7 / 26
7.この世界の本当のヒロインは……
しおりを挟む「それで? ファティマに酷いことした学生は、どうなりましたの?」
シスター・ジェンマが憤慨したようすで話しかける。彼女にとってもファティマは愛すべき、庇護すべき子どもになっているようだ。
「そのときの私は……階段の下でエルナンの腕に掴まって震えていただけで、実際のその場は見ていないんだけど、現行犯で捕まりましたからね」
どうやら王子殿下の護衛の者がファティマを突き落とした人物を確保したらしい。そしてすぐに警邏部に連行されたとか。
「その令嬢はいつもリリーの取り巻きだった令嬢で……連行されながらもリリーに助けを求めていましたよ。リリーさまの命令があったから、自分は動いたんだって喚きながら」
肩を竦めるファティマ。その手を握りながらローズは思う。
こんな風になんでもないことのように話しているが、階段を突き落とされるなんて経験、恐ろしかったに違いない。その一瞬は、死を覚悟したかもしれない。
凶刃を前に、死の恐怖を覚えた経験を持つローズは慰めのことばも思いつかない。
エルナンが間に合い助けてくれて本当に良かったと思う。
「ローズ、ローズ。私は大丈夫だよ? ローズがそんな顔しないで? ね?」
自分では分からないが、どうやらそうとう顔色が悪くなっているらしい。ファティマの方からも固く手を握り返される。彼女に心配をかける気などなかったのに。
「あらあら。ローズったら心配性ね」
「仕方ないわね。ローズにとってファティマは友だちであるのと同時に娘みたいなものですもの」
シスターたちは明るく穏やかに場を和ませる。彼女たちはローズの心情も(そして命を狙われていたことも)あるていどは理解している。
「むすめぇ? 同い年ですよ⁉⁉ いくらローズにレッスン付けて貰ってるからって、娘はないでしょう⁉⁉」
「あらあらぁ。手のかかる娘ですねぇ」
「ローズまでぇ! もぅ!」
頬を膨らませるファティマの姿に笑いが起こる。人生経験の厚いシスターたちには感謝しかない。その場が和んだことにローズは安堵したが、ファティマと繋いだ手はまだ少し冷たいままだった。
◇
「それで結局のところ……おおもとであるリリーは罰を受けたの?」
就寝支度を終え、部屋の灯りを落としそれぞれのベッドに横になってから。
暗闇の中、ローズは隣にいるはずのファティマに声をかける。
「んー、どうなんだろう。あのあとリリー・ガーネットは学園に来なくなっちゃったから、分かんないのよね」
自粛しての不登校なのか、不貞腐れてのそれなのか。
もしくは学園長命令かなにかで停学扱いなのか。末端貴族であるファティマには分からないと言う。すぐに修道院に来てしまったから余計に。
「それよりも……このまえローズは自分のこと『ローズ・ガーネット』だって、言ってたよね? もしかしてもしかすると、リリーってローズの妹?」
「あらぁ……気がついちゃったぁ?」
「そりゃあ、私だって馬鹿じゃないもん、気が付くよ……そっか。だからリリーの話をしたとき、“ごめんなさい”って言ったのね」
「うん……本当に、ごめんなさいね」
『キミイチ』のストーリーのままならば、ファティマに色々と仕掛けるのは『悪役令嬢ローズ』の役目だった。本物のローズが早期コースアウトしたせいで、それが義妹にスライドされた形だ。
「ローズが謝ることないよ。……ね、ローズ。私、今日、色々言ったじゃない? この世界はゲームかなにかで私のためにあるんだって。でもそれって間違いだって判ったんだ……この世界の本当のヒロインは、ローズなんだって」
「え?」
「だってそうでしょ? 親に疎まれて実家を離れて、苦労して人々を助けるけど……命を狙われて逃亡するヒロイン。ローズのことじゃん」
そんな馬鹿なことはない。この世界は『キミイチ』の世界観に沿って動いている。ヒロインはファティマだ。
「私がそう思うのはね、私をここの修道院に行くよう手配したのが王子だったからなの。命を狙われるヒロインを助けるのは、やっぱり白馬に乗った王子さまだって。定番じゃん?」
白馬に乗った王子?
残念ながらローズの脳裏には、海辺を白馬にまたがった暴れん坊な将軍さまが駆け抜けた。
自分は思考までもが老成しているかもしれないと、ローズは我ながらうんざりした。
「王子殿下が、ファティマを、ここへ寄越したの?」
気を取り直して会話を続ける。
「そうだよ。『君はまず、貴族としての基本的な行動を学んだ方がいい』って言われて修道院行きを手配されちゃった。ここでちゃんと修業したら卒業を認めてくれるって」
なるほど、とローズは思った。
BAD ENDとして修道院送りになったのではなく、ファティマの成績が悪いからの処置だということか。
そういえば、この地は王家の直轄領だしこの女子修道院は戒律が厳しいと評判である。
(と、いうことは。まだ『キミイチ』は終わっていないことになるのかしら?)
階段落ちのイベントは終わっているが、卒業式での断罪イベントはどうなるのだろう?
こうなると、もうなにが正解なのかわからなくなる。
ファティマの楽しそうな声は続いている。
「これって、やっぱり運命だと思うんだよね! 王子の本当の婚約者って、ローズだったんでしょ? 昔婚約者同士だったふたり。ヒロインには試練がつきものだから、このふたりは別れざるを得なかった。だけどひょんなことから、昔の彼女の居場所が判明するのよ。そのきっかけが私! だから、私はさしずめ二人の仲を結ぶキューピットってとこだね。重要な役どころだ! ちゃんとローズのこと、王子に報告するからね!」
ファティマはそんな妄想をしていたのかとおかしく思う。
「だからもうすぐ王子さまがローズを迎えに来るよ。ローズは心の準備していなよ」
「それは……無いわね」
ファティマは知らないだろうが、今頃はガーネット公爵家を断罪する準備が着々と進んでいるはずだ。公にガーネット家が罪人と認定されてしまえば、その血縁者であるローズも連座式に罪に問われてもおかしくない。
教会に保護されて11年。公爵家とはいっさいの関わりがない。情状酌量として、命の保証があるなら温情を受けたと言えるだろう。『託宣の聖女』という呼び名も延命に一役買うかもしれない。そんな状態のローズに王子の迎えなど、到底ありえない。
「わたしはお姫さまじゃなくて、修道女だもの。王子さまのお迎えなんて来ないわ」
「……! そんなことないよ! ローズはまだ正式な修道女じゃあないんでしょ? それに“小公女”はいろいろ辛い目にあうけど、最後はダイヤモンド鉱山で潤ったおじさまが迎えにくるんだよ! 本当の幸せはすぐ隣にあるんだよ!」
「……はい?」
いきなりなにを言い出すのファティマは、とローズは呆れる。
「ハウス世界名作劇場だよ! 小公女……ってもわかんないか……んんっ! そういうお話があるの! 最後にはハッピーエンドなんだよ!」
なぜかムキになっているっぽいファティマ。暗闇だから雰囲気でしか分からないが。いや、この暗闇で相手の表情がわからないからこそ、無茶をいっているのかもしれない。
そして、たしかに公爵令嬢だったローズは『公女』と呼ばれる身分を持ってはいたが、肝心の公爵家はこれから没落するし。しかも。
「迎えに来るのは『王子さま』じゃなくて『おじさま』だったの?」
突っ込まずにはいられなかった。
「そうじゃなくてー! もうっ笑わないでよぅ!」
「ふふっ。……笑ったりして悪かったわ。でもねぇファティマ。もうわたしは幸せなのよ。だから……もう、いいのよ」
ローズはこのまま日々を過ごして18歳になり、誓願を立て正式な修道女となる。
そして朝も昼も夜も、祈るのだ。
自分が平穏無事に過ごせるように。
そして、この世のすべてが。
……かの王子殿下が、健やかに過ごせるように。
『キミイチ』としてではない。成長したラファエル王子の姿を、ちゃんとこの目で見てみたかった、と思わなくもないが。
「なんで? 恋のひとつやふたつやみっつ済ませてから幸せって言いなさいよね! ローズは今までそんなこととは無縁だったでしょ? これからは恋愛パートが始まるのよ!」
どうやらファティマは、ガバリと起き上がったようである。空気の動きと声のする位置でそう理解した。
「恋の、ひとつやふたつやみっつ?」
どうもファティマは突っ込みどころが満載だ。ローズは貞淑な貴族令嬢だったし、これからはもっと厳格に貞淑な修道女になるのだ。恋なんてもの、入る余地はない。
「院長さまが言ってたよ? ローズはもう少し俗っぽくても構わないって!」
「……頭痛がするから、寝るわねぇ……」
このファティマの言動は、半分以上は院長の差し金かと察した。
「えー? なんでよー、もっと話しをしようよ! 恋バナ! ローズと恋バナしたいし!」
そんなことを言いながら、ファティマはローズのベッドに潜り込んできた。横を向いているローズの背後から抱きついてくる。
「ねぇ……ローズ。私と一緒に王都に戻ろ? 今まで刺客は来なかったんでしょ? きっともう、諦めたんだよ。もう大丈夫だよ」
さすがに耳元では大きな声ではなく囁くように語るファティマ。彼女の誘いはなかなか魅力的だ。
「んー。そうかも、だけど……わたしはこのままここにいるわ。ここで、本物の修道女に……『神さまの花嫁』になるの。恋なんて知らなくても生きていけるし」
自分の腹部に回されたファティマの手を軽くぽんぽんと叩く。彼女の温かい手は、もう眠い証拠なのかもしれない。
いま王都へと行ったら。
恐らくきっと、王子殿下の結婚式を目の当たりにするだろう。学園を卒業したらすぐに結婚のはずだから。
リリーは断罪されるだろうが、すぐに次の候補が選出され彼の花嫁になるはずだ。王子殿下とはそういう身分なのだ。
彼らの幸せそうなさまを見るのは、まだちょっと心の準備ができていない。こうして遠く離れた地で、『王子殿下の挙式が先月ありましたよ』なんて終わったこととして、噂話で聞くくらいでちょうどいい。
「えぇー? そんなことないよ。ここにいるおばあちゃんシスターたちだって、半分以上は経産婦でしょ? みんなやることやってから来てるんだよ! 恋をしないなんてもったいないよ! 人生半分以上損しているよ!」
「そう? 損しててもいいわよぉ。だって、ファティマに会えたのだから」
ヒロインと悪役令嬢が、こんな風に一つのベッドで寄り添って眠るような間柄になるなんて、前世の自分は想像もしなかったし、原作者でも思わなかっただろう。そんな奇跡に感謝する。
「わ、私に会えたからって……ローズ。あなたってば本当はものすごいタラシなのね? 私の心を鷲掴んでどうしようっていうの⁉⁉ 私の心はエルナンに捧げたはずなのに、もー! キュン死にしそうよ‼‼」
ローズの背中に額を押し付けながら、なにやらブツブツと文句をいうファティマ。そんな彼女の体温に引きずられ、ローズはいつの間にか夢の世界へ旅立っていった。
翌日、ファティマに迎えが来るなど知らずに。
104
お気に入りに追加
1,716
あなたにおすすめの小説
転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです
青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる
それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう
そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく
公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる
この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった
足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で……
エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた
修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た
ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている
エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない
ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく……
4/20ようやく誤字チェックが完了しました
もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m
いったん終了します
思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑)
平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと
気が向いたら書きますね
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!
翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。
「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。
そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。
死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。
どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。
その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない!
そして死なない!!
そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、
何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?!
「殿下!私、死にたくありません!」
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
※他サイトより転載した作品です。
お飾りの側妃ですね?わかりました。どうぞ私のことは放っといてください!
水川サキ
恋愛
クオーツ伯爵家の長女アクアは17歳のとき、王宮に側妃として迎えられる。
シルバークリス王国の新しい王シエルは戦闘能力がずば抜けており、戦の神(野蛮な王)と呼ばれている男。
緊張しながら迎えた謁見の日。
シエルから言われた。
「俺がお前を愛することはない」
ああ、そうですか。
結構です。
白い結婚大歓迎!
私もあなたを愛するつもりなど毛頭ありません。
私はただ王宮でひっそり楽しく過ごしたいだけなのです。
愛されない花嫁は初夜を一人で過ごす
リオール
恋愛
「俺はお前を妻と思わないし愛する事もない」
夫となったバジルはそう言って部屋を出て行った。妻となったアルビナは、初夜を一人で過ごすこととなる。
後に夫から聞かされた衝撃の事実。
アルビナは夫への復讐に、静かに心を燃やすのだった。
※シリアスです。
※ざまあが行き過ぎ・過剰だといったご意見を頂戴しております。年齢制限は設定しておりませんが、お読みになる場合は自己責任でお願い致します。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる