異母妹にすべてを奪われ追い出されるように嫁いだ相手は変人の王太子殿下でした。

あとさん♪

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38.もうこれ以上あの子に譲りたくない

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 目の前にウィルフレードの柔らかい笑み。
 差し出された手。

(いけない、物思いに耽っている場合ではなかったわ)

 今夜は王家主催の舞踏会。しかも王太子殿下が自ら連れて来たリラジェンマのお披露目の会でもあるのだ。
 本日最初のダンスを披露しなければならない。

「僕が余計なことを言ったせいで思い悩んでしまった。そんなところかな」

 リラジェンマを会場の中央へエスコートしながら、ウィルフレードは呟く。彼と向き合い、ダンスのポジションに構える。

「判ってて言うのだもの。ウィルは意地悪だわ」

 オーケストラがゆったりとした演奏を始めると同時にリラジェンマは応えた。最初のステップは優雅に踏めた。と思う。
 ウィルフレードの動きに合わせ足を運ぶ。

「ごめんね。リラに隠し事なんて、したくなかったから」

 優雅に踊りながらチラリとウィルフレードを見れば、彼は優しい瞳を向けていた。
 胸の奥がコトリと音を立て、あの妙な息苦しさが消えた。

「そう……ね。事前情報もなしにあの子を見たら、冷静に対処できなくなっていたかもしれないわ」

 前もって知っていれば、少なくとも心の準備ができる。
 不意打ちではない。あの子が仕出かしそうなこと、言い出しそうなことを想定し対処法を考える時間がある。

「とりあえず、来たら迎賓館に待たせておくよう手筈は整えてある。……一緒に会う?」

 踊りながらも目線はリラジェンマに固定されているウィルフレード。
 本来、ダンスのとき男性側は周りの様子を見つつ、自分たちの踊る位置を調整しなければならない。そうしないと一斉に踊る誰かとぶつかってしまう。そのため、絶えず周囲に視線を流しているのが常なのだが、今この場は王太子とその妃だけが踊っている。立ち位置など適当で構わない。

「……わたくしが先に会ってはダメかしら」

 大事な話は相手の目をちゃんと見て。
 ごく一般的な作法ではあるが、相手の真意が読みとれるウーナ王家の人間がそれをすると少なからず威圧になる。母からそう教わった。ウィルフレードを威圧する気はないが、自分の意見は通したかった。

「リラがそうしたいなら」

 ウィルフレードはあっさりと頷いた。


 リラジェンマとしては、彼と異母妹を会わせたくなかった。
 けれど、ウナグロッサからの正式な使者として王太子に面会を求めて来るというのなら、会わせないわけにはいかない。
 ならばせめて。
 どういう意図があって来たのか、国王代理の承認のもと来たのか、それらを本人の口から直接聞きたいと思った。

(わたくし……もうあの人たちから蔑ろにされるのは御免だわ……)

 父親の愛情を向けられなくとも構わなかった。
 自分の持ち物を譲っても我慢した。
 母親の遺品を取り上げられても我慢した。
 婚約者を奪われ、周囲の者から軽んじられても耐えた。

(もうこれ以上、あの子に譲りたくない)

 いままで誰とも争いたくはなかった。
 すべての諍いはまとめて処理しようと、ズルズルと先延ばしにしてきた。
 その結果、祖国を追い出されたのだ。
 これ以上の譲歩などできはしない。

(わたくしはリラジェンマ・ウーナ。女王になるはずだった者よ。これ以上の狼藉ろうぜきは我慢ならない。これ以上わたくしから何物も奪わせはしないわ)

 リラジェンマは顔をあげ、背筋を伸ばし、優雅に微笑みながらウィルフレードのリードに合わせ音楽に乗った。
 ターンでスカートが広がる。
 周囲から感嘆の声があがった。

(それに……わたくしはウィルを信じたい)

 あの魔性のような魅力をもった異母妹ベリンダに会わせたらどうなるかわからない。けれど、ウィルフレードが見せてくれた気持ちを信じたい。

 ウナグロッサの王宮で何度も足にマメを作りながら修得したステップは、優雅でうつくしいと家庭教師たちに大絶賛されていた。
 今でもそれは忘れていない。
 身に付けた確かな技術はリラジェンマの物になり、他者に奪われたりしない。

(そうね。わたくしには何も無いなんて思っていたけど、そうでもなかったのだわ)

 心の中に少しだけ生まれた余裕は、王女として教育を受けたリラジェンマのダンスステップにも影響を与えた。
 王太子と踊る王女の姿は、だれの目にも余裕と優雅さと他者を圧倒する毅然とした雰囲気オーラを感じさせたのだ。

「みんながリラを感心して見ている。僕も鼻が高い」

 ウィルフレードがその黄水晶シトリンの瞳をとろりと蕩けるように輝かせる。踊っているせいか頬が紅潮し、ちょっとだけ色っぽい雰囲気になっている。

「足が万全なら、もっと複雑なステップにもお付き合いできたのに」

 リラジェンマがほぼ本音で返せば、

「今日はいいよ。これ以上、周りのやからにリラの魅力を見せる必要はない」

 ウィルフレードは甘い声で応える。

「あら。もうわたくしと踊ってくれないの?」

「まさか! 僕以外の手を取るリラなんて見たくないってだけ」

 はじめは取り繕った笑顔を見せていたリラジェンマであったが、いつのまにか心の底から笑みを浮かべていた。

(わたくし……ウィルのこと誰にも譲らないわ……それくらい、好き……)


 一曲が終わり、お互い向かい合ってお辞儀をする。
 再び彼らがお互いの手を取ったのを合図に、会場中から一斉に拍手の渦が巻き起こった。

 王族席から立ち上がって拍手する国王夫妻。第二王子が妻セレーネ妃の手を取りエスコートしながらダンスフロアに下りてきた。

「さすが! 圧巻のダンスシーンでしたね、兄上。義姉上も素晴らしかったです」

 ベネディクト王子が茶目っ気たっぷりな笑顔を見せてそう言った。ふだん気難しい表情ばかりする彼にしては珍しい。兄とその妻を前にして、だいぶ油断している風情だ。

 ベネディクト王子が遠目にオーケストラに合図を送れば、二曲目が始まる。セレーネ妃が知り合いの夫人たちに目配せをすれば、次々とフロアに人が溢れた。
 ここからは、みなが踊る時間になる。

「続けて踊る? 少し休む?」

 声を落としてウィルフレードが尋ねる。リラジェンマの足の怪我を気にしているのだと分るのだが。

「踊りたいわ。ダンスが楽しいって気持ち、初めてなの」

 笑顔でリラジェンマは応えた。
 ダンスなど、今までのリラジェンマにとって社交術の一環でしかなかった。必要なスキル。ただそれだけ。
 だが今晩はどうだろう。パートナーがウィルフレードだからなのか。一歩踏み出すたびに浮かれた気分が胸を満たす。

「リラがそう言うなら。でも無理は禁物だよ?」

 ウィルフレードも同じ笑顔で彼女の手を取った。


 この日、初めて公式にグランデヌエベの社交界にお披露目されたリラジェンマであったが、その姿形はもとより、王太子ウィルフレードと仲良さげにお喋りをしつつ息の合ったダンスステップを軽やかに披露したおかげで、文句を付けられる人間は誰もいなかったのである。


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