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後編・男たちのそれぞれ
しおりを挟む(クルス・イディオータ伯爵 視点)
僕が、妻との離婚を決意したのは、憧れの未亡人、ベアトリーチェに『もう待てない』と催促されたからだ。
妻という人間は、10も年下のガリガリに痩せたこどもだった。
結婚してから何年か経ったがいつまでも小娘のままだし、王都で疲れた僕がせっかく領地に戻ったところで、華やかな衣装をまとったりもせず、地味なまま。
主人を癒そうとか労おうなどという思考はないらしい。しかも妊娠しない。
昨今の小娘は、放置したらさっさとよその男に股を開くと聞いていたのに。
これは石女というやつに違いない。これでは彼女の有責での離婚に持ち込めないではないか。
だがもういい。こんな妻、置いておくだけ時間と金の無駄だと離婚を提案すれば、すぐに離婚条件を持ち出し涙のひとつも見せない。
こんな可愛げのない、心のない冷たい女なんてうんざりだ。
僕の憧れの未亡人、美しきベアトリーチェだったら! 彼女なら子どもを生んだ実績がある。間違いなく僕の子も生んでくれるはずだ。離婚条件など喜んで飲んでやるさ! それであれと縁が切れるのだからな!
王都に戻り、数日すれば領地の執事から連絡が入った。元妻のサイン入り離婚届。きちんとサインされたそれを確認した僕は、それを貴族院に提出し、その足で、憧れの未亡人の元へ赴きプロポーズした。
プロポーズの言葉は、『ボクの子を生んでください』だった。
願いは叶い、僕、クルス・イディオータは、長年の憧れだったベアトリーチェと再婚した。
◇◇◇
(サビオ前侯爵 視点)
侯爵位は息子に譲ったから、あとは楽隠居だ。
そう思って領地の片隅に引き籠った。平穏無事で、だが退屈な毎日が続き、そのまま私は朽ち果てるのだろう。
そう思っていたのだが、隣領のイディオータ伯爵家が領地を売りに出すだなんて情報を得た。
驚天動地とはこのことか。
財政難だと聞いていたが、そこまでひっ迫していたのかと調べたら、離婚の際、奥方に財産分与する為の措置だと言う。そして売却を積極的に動いているのがその奥方本人だという。
なんとまぁ。
しかも子どもが出来ないせいでの離婚だと聞いた。昔はそんな女性はひっそり修道院に行ったりしたのだが、元伯爵夫人はしっかりしている。自分の権利を行使する知恵と術を持っている。たいしたものだ。
下手な相手に渡るより私が管理した方が、先代イディオータ伯爵への友情と供養にもなるだろうと、その土地を購入した。かの伯爵夫人の為にもなるし、と。
彼女はこれからの時代を担う、世の女性の鑑となるべき存在だと思っていたら、その本人との再婚話が持ち上がった。
なんとまぁ。
彼女の話を聞けば、こんな若い娘がなんという苦労をしたのだろう。
彼女は『苦労』というひとことで済ませたが、よくよく考えれば17歳の少女が、味方もいない初めての土地でたったひとり、領地を見回り改善点をあげ、領民たちと力を合わせて対策していたと? どんな奇跡だ?
確かに、彼女の実家を考えれば可能かもしれないが、彼女の実家が大々的に乗り込んで着手したという話は聞いていない。
全て、彼女の人柄とその叡智のなせる業だろう。
第一印象は、質素で清楚。立ち居振る舞いは優雅。
そして話せば英邁なことがよく解った。その話術は優れ、人を惹きつける。なによりも、話すときの姿勢と、その瞳の輝きがいい。
しかも領主夫人として、たったの数年で領民の心を掴むなんて素晴らしい! こんな理想的な『貴族の夫人』になれる逸材をポイと放り出すとは、クルス・イディオータ伯爵は女を見る目がない。
先代の伯爵夫妻が早世したせいか、その辺の人を見る目は養われなかったのだろう。哀れな事だ。
花も愛でる者が居なければ、寂しく枯れるばかりだろうに。
この花は、手を加えて愛でれば、どれだけ美しく咲き誇るだろう。
わざわざ自分を悪女などと、悪し様に形容するのも愛らしいばかりだ。
これから先の希望はないかと問えば、元の領地の領民の未来を真っ先にあげた。
自分のことは二の次だなんて、幸せのハードルが低いと言わざるを得ない。もっと自分のことにお金も時間も使うといいのに。
この子本人がそれをしないと言うなら、私がしようかな。
お金も時間も、愛も。
この子にかけたら、どうなるのだろう。
この飾り気のない、自分のことより領民を思い遣るような聡明な女性に、降り積もるような愛を。
単調で退屈な日々の中、もう枯れ果てたはずの心の奥に、ちいさく火が灯るように明るく色付いた。
そして、彼女のもうひとつの『要望』が。
頬を染め、視線を逸らし(今までまっすぐに私を見据えていたのに!)少しだけ躊躇ったあと、
『女としての、悦びを、教えて頂ければ』
なんて、目尻をはんなりと染めながら言うから、なんとまぁ、彼女は小悪魔の才能がある。
「君を、名前で呼んでもいいかい?」
そう問い掛ければ、恥じらいながらも頷いてくれた。
余生など退屈だと、ひっそりと朽ち果てるのだと思っていた私が後妻を娶るに至った理由。
きっと『老いらくの恋』とやらをしたせいだろう。
10年前に亡くなった妻も、彼女なら許してくれる。そんな気がした。
◇◇
一年後。
王宮での新年を祝うパーティーにクルスは出席して驚いた。
元妻が、いるのだ。それも社交界でいまだ絶大な影響力を持つサビオ前侯爵の隣で、笑顔で寄り添って。
笑顔!
それもあんなに美しい顔で!
きちんと着飾り、美しく輝くばかりの笑顔を見せている。
彼女はあのような美貌の君だっただろうか。クルスには見せたことのなかった顔で幸せそうに微笑む元妻。……名前、なんといったか。
そう言えば、クルスは元妻の名を呼んだことがなかった。
だが、思い出したところで、どう見てもサビオ前侯爵の後添いだと解る彼女に、伯爵家の身分でこちらから話しかけることは出来ない。
しかも。
あのウエストのゆったりとした形のドレスは、妊婦特有のものだ。
妊娠、しているのか……。
背が高く逞しい前侯爵が寄り添い、片時も傍から離そうとしない。溺愛のさまが判るなぁ、懐妊中だというから当然かと隣の同僚がいう。
誰も彼女がクルスの元妻だと判らない。それもそうだろう、クルスは公式の場に妻を伴って出席した事がなかった。
10も年下の、子どものような妻を人前に晒すのが恥ずかしくて、帯同しなかったのだ。
だが、今の彼女ならば。
堂々と優雅に振舞い艶やかに微笑む、今の彼女ならば、あるいは。
呆然と見つめ続けたクルスの存在に、彼女は最後まで気がつかなかった。
だが隣に立ち、満遍なく周囲を睥睨していたサビオ前侯爵は、彼に気がついた。
視線を合わせ、ふっと笑った。
左の口の端だけをあげて笑うそのさまは、間違いなくクルスを嘲笑っていた。そしてさり気なく妻をエスコートして、クルスの視線から隠したのだった。
のちに。
クルス・イディオータ伯爵と再婚した後妻ベアトリーチェは、前妻より金使いが荒く(身の回りを飾る物を購入していただけだが)、ちょっぴり潤っていた伯爵家の財産をあっという間に食いつぶし、彼より早く病で死んだ。
『あなた様より20も年上のワタクシには、やっぱり無理そうです』
そう言い残して。
もちろん、子どもなど生んでいない。
クルスは妻の高額な医療費を賄う為に、公金に手をつけ王宮仕官の職を頸になった。
彼は損失補填と日々の生活のために、先祖伝来の土地と家屋敷、それと伯爵位を売り払った。
買いあげたのはサビオ前侯爵だった。
元々イディオータ伯爵家の所有地だった場所や伯爵位は、溺愛する後妻が生んだ息子に譲られた。彼女は息子が成人するまで後見人として、彼の地を守った。
領民たちは『あの賢夫人のご子息が新しい領主さまなら、今後は安泰だろう』と安堵したのだった。
【おしまい】
※
実は、クルスと同じような立場(若い嫁を貰ったが本命は年上)の男が実在する。
GBRの国家元首の令息。彼には先見の明があったのだと思います。
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