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番外編(3)
しおりを挟む再婚した翌日、ミゲルさまと同じ箱馬車に乗って現れたわたくしに、旧イディオータの領民たちはポカンとした顔を見せてくれました。
『エミリア奥様……どうして、あなた様が、ここに?』
わたくしが離婚して伯爵家から離れたと思っていた彼らの当惑は当然です。
わたくしはちゃんと説明致しました。
再婚したこと。再婚した相手がサビオ前侯爵であること。そしてわたくしの隣にいる彼こそが、この地を買ってくれたサビオ前侯爵ご本人であることを。
『つまり……、これからもエミリア奥様がこの地の監督をしてくれる、という認識でよろしいので?』
そう恐る恐る訊ねた代官に、応えたのはミゲルさまでした。
『勿論、その認識で間違いないよ』
わたくしの腰を支え引き寄せ、あの、人好きのする笑顔で明るく朗らかに。
まるで、わたくしの隣にいるのは当然だというお顔で。
『なら、我々の生活は何も変わらない、ということですな!』
『そうだな! エミリア奥様、再婚おめでとうございます!』
そう言って笑顔になってくれた皆々のお陰で、とても嬉しかったことをよく覚えております。
昼間、ミゲルさまと二人でそれぞれ馬を駆って領地の見回りに出ました。相変わらず乗馬姿の旦那さまはかっこいいのです。
わたくしも女性用の乗馬服に身を包んでいます。
淑女らしく横座りでの乗馬は、それなりのコツがいるから大変なのですよ? でもわたくしの愛馬、スカーレット号はとても頭のいい子だから、なんの問題もありません。
「馬車を出さなくて良かったのかい?」
ミゲルさまってば、ちょっと過保護かもしれません。そんなことを問い掛けてきます。
「馬車だと、狭い小径は通れませんわ。馬で単騎なら機動力が違いますもの」
「そうは言っても君、昨夜もあれだけ気をやっていたのに、馬だなんて……」
いきなり、なにを言い出すのですかっ!
「ミゲルさまっ! 昼間っからそんなお話、不謹慎ですわっ」
発熱したかのように、顔が熱くなります。
「おや。ふたりきりだからこそ、できる話だと思っていたのだが」
にっこり笑顔のミゲルさまは、閨でわたくしの上に覆いかぶさっているときの、あの笑顔をみせています……っ。
このっ、性悪オヤジですわっ! こんな悪辣な方だったなんてっ!
……好きっ!
「こ……っ、そ……っ、でも、誰に聞かれるかも、わかりませんのに……っ」
慌てて周囲を見渡します。
麦畑が延々と連なり、長閑な風景の中、わたくし達の歩かせる馬のひづめの音だけが響いています。
遠くの方で麦踏みをしている村人が、わたくし達に気がついて、帽子を脱いでおじぎをしてくれます。
「そうだね、私が悪かった。じゃあ、次の機会には私の馬で二人乗りしようね?」
馬で、二人乗り?
「何故ですか?」
二人乗りだなんて、馬に負担が掛かるではありませんか。
そう思って問うてみれば、
「だってその方が、内緒話もできるし、新婚さんっぽくないかい?」
邪気のない笑顔でミゲルさまが応えてくれました。わたくしの脳内には、一頭の馬に二人乗りするわたくしたちの姿が……。
思考が真っ白になってしまい、まともなお答えが返せませんでした。
「おーい、リーア? 顔が赤いよ? もう戻ろうか?」
「知りませんっ」
カポカポと呑気に響くひづめの音と、くすくすと笑うミゲルさまのお声。
白い雲が浮かび、お日さまがやさしく照っています。
風は穏やかに麦の穂を揺らしています。
なぜか、不意に胸の奥が痛くなるような、でも溢れるばかりの『幸せだ』という激情がわたくしのうちを襲いました。
今まで5年間。
わたくしはこの道をひとりで馬を駆っていたのです。
領民の生活が少しでも良くなるにはどうしたらいいのか。
そんな事ばかり考えていました。
ひとりで、心細くて。でも不安だなんて言っていられなくて。
今、隣には、一緒に馬を並べてくれるわたくしの旦那さまが、います。
(とても、心強い)
ミゲルさまは、いつでもわたくしの体調を、機嫌を、気遣ってくださいます。
(嬉しい)
領地の見回りをしたいと言えば、帯同してくださいます。
(嬉しい)
『私の妻となったのだから、それなりのドレスを仕立てないとね』
そう仰って既婚夫人らしいお衣装をたくさんご用意してくださいました。
(嬉しい)
『この色は、エミリアに似合うね。うん、こっちの髪飾りは私の瞳の色だ、これにしよう!』
そんなことを仰りながら、邸に呼んだ商会からたくさんの買い物をして、楽しんでいました。
(嬉しい)
独身の時と、既婚者になった時では、女性の装いは変わるのが普通です。
ですが、わたくしは伯爵夫人だった期間、自分の衣装を新たに仕立てたことがありませんでした。
その為の資金は兄にたっぷり持たされましたが、やはりダンナさまにご用意して頂きたかった。それが無理でも、家に商会を呼び、一緒にあれやこれやとわたくしの衣装を見て頂きたかった。
イディオータ伯爵は、わたくしへの関心を一切持ち合わせていないお方でした。わたくしも意地になって、わたくしの存在意義を示そうとしていました。妻としての価値を認めて貰えないのなら、せめて領主夫人として頑張ろうと。
あの時したかったことを、ミゲルさまはすべて叶えてくださる。
あの頃、寂しかったことを、ミゲルさまはなぜか察してくださる。
わたくし、そんな話はしていないのに、ミゲルさまは何故ご存じなのでしょう。
(嬉しい)
ちいさな『嬉しい』気持ちがたくさん降り積もって、いま、どうしようもなく幸せな気持ちに変化して、わたくしを『堪らない気持ち』にさせます。
涙が、溢れて止まりません。
「エミリア?」
「ミゲルさまっ」
並べた馬の上で、ミゲルさまに向かって両手を伸ばせば、尋常ではない様子のわたくしに、すぐに気がついてくださいました。
わたくしの手を取り、ご自分の愛馬「ガナドール号」の上に移動させると、わたくしを抱き締めてくださいます。
「エミリア、なぜ泣く? 私のからかいが過ぎたか? いい子だから、泣かないでおくれ」
ミゲルさまの大きな手がわたくしの背を、頬を、優しく撫でてくださいます。
(嬉しい)
手を伸ばせばいつでも応えてくれる。
そんな些細なことが、途轍もなく、嬉しいのです。
「ミゲルさま……おうちに帰りたい、です……」
「……おうち?」
「ファナや、ハンスの待つ……ミゲルさまのおうちに、かえりたい、です……」
「……そうだね。私たちの家に、帰ろうね」
馬首を巡らせ、進行方向を変えました。
わたくしの愛馬スカーレット号は、頭のいい名馬です。乗り手が場所を変えても察してくれて、大人しくガナドール号の後をついて一緒に家に帰りました。
※すいません、長くなったので分割しました。
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