5 / 66
5.人質?いえいえ花嫁ですがなにか
しおりを挟む「人質、の定義はなんだったかしら」
人質の待遇としてはあるまじき厚遇に首を傾げながら、リラジェンマは温かいお茶を一服した。
訪問した他国の王族として遇されていると思えば、妥当な扱いだろうか。
それにしては至れり尽くせり過ぎる気がする。外交に訪れた大使がその国の王城でフルエステなど受けないだろうし、所望するものがあればなんなりと用意します、などと言われない。宗主国の大使でもない限り。
◇
グランデヌエベに到着したのは昨日の夕方だった。
王宮内の王太子宮。その中の豪華な客室にウィルフレード王太子のエスコートで案内され、彼が選んだという侍女たちを紹介された。
一休みしたら晩餐をともにしようと言ってウィルフレード王太子が退出したあと、リラジェンマはとりあえず、少しだけ休みたい旨を侍女に伝えた。王太子が目の前から消えたとたん、気が抜けたのか疲労を感じたのだ。
すると、あっという間に夜着に着替えさせられ寝台に横になっていた。
侍女にも熟練の手練れという者が存在する。グランデヌエベの王宮にもいたのね、見事だわ! と思いつつ目を瞑った。
次に目を開けたら朝になっていた。
ちょっと目を瞑っただけのつもりで、どうやらうっかり爆睡していたらしい。朝日がさんさんと射し込む方角の良い部屋だったのねと窓を見ながら思う。
王太子が言っていた晩餐は当然のことながら無視した形になった。
慣れない強行軍での馬車移動に加え、母国ウナグロッサで受けた仕打ち。リラジェンマ本人が思っていたより精神的に負担を抱えていたのだろう。夢さえ見ずに眠りこけるほどに。
馬車での強行軍は、確かに体力的にはキツかったが、心理的にはなんの不満も無い。
王太子は終始寝ていたから気を遣う必要などなかったし、同行していた騎士や兵士は馬替えのたびにリラジェンマに優しく声をかけ気遣ってくれたし、馬車内を寝床仕様に変更してくれた。彼らは徹頭徹尾、紳士的な振る舞いをし続けた。
むしろ人質だというのに気を遣ってもらい、王宮に到着すれば豪華な部屋の豪華な寝台で肌触りの良い寝具と衣類にくるまって快適な安眠をむさぼれたのだから、文句を言ったら始祖霊から罰がくだされるだろう。
昨夜リラジェンマの寝支度を調えた年配の侍女が朝の挨拶に現れ、彼女の合図を皮切りに数人の侍女たちの手でリラジェンマはあれよあれよという間に磨き上げられた。湯浴みからマッサージ迄フルコースひととおり。一昼夜馬車に揺られ、一晩眠り続けた身体には有難かった。
丁寧に身の回りの世話をしてくれた侍女たちは、みな気持ちよい笑顔と態度でリラジェンマに接したが、余計な口を挟むこともなく快適な時間を提供してくれる。
(ウナグロッサの王宮のおしゃべりスズメたちに見習わせたいわね)
侍女たちのお喋りは他愛ないものが多いが、いくら王女に慣れているからといって、王族の前で無遠慮な噂話や、他者の悪口など平気で溢すのはいかがなものだろう。最近は妙にギスギスした嫌な空気が満ちていた。やはり母が亡くなってからその傾向が強かったと思い出すと溜息がこぼれてしまう。
「リラジェンマ殿下、お心が優れないご様子。お食事をこちらにお持ちしますがご希望の品はございますか? できうる限り対応いたします。なんなりとお申し付けくださいませ」
リラジェンマの溜息を聞き逃さなかったらしい年配の侍女の柔らかい声に、母国に残した乳母・ジータを思い出す。彼女は昨年足の骨を折って仕事ができなくなり城を辞した。
……近年では古参の者たちの多くがそういった理由で職を辞している。
いっそ不自然なほどに。
(お父様……ご自分の意に沿わぬ者たちを次々と追い出していたわ)
まさか、王太女までその対象になるとは思わなかったが、父という人間に対する自分の認識不足であったと言わざるを得ない。
とはいえ、父のことはどうでもいい。いまは。
「ありがとう。わたくしは充分よくして貰っているわ。あなたたちの仕事は素晴らしいもの。それで、ウィルフレード王太子殿下にお詫びしたいのだけど、面会は叶うかしら」
年配の侍女――たしか昨夜ハンナという名だとウィルフレード王太子から聞いた――にそう尋ねてみれば、不思議そうな顔をされる。
「お詫び、でございますか? どのようなお詫びでしょうか」
「ウィルフレード王太子殿下は『晩餐を』と仰っていたのに、わたくしが眠っていたから」
「あぁ、そのことでしたらウィルフレード王太子殿下からお詫びのお言葉をお預かりしております。『強行軍で輿入れさせた私に気遣いが足りなかった。許せ』と。リラジェンマ殿下が寝込んでしまわれても致し方ありません。深窓の姫君を一昼夜揺れる馬車に乗せたままだったと伺ったときには、眩暈がいたしましたわ!」
これだから殿方はっ! とハンナはご立腹のようだ。
「わたくしどもの王子が姫殿下にいたしました無礼、僭越ながらお詫び申しあげます」
丁寧に頭を下げるハンナたち侍女に、リラジェンマは呆気にとられる。
「あなたたちが謝ることではないわ。頭を上げてちょうだい」
「ですが、今まで誰にどんなに急かされてもガンとして結婚相手を選ばずにきた王太子殿下が、御自らお迎えにあがったリラジェンマ姫殿下ですもの。姫殿下に嫌われでもしたら、うちの王太子殿下は一生独身のまま過ごしそうで恐ろしいのですっ」
「……え?」
ハンナの決意を込めた顔は、謎の圧を伴ってリラジェンマを黙らせる。
「リラジェンマさま。幾久しく、よろしくお願い申しあげます」
そうして再度丁寧に頭を下げられ、当惑したままのリラジェンマを残して侍女たちは退出した。
傍らには薫り高く温かいお茶。一口飲めば、その馥郁たる薫りにうっとりした。喉元から胃の腑に落ちてまで薫りが続くようで、納得の腕前だった。
「……わたくし、もしかして本当に王太子本人の主張のとおり『花嫁』として連れてこられたのかしら」
そう独りごちてからふと疑問に思う。
それならば、なぜ彼は一軍を率いて国境を越え、あの街を占拠していたのだろう。宣戦布告してまでリラジェンマを迎え入れなければならなかった訳は?
花嫁が欲しいだけなら、異母妹に話がいくのが普通ではないだろうか。彼女は絶世の美女と評判だったのだから。
王太女であったリラジェンマには幼い頃女王に指名された婚約者がいた。のちのち王配になる予定の侯爵家子息だ。
その婚約者持ちの王太女をわざわざ花嫁に指名する意図が分からない。いまとなっては王太女の資格は剥奪されただろうし、もとより絶世の美女と呼ばれるような容貌は持っていない。しかも母国にとっては厄介者扱いのはずだから人質としての意味も怪しい。
果たしてリラジェンマ本人にそこまでする価値があるのだろうか。
むりやりリラジェンマを花嫁にしようとしているウィルフレード王太子は、いったい何を考えているのだろう。
薫り高い紅茶に添えられたジャムがまた美味であった。
◇
「おはよう、リラ! いい朝だね。気分はどうだい?」
明るい挨拶とともにウィルフレード王太子がリラジェンマの部屋を訪れたのは、彼女がお茶を一服し軽食を終えてからだった。
今日のウィルフレードもキラキラと金髪が輝き、白皙の美貌も絶好調のようだ。
何が嬉しいのかニコニコと満面の笑みを浮かべご機嫌な様子が見てとれる。
(王族って、もうちょっと内心を隠すための作られた笑顔を浮かべるものだと思っていたけど、彼のこれは……)
リラジェンマには解るのだ。向かい合う相手が浮かべている笑みが、本気なのか内心を隠すそれなのかが。ウィルフレードの浮かべている笑みは、後ろ暗いところのいっさいない、心からの笑みだと解る。解ってしまう。
ウーナ王家の血族に伝わる特殊能力で、リラジェンマには対峙する相手の悪意が視える。前女王であった母はリラジェンマより遥かに高い能力を持っていたがゆえに、悪意だけでなく相手のさまざまな感情まで把握できたらしい。そのせいでいつも心労を背負っていた。
母ほどではないが、リラジェンマも相手のこころの内が大雑把に理解できる。
だからこそ、戸惑う。
ウィルフレードは上機嫌なのだと解るから。
「じゃあ、案内するからね。行こう!」
リラジェンマが挨拶するのも待たず彼女の手を取ると、上機嫌のウィルフレードは彼女をエスコートしながら部屋を出た。
「どちらへ?」
「神殿。ちゃんと挨拶させないと」
(ん? 挨拶させないと? 神殿で? 誰かを紹介しようとしているの?)
紹介されるのなら、まずはグランデヌエベ王国の国王夫妻ではなかろうか。まだ彼らに会っていない。彼らに会うために神殿をわざわざ使うのだろうか。
どことなく不思議な言い回しだと感じたが、細かな言葉の使い方が違うせいだろうと聞き流した。
エスコートされながら外を窺えば、進む先は王宮内部へ向かう道のようでリラジェンマが尋ねる。
「王宮内に神殿があるのですか?」
「うん。むしろ王宮の中央が神殿だね。ウナグロッサでは違うの?」
「違いますね。大神殿は王宮から離れた山の上にありました」
ふむ、やはり扱いが違うのだなとウィルフレードが呟いた。
そして続けて怖いことを尋ねてきた。
「ところでリラ。ウナグロッサで何があった? うちのが騒がしすぎて、つい介入しちゃったんだけどさ。僕が放置していたら、リラは早晩この世のモノでは無くなっていただろうね」
「――え?」
13
お気に入りに追加
537
あなたにおすすめの小説
この度、猛獣公爵の嫁になりまして~厄介払いされた令嬢は旦那様に溺愛されながら、もふもふ達と楽しくモノづくりライフを送っています~
柚木崎 史乃
ファンタジー
名門伯爵家の次女であるコーデリアは、魔力に恵まれなかったせいで双子の姉であるビクトリアと比較されて育った。
家族から疎まれ虐げられる日々に、コーデリアの心は疲弊し限界を迎えていた。
そんな時、どういうわけか縁談を持ちかけてきた貴族がいた。彼の名はジェイド。社交界では、「猛獣公爵」と呼ばれ恐れられている存在だ。
というのも、ある日を境に文字通り猛獣の姿へと変わってしまったらしいのだ。
けれど、いざ顔を合わせてみると全く怖くないどころか寧ろ優しく紳士で、その姿も動物が好きなコーデリアからすれば思わず触りたくなるほど毛並みの良い愛らしい白熊であった。
そんな彼は月に数回、人の姿に戻る。しかも、本来の姿は類まれな美青年なものだから、コーデリアはその度にたじたじになってしまう。
ジェイド曰くここ数年、公爵領では鉱山から流れてくる瘴気が原因で獣の姿になってしまう奇病が流行っているらしい。
それを知ったコーデリアは、瘴気の影響で不便な生活を強いられている領民たちのために鉱石を使って次々と便利な魔導具を発明していく。
そして、ジェイドからその才能を評価され知らず知らずのうちに溺愛されていくのであった。
一方、コーデリアを厄介払いした家族は悪事が白日のもとに晒された挙句、王家からも見放され窮地に追い込まれていくが……。
これは、虐げられていた才女が嫁ぎ先でその才能を発揮し、周囲の人々に無自覚に愛され幸せになるまでを描いた物語。
他サイトでも掲載中。
【完結】捨てられた双子のセカンドライフ
mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】
王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。
父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。
やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。
これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。
冒険あり商売あり。
さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。
(話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)
【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜
光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。
それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。
自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。
隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。
それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。
私のことは私で何とかします。
ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。
魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。
もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ?
これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。
表紙はPhoto AC様よりお借りしております。
罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】
私には婚約中の王子がいた。
ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。
そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。
次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。
目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。
名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。
※他サイトでも投稿中
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。
7回目の婚約破棄を成し遂げたい悪女殿下は、天才公爵令息に溺愛されるとは思わない
結田龍
恋愛
「君との婚約を破棄する!」と六人目の婚約者に言われた瞬間、クリスティーナは婚約破棄の成就に思わず笑みが零れそうになった。
ヴィクトール帝国の皇女クリスティーナは、皇太子派の大きな秘密である自身の記憶喪失を隠すために、これまで国外の王族と婚約してきたが、六回婚約して六回婚約破棄をしてきた。
悪女の評判が立っていたが、戦空艇団の第三師団師団長の肩書のある彼女は生涯結婚する気はない。
それなのに兄であり皇太子のレオンハルトによって、七回目の婚約を帝国の公爵令息と結ばされてしまう。
公爵令息は世界で初めて戦空艇を開発した天才機械士シキ・ザートツェントル。けれど彼は腹黒で厄介で、さらには第三師団の副官に着任してきた。
結婚する気がないクリスティーナは七回目の婚約破棄を目指すのだが、なぜか甘い態度で接してくる上、どうやら過去の記憶にも関わっているようで……。
毎日更新、ハッピーエンドです。完結まで執筆済み。
恋愛小説大賞にエントリーしました。
【完結】「君を愛することはない」と言われた公爵令嬢は思い出の夜を繰り返す
おのまとぺ
恋愛
「君を愛することはない!」
鳴り響く鐘の音の中で、三年の婚約期間の末に結ばれるはずだったマルクス様は高らかに宣言しました。隣には彼の義理の妹シシーがピッタリとくっついています。私は笑顔で「承知いたしました」と答え、ガラスの靴を脱ぎ捨てて、一目散に式場の扉へと走り出しました。
え?悲しくないのかですって?
そんなこと思うわけないじゃないですか。だって、私はこの三年間、一度たりとも彼を愛したことなどなかったのですから。私が本当に愛していたのはーーー
◇よくある婚約破棄
◇元サヤはないです
◇タグは増えたりします
◇薬物などの危険物が少し登場します
実家から絶縁されたので好きに生きたいと思います
榎夜
ファンタジー
婚約者が妹に奪われた挙句、家から絶縁されました。
なので、これからは自分自身の為に生きてもいいですよね?
【ご報告】
書籍化のお話を頂きまして、31日で非公開とさせていただきますm(_ _)m
発売日等は現在調整中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる