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閑話 ラファエル王子(13歳)
しおりを挟む記録水晶が映しだす過去の映像 を観ながら、セントロメア王国、第一王子ラファエル・ディアマンテの頬に、ひとすじの涙が流れた。
懐かしい映像には、幼き日の自分が笑っていた。その傍らには赤みが強い金髪の愛らしい美少女がいて、やはりあどけなく笑っている。
幼かったが、あの日のことはよく覚えている。
母である王妃殿下がある日、ふたりの女性を紹介してくれた。ひとりは、母と同じ年くらいの美女。もうひとりは、その娘らしい幼女。
『この子はローズ。ローズ・ガーネットと申します。殿下の許嫁となります。ローズ、ご挨拶なさい』
赤みが強い金髪の美女が自分の娘を促すと、丸い猫目をさらに丸く大きく輝かせた幼女は。
一度、腰を90度に曲げてお辞儀をした。びっくりした。それはメイドがやる仕草だ。この子は働きに来たのか? そう思った次の瞬間、ぱっと顔をあげてじっと自分を見つめた。大きな猫目がキラキラと輝いて、その藍色の瞳の中に夜空の星がある、と思った。その瞳を伏せ、少女はスカートをちょこんと持ち上げ、静々とカーテシーを披露した。完璧な所作だった。
『はじめまして、おうじでんか。ガーネットこうしゃく家がローズです。いたらぬ点もございますが、よろしくおねがいいたします』
はにかんだ笑顔が愛らしかった。
初対面は5歳のとき。ふたりで仲良くね、といわれ最初はおとなしく部屋の中で本を開いたりしていたが、次第に庭に出るようになった。ローズは『カクレンボ』や『カゲフミオニ』など、多彩な遊びを教えてくれた。
いつの間にかローズに誘われた王子宮のメイドや護衛騎士をも巻き込んで、大人数でやった『テツナギオニ』はとても楽しかった。いつもは澄ました顔で自分の世話をしている侍従たちも、皆良い笑顔で遊んでいた。
記録水晶が映し出す過去の映像では、幼い自分がぐちゃぐちゃに泣いていた。
『……いやだ、ローズ、と、けっこん、しゅるから……』
幼い自分が泣くと、それにつられるように幼い少女も泣いた。
『でんかぁ……』
人が泣くと、自分もつられて泣いてしまう優しい少女だった。ポケットからハンカチをだして、それを対面する王子の頬に流れる涙を拭う為に使うような、幼いながらも人を気遣うことのできる、そんな少女だった。
生まれながらの王子の許嫁。婚約者。将来はこの子と結婚する。
そう思っていたのに。
あの美女が亡くなったと母から聞いた。
それと前後して、少女は登城しなくなった。
侍従に手配させ花を贈った。あの優しい彼女の心中はいかばかりか。
ずっと心配していたのに。
一年は過ぎたある日、婚約者が登城したとの知らせに、内宮の応接室に呼び出された。
ローズなら王子宮に直接来るはずだ、どうしたのだろうと思ったら、ガーネット公爵に付き添われた知らない少女がそこにいた。ガーネット家の娘だという。そしてそれが自分の婚約者だと。
愕然とした。
その場には父である国王陛下もいて、有無を言わさぬ圧力を感じた。
『り、リリー、です。よ、よろしくおねがいします』
そう言って披露したカーテシーは、背も曲がりフラフラと危なくみっともなかった。年を訊けば一つ年下だった。7歳で挨拶の口上もろくに出来ずこの程度か。躾が行き届いていないなと感じた。
あとはふたりで仲良くしなさいと促されたが、王子宮に連れていく気は起きず、本宮庭園の案内をした。終始無言の少女に後ろから付け狙われている錯覚が起こった。
ガーネット公爵家にはローズがいるはずだ。彼女は君の姉だろう? どうしている? そう訊けば、リリーはひどく表情を歪めた。
人を嘲るような、貶めるような。
『ねえさまは、悪魔付きになってしまったのです』
そのことばの内容にも驚いたが、彼女がそういった表情に一番ぞっとした。
『悪魔付きになった』というのが本当なら、心配ではないのか?
リリーの表情は一切の心配をしていなかった。人の不幸が楽しくて仕方ないという歪んだ笑顔だった。
リリーは決して醜くはない。だが、言っている内容とちぐはぐなその醜悪な笑顔に寒気がした。
どんなに訊ねても、ローズの行方を聞き出すことはできなかった。遠い修道院に行った、自分もそれしか知らない、と。
婚約者の変更は絶対で、覆ることはなかった。
その時から、父である国王陛下が嫌いになった。それに輪をかけてガーネット公爵を憎んだ。
あいつは自分からローズを奪った憎い人間だ。己の娘をあっさり修道院へと追放し、王子である自分の意向を伺うことなく下の娘を宛がおうとした。
王子とはいえ、子どもである今はなんの力もない。国王陛下にも、公爵にも逆らえない。自分自身が一番歯痒かった。
いつかあいつを絶対後悔させてやる。そう誓った。
人を遣ってローズの行方を探った。だが、ただの王子という立場では限界がある。ローズの捜索は捗らない。
もっと賢く、もっと強くなければ自分の意見は通らない。
この国で一番の権力者は国王陛下。次は王太子。
このままなら、第一王子である自分が王太子になるのは既定路線だ。だが、この国の王子が王太子に叙任するには、結婚が絶対条件。伴侶を持って一人前だと認識されるこの国の王家は、結婚と共に王太子に叙任するのが慣例なのだ。
だが慣例など糞喰らえだ。もっと早く権力が、王太子の座が欲しい。結婚までなんて待っていられない。
その為に、日々勉学に励み研鑽を積み、騎士団に身を置き身体を鍛えた。
公務の一端を担うようになり、周囲の目が変わり始めた。
この年でこんな働きをするなんて、将来が楽しみだと。
流石、第一王子殿下だ、頼もしい。一日も早く立太子すべきでしょうとお追従を貰うまでになった頃、教会の動きが慌ただしくなった。
天使から予言を授かった聖女がいるのだとか。
ことの真偽を確かめさせれば、それはガーネット公爵家の領地で、海賊襲来を予言した少女がいたという。
もともと少女はガーネット公爵家の息女で、なぜか公爵家の邸宅ではなく女子修道院に身を寄せていた。少女が海賊襲来を予言していたにも関わらず放置していたとして、その土地は公爵家から没収した。後手後手にまわる公爵の不手際を指摘し、そんな家の息女と結婚など出来ないと国王陛下を唆し、リリーとの婚約を白紙撤回させた。
ちょっとだけ溜飲が下りた。
その時、ラファエル王子は13歳になっていた。
ローズは、いつの間にか『託宣の聖女』と呼ばれ教会に保護されているらしい。
噂では、大層聡明な少女なのだとか。
やっと、見つけた!
彼女は生きている!
焦燥で胃の腑が焼け付きそうに感じながらも、希望の光も見えて来た。
自分のしていることは間違ってはいない。だが急いては事を仕損じる。焦るなと己に言い聞かせた。
記録水晶が映しだす過去の映像を繰り返し観ながら、なにかヒントはないかと探る。
映像の中の幼いローズは語る。
『殿下はいずれ、わたくしを断罪し、こんやくはきを宣言するのです!』
王子はファティマという名前の男爵令嬢を寵愛し、婚約者を捨てるのだと。自分は『悪役令嬢』で、ファティマを酷くイジメるだろう。階段の上から突き落とすような愚行を犯すのだと。
『託宣の聖女』の託宣が、そこにはあった。
だがオカシイ。
あの優しいローズが、そんな非道な真似をするのだろうか。そしてガーネット公爵令嬢との婚約は既に白紙撤回されている。
結ばれてもいない婚約の婚約破棄宣言などできない。それも学園の卒業式で、だと?
そして今のところ、ファティマという名の男爵令嬢は存在しない。
この乖離はなんなのだろう。
幼過ぎて予言の精度が低かったのか?
占い師は自分の未来が視えないという、それに近い現象だったのか?
答えはすぐ未来、学園に入学してから明かされるだろう。
いずれにせよ。
自分の覚悟は決まっている。
ローズと結婚する。幼い日に立てた誓いをまっとうする。
それだけだ。
だが、あの憎いガーネット公爵家と縁戚になんかなりたくない。あの家は没落させてやる。探っていればぽろぽろと悪事を重ねている公爵家など、この国には必要ない。
そして教会。
どんなにローズの身柄を要求しても頑としていうことを聞かない。
聖女を擁する教会など人心が集まり過ぎて厄介極まりない。王家に逆らおうとするその姿勢も、ローズをこちらに渡さないその態度も、なにもかもが気に入らない。
宗教を潰すなどできはしないが、いつか一泡吹かせてやる。
聖女は自分が貰う。
もともと、『聖女』などと呼ばれる前から、あの子は自分の許嫁だ。正当な権利なのだ。
記録水晶が映しだす過去の映像を繰り返し観ながら、ラファエル王子は愛しい少女が成長した姿を夢想する。
きっと彼女は、彼女の実母によく似た風貌の美しい女性に成長するだろう。
あぁ、早く。
早く、彼女に会いたい。
会って。
幼かったあの日のように、この手で彼女を抱き締めたい。
王子の希望が叶うのは、まだ少しさきの未来の話である。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
※注1
拙作『こんやくはき』に詳細が記されております。宜しければご確認くださいませ
<(_ _)>
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