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閑話 騎士シモン・ジェットは思う。
しおりを挟む「今日もローズは絶好調で凶悪なまでに愛らしかった……」
少々放心状態のラファエル・ディアマンテは、よく独り言を溢すようになった。
彼の愛馬『黒王号』は主人の状態をよく把握している。主人が心ここに在らずの時はゆっくりと歩く。
シモン・ジェットは思う。
このうっとりとした顔で脳内に愛しい女性を思い浮かべるただの19歳の若者と、ローリエ公国通いを重鎮揃いの議会に納得させたあの日の堂々とした王太子の姿と。
誰が同一人物だと思うだろう。
ラファエル王太子はあの日、力強く語ったのだ。
王太子である自分が通うことで、かの国の内情を無理なく知ることができる。あわよくば、100年前に独立したかの国を、再び取り込める千載一遇のチャンスなのだと。
そう言って国王陛下を始め上層部や重鎮たち気難しい面々を納得させ、議会の承認を得て、いそいそとローリエ公国に通っているのだが。
詭弁である。
確かに100年前のローリエ公国の領地は、セントロメアに属する辺境伯領だった。だがその武力を背景に一度独立したものを、再び合併させるのは至難の技だ。
その至難を、この王子殿下は成し遂げてしまうのでは? という幻想を人々に抱かせ、錯覚させたラファエルの勝ちともいえる。
彼の堂々とした態度はなぜか説得力を持ち、周囲はあれよあれよという間に彼のペースに乗せられてしまう。これが正しい王族のカリスマ性というものなのかもしれない。
ある意味、稀代のペテン師ともいえる。
だが、合併はできなくとも超友好国にすることは可能だ。
ローズマリー公女の立場はそれだけ重要である。
かの公国民は、みな主のためには犬よりも忠実になる。その国を味方にする意味は大きい。
「殿下。お心が駄々洩れになっております」
「あぁぁぁぁっぁぁあぁぁぁぁっ! あと29回っ。頑張れ僕。僕はできる僕はできる僕はできる」
シモン・ジェットは思う。
彼の若き主人は、今まで無理だと思われていたことを次々と成し遂げてきた。
学園に通うまえから公務を担い、周囲の信頼と実績を勝ち取ってきた。その類まれな頭脳で改革案を次々と出し、国内を潤わせた。結婚などせずとも王太子に叙任した。
この王子は今までの王子とは違う。彼に任せればこの国の未来は明るい。
そう思わせるなにかが、彼にはあるのだ。
そんな彼の思い通りにならないもの。
ローズマリー・ローリエ。旧姓はローズ・ガーネット。
あの公女も、また凄い。
国の南部から南西部にかけて、彼女の『託宣の聖女』という名声は凄まじい。特に商人たちから絶大な人気を誇り、商売の守り神扱いされているのは仕方がないだろう。実際、商業都市サウスポートを守ったのだから。
だが、サウェスト辺境伯領を中心とする地での彼女の評価は『戦女神』だ。
彼女の語った戦術がずばり的中したことが大きかったらしい。
そしてなにより補給と休息の重要性を懇切丁寧に語り、それとともに肉体労働になる騎士たちのために考案された食事メニューなどの素晴らしさで、彼らの心を(胃袋を?)鷲掴みにしたという。
そしてここ、北東地区でも別の賞賛が彼女に与えられている。
ローリエ公国公女の名を語るとき、欠かさず言われる『託宣の聖女』という二つ名とともに、○○の女神という賞賛の声は、彼女の実績の証でもある。庶民に絶大の人気を誇るのだ。
そんな才女を王妃に頂く意味は大きい。
「殿下はなにも間違っておりません。ご自分の思うまま、邁進なさいませ」
思わず零れたことばは、若き主の耳には届かなかったらしい。
「ん? なんだって?」
「いえ。何も」
とりあえず、ひとり不毛な煩悶を繰り返す状態を抜け出し、こちらに気を配ってくれた。
なによりである。
「そうか。……シモン、ケイトは怒っているか?」
なにを藪から棒に、この人は。
「殿下がいつまでもローズさまを連れ帰らないことに対して、でしょうか?」
「違うっ! 僕がお前を引きずり回すことに対して、だ」
一応、部下を気遣った……のだろうか。
たしかに超過勤務であるのは否めない。連日のこんな強行軍は、体力のあるモノでないと無理だろう。
若いっていいなぁ。
「妻は……特になにも。大事の前の小事、だそうです」
「お前……小事扱いか」
「御意」
主から憐みの視線を寄越されたのが解せない。
しばらく馬のひずめがカポカポと呑気な音を街道に響かせる。
そういえば、この道が新たに整備されたのもラファエル王太子の手腕だった。
最初は王子の自費で始めた街道の整備に、いつの間にか商人からの寄付が集まり、裕福な下位貴族を中心にその輪が広がった。資金は潤沢になり、街道の整備を公共事業にし労働者も潤う。王子の名声も高まる。いいこと尽くしだ。
お陰で通い易くなり、なにも無かったはずの街道が賑わうようになった。
「それはそうと、教会の動きは? 例のアレは、やはりローズの筆跡だったか?」
「御意」
「なるほどね……まったく。『聖女印の免罪符』など、よくもまぁ考えつくものだ。だがこのまま教会の奴らが私腹を肥やし続けるのを黙って見ているのも業腹だ」
いつの間にか、この東北部を中心に『聖女印の免罪符』なるものが注目されるようになっていた。
教会も黙認していたそれは、入手すると死後、絶対天国に招き入れられる保証書だという。この世で犯した罪を全て清算し、天国が保証される証明書。それが『聖女印の免罪符』。
かなり高額な寄付で取引されているそれ。
高額な寄付ができない者は、巡礼の回数を重ねると同等のモノが手に入るのだとか。
あまりにも胡散臭いが、『聖女印』という文言が気になり調査してみれば、発案者も施行人も『託宣の聖女』だというから驚いた。
どうやらローズマリー公女はあのなにもない女子修道院に寄付が集まる方法を伝授したらしいのだ。
実に俗っぽい。
「しかし、ローズさまが滞在された修道院にもっとも利益還元されているようです」
勿論、教会にもそれなりの金が流れている。
「ふっ。僕のローズは義理堅いからな」
なぜか自分の手柄のように誇らしげな顔をする若き主人。
プライベートでは、ほぼ無表情。人前では常に一定の静かな笑顔を浮かべる第一王子殿下だった。
そんな彼がここ数年で、ここまで表情豊かになるとは夢にも思わなかった。
だが、よい傾向だと思う。
「御意……ローズさまが輿入れされた暁には、王家に回る利潤だと愚考しますが」
「違いない。とはいえ、教会の奴らを納得させるために全没収だけは避けてやってもいい」
実に人間らしい楽し気な顔をするようになった。
……もっとも、無邪気な少年のそれではなく、どちらかといえば策謀を巡らせる黒幕然とした表情だが。
幼少時はもっと愛らしく素直な少年だったのに。
「……殿下。こういうお話を、ローズさまともなさってますか?」
「? あぁ、よくしている。ローズは賢いからさまざまな考えが浮かぶようだ。彼女と話す時間は、実に楽しく有意義だよ」
ローズマリー公女の話をするときだけは、無邪気な少年のように瞳を輝かせる。
「……それ、ほどほどになさいませんと、誤解されますよ」
「誤解?」
「ローズさまのことです。有意義で有益だから自分と結婚するのだろう、と言いかねません」
「え」
「『恋愛がしたい』とご希望のローズさまに、そんな誤解されてどうします? 有意義とか有益とかそんなもの枝葉で、実際のところご本人に恋焦がれて気が狂いそうになっているのだと、ちゃんと伝えてますか?」
「え゛」
「乙女心は複雑怪奇ですよ」
「……」
頭脳明晰でどんな人間を相手にしても怯まず、鼻で嘲笑いながら他者をゲームの駒のように扱う男。それがラファエル・ディアマンテ。シモン・ジェットの若き主人。
だがそんな主人の優秀な頭脳を唯一狂わせ振り回し、感情的にさせてしまう相手がいる。
いまも、若き主人は途方に暮れたような情けない顔でこちらを見ている。
シモン・ジェットは思う。
主人のために、そんな相手は始末するか懐にいれて隠してしまうかのどちらかだ。
だが、前者は主人には不可能だ。
ならば後者しかない。
そちらの選択をした方が、主人が人間らしくなるのも解っている。
しかし、あの公女が大人しく隠されているような珠だろうか。
これからさきの未来、いったいどうなるのだろうか。
「実に、楽しいですね」
「なにがっ⁈」
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