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28.これは卑劣な犯罪行為
しおりを挟むたぶん、ブース全体を隠すため覆うように天幕を引いていたのが災いしたのだと思う。
天幕の中で不都合があっても、夜間巡回していた警備員の目に留まらなかったらしい。
ブース中央に置いてあった展示ケースが汚泥塗れになっていた。
誰かがわざとこのブースを荒らした。この、ローズロイズ商会のブースを。
「ひどい……誰がこんなことを……」
幸い、強化ガラス製のため、中身に汚れはついていない。たぶんだけど。
「メグ、下がっていろ」
アルバートさんがそういうと展示ケースに手を翳した。
わたしが見ている前で彼が使ったのは水魔法。“微調整、難しい……” なんて言いながら空中に魔法陣を展開させ(淡く青く光ってちょっとキレイ、なんて場違いにも見惚れてしまった)、そこからやわらかい雨のように水が降ってきて。しばらくすると展示ケースの上で乾ききっていた汚泥は水に流されていった。
ちょっとほっとした。
「ケース本体に傷は?」
魔法陣を消したアルバートさんがそう言う。わたしは展示ケースのガラスの表面を丹念に見る。傷、欠け、曇り、汚れはないか。
ふいにレイさんと銀食器を磨いていた日を思い出した。
「……ついていない、ように見えます。たぶん大丈夫だと……」
さすがアイリーンさまのお兄さまが開発した強化ガラス。
傷も曇りも見当たりませんよ!
この程度なら、あとは床に残った汚水をデッキブラシで掃き出して、ケース本体を拭き取ればなんとかなる。
万博運営委員から清掃道具を借りて……あれ?
「なんか、足りない?」
昨日、解散するときにあったものが、ない。この違和感、なに?
(あれ? アイリーンさまの等身大パネルは?)
見回したブースの奥まった隅の、ポスターを隠していた布に紛れ、こじんまりした布の塊があった。
嫌な、予感がする……けど、確かめないと!
わたしは恐る恐るそれに近づいて、布を持ち上げて――。
「……ひっ!」
それが視界に入った瞬間、血の気が引いたのがわかった。
わたしが手にした布の塊は、無残に折られ切り刻まれた等身大パネルの成れの果て。一纏めにして布で覆っていたらしい。
わたしには、敬愛するアイリーンさま自身がバラバラに切り刻まれているように、見えた。
たぶん、あまりにも精密に作られ過ぎたせい。
「あ、アイリーンさま、あいりーんさまぁ、」
「落ちつけ、メグ」
しっかりしろと背後から両肩を掴まれた。
アルバートさんだ。
彼の落ち着いた声のおかげで、パニックに陥る寸前から引き返してこれたような気がする。
(そうだ、ちゃんと確かめないと)
服の下にあるペンダントの宝石を布地ごと握りこむ。
ひとつ、深呼吸。
(ここでわたしが取り乱したら、アルバートさんに警報が行きっぱなしになるってことだよね)
アルバートさんの右耳に着けられたイヤーカフ。ペンダントと連動し、わたしの不安感はアルバートさんへ直結するのだ。
(これは、パネル。ただの看板。アイリーンさまはまだお邸にいる。レイさんがおそばに、いる。おちつけ、わたしっ!)
自分でも指の先まで冷え切っているのが分かる。頭がくらくらするから貧血っぽい。
でもそんなことより。
こんなことをしでかした犯人はもしかしたら。
わたしは意を決し、ポスターを隠していた布を剥いだ。
本来は、王太子殿下が除幕する予定だったものだけど。
「……おいおい、ここまでするのか」
布を剥いでそこにあったはずの物を見たアルバートさんが、驚愕の声をだした。
わたしは黙ったまま、もう一枚のポスターの布も剥いだ。
そこにあった2枚のポスターは。
そこにあった人物も分からなくなるほど黒く汚され、さらに無残に切り刻まれ損壊していた。
特注品の紙で作られたポスターは、切り刻まれながらもその形状を維持していた。だからこそ、無残に切られたその形が犯人の悪意となって、アイリーンさまに覆いかぶさっているように見えて。
わたしは叫び出したくなる気持ちを必死に抑え込むため、両手を握り歯を食いしばっていた。
◇
「こんなことって……」
ロブさんが真っ青な顔で切られたポスターを見上げる。
アルバートさんが魔法で創り上げた魔鷹(真っ黒の影絵みたいだった。緊急連絡用なんだって)で、アイリーンさまとロブさんに現状が知らされた。
たぶん、知らせを聞いたロブさんからの号令があって、スタッフが万博ブースに招集された。アイリーンさまは危ないからお邸に待機してもらっている。
だって! あまりにもあからさまにアイリーンさまに対する敵意みたいなものを感じるもの。アイリーンさまはこの場にいない方がいい。こんな、こんなことって……!
「ひどいですね……だれがこんなことを」
サミーさんも険しい顔だ。他のスタッフも呆然としている。
「犯人詮索はあとで記録水晶を確認すればいい。今はことを荒立てるな」
あれ。ロブさんの返事にふと疑問に思った。記録水晶なんていつ設置したんだろう。
……そういえば昨日、レイさんが来て、高いところになんかしてたね!
「とりあえず、このポスターは外してくれ。万博運営委員会にいま届け出ても問題のある商会だと見做されるだけだ。周りが何事もなく展示される中で、うちだけ出展停止処分になりかねない」
ロブさんがそう言った。そうなんだよね。これって万博自体を妨害する行為じゃない。うちの商会だけを狙った悪質な犯罪行為なんだ。
スタッフが何人かで脚立を運び、破れてボロボロになったポスターを取り外し始める。
「替えのポスターは……」
売り子スタッフがロブさんに問いかける。
「残念ながら、そんなものはない」
ロブさんの答えがざっくりと無情だ。
高価だもんね。だからこそ、細心の注意を払っていたつもりだったんだけど。
あぁ、予備かぁ! 予備を作っておけば良かったぁ! 使わなくてもわたしが買い取れば良かったんだもんっ! 高いけど! たぶん2、3年分くらいのお給料使っちゃうけどロイド邸にいるなら生きていけるし!
「あの新型印刷機、この会場にありますよね? 作り直してもらうわけにはいきませんか?」
他の売り子スタッフが問う。たしかに印刷機本体は最新魔導具として展示されているはず。
「作成依頼はできる。だが、色味定着に時間がかかり過ぎる。つまり……」
ロブさんは言葉を濁した。
そうなんだよね。繊細な作業をするらしいこの最新印刷は、紙も特注品でしかも色味定着に4、5時間必要とするんだよね……。
今現在、8時48分。
つまり、新しい物を作ったとしても王太子ご夫妻がおいでになる10時30分には間に合わない、ということ。
どうする?
「やっぱりアイリーン頼みになるな」
ロブさんが溜息をつく。
たしかに、だれよりも人目を惹くアイリーンさまがこの場にいれば、王太子ご夫妻の接待は可能だろう。あの方がいるだけで、そのほかは霞むんだもん。
でもその後は?
王族が去ったその後は?
来賓や他の貴族たちの応対もアイリーンさまお一人にさせるの?
無理じゃん!
しかも目の前にいる人だけを対応するならともかく、遠くから見たらなんのブースなのか、ちっともわからない! ポスターがないと、ただの殺風景な壁でしかない! もしかしたらここにブースがあることさえ認識されないかもしれない!
それになにより、こんな悪質な犯罪者が狙っているかもしれない場所にアイリーンさまを連れてこなきゃいけないなんて!
どうしたらいいの?
遠目から見て、インパクトが強いものって、なに?
ここにローズロイズ商会のブースがありますよ、新作化粧品がありますよってわからせるにはどうしたらいい?
わたしは、どうしたら、いいの?
とりあえず今、作成依頼をしても作り直したポスターを貼りだせるのは今日の午後。それも最速で作って貰えて、の話。もしかしたらこの万博会場にある印刷機では無理かも。だって特注品のあの紙がない。
あ。
紙? 紙……、いっぱい見比べた。
多色刷り印刷用の紙から、写実印刷のものまで。
その前は絵師さんのところで、スケッチブックにいっぱい、アイリーンさまの絵を描いてもらった。
絵師さんとふたりでアイリーンさまの一番うつくしく見える角度はどれだ? って論議し合った。
アイリーンさまのうつくしさを讃え合って意気投合した日々。
斜めから見たアイリーンさま、真横から見たアイリーンさま、後ろからちょっと振り返ってもらったアイリーンさま、目を伏せたアイリーンさま、目を瞑ったアイリーンさま、上から見下ろしたアイリーンさま、こっちは下から見てアイリーンさまに腕を組んで見下ろして貰ったりも……。
いろんな角度からアイリーンさまを見たいんですと無茶なお願いをして。
『もう、メグったら。わたくしになんてことさせるの?』
くすくすと笑いながらアイリーンさまは鷹揚にお許しくださって。その後ろでシェリーさんがだめだこりゃって顔して見てて……。
いっぱい……。
いっぱい、見たよ、わたし……。描いてもらったよ!
「ロブさんっ! わたしに策がありますっ!」
下策だけど。とりあえず人から注目されることだけしかできないけど。
わたしは自分の脳裏に閃いた直感のアイデアをロブさんに相談した。
「……それがあるなら……えぇい、迷ってる暇がねぇ! 急場凌ぎだが仕方がねぇ、やろう! メグ、即急に用意しろ!」
「はいっ」
背に腹は代えられないのです!
「アルバートさん! 馬をだしてくださいっ!」
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