譲りたいと思う。是非、引き受けて貰いたい』
リリーとの縁談を打診しに訪れたスペンサー侯爵邸で、私は侯爵から衝撃の言葉を貰う事になった。
『……私は18になったばかりのヒヨっ子です……宰相職など、まだ無理かと』
スペンサー侯爵は苦虫を噛み潰したような表情で私を見た。
『“まだ”なのだろう? 直ぐに慣れる。君の実力なら。
もう……私はもう嫌になったのだよ。あの王家に付き従うのはもう、懲り懲りだ。
この先……あの王太子が王になった時、平常心で仕えられるとは、到底思えない』
学園でのレオンのあの傍若無人な振る舞いは、国王派貴族何人かの離反を招いた。
スペンサー侯爵もその内の一人。特に彼はあの騒ぎの後始末もさせられたのだから。
『妻のローズも居ない今、王都を離れても問題ない。気がかりなのはリリーだけだが……あの子は君が、護ってくれるのだろう?』
『勿論です! 私が誠心誠意、彼女を護り慈しむ事を改めて誓います!』
スペンサー侯爵が深い深い溜息をついた。
『最初から……王子などではなく、君と婚約させていれば、なんの問題もなかったのにな……』
それは、私が何度も思った事。
私は幼い頃にリリーと出会った。
スペンサー侯爵家のお茶会で、私は生涯を捧げるに足る女性、まだ幼く愛らしい頃のリリーと出会った。
……初恋だった。
『私は侯爵位を息子に譲り隠遁する。もう中央には関わらない。だが……君が、リリーを娶る君が、上を目指すと言うのなら……君の旗の下に何時でも馳せ参じる。忘れないでくれ給え』
私に王位簒奪を示唆するとは、喰えない舅殿だ。
我がフォーサイス家は6代前の王女が降嫁した際に興した家だ。当然黄金の瞳を持たない王女だ。その頃から王家に忠誠を誓っている。
王位簒奪など……有り得ない。
あってはならない、のだ……。
リリー。
リリー・エレノア・スペンサー
その名の示す通り、百合の花のように清楚で優雅さを纏った素晴らしい女性。
人目を惹かずにはいられない艶やかさと、馨しくも清廉な色気を持って、周囲の男どもを虜にした。だが彼女自身はそれに気がついて居なかった。
彼女はずっと王太子の婚約者だったから。王太子の婚約者に粉かけるような愚か者は学園の何処にも居なかった。
私もその一人。
指を咥えて見てるのみ。
だった。
あの転入生が来るまでは。
ミュゲ・マルティネス。
マルティネス子爵家に迎え入れられた庶子と聞いた。
あのピンクブロンドと青い瞳で瞬く間に王太子レオンの心を奪い取った。当時学園に通っていた高位貴族の男性が数名、彼女に惹かれていた。
……私には魔女の所業に思われた。
女生徒の殆どに敬遠されていたミュゲを、リリーは心底案じていた。彼女は貴族としての振る舞いも心得も何も持っていなかったから。
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リリーには辛い思いを味わわせた。
18才で学園卒業して直ぐにリリーを娶った。スペンサー侯爵にはずっとリリーを愛していたと、王太子の婚約者になっていたから忘れようとしていたと、正直に告白し、承諾を貰った。実際、婚約破棄をされた娘など傷物扱いで、修道院へ行くか年寄りの後添等、訳ありでないと嫁の貰い手はない。後は素性を隠して外国へ行くか。私の持ち込んだ話は侯爵側にとっても悪い話ではなかっただろう。
国王には、王太子妃教育の済んだ令嬢を修道院などへ行かせたり、ましてや外国へなど嫁がれたら国家予算の無駄遣いだと説明した。自分の姪に対して後ろめたい気持ちを持っていたアーサー王は、速やかに婚姻許可証に印璽を押してくれた。
挙式はひっそりと行われた。
口さがない連中は、宰相職を貰う為にスペンサー侯に取り入った狡猾な男だと私を罵った。
それでいい。実際私は妻を手に入れる為に狡猾に振舞った。私の若さを疑問視する輩には、実力で黙らせるだけだ。
肝心のリリーと心を通い合わす事が出来たのは、彼女がアルバートを産んでから、だった。アルバートは初夜で出来た子で、彼の成長を二人でゆっくり追いながら、リリーと親しくなっていった。
お互いセカンドネームを呼び合う迄に親しくなれた時は本当に幸せだった。
彼女の涼やかな声で呼ばれる自分のセカンドネームは、なんて柔らかく良い名前だろうと自画自賛した。彼女の『エレノア』という名は閨でしか呼ばなかった。うっかり昼間エレノアと呼んでそのまま閨事に突入しそうな状態になり…………土下座して謝った。私の傍で私の真似をして土下座した小さなアルバートのお陰か、エレノ……いや、リリーは笑って許してくれた。
とても、
涙が出るほど、とても幸せな時間だった。
私の愛した唯一の女性は、25の時、流行病で呆気なくこの世を去った。
アルバート6歳。グレースは3歳になったばかりだった。
◇◇◇
暖炉に薪をくべる時期になると思い出す。
あの男が冬の初めに訪ねてきた日を。
まだフォーサイス共和国が出来たばかりの頃だ。
メイドが慌てて私を呼ぶので、何事かと玄関まで赴くと、そこに居たのは扉の前でガンとして誰かを入れないようにする執事の後ろ姿。
はて、誰が訪ねてきたのやらと執事を退かせれば。
『あぁ! 居るじゃないか、アビゲイル!』
そこに居たのは────
随分と、痩せて。かつての美貌はすっかり色褪せていた。元は一流のシャツ、だが洗濯もしていないような状態ではみすぼらしい。そこはかとなく臭う。……下町の最下層の者達のような、饐えた匂い。
『アビゲイル、困っているんだ、助けてくれ。金が……金がないと何も出来ない。風呂に入りたい……温かい寝床も、食事もまともに取っていない、本当に、困っているんだ!』
『オースティン』
私は視線を訪問者に据えたまま執事を呼ぶ。
『はい、旦那様』
『今日、来客の予定はあったか?』
『……いいえ』
訪問者は私たちの会話を聞いて、嬉しそうな顔をした。
『そうか。では護衛を呼べ。不審者が来た。憲兵に突き出せと』
『え』
『御意』
『不審者……? 不審者って、僕の事かい? 何を言ってる? アビゲイル!』
『はて。当家にそのような形で訪れる者などおりませんなぁ。不審以外何者でも……』
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『俺に貴様を助ける義務など無い。
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私の激昂に不審者は一歩後退り。彼の後ろに立っていた男にぶつかった。……こいつ、まだコレに付き従って居るのか。呆れる律儀さだ。
執事が呼んだ護衛が来た。不審者を取り押さえる。
『アビゲイル……君は……僕を、恨んでいたのか……?』
『何故、恨まれていないと思えた? 貴様のその無神経さと頭の悪さに反吐が出る』
『僕はグレースを殺したりしてない! 殺したのは政治犯どもだ! 僕じゃない!』
『お前だよ、レオン・アンドリュー。お前の撒いた種だ。お前のせいだ。あのバラバラになった死体を忘れたか? 酷く凌辱されたあの子の姿を覚えているか? 殴られ頭が陥没し、目を抉られ、鼻を削がれ、舌を切られたあの姿! 全部、全部お前のせいで起きた事件だ! お前が全部悪いんだ! お前を同じ目に遭わせない俺の寛容さに感謝こそすれ、ノコノコと物乞いに来るとは、何処まで厚顔無恥なのだ!! 去れ! 俺の前に二度とその顔見せるな!』
絶望の表情のまま、不審者は我が家の護衛に引き摺られるように運ばれて行った。
不審者に付き従っていた男……かつての王太子専属護衛が、私に一礼すると踵を返して不審者の後を追った。……彼も随分と痩せていた。
『あんなどうしようもない男だが……一つだけ、我が共和国に良き事をしたのは確かだな』
『旦那様?』
私の独り言に執事が首を傾げる。
『あんな屑野郎だったからこそ、無血革命は成った。我が身可愛さしかない腑抜けの屑だったからこそ、王都の無辜の民は戦火にまみえる事はなかった。
……もし、あれが己に自信のある愚か者なら、革命軍に抵抗を示し戦端を開いたことだろうよ』
執事は玄関の扉を静かに閉めた。
『旦那様……もし、またあの方が訪れたら……何かくれてやりますか?……パンとか……銅貨1枚、とか……』
私は吐き捨てるように答えた。
『蹴りでもくれてやれ』
『……御意』
扉を開け放っていたからか玄関ホールはすっかり冷え切っていた。
空には小雪が舞い始めた夜の出来事だった。
あの時以降、我が家に不審者の来訪はない。
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