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11.慰謝料を請求したい気分です
しおりを挟むうーん。許可は貰ったけどさぁ。
わたしとしては、こいつと話したいことなんてなんにも無いんだよね。
いまのわたしってばもの凄い渋面になっているのが分かる。眉間に力が入るし、口角は両方が下がっているのが分かるし。やだなぁっていう気持ちが顔中に溢れてるよ。
うーん。レイさんがこの場にいたら叱られるな、こりゃ。
アイリーンさまのお客さまにする態度じゃないよね、はっきり言って。
でもこの表情は別れた男にするものだとしたら妥当じゃない?
唾吐かないだけマシじゃん。
お客さまは、わたしの『不機嫌です!』という嫌悪感まる出しの態度に戸惑っているみたいだ。そうだね、恋愛関係だったときにこんな顔見せたことないもんね。
うーん、なんだかやつれた? こんなにヨレヨレで薄汚れた印象のお客さまを見たのも、初めてだ。
お互い『ハジメマシテ』、だね。別れてからそれって、なんだか笑える。
でもまぁ。ちゃんと言わなければいけないこと、言いましょうかね。
一回、深呼吸したあとで。
わたしは相手の目を真正面から見据えた。
「わたしマーガレット・メイフィールドは、あなたさまとよりを戻す気はさらさらございませんし、帰る気もありませんし、なんなら二度と会いたくないですし、騙されていた分の慰謝料を請求したい気分です」
「え?」
驚愕のせいか目を見開くお客さま。
「でもアイリーンさまの手前、そんなことはしません。学はありませんが、これでもモノの道理は弁えているつもりですから」
わたしはこの男に騙された被害者だと思う。
でも同時に、正妻であるアイリーンさまを騙す加害者の立場でもあった。だから被害者ぶる気はない。むしろ、全力で償わないといけないと思う。
「メグ……すまなかった。きちんと話せていなかったこと、謝る」
んなこといまさら言われても。
知らね。
としか思えない。
「だが俺は、今はもう離婚成立したから独身になった。これで正々堂々、誰に後ろ指さされることもなくお前と付き合える!」
はあ?
この人、もしかして脳みそ凍ってる?
お客さまは守衛さんの腕を振り切って、わたしの前で跪くと右手を差しだした。
「メグ。改めて申し込ませてくれ。――結婚しよう。幸せにすると誓うよ。あの家でふたり、子どもを生んで育てようと誓ったよな? この手を取って、はいと応えてくれ」
あー。もしかしたらまたプロポーズ?
もう一ヵ月まえの出来事ですねー。
ものすごーーーーく遠い昔の出来事みたいですー。棒読みになっちゃうのはなぜかなー。
いやいや。
なんで自信満々で手を差しだしてるのかな、この人は。
わたし、さっき戻る気はないってちゃんと言ったよね?
もしかして、離婚したことでチャラになったと思ってるの?
そういえばレイさんにも訊かれたね。あいつが独身に戻ったらどうしますか? って。
そんなん、選択肢もないよね?
「わたし、嘘つきの子どもは生みたくないな」
「――え?」
しょうがないなぁ。事細かに説明する必要があるってことだね。
「結婚するなら、“この人の子どもを生みたい”って思える人としたいなって思っていました」
そう思ってたよ。それが『好き』だと。『愛してる』ってことだと思ってた。
「でも、えーと、いまのロイドさまにはそんな気、全然起きないんですよね。むしろ近寄らないで欲しいというか、虫唾が走るというか、鳥肌が立つというか勘弁してくれというか」
わたしが懇切丁寧に説明し始めたら、ロイドさま(さすがに本人に向かって『バカヤロー』とか『お客さま』とか言えなかったわ)が凍り付いたように動きを止めた。ビックリ目が酷くなったね。
「だって、わたしが思うに……ロイドさまは奥さまを大事にしていなかったじゃないですか。それはご自分よりお仕事を優先していたアイリーンさまに嫉妬していたからじゃないですか? あのお屋敷の人たちはみんなアイリーンさまを大事にするけど、夫であるロイドさまはそれほど大事にされていなかったっていうか、比重が軽かった? ってことじゃないですか?」
あのお屋敷はアイリーンさまのためのお屋敷だからね。どっちかといえば配偶者さまはお飾り状態。だって男爵位を持っているのはアイリーンさまだもん。
だから居づらくて王宮の宿舎に住むようになったのかな。ロイド邸にも一応、『旦那さまのお部屋』というものがあったけどね。
「そんなちょっと寂しいときに、“大変ですね、お仕事頑張ってください”って言ってくれるわたしが良くなっちゃったってことですよね。アイリーンさまだって大事なお仕事についていらっしゃるけど、そんな妻を労うっていう気持ちはなかった、自分だけが慰められたかったってことですよね」
王宮の官吏というお仕事がどれだけ大変なのかは、わたしには解らない。でも夕方の鐘の音が鳴るころには必ず毎晩定食屋に来ていたこの人と、場合によっては深夜に青い顔して帰宅するアイリーンさまとを比べられる今は、アイリーンさまに同情しちゃうんだよね。徹夜して超早朝に出掛ける姿とかも知ってるしね。
「つまり、もし、わたしと結婚して子どもが生まれてわたしが子どもに掛かりきりになったら、他の女性のところへ行っちゃうってことですよね? 妻を労うなんて一切しない人だから。ご自分が一番大事ってことですもんね」
ロイドさまがあわあわとなんか言ってる。「そんなこと」とか、「俺はそんなつもりじゃ」とか。でも小さすぎる声はちゃんと聞こえないよ? 言いたいことがあるなら言えばいいのに。
「わたし、そんな人、嫌です。辛いときは支え合いたいし、思い合いたいし、一方的に愛情を搾取されるなんて嫌です。もうしないって言われても、信用できませんし。浮気は繰り返すって聞くし、信用できない人との結婚なんてできませんし」
アイリーンさまが「ちょっと耳が痛いわね」と呟いた。
……忙しさにかまけて配偶者を思いやれなかったのは、アイリーンさまも同じってことかな。でもアイリーンさまは浮気なんてしてないし!
「それに決定的に嘘つきだなって思うのは、ご自分の発言のせいですよ」
わたしに既婚者だって言わなかった。それ以上に言っちゃいけないことを言っている。
「俺の、発言……?」
真っ青な顔でわたしを見るジェフリー・バカヤロー・ロイドさま。
「ご自分は貴族だと。男爵なんだと仰っていましたよね? でもその爵位持ちはアイリーンさまじゃないですか。自分のものじゃないのにそうだって言うの、良くないと思います」
ご自分は女男爵の伴侶なだけ。なのに自分が男爵だって名乗るのはオカシイよね? それって嘘じゃん。身の丈に合わないこと言っても虚しいだけですよ?
平民で物知らずなわたし相手なら、言っても大丈夫だと思ってました?
つまりそれって、わたしのことを馬鹿にしてたって意味ですよね?
わたしバカだけど、だからといって馬鹿にされるのは嫌いですよ?
そういえば、よく『メグはバカだなぁ』って言われてたわ。愛情が籠った台詞だと思ってたけど、本当は馬鹿にされてたのね。――はらたつ。
「だからロイドさま。わたしはあなたと……尊敬も信用もできないあなたと、もう二度とお付き合いできません。お気持ちには応えられません。ごめんなさい」
きちんと背筋を伸ばして、折り目正しくお辞儀をした。言いたいことは言い切ったよ!
わたしの覚悟が伝わったのかどうかは分からないけど、ロイドさまはぎこちない動作で立ち上がった。
もうわたしの顔を見ようともしない。
憮然とした顔のまま、よろよろと覚束ない足取りで彼は立ち去った。
彼が部屋から退出したと同時に、ふーっという大きなため息があちこちから聞こえた。
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