11 / 24
11.今朝あった嬉しかったこと
しおりを挟む「あ、グスタフ……」
実に、久しぶりに夫の顔を正面から見た。
急に視界が狭くなったのが分かった。
夫しか見えない。
近衛騎士の制服を着た夫はいつ見てもカッコいい。としかルチアには思えない。
(どうしよう。なにか言わないと……あ! まずは謝らないと……違う! お礼が先……っ)
◇
昨夜、業務終了後。
ルチアは家族寮の自分たちの部屋に戻るとベッドへ直行して爆睡した。深夜帰宅の場合、ルチアいつもこんな調子だ。
今朝目を覚ましたとき。
朝日の射し込むベッド脇のテーブルの上に花が一輪置かれていたのに気がついた。ガラスのコップに活けられた状態のピンクのガーベラ。
ルチアが活けた記憶のない花。寝る前に髪をほどき髪留めをそのテーブルに置いたから覚えている。寝る前にはぜったいに花なんか無かった。
それがルチアを静かに見守っていた。
だれがこんなことをと思ったすぐあとに、グスタフの姿が脳裏を過った。
あの大きな身体でこの小さな花一輪だけ持って帰ってきたのだろうか。
ルチアに見せるために。
そのままにしたら萎れてしまう切り花。
その花のために花瓶を探したのだろうか。でも夜中で探せなくて、コップを代用したのだろうか。
それを眠るルチアの枕元に飾ってくれたのだろうか。
ピンクのガーベラ。まだ結婚まえのグスタフがルチアみたいだと言ってくれた花。だから、ルチアのお気に入りになった花。
夫の行動を想像すると、それだけでぴょんぴょん跳ねてしまいたい衝動に駆られた。
あの大きな背を丸めて花の面倒をみる姿を夢想しただけでなんだか胸の奥が熱くなる。
ようするに、嬉しかったのだ。
たとえそれが花瓶ではなく、コップを使われたのだとしても。
ルチア達の部屋には一輪挿しの花瓶もあることはあるが、グスタフがそれの保管場所を知っているとは思えない。
どういう風の吹き回しかは分からないが、グスタフがルチアのために花を活けてくれたのだ。
(もしかしたら、グスタフからの仲直りしようっていう合図なのかも)
そう考えたら嬉しくて嬉しくて。
その嬉しい気持ちを伝えたかったのに、部屋には夫の姿がないから気持ちばかりが膨れ上がって。
ルチアは朝から上機嫌になりつつ焦れるような心地で仕事に取り組んでいたのだ。
周囲は招かれざる客のもてなしということで、なんともいえない不穏な空気の中であったが。
◇
グスタフはルチアに近づくと、彼女が持っていた大きめのケトルをひょいっと取り上げた。
「第一応接室?」
夫の声を聞いたのも随分ひさしぶり過ぎて泣きそうだと思いつつ、ケトルを持っていく先を訊かれたと察したルチアは頷いた。
「あ……いまね、ウナグロッサの王女殿下が」
口の中がカラカラに乾いているのを自覚した。だって声が掠れている。夫を前にして、ルチアはだいぶ緊張しているらしい。
(あー、もう! なに緊張してんのよわたしったら!)
「知ってる」
グスタフの返答は短い。もともと彼は口数が少ない。
けれどルチアの耳にはそのバリトンボイスが優しく響いた。グスタフの黒い瞳がルチアの姿を写している。
嬉しくて泣きそうだ。
(あーもう! かっこいいな! 好き!)
ふたり、自然と横に並んで歩いた。こんな風にふたりきりになるなんて、実に二ヶ月ぶりだ。喧嘩するまえはよくある光景だったが、今となっては待ち焦がれた瞬間である。
(早く話さないと! 応接室なんてすぐに着いちゃう)
「あの」「ルチア」
ふたり、ほぼ同時に声を出していた。
「うん、なに?」「いや、ルチアが」
またしても同時に発声したことに、立ち止まりお互い顔を見合わせてしまった。
いつもしかつめらしい表情のグスタフの口角がわずかに上がった。それだけで彼の周りの険しい気配が柔らかくなった。
「今晩、ちゃんと話がしたい」
「え」
「時間を空けてくれ」
「……うん」
(話ってなんだろう)
ルチアの前ではたびたびあることだが、勤務時間中のグスタフとしては珍しく柔らかい表情を見せている。だからたぶん、悪い話ではない。たぶん。
(改まって、話……ってなんだろう。なんか、どきどきする)
いつの間にか歩を進めていて、応接室にはすぐに着いてしまった。
侍女控室へグスタフを促し、ケトルはそこの簡易コンロの上に置いてもらう。
グスタフは控室から応接室内へ入った。本来の王子護衛の任に就くのだろう。
ルチアから離れるまぎわに、温かく大きな手が彼女の頬に触れていった。その些細な接触にルチアの胸の奥が疼いた。
「あれ? 仲直り、できたみたい?」
ファナがニヤニヤしながらルチアに囁く。
「できたの、かな」
少なくともルチアの方は夫の姿を見ただけで胸が高鳴りっぱなしだ。そして二ヶ月前に喧嘩した気まずさは解消されていた。
グスタフが、花を置いてくれたから。
グスタフが、ルチアを見てくれたから。荷物をもってくれたから。やさしく触れてくれたから。
話がある、だなんて。
グスタフ・アラルコンという男は無骨だし口下手だというのに。
ルチアには気を遣ってくれているのが分かるから。
(なのに、わたしは鬼嫁だなんて……。反省しないと)
もっと夫を労わり彼を癒せるような、そんな妻にならなければ!
いつも思っているが、ルチアは未熟だ。伸びしろばかりだ。
決意を新たに夫と向き合おう。そう心に決めた。
「あのね、話があるって言ってくれたの」
ルチアは頬を緩めながら、隣に立つファナにこっそりと報告したのだが。
「え。別れ話?」
怪訝な顔をしたファナが不吉な返答をするので、思わず彼女の背中を叩いてしまった。
「あはは。冗談よ、冗談」
仕事の合間、こっそりと囁きながら息抜きのような無駄話。
そこへ。
「ねえ! いるんでしょ? さっきのピンクブロンドの侍女」
隣の応接室から侍女控室まで響いた聞き慣れない声。
おそらく本日の招かれざるお客さまの、声。
「来なさい」
命ずることに慣れた声が、『ピンクブロンドの侍女』を呼んだ。この宮でそれに該当するのはルチアだけだ。
ルチアは頬を引き攣らせながら、隣に立つファナを見た。彼女も似たような表情のままルチアの背を軽く叩き言った。
「ご指名入りましたー。いってらっしゃい」
1
お気に入りに追加
362
あなたにおすすめの小説

君は僕の番じゃないから
椎名さえら
恋愛
男女に番がいる、番同士は否応なしに惹かれ合う世界。
「君は僕の番じゃないから」
エリーゼは隣人のアーヴィンが子供の頃から好きだったが
エリーゼは彼の番ではなかったため、フラれてしまった。
すると
「君こそ俺の番だ!」と突然接近してくる
イケメンが登場してーーー!?
___________________________
動機。
暗い話を書くと反動で明るい話が書きたくなります
なので明るい話になります←
深く考えて読む話ではありません
※マーク編:3話+エピローグ
※超絶短編です
※さくっと読めるはず
※番の設定はゆるゆるです
※世界観としては割と近代チック
※ルーカス編思ったより明るくなかったごめんなさい
※マーク編は明るいです

忘れられた薔薇が咲くとき
ゆる
恋愛
貴族として華やかな未来を約束されていた伯爵令嬢アルタリア。しかし、突然の婚約破棄と追放により、その人生は一変する。全てを失い、辺境の町で庶民として生きることを余儀なくされた彼女は、過去の屈辱と向き合いながらも、懸命に新たな生活を築いていく。
だが、平穏は長く続かない。かつて彼女を追放した第二王子や聖女が町を訪れ、過去の因縁が再び彼女を取り巻く。利用されるだけの存在から、自らの意志で運命を切り開こうとするアルタリア。彼女が選ぶ未来とは――。
これは、追放された元伯爵令嬢が自由と幸せを掴むまでの物語。

婚約破棄~さようなら、私の愛した旦那様~
星ふくろう
恋愛
レオン・ウィンダミア子爵は若くして、友人であるイゼア・スローン卿と共に財産を築いた資産家だ。
そんな彼にまだ若い没落貴族、ギース侯爵令嬢マキナ嬢との婚約の話が持ち上がる。
しかし、新聞社を経営するイゼア・スローン卿はレオンに警告する。
彼女には秘密がある、気を付けろ、と。
小説家になろう、ノベリズムでも掲載しています。
【完結】私たち白い結婚だったので、離婚してください
楠結衣
恋愛
田舎の薬屋に生まれたエリサは、薬草が大好き。薬草を摘みに出掛けると、怪我をした一匹の子犬を助ける。子犬だと思っていたら、領主の息子の狼獣人ヒューゴだった。
ヒューゴとエリサは、一緒に薬草採取に出掛ける日々を送る。そんなある日、魔王復活の知らせが世界を駆け抜け、神託によりヒューゴが勇者に選ばれることに。
ヒューゴが出立の日、エリサは自身の恋心に気づいてヒューゴに告白したところ二人は即結婚することに……!
「エリサを泣かせるなんて、絶対許さない」
「エリサ、愛してる!」
ちょっぴり鈍感で薬草を愛するヒロインが、一途で愛が重たい変態風味な勇者に溺愛されるお話です。

私を侮辱する婚約者は早急に婚約破棄をしましょう。
しげむろ ゆうき
恋愛
私の婚約者は編入してきた男爵令嬢とあっという間に仲良くなり、私を侮辱しはじめたのだ。
だから、私は両親に相談して婚約を解消しようとしたのだが……。

愚者(バカ)は不要ですから、お好きになさって?
海野真珠
恋愛
「ついにアレは捨てられたか」嘲笑を隠さない言葉は、一体誰が発したのか。
「救いようがないな」救う気もないが、と漏れた本音。
「早く消えればよろしいのですわ」コレでやっと解放されるのですもの。
「女神の承認が下りたか」白銀に輝く光が降り注ぐ。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる