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夕焼けの空について、思う事あれやこれや

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 秋の日の夕方に擦れ違った親子の会話から、あれやこれや思ったり思い出したりしたこと。


 ◇



「見て! 夕焼けみたい!」
 と、弾んだ声で幼女が言う。

「え~、何言ってんの、夕焼けだよ」
 母親は、軽く笑いながら幼女に応えた。

 夕暮れ時、私とすれ違った自転車に乗った親子連れの何気ない会話。

 はて。
 自転車の後ろに乗った幼女の言う“夕焼けみたい”とはどんな空なのか。疑問に思った私は、何気なく背後の空を振り返り見上げた。

 なるほど。

 西の空は、雲が薄く薄紅色に染まっていた。
 いわゆる、ピンク色。
 確かにこれは“夕焼け空”と胸を張って言えない色だ。

 夕焼けの空、と言って思い浮かぶテンプレート色は、もっと朱色主体の色だ。オレンジ色、朱色、バーミリオン。茜色もそれに当たるか。

 大人にしてみれば、空が染まり始めるこの時間帯から“夕焼け”と認定されるだろうが、幼女的には、あのピンク色だと“まだ”夕焼けではなかったのだろう。
 だからこそ、“みたい”という表現だったのか。

 そこまで思い至って、もう一度振り返って見あげた空は、もう既に朱色が混ざった“夕焼け”の空だった。

 秋の日はつるべ落とし、とはこのことか。
 なるほど。


 夕焼け空で思い出す事が一つ。

 その昔、息子がまだ小学校低学年だった頃。
 冬の始まりのある日の夕方。
 赤い頬をして帰ってきた息子が、私を外に早く早くと無理矢理連れ出す。
 かーちゃん、夕飯作ってる最中だがね。
 いいから見て! と言って息子が指した西の空は、それはそれは、とても見事な夕焼けの空だった。

 自然は芸術家なのだな、としみじみ思いつつ。

 私は、とても、嬉しかった。

 あんなに小さかった息子が、この風景を綺麗だと思うまでに感性を成長させたこと。
 それを誰かと共有したいと思うまでに社会性も成長させたこと。
 それを見せる相手に選ばれたということ。
 それらが、とても嬉しかったのだ。

 実際問題として、一人っ子の彼には母親わたしくらいしか相手はいなかったのだろうが。

 ね! 綺麗でしょ?
 なぜか得意げな息子が可愛くて。
 でもそれは、やっぱりあっという間に変わってしまう風景で。

 忘れたくないな、と思った。

 あの時小学生だった息子が、今や立派な大学生。
『秋の日はつるべ落とし』が如く、人もあっという間に成長してしまうのだった。



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