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9.「君が僕を甘やかすから、つい」……つい?
しおりを挟む国に残した婚約者――いや、元・婚約者フィガロ・ヴィスカルディはリラジェンマの幼馴染みであった。気心の知れた相手だからと油断していた。彼が何を思い、何を悩んでいたのか知ろうともしなかった。その隙を異母妹につけ込まれた。
俯き内省するリラジェンマの頭部に温かいなにかが乗った。
「リラ。そんな顔するな」
見あげれば正面にウィルフレード。そして彼の手が頭をぽんぽんと軽く撫でている。
基本、笑ってはいるが泣いているのを堪えているような苦い、複雑な表情のウィルフレード。彼にそんな顔をさせてしまったのかと、リラジェンマの胸が痛んだ。
「芝生に座るのは抵抗ある?」
ウィルフレードはそう言うと、率先してそこに腰を下ろした。鉄柱に背中を預けると、リラジェンマを見あげ隣を指し示す。ご丁寧にもハンカチが敷かれた。
少しだけ躊躇したが、黙って彼が指し示した隣に座った。
「ちいさいころ、この芝生に興味を持ったのが始まりだった」
ウィルフレードは静かな声で語った。
芝生は常に青々とそこにある。手入れする人間もいないのに。なぜだろうと少年時代のウィルフレードは疑問に思い調べ始めたと。
神殿と呼ばれるその地域一帯は、ふだん無人の場所であり、精霊のための広場であると認識されていること。
それは千年昔の帝国時代の名残りであること。
『神殿』と呼ばれているくせにそこには『神』を象徴するものが祀られていないこと。
管理者が常駐しないこと。
宮殿奥の資料庫にさまざまな文献があったこと。
古代文字を判読するのが楽しかったこと。
調べれば新たな疑問が湧き、その疑問を調べつくすまでまた資料庫を漁る。
世界各地にあるはずの『神殿』とそれに付随する資料を調査したいと考えたけれど、王太子である自分がおいそれと他国に行くわけにはいかなくて諦めたこと。
「リラ。考えてみれば、君も僕と同じ立場だったね」
王統の次代を継ぐ者としての責任と期待を背負う人間。
自我を抑え公的にふるまうことだけを信条とする生活。
誰も自分の本音を聞いてくれない毎日。
おそらくウィルフレードのこれは弱音。
だれにも話したことのない本音。
同じ立場の人間でなければ本当の意味で共感できない想い。
芝生に座り込んだウィルフレードは、立てた膝に両腕を乗せそこに顔を埋めているから、彼がどんな表情をしているのかは分からない。
リラジェンマは彼の隣で空を眺めた。
雲ひとつない空は青く澄み渡り、風は心地良い。陽の光がきらきらとウィルフレードの金髪に反射する。
(金髪……綺麗ね……)
金髪は異母妹のそれでうんざりしていたはずなのに、ウィルフレードの金色はなぜか心に染み渡るように落ち着く。
魔が差した。
その彼の金髪を撫でていた。ついうっかり。
意外としっかりとした手触りの毛並みだ、などと思いながら。
彼の襟足の首が真っ赤になっていた。彼の耳も。
独り言のような弱音を吐いていたウィルフレードが黙ってしまった。
気まずい。
(どうしよう。わたくし、つい無意識に頭を撫でるなんて暴挙にでていたけど……どう収拾をつければいいのかしら……)
特にやめろとも言われないし、何食わぬ顔をして手を引っ込めればいいか。うん、そうだそうしよう。
そっとウィルの頭から手を……離した……はず、が……。
!!!
何かに操られるように、あるいは離れた手を追うように。ウィルフレードの頭がリラジェンマの膝の上に乗った。芝生にごろりと寝転んだウィルフレードは、膝枕にリラジェンマを選んだらしい。
彼女に背を向けているから、ウィルフレードの表情は見えないけれどその耳は赤く染まっている。
「ウィ、ル?」
「なに?」
「この体勢は、いったいなんでしょう?」
「君が僕を甘やかすから、つい」
「つい、ですか」
「です」
そういえば先ほどのリラジェンマも『つい』ウィルフレードの頭を撫でていた。
(つい、ねぇ……。そんなこともあるのかもしれないわね)
日差しが暖かくて心地良い。
まぁいいかと思った。
「ねぇ、リラ。ウナグロッサ国内でなにがあったのか話して。君の身に起こった出来事を知りたい」
ウィルフレードはリラジェンマに背を向けたまま、そんなことを言う。相変わらず耳や首筋を赤くしたまま。
リラジェンマの眼に彼の『悪意』は視えなかった。純粋な彼の厚意で聞きたいというのだろうか。自分の心の鬱憤をリラジェンマに話した代わりに、彼女の鬱憤を聞こうというのか。
(へんなひと)
どのみち、ひとりで抱え込むには大きすぎて、どうしたらいいのか途方に暮れているのだ。
誰かに聞いて貰いたかった。
リラジェンマの身に、なにが起きたのかを。
母国でどんな扱いを受けていたのかを。
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