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◆破◆
8.ヴィクターの困惑
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「あぁ公爵。やっと来たか」
ヴィクター・セルウェイが公爵家の大ホールに足を踏み入れたとたん、ミハエラの澄んだ声が彼に呼びかけた。
彼が見渡すかぎり、ホールの床にはおおぜいの使用人たちが両手をつき跪いて頭を垂れていた。が、彼が見ている前でつぎつぎと力尽き倒れていった。
ミハエラが重力魔法を解いた反動で気を失ったせいなのだが、今来たばかりの公爵には理解できなかった。
(これは……いったいどうしてこんな事態になったのだ?)
ヴィクターの困惑をよそに、ミハエラはその瞳を冷たく光らせた。
「来るのが遅いぞ、公爵。もう夜になってしまったじゃないか。そのせいで人質たちが疲労困憊だ。だが仕方ないよな? 虜囚に対して水も与えないのはセルウェイ公爵家のしきたりかなにかなのだろう?」
わたしも公爵家のしきたりに倣ったので、人質たちに水も与えないような所業になってしまった。
ミハエラは芝居がかった口調でそう言って肩を竦める。
来るのが遅いと言われたヴィクターだが、執事の呼び出しが彼の外出先に届き、とても恥ずかしい思いをしている。家からの呼び出しなど、前代未聞である。
しかもその呼び出しの理由がまた前代未聞であった。公爵家の使用人たちを人質に、ミハエラ・ナスルがヴィクターを連れて来いという横暴な要求をしているのだとか。
慌てて帰り、着替えもせず大ホールへ直行したのだが。
「少なくともフィーニスでは一日に一度は水と食料を与える。生かす気がないのなら、さっさと屠る。それがいちばん効率がいい。違うかな?」
ミハエラの物騒なことばの数々に彼女を見たヴィクターは眉間に皺を寄せた。
驚いたことに、彼女は国王陛下が来臨したときだけ使われる玉座に腰を下ろしていた。注意しないわけにはいかない。
(私だって……いや、父上だって座ったことがないぞ、あそこには!)
「その椅子から降りろ。不敬が過ぎる」
そう言いながら王族専用の壇上へ近づいた彼は、あと一歩というところで見えない壁に阻まれた。
(なんだ? 壁?)
ミハエラの張った結界に行く手を阻まれているのだが、武人ではないヴィクターにはわけが分からない状態であった。
「玉座か。……フっ。たしかにわたしには不要なものだ」
ミハエラはそう呟くと立ち上がる。
一段高い檀上で腰に手を当て堂々と立つ彼女は、とても優雅でうつくしいとヴィクターは思った。
だが。
「なぜ、きみは同じドレスを着ているのだ?」
ミハエラは、四日前王宮で夜会があったときと同じドレスを身に纏っていた。首元から胸元まで繊細な白いレースで覆われ、胸元からビスチェで切り替えられたマーメイドラインのドレス。うつくしかったが動きづらそうにしていた。なぜ着替えないのだろうとヴィクターは疑問に思ったのだ。
ヴィクターの問いに対し、ミハエラは両肩を竦めて応えた。
「このドレス、ひとりでは脱げない仕様だから。ほら。背中の紐が着脱のポイント」
そう言いながら豊かな黄金の髪を一纏めにしてくるりと身を翻し無防備な背中を見せた。
純白のリボンが何重にも細かく交差し編みこまれた繊細なデザインドレスは、たしかにひとりでの着脱は難しいだろう。
花嫁衣裳なのだから当然といえば当然なのだが、花婿であるはずの立場のヴィクター以外でもその衣装のリボンを解くことは可能である。
「メイドは?」
当然、その可能性をもつ者のことを問えば。
「わたしの面倒をみてくれるメイドなんていない。別邸にはだれも来なかったぞ」
ミハエラは、いっそ楽しくて堪らないといった笑顔を見せた。
「別邸? どういうことだ?」
ヴィクターは『(ミハエラの)部屋を用意しろ』と命じたはずだ。
当然、客室担当のメイドがいる。彼女たちが面倒をみるはずなのだが。
それにミハエラは『別邸』と言わなかったか?
ヴィクターは自分の背後にいる執事を見た。執事はマーキュリー夫人を見た。夫人はミハエラの前で床に倒れ昏倒していた。
ミハエラは公爵たちの視線の行方をおもしろそうに観察した。
「少なくとも、王宮のメイドたちはわたしをとても丁寧に扱ったぞ? “下にも置かないおもてなし”を体験した。当然だよな? わたしはフィーニス辺境伯の名代にして、今回のスタンピード終息の一番の功労者なのだから。
翻って。公爵邸は違うのだな閣下。だれもわたしの面倒などみないどころか、水も食料も寄越さない。飢え死にしろという意思表示だと受け取った。……公爵家の程度が知れるな」
ミハエラは鼻で笑った。
美貌である分、冷たくみえた。
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