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歯医者はサディストである。
しおりを挟む歯医者はサディストである。
異論は認める。
だか、私は思う。
歯医者はサドだ。サディストだ。でなければ日々心がすり減り摩耗し生きていることさえ困難になるだろう、と。
日常的に患者の口に手を突っ込み、暴力的な音を奏でる機械でその肉体を削るのである。サディストならさぞ毎日が楽しく、日々人のうめき声と痛みに歪む顔を眺めご満悦であろう!
わりと長く生きてきた私は、あの歯医者の持つ歯を削る機械からもたらされる音が、兎に角嫌いだ。不快な音階は神経を逆撫でするし、長く聞くと不安に苛まれ、やがて冷や汗が出て胃の腑が落ち着かなくなる。
幼少期に歯の治療で泣き叫んだ記憶が呼び覚まされる。
昔は今ほど歯の治療に麻酔は使われなかった。と思う。
兎に角、痛かった。歯の奥に響く治療による痛みは脳に直接伝達され全身を駆け巡り、身体が硬直し、恐怖を倍増させる。虫歯による痛みの方がマシなんじゃね?と思わせる程に。
怖かった。麻酔なしで歯を削られるのだ。身体を仰向けに固定され、上からピンポイントでライトが照らされ、無理やり大きく口を開かされる。よく顔も分からない大人の男の人の手が口腔内に入れられる。恐怖以外のなんだ?ヘソ天はそもそも降参のポーズだ。降参しているのに更に痛い目に合わされるのだ。恐怖が続く。
泣いた。その怖さを誤魔化すために何かを握りしめてやり過ごした。補助に付いてくれた歯科衛生士のお姉さんの腕を握りしめていた記憶もある。彼女は暴れる私の身体を保定する役もあっただろうが、可哀想な役回りだと、今なら思う。多分、思いっ切り爪を立ててた筈だから。そう言えば、頭部を固定する人も居たな。子どもの治療は歯科医師側にも労力が必要だ。
これらの記憶は、小学校低学年の頃までの記憶。すっかり歯医者はトラウマな存在だ。恐怖の対象でしかない。
そして私にマゾヒストの素養はない。
痛い思いは大嫌いだ。アレにうっとりする事が出来たのなら苦労はなかった。
疑問だったのは、歯医者の
『痛かったら手を挙げて教えてくださいね』
という言葉だ。
どんなに手を挙げて痛い事を表明しても
『もうちょっとだけだから』
『あと少し我慢して』
『はいはーい』
なんだ?あれ。
痛いんだよ、怖いんだよ、ちょっとだけでいいから待って欲しいんだよこっちは!!
嘘つきめ!
こちらの要望を訴えたところで改善する気が無いのなら最初からそう言え!あたかも改善するかの様な言葉を投げかけるな!
子どもながらにそう思った。
だが言えたことは無かった。
こちらはヘソ天して生殺与奪の権利を奪われているのだから。
嘘は良くない。
大人になってからも歯医者行きは免れない。
幼少期に治療したハズの箇所が再発するのだ。被せていたブツが取れたり、内部が悪化したり。
だが有難いことに、時代が進み治療方法も様変わりして来て、麻酔を多様出来るようになった。
本当に、心の底から有難かった。
麻酔注射を打つ時に
『ちょっとチクっとしますよ』
の声は気にならない。注射のチクっくらいは、全然全く許容範囲だ。なんならバンバン打ってくれ給え!な心境だ。
麻酔で感覚が無くなって、口を濯ぐ時に上手く唇を閉じきれなくて、ピュッと口の端から水が零れるのも滑稽で面白い。
歯医者にほんの微かだか、和みが生まれた瞬間だった。
今現在、私が通っている歯科医師先生は、私のトラウマをよくご存じで、治療中度々声を掛けてくれ、待ってくれる。私が戦っているのは過去のトラウマ。分かっている。今の先生は私に痛みを与えはしない。分かっていても冷や汗は出るし、治療が終われば全身の疲労感は半端ない。
我が子にこの苦労と恐怖を味わって欲しくなくて、子どもの歯に関しては割と気を使った。歯磨きは勿論、虫歯は親から感染するので、接触には特に注意を払った。親の使った箸でそのまま子に食べ物を与えないように等。
その苦労の甲斐あってか、息子に虫歯はない。歯列矯正も受けさせたので、歯が痛いという感覚は知っているだろうが、あの機械で削られる恐怖を彼は知らない。それでいいと思う。
そういえば、昨今の幼児に対する虫歯の治療は、削ったりしないのだとか。痛みを与えない治療。素晴らしい!
思えば私自身は、長女だが親から見たら第2子で、兄の世話をしながら私の面倒を見ていたら箸の共有は仕方なかったかもなぁと思う。(兄に虫歯はほとんど無い。腹立つ)
今現在も歯医者との付き合いは続いている。
歯の根の治療やら、インプラントやら。歳をとっても自らの歯で生活したいのなら、この付き合いは続く。
サディストの事を省略してサドとかSとか言う。そのSはサービスのSだと言う。マゾが潜在的に求めている事を率先して行う、それがサドなのだと。
そういう意味では、いまの私の担当歯科医師先生は、紛れもなくサドだ。声掛けして待ってくれるサド先生。前かがみの姿勢が続く職業なので、肩凝りと腰痛持ちが多いと聞く。養生してください。
恐怖をやり過ごす為にハンカチを握り締めながら、ヘソ天で冷や汗を流し治療後は全身疲労でぐったりする。
私はマゾでは無い。
繰り返す。
私は決してマゾでは無い。
この苦行を続けているのは、自分の歯での生活を続ける為であって、恐怖体験を楽しみたいからでは無いのだ。
『あとさん♪さーん。次の予約は〇日ですね、本日のお会計は〇〇円です。お大事に~♪』
『はい、ありがとうございました…』
マゾでは無いのに、なぜありがとうございましたと言って帰らねばならないのか。
NOと言えない日本人だからか。
終わりがありそうでない歯の治療を終え、ヨロヨロと帰宅しながら、これ、エッセイにしようと企んだのであった。
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