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29.初めて耳にした母国のようす
しおりを挟む「結婚式では王太子殿下からセカンドネームを頂けるのでしょう? どんなお名前を頂けるのか楽しみですねぇ」
無邪気にリラジェンマに語り掛けたお茶会の出席者は、たしか伯爵家に嫁いだという若い夫人であった。
「せかんどねーむ?」
リラジェンマにとってはまた耳新しい単語だ。そのままセレーネ妃に聞き返す。
「えぇ、リラさま。わたくしは夫からアレグリーアという名を賜りましたわ」
はんなりと頬を染め答えたセレーネ妃は、愛される喜びに内側から光り輝いているようだ。
(セレーネさまの正式名はたしか『セレーネ・アレグリーア・ヌエベ』だったわね。なるほど?)
新たに嫁入りする女性に夫から彼女に相応しい名を授ける。
どうやらヌエベ王家独特の作法らしい。
(ウーナはどうだったのかしら。……おとうさまにもセカンドネーム? らしきものはあったけど……たしか意味は……『繋げる』)
王統を繋げる者。どうやらウーナ王家にとっての彼は種馬以上の価値を最初から見出していなかったのかもしれない。
(王家の秘密も教えられていなかったし。そう思えばあの人も憐れね)
リラジェンマが母国の父を思い出している間に、お茶会の卓上では違う話題が場を賑やかしていた。
「ウナグロッサといえば、あれですわね。なんでも最近は悪天候続きらしくて。風光明媚な場所が多いから観光にでもと思っていましたが、どうやら無理そうですわ」
「悪天候?」
リラジェンマには初耳の母国情報であった。
「えぇ。出入りの商人からの情報ですけれど、確かですわ。雨が続いて大変なのですって」
「わたくしも耳にしましたわ。ウナグロッサから産出される宝石、わたくし好んでおりましたが今年は入手が困難だとか……鉱山に立ち入ることも難しいそうですわ」
「我が国ではさほど天候の変化は感じませんのにね」
「こちらに悪影響がなければいいのですけど」
雨続き。
山にも入れない。
(こんな時、お母さまはよく無理を押して大神殿に赴いていたわ。精霊や始祖霊に祈りを捧げると言って……)
ちゃんと父は大神殿に行っているのだろうか。
始祖霊たちに祈りを捧げているのだろうか。
とはいえ、母は護衛だけを連れて大神殿へ向かっていた。決して父やリラジェンマを帯同させなかった。
(わたくしにもいずれ儀式の仕方を教えてくださると仰っていたけど……)
公務はだいたい引き継いだが、始祖霊を祀る方法は聞いていなかった。それらを伝授される前に母は事故死したから。
リラジェンマが知らないものを、あの父が知っているとは思えない。
ちゃんと始祖霊を祀れないせいで長雨が続いているのではなかろうか。
(この国から祈りを捧げて、ウナグロッサに届かないかしら)
あの国で父や異母妹がどうなろうと、リラジェンマには関係ない。だが無辜の民は違う。ウナグロッサはただでさえ食物の国内自給率が低い。長雨が続けばその少ない作物も育たないだろう。
心配であった。
(ウィルに相談してみましょう)
◇
ウナグロッサの上層部は焦っていた。
リラジェンマ王女が身を挺してグランデヌエベ王国へ嫁いでくれたお陰で戦争は免れたが、それ以来天候不順だ。
この長雨はその一の姫がいないせいだと民たちはまことしやかに噂している。
金遣いは荒いが有能な宰相が突然頸になったせいで政務に支障が出ている。
リラジェンマ王女が居なくなったあと、王太女親衛隊は除隊者が続出した。今では殆ど機能していない。
作物の生育が芳しくない。
長雨のせいで鉱山に入れない。外貨を稼ぐ唯一の手段だといってもいいのに。
長雨のせいで観光客も激減した。
長雨のせいで体調が悪いとベリンダ王女がご機嫌斜めだ。
特にこの王女の存在がやっかいだった。
リラジェンマ王女と違い、公務の一切をしたことのない甘やかされた姫だ。彼女に異母姉姫がしてきた公務の半分でも熟すことが出来れば、我々の気苦労も半分に減るのに!
「先代女王が大神殿で祈りを捧げたら、長雨などすぐに収まったな」
「日照りもすぐに収まった」
「女王陛下がご存命だったときは、我らはこんなに苦労していなかったのに」
「あの当時働いていた人間が今いないから……」
「だが一の姫さまがいらしたから、なんとかなっていたんだ……」
「一の姫さまがいらした頃は、こんなに苦労していなかったのに……」
たったの二ヶ月。
ひとりの王女殿下の不在から状況が一変してしまった。
上層部の不満は、このような状況を生み出した国王代理へ集中することとなる。
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