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12.婚約の懇願
しおりを挟む「ガーネット家の令嬢とは早々に婚約解消していたそうだよ」
あまりにもカメリア妃が騒いでいたせいだろうか。いいタイミングでローリエ大公が妻の執務室に入室しつつ、話しかけた。
立ったまま話し込んでいた母と娘は、第三者の登場を機に場所をソファセットに移動することにした。ちゃんとメイドに言いつけてお茶の支度もさせた。
ちょっと興奮ぎみだった公妃には丁度よかったかもしれない。
(なんて良いタイミングなの! まさかお義父さまったら、扉の前で聞き耳立ててたのかしら。それで『はなしは聞いた!』と乗り込んできた感じよね。その技は太陽〇吠えろの山さんの専売特許だと思っていたわ)
その間、ローズの脳内には懐かしの刑事ドラマが過ぎっていたのだが、それは誰にも解らなかった。
◇◇
ローリエ大公セージはお茶の時間にはコーヒーを所望する。そしてパイプに火を点けゆっくりと煙を燻らせる姿が、なんだか大人の男性の象徴のようで、ローズはうっとりと見つめる。
彼は、国内の有力貴族の子息で若い頃から公女カメリアの婚約者であったと聞く。二人は政略結婚ではあったが、仲睦まじく過ごしている。
仲睦まじ過ぎるせいか遠慮がなく、夫がパイプに火を点けると妻はすぐに窓という窓を自ら開け放つ。
流石に冬場はそこまで強硬手段には出ないが、(大公の方が喫煙室へ避難する)この夫婦はこれで仲違いするわけでもないのだから、面白いなとローズは思う。
今もパイプに火を点け長い脚を組んだ大公が、ローズの瞳を見ながら話し始めた。
「セントロメア王国のラファエル王子だが……、彼は3年ほど前から我が家に『ローリエの姫君との縁組を望む』と、申し込んできてね……あの頃は、我が家に姫など居ないのは周知のはずなのにと、首を捻っていたのだがね。まったく、あの王子は……」
大公はなにかを思い出したように微笑んだ。
「もう何年も前から、自分の婚約者が我が国に来ることを予見していたかのようだ。彼はまるで『託宣の聖女』に何か託されていたのでは? と思うほどだよ。
カメリアにギベオン商会を紹介したのもラファエル王子だったよな? 『この商会は信用できます、特に聖女に関しては』という不思議な文言が入った紹介状だったね」
(ラファエル王子はローリエ国に公女が来ることを予見していた?)
「そう、だったわね……わたくしがローズのことを問い合わせてもはっきりした返事を寄越さないセントロメアの中で、唯一、絶対ローズを探し出すと返事をくれたのはラファエル王子だけだったわ」
無言で部屋の窓を自ら開けていたカメリアが、ローズの隣に座ると話しに加わった。
(ラファエル王子が、わたしを探していた?)
「アイリスが……わたくしの妹が亡くなって、ローリエとセントロメアとの繋がりは貴女の存在だけが頼りになってしまったから、貴女は大事に扱われていると思っていたわ。貴女は確かにわたくしと血の繋がった姪なのに、頻繁に会えないなんて不満だったけど、王子の婚約者だったから、いつの日か成長した貴女と再会できると耐えていたわ……」
それが、ある日の夜会で妙な噂を聞いた。セントロメア王国の王子の婚約者の名前が『リリー』だというのだ。
そんなはずはない。自分の姪の名は『ローズ』だ。
カメリアはあらゆる伝手を使い、ローズの現在の状況を調べた。
なんと、ガーネット公爵邸に居るのは次女だけ。(次女がいることも業腹だったが)長女のローズは修道院に送られているという結果に眩暈がした。
なぜだ。
ローリエ公国との絆の象徴ではなかったのか?
彼女はどうしているのだ?
正式に国を通して抗議をすれば、のらりくらりと返答を伸ばした挙句、どうやら聖教会に匿われているという返事がきた。しかもどこにいるのか分からないという。ローリエ公国でも宗教は同じだ。国を通さず、直接教会にローズの身柄を渡すよう要求すれば、『託宣の聖女はこのまま修道女になる』などと巫山戯た返事がきた。
そんなこと到底看過できない!
なんとしても姪を手元に引き取りたかったカメリアに、セントロメア王国第一王子から親書が届いた。彼は、彼だけはローズを探し出す、彼女の身柄の安全は保障する、修道女にもさせないと明言した。
「今思えば、ギリギリのタイミングだったと、私は思うよ。ガーネット公爵家が没落する寸前に、君は彼の家を抜け、我が家の養女になった。公にガーネット家が没落してからだと、こうもすんなり手続きが通ったかどうか……いや、すんなり行き過ぎだ。ラファエル王子が手を回していたと考えた方が納得できる」
そうだ。
実家が没落したあとだったら、一族に連なる者として連座式に罪に問われたかもしれないのだ。
それを逃れる為には名を捨て、俗世を捨て、正式な修道女になるくらいしか道はなかった。
そしてフィト・ギベオンによって性急ともいえるほど素早く国境を越えた。
それも全部、ラファエル王子の計画だったのだろうか。
「あぁもう! だからローズにこの話はしたくなかったのよっ」
カメリアが急に声を上げ、隣に座っていたローズの肩を掴み、自分に抱き寄せた。
「ローズ。わたくしの愛しい姪にして可愛い娘。貴女の心がセントロメアに向かってしまったのが判るから、かあさまはとてもツライわ。わたくしはあの国がキライよ」
「でも、ラファエル王子は信用している。そうだろう?」
「それは……」
夫のことばに妻の勢いが弱まる。
「アイリスの棺をこっちに送ってくれたのは、彼の王子だったよね?」
「え? 母さまの棺?」
「三年ほど前だったかな。こっそりとね。アイリスの棺はガーネット家所縁の教会ではなく、王都の聖教会本部に安置されていたそうでね、参る人もいないのでは憐れ過ぎると故郷に帰ってきたんだよ」
ガーネット家は歴史ある公爵家なので、先祖代々が埋葬されている教会があった。そこに正妻の棺を埋葬しなかったとは。
(改めて、父さま……いいえ、ガーネット公爵の鬼畜具合が分かるわね)
とはいえ、お家断絶の憂き目に遭ったのだ。充分報いは受けているといえよう。
「そ、りゃあ……あの王子なら、少しくらいは信用してやってもいいかもしれないわ」
(カメリア義母さまったら。ツンデレのデレが発動してますわ)
「そしてつい最近もね、『どうかご息女との婚約を切に切にお願いします。そして、ひと目ご息女さまとの面会を! 一日でも早く!』という内容の懇願書が届いてね。ギジェルミーナはそれで知ったのだろう」
『懇願書』? で婚約って申し込むものなのだろうか? なかなか聞かないが。
「だからね、ローズ。カメリアは意地悪して君に話さなかった訳じゃないんだ。それだけは、解って欲しい。折りをみて、私が話すつもりだったんだよ?」
「ろーずぅ……やっぱり、お嫁に行っちゃあ、嫌よぉぉぉ」
いつの間にか義母に縋り付かれ、泣かれている。彼女の背をぽんぽんと宥めるように優しく叩きながら、ローズは困惑していた。
ラファエル王子が自分を探していたという事実に。
そして、なにやら色々と便宜を図っていたことに。
彼との思い出は、幼い日に、それも5~6歳という幼児期に一緒に遊んだことだけ。
ローズとしては少女漫画の記憶があるが、王子にはないはずだ。幼少期にローズが言った奇天烈な『婚約破棄』の話も、覚えているのかどうかも判らない。
彼はなにを思い、なぜローズに拘っているのだろうか。
「お義父さま。婚約の返答をする前に、ラファエル王子にお会いすることは可能でしょうか」
なにはともあれ、一度会ってみたいとローズは思ったのだ。
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