そういうとこだぞ

あとさん♪

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妻も息子たちも

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 ウィリアムが絞り出すような声で告げれば、オフィーリアの笑みは深くなった。まるで『よくできました』と言わんばかりに。

「わたくし、そもそも愛人など余所よそに住居を与えて囲うものだと思っておりましたわ。それが閣下ときたら、本邸宅に連れ帰ったりするから……」

 オフィーリアの濁した言葉は、ウィリアムを愚かだと見下していた。
 本邸宅に愛人を連れ帰ったりしなければ、自分も出奔したりしなかったのにと。


「エリカからの訴えがありましたの。『もう二度とあの人を父親だと思いたくもない。汚らわしい』と」

 エリカ・シャーウッド。オフィーリアが生んだ第三子。オフィーリアと同じうつくしいブルネットの髪と、ウィリアムと同じ青い瞳を持つ公爵家唯一の公女である。

「けがらわしい、だと?」

 まさか、実の娘にそのように評されているとは思ってもいなかったウィリアムは面食らった。

「えぇ。可愛い愛娘の訴え、納得がいきましたわ。そもそも閣下。あの子むすめを息子たちと差別していましたよね? ただご自分の髪色を受け継がなかったというだけの理由で」

 ウィリアムは息を呑んだ。
 差別? そんなこと、していただろうか。

「わたくしたちの間に、もともと愛情などありませんでしたが信頼はあると思っておりました。けれど、人として尊敬できない振る舞いをする男に対して信頼なんて消え失せましたわ。
 わたくし、閣下と同じ邸で生活するのは御免被りますわ。。この話、息子ふたりにもしましたのよ。そうしたらふたりとも憤慨してしまって……」

「ダミアンたちにも話したのか!」

「あたりまえです。自分の父親の所業、同性としてどう感じるのか問うてみましたわ。答えは同じ『キモチワルイ』でしたわね」

「っていうか、公爵閣下はもともとナルシストだからね。ナルシストのうえマザコンでロリコン。どこに出しても恥ずかしい、立派な変態だ」

 公爵夫妻の会話に横から口を挟んだのは、オフィーリアの背後に立つ黒髪の青年だった。

「きさまっ! 従僕のくせにさかしげに! 下がれっ!」

 ウィリアムはオフィーリアの背後に立つ青年を睨みつけ強く叱責した。
 だが彼は不遜にも呆れ果てたような表情をしながら腕組みをし、逆にウィリアムを睨みつけた。とてもあるじの前でする動作ではない。

「ウィリアム・シャーウッド公爵閣下。本当に、判りませんの?」

 オフィーリアの表情がガラリと変わった。
 先ほどまでは貴族夫人として優雅な笑み(アルカイックスマイルと言われる内心を見せないそれ)で取り繕っていたのに、今はどうだ。嫌悪感を露わにした蔑むような顔でウィリアムを睨む。

 ウィリアムは妻の急な変化に戸惑った。

(『ほんとうに、わかりませんの?』とは、どういう意味だ?)

 オフィーリアの顔と、彼女の背後にいる従者の顔を交互に見る。
 ふたりともよく似通った外見――オフィーリアは艶やかなブルネット、従者は黒髪――でウィリアムを不機嫌そうに睨んでいる。

「そうか。その男がおまえの愛人か」

「――は?」

「ふたりともよく似ている。暗い髪色をして、おまえの生家の人間か?」

 ウィリアムが睨むとふたりは絶句してなにも言えない。

 これが彼女オフィーリアの弱点か。
 この点を突き、この場を有利に運ばせる……なんとしても妻を王都へ帰還させなければならない。
 いつも元老院議会で舌戦を繰り広げているのだ。妻の行動ごとき舌先三寸で操作できないでどうする。

 ウィリアムがさらにことばを紡ごうとした、そのとき。

下種げすの勘繰りというか、人間とは自分が基準なのだとつくづく実感しますね」

 そう言いながらノックもなく入室してきた若い男―――彼も長い黒髪を背後でひとつに結んでいた――が、まっすぐにオフィーリアのもとへ進むとぶ厚い茶封筒を彼女へ渡した。親し気で遠慮のない動作から、どうやら彼もオフィーリアの従者(愛人?)らしいと伺えた。彼はオフィーリアの背後に周り、先ほどウィリアムに暴言を吐いた青年の背中を軽く叩いている。

 そして視線をウィリアムへ寄越しながら口を開いた。

「ほら母上。やっぱり判らないみたいですよ」

「え? ?」

 オフィーリアは三人の子どもを生んだ。
 男子ふたり、女子ひとり。
 オフィーリアを『母上』と呼ぶのは長男のダミアンと次男のハーヴェイ……。

「いや、……だが、……あの子たちは、金髪だったじゃないか……私の子はふたりとも、金髪だった!」

 長男も次男も、ウィリアム譲りのうつくしい金髪を持って生まれてきた。瞳の色はオフィーリアと同じこげ茶色だが……。

 目の前に立つ従者ふたりの瞳の色は……オフィーリアと同じこげ茶色……。
 髪は、どちらも漆黒。まるで染めたように、不自然なまでに漆黒……。

 

「『私の子はふたりとも』……ねぇ……。わたくしの生んだ子は、三人とも閣下のお子ですよ。……わたくしのブルネットを譲り受けたエリカは、ご自分の子とはお認めにならない、というわけですか……やれやれ。偏見にしてもヒドイわね」

 オフィーリアはとうとう扇子を広げて顔の下半分を隠した。

「髪の色だけが目印だから、僕たちの顔なんて覚えてないんだよな。息子を妻のツバメだと勘違いするようなゲスい父親なんて、恥ずかしくて二度と肉親だなんて名乗って欲しくないね」

 この辛辣な物言いは次男のハーヴェイ。たしか……確か年齢は……十八歳だったはずと、ウィリアムは震えながら考えた。

「それでも血縁上は父親だ。残念なことにな。だが我々は父親を他山の石とすることはできる」

 こちらの髪の長い方は兄のダミアンか。
 なぜあのうつくしい金髪をわざわざ漆黒に染めてしまったのかとウィリアムは愕然とする。ダミアンは二十歳になった、はずだ。

「あぁ……反面教師ってやつか。そだね。兄さんの言うとおりだ」

 オフィーリアの愛人だと思った従者は、ウィリアムの息子たちだった。
 ここ何年も会っていない。
 仕事にかまけて息子たちとの交流をおざなりにしていたが、そういえばダミアンは髪が長かった……ような気がする。ウィリアムは彼の息子たちの顔すらよく覚えていなかった。
 オフィーリアの先ほどの問いかけ『ほんとうに、わかりませんの?』とは、このことだったのだ。

『ほんとうに(ご自分のお子の顔すら)わかりませんの?』



「先ほどハーヴェイが言ったとおり、公爵閣下はナルシストだからご自分の金髪を受け継いだ我々のことはそれなりに目をかけてくださった。……まぁ、顔まで覚えておられなかった程度ですがね。
 けれどエリカのことは一切顧みられなかった。その存在から無視されていた。ブルネットに生まれたというそれだけで。あの子は父親譲りのとても美しい青い瞳を持っていますがね」

 ダミアンが冷たい瞳で父親を見ながら言う。

「兄さん。『父親譲り』なんて言い方したらエリカが怒るよ」

 ハーヴェイは父親の顔など見ないで言う。

「あぁ、すまない……そしてマザコンなのは……まぁ、男はある程度仕方ないとは思うが。おばあさまも若かりし頃はうつくしい金髪だったとか。白髪になってしまった今では会いに来ることすらしないと、おばあさまもお嘆きですよ。
 あぁ、意外そうな顔をなさってますが、我々は領地へ頻繁に赴いていますからね。領地の本邸宅にいるおばあさまとの交流もあります。
 閣下が帰らないあいだにエリカが母とおばあさまとの仲を取り持ちましたよ。おばあさまはもうブルネットに対する偏見は解消されています。
 ……そんなに意外ですか? 嫁姑の仲をどうしようもできなかった方には。孫娘の魅力のお陰かと思いますが、閣下は何年も、それこそここ十五年ほど帰っていらっしゃいませんよね」

 事、ここに至ってようやくウィリアムは気がついた。
 妻も息子たちも。
 だれもがウィリアムを『閣下』とか『公爵閣下』とか、肩書で呼んでいる。

 とても、他人行儀に。

 結婚したばかりのオフィーリアに名前で呼ぶことを許したはずなのに。
 幼いころの息子たちは『おとうさま』とか『ちちうえ』とか、呼んでいたはずなのに。

 ダミアンの冷たい声は続く。

「そして、エリカが訴えたのは自分が父親から無視されているという事実だけではないのですよ閣下。いいえ、それだけならばなにも言わなかったとあの子エリカは言ってましたよ。
 たとえ、目の前にいてもいない者として扱われようとそんなことは我慢できたと。
 金髪の愛人……あなたが連れてきたシンシア嬢、でしたか? あの娼婦が自らエリカに言ったそうです。『おとうさまの愛情はすべてわたしのものです』と。そして赤裸々に閨での父親のようすを語って聞かせたのだとか。嫁入りまえの公爵令嬢に。
 閣下。あなたはご自分の愛人に、それも自分の娘エリカと同じ年の愛人に『おとうさま』と呼ばせているんですって? 閨でも。本当の娘にならないかと提案しながらその娘を孕ませたんですって?」

 そうだ。
 シンシアは妊娠している。彼女が妊娠したからこそ、王都邸宅へ引き取ったのだ。
 ……ウィリアムの子どもをちゃんとした環境で生ませるために。

 ダミアンは言葉を続けた。

「もしかしてエリカが金髪に生まれていたら……なんて邪推ですかね、ロリコンの公爵閣下」

 長男ダミアンの声は平坦で感情の乗らない冷たいものだった。
 そしてその眼差しも冷たかった。

 ――軽蔑しきった眼差し――

 先ほどオフィーリアはなんと言ったか。
 息子たちにも話したと。同性としてどう感じるのか聞いてみたと。
 彼らの返事は『キモチワルイ』だと。

 同じ邸内に愛人シンシアを入れてしまったから、彼女はエリカに会う機会を得た。
 公爵閣下の閨の秘め事など、娘が知る必要ないことを愛人はぺらぺらと暴露した。
 その暴露話は公爵夫人と子息の耳にも届いた。

 結果、実の息子からこんな軽蔑しきった瞳を向けられるようになってしまった。
 その場の重苦しい空気にウィリアムは口を閉ざした。


 


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