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第七章
42.たとえ生まれ変わってもきみと結婚したい
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※(全力で甘くした……つもり)※
魔獣侵攻が突然現れた霧の女神によって終息したその日。
超早朝、おとなになって帰ってきたルーカスを辺境伯は涙目で迎えた。
自分の目線と近くなった息子の肩をポンポンと軽く叩き、云々と頷いたあと。
頭に一発の拳骨を落とした。
鉄拳制裁しなければ気がすまなかったらしい。
ルーカスはその場で正座すると素直に詫びた。
心配かけたこと、早とちりし拗ねて家出したことを。
そしてフォルトゥーナが好きだから、彼女と結婚したい旨を伝えた。
辺境伯は、どうしようかなぁとわざとらしく言ったあとで、面白いことを考えついたイタズラ小僧のような表情を浮かべながらこう告げた。
「フォルトゥーナ嬢は“辺境伯の伴侶”になるために来たのだから、彼女を娶るならばそれなりの地位が必要だなぁ……ルーカス。爵位を継ぐか?」
そのことばを聞いたルーカスは、一も二もなく快諾した。
辺境伯は『霧の女神像』について、ルーカスへ問い質すことはなかった。
ただ……あれはフォルトゥーナ嬢に似ていたなと言い、意味ありげに笑っただけである。
フォルトゥーナへは、迷子になっていた息子を連れ帰ってくれてありがとう、とやさしい目をしながら言った。
目の前で彼らのやり取りを見聞きしたルーカスは、そこに“父娘の情”を感じた。
過去の自分は早計で視野狭窄を起こしていたに違いないと猛省した。
城の使用人たちのほとんどは事情を知っていたから、皆おとなになったルーカスを喜び祝福した。爵位継承の件も合わせてお祝いパーティを開きましょうと大盛りあがりである。
辺境騎士団や辺境警備隊の役職付きの人間もおおまかな事情を心得ているので受け入れられた。
だが人前に出ない辺境伯閣下の養子が、ルーカス少年本人であるという事実に気がついていない者もいた。
そういう者はおとなになったルーカスが姿を見せ、次期辺境伯だと自己紹介したとき「へぇ。同じ名前の少年を知ってますよ」などと言うから失笑を買っていた。
一方、フォルトゥーナは身分のせいもあったが、誰からも怒られることなく自室へ戻った。
が。
彼女の乳母であるクラシオン夫人に、自室でこってりとお説教をされた。
涙をこぼしながらの懇切丁寧なお説教を、フォルトゥーナは黙って拝聴した。
軽率だったことは本人も認めるところであったので。
ひととおり怒られたあと、自分はルーカスの伴侶になるつもりだと告げるとクラシオン夫人は自信たっぷりに微笑み「そうなるだろうと思っておりました」と答えた。
お預かりしていたアレをこのようにしましたと夫人が見せたのは、可憐な赤い花の押し花が三つ。
在りし日のフォルトゥーナがうれしそうにクラシオン夫人に見せた、花で作られた指輪だったらしい。
それを見たフォルトゥーナの記憶のなかで、決して繋がるはずのなかった回路が繋がった。
彼女はその記憶にしばらく愕然としたのだった。
◇
魔獣侵攻から一週間ほど経ってから、フォルトゥーナはルーカスにお願いごとをした。
ふたりだけで話したい。場所は死の山の、あの花畑がいいと。
そのお願いをしたときのフォルトゥーナの表情が、とても固く暗い雰囲気だったのが気になったルーカスであったが、彼は快諾した。
もともと彼に“フォルトゥーナからの願いごと”を拒否する選択肢などない。
ルーカスは当然のようにフォルトゥーナを抱き上げ、自室の窓からひと蹴りで飛び出した。
すぐ風に乗って飛行する。
フォルトゥーナにとってはその生涯で二回目になった飛行体験。
羽を持たざる生き物の分際で二度も体験するとは。しかも死の山に到着するまで、実質二歩。
ルーカスという人を知らなければありえないわね、とフォルトゥーナは半ば呆れ遠い目になってしまった。
◇
死の山の山頂にあった花畑は、ほぼ全滅していた。
先日山越えをした魔獣たちに踏み荒らされ、めちゃくちゃになってしまったのだ。とても花畑があったとは思えない場所になっていた。
ここに花畑があったなんて今では信じられないねと、ルーカスは残念そうに言う。
そう言いながら、彼は心の中で別のことを考えていた。
フォルトゥーナがわざわざ城を離れふたりだけで話したいと言った意図はなんだろう、と。
竜のちからをふんだんに使ったせいで彼の正体に気がついたフォルトゥーナが、結婚を拒否したいと思うようになったのかな、とか。
そんな話ならしたくないなと、やや後ろ向きな思考になってしまったルーカスに、フォルトゥーナは居丈高に口を開いた。
彼女が眉間にしわを寄せて睨めば、そこそこの威嚇になるとフォルトゥーナは自覚している。
「ねえ、ルーカス。わたくしの記憶のなかでは……初めてあなたと会ったのはここだったのだけどね」
あのとき――。
見渡す限りうつくしい花々が咲き乱れる場所で、フォルトゥーナはルーカスを見た。
自分がどうしてその場にいるのか分からなくて不安に駆られていたときに視界にはいった少年。
ほとんど白に近い淡い色の金髪と紅玉のように赤くうつくしく煌めく瞳に魅入られたのだ。
少女と見紛う秀麗な容貌の少年に。
今は背の高い眉目秀麗な偉丈夫。
長い髪を一括りにして、しなやかな体躯を騎士服に包んで。
でも、紅玉のように潤んだ瞳は変わらない。
同じ熱を持って、彼女を見つめるのだ。
「あのとき、あなた……わたくしが意識をとり戻すまえ……プロポーズ、した?」
「え」
まさか思い出したのかとルーカスが絶句する。あの時は忘れてしまったのに、と。
「プロポーズしたあとでわたくしの意識が回復して……なに食わぬ顔でしれーっと“頭は痛くないですか”とか訊いてたの?」
なぜかフォルトゥーナは不機嫌そうな顔のままであった。
「……記憶が戻るまえのこと、思い出したの?」
恐る恐る問えば、フォルトゥーナはあっさりと肩を竦め否定した。
「思い出していないわ……代わりに、別の記憶があるの」
「別の記憶?」
ルーカスが尋ねると、フォルトゥーナは頷いた。
「えぇ。摩訶不思議な記憶だわ。……まだ幼かったころに、花の王子さまがわたくしにプロポーズしてくれたっていう記憶よ」
心慰められるうつくしい花々が咲き乱れる、まるでおとぎ話にでてくる神の庭のような場所で、幼いときにとても愛らしい少年――彼女の認識では“花の王子さま”――に、花の指輪を着けてもらいながらプロポーズを受けたというものがあったのだ。
だが理性的に考えれば、これは奇妙な記憶といっていい。
本来のフォルトゥーナは幼いころから公女として、あるいは第一王子の婚約者として勉強に励んでいた記憶しかなかった。
そのはずなのに。
山の上の可憐な花畑にいる自分、という記憶があったのだ。
ラミレス公爵領にそんな場所はない。(豪華絢爛な庭園ならばある)
あるはずのない記憶がある。
これはどういうことかとフォルトゥーナは考えた。
フォルトゥーナは幼児退行していた。
ルーカスと初めて会ったとき、彼女は赤い花でできた指輪をつけていた……。
以上の事柄から導き出された答え。それは――。
「ルーカス! あなた、わたくしの記憶を勝手に改ざんしたわね!」
「え゛っ」
意外なことを聞かされ目が点になっているルーカスに、フォルトゥーナは彼女の人差し指を突き付け叫んだ。
「勝手に記憶改ざんして、勝手にわたくしの“花の王子さま”になるなんて、ひどいわ!」
「えぇぇぇぇぇぇぇー?」
いやいやフォルトゥーナさま? さすがにその理屈は理不尽じゃありませんかねと思ったルーカスは叫び声をあげた。
なおもフォルトゥーナは胸を張ってことばを続ける。
「そうよ。理不尽よね。怒っていいのよ? 理不尽な言いがかりをつけられているのよ? ルーカス、怒りなさい!」
フォルトゥーナのちょっと猫目の美貌は、不機嫌な表情になって相手を睨みつけるとそれなりの迫力がある。
美人は怒らせると怖いな、と思わせる程度には。
ルーカスにはなにをしていても『かわいい……』としか思えないけれど。
ルーカスは固まった笑顔のまま、ゆっくりと首を傾げた。
フォルトゥーナは自分に怒って欲しいのかな? それはなぜなのか? と考える。
ルーカスが想定していたことと違う。
彼女の目の前で披露した魔法について聞かれるだろうと、それによって結婚に暗雲が立ち込めたかと覚悟していたのに、とんだ肩透かしを喰らわされた気分である。
とはいえ、そんな心理をつぶさに説明できなかったルーカスだったのだが、よっぽどヒドイ顔をしていたのだろう。
しかめっ面していたフォルトゥーナが堪りかねたようすで吹きだした。
笑いだしたフォルトゥーナを拍子抜けしたように呆然と見つめるルーカス。
フォルトゥーナはひとしきり笑ったあとで。
「こんなわたくしだけど、まだ伴侶に望むの?」
と、きいた。
フォルトゥーナは自分自身の頬が真っ赤に染まっていることを自覚している。なんて恥ずかしいことを言っているのだと理解している。
そう、彼女はちゃんと理解しているのだ。これからもっと恥ずかしいことをルーカスに要求する自分を。
ルーカスがなにを恐れているのかも。
「いい? わたくしの記憶のなかの幼いわたくしはね……決めてしまったの。“花の王子さまと結婚するんだ”って。ルーカスは、それの、責任をとらないといけないのよっ!」
頬を赤く染め宣言するフォルトゥーナを目の当たりにしたルーカスは。
一瞬、すべての動きを停止させ。
思い出したように慌てて彼女の眼前で跪いた。
「望むよ。ぼくは望む。ちゃんと責任を取る! たとえ理不尽な言いがかりをつけられても、八つ当たり気味に怒られても、きみを……フォルトゥーナ・クルス嬢をぼくの永遠の伴侶にしたいと」
跪いたルーカスはフォルトゥーナの手をとった。
「……分かったでしょうけど、わたくし、短気よ? それに怒りっぽいわ」
「感情が豊かで心配性だからだ」
「頭がいいフリをして、ほんとうはただずる賢いだけなのよ?」
「ズルのひとつやふたつできないようじゃ、辺境伯夫人は務まらないとぼくは思うよ」
「ルーカスがどこにいたって追いかけようとするわ。あなた、逃げられないのよ? それにその度に大騒ぎになるのよ?」
「ぼくはとっくに捕まってるし逃げる気もないよ。大騒ぎもいっしょにやればきっと楽しい」
「ほんとうは、とっても泣き虫なのよ」
「知ってる」
ルーカスは立ちあがるとフォルトゥーナを抱きしめた。
「ぼくのいないところで泣かないでくれれば、それでいい」
「わたくしが泣いてるの、見たくないって言ってたくせに」
「見たくないよ。でも、ぼくがいないところできみが泣いているって考えたら……きっとぼくは気が狂う。ぼくの前でなら、こうやって抱きしめられるし問題解決をいっしょに考えられる……だからフォルトゥーナ。泣くならぼくの前で……ぼくの腕の中で、泣いて?」
どちらからともなく、唇が近づき……触れあう。
フォルトゥーナが目を伏せると、長い睫毛からコロンと涙が零れた。
それを見たルーカスは、やっぱり彼女は泣き虫で……かわいいなと思った。
◇
「ほんとうは……もっと他のことを聞きたかったんじゃないの?」
ルーカスが恐る恐る問えば、フォルトゥーナは首を傾げた。
「ほかのこと?」
「その……怖くなったんじゃないの? ぼくのことが」
なにを理由に怖くなったのか。
明確な名詞を言えなかったルーカスに、フォルトゥーナは自信満々に応えた。
「ルーカス。あなた、わたくしの先祖を誰だと思っていて? わたくしが誰の血を引いているか知らないとでも?」
そう。
彼女はラミレス公爵家の令嬢。彼女の先祖を辿ればアクエルド王家に、初代の建国王に辿り着く。
彼女は竜の血を引く娘なのだ。
「それを理由にわたくしが怖気づくとでも思ったの? フォルトゥーナ・クルスを見くびらないでちょうだい」
フォルトゥーナの女王然とした無敵の微笑みを前にしたルーカスは、やっと彼女が意図したところを理解した。
ルーカスに『どんなに無理難題を突き付けられても、メンドクサイこと言うような女でも、フォルトゥーナを伴侶に望む』と口にして貰いたかった訳を。
彼女はこう言いたかったのだ。
『ルーカスがどんなフォルトゥーナでも求めるのと同じように、たとえルーカスが人でなくても、彼女はルーカスと共にありたいのだ』と。
それに、もともと彼女は言っていたではないか。
ルーカスが子どもでもおとなでも、ルーカスならばいいのだと。
「フォルトゥーナ。たとえ生まれ変わってもきみと結婚したい。きみを伴侶にすると誓うよ」
まだまだ自分は覚悟が足りなかったなと思いながら、ルーカスはフォルトゥーナの耳元で囁いた。
愛しい彼女がうつくしく微笑みながらルーカスを見あげる。
フォルトゥーナ・クルス。
停滞していたルーカスの未来を変えた娘。ルーカスにとって『目覚めの乙女』。
「心の底から……フォルトゥーナ、愛してる」
長くなった腕で彼女を抱きしめた。
この命をまっとうしても、きっと彼女を手放さないだろうとルーカスは薄く笑った。
なんども繰り返し、やっと巡り合えた番なのだから。
ルーカスの気持ちを反映したのか、辺りは徐々に花が咲き始めていた。
※あと一話※
魔獣侵攻が突然現れた霧の女神によって終息したその日。
超早朝、おとなになって帰ってきたルーカスを辺境伯は涙目で迎えた。
自分の目線と近くなった息子の肩をポンポンと軽く叩き、云々と頷いたあと。
頭に一発の拳骨を落とした。
鉄拳制裁しなければ気がすまなかったらしい。
ルーカスはその場で正座すると素直に詫びた。
心配かけたこと、早とちりし拗ねて家出したことを。
そしてフォルトゥーナが好きだから、彼女と結婚したい旨を伝えた。
辺境伯は、どうしようかなぁとわざとらしく言ったあとで、面白いことを考えついたイタズラ小僧のような表情を浮かべながらこう告げた。
「フォルトゥーナ嬢は“辺境伯の伴侶”になるために来たのだから、彼女を娶るならばそれなりの地位が必要だなぁ……ルーカス。爵位を継ぐか?」
そのことばを聞いたルーカスは、一も二もなく快諾した。
辺境伯は『霧の女神像』について、ルーカスへ問い質すことはなかった。
ただ……あれはフォルトゥーナ嬢に似ていたなと言い、意味ありげに笑っただけである。
フォルトゥーナへは、迷子になっていた息子を連れ帰ってくれてありがとう、とやさしい目をしながら言った。
目の前で彼らのやり取りを見聞きしたルーカスは、そこに“父娘の情”を感じた。
過去の自分は早計で視野狭窄を起こしていたに違いないと猛省した。
城の使用人たちのほとんどは事情を知っていたから、皆おとなになったルーカスを喜び祝福した。爵位継承の件も合わせてお祝いパーティを開きましょうと大盛りあがりである。
辺境騎士団や辺境警備隊の役職付きの人間もおおまかな事情を心得ているので受け入れられた。
だが人前に出ない辺境伯閣下の養子が、ルーカス少年本人であるという事実に気がついていない者もいた。
そういう者はおとなになったルーカスが姿を見せ、次期辺境伯だと自己紹介したとき「へぇ。同じ名前の少年を知ってますよ」などと言うから失笑を買っていた。
一方、フォルトゥーナは身分のせいもあったが、誰からも怒られることなく自室へ戻った。
が。
彼女の乳母であるクラシオン夫人に、自室でこってりとお説教をされた。
涙をこぼしながらの懇切丁寧なお説教を、フォルトゥーナは黙って拝聴した。
軽率だったことは本人も認めるところであったので。
ひととおり怒られたあと、自分はルーカスの伴侶になるつもりだと告げるとクラシオン夫人は自信たっぷりに微笑み「そうなるだろうと思っておりました」と答えた。
お預かりしていたアレをこのようにしましたと夫人が見せたのは、可憐な赤い花の押し花が三つ。
在りし日のフォルトゥーナがうれしそうにクラシオン夫人に見せた、花で作られた指輪だったらしい。
それを見たフォルトゥーナの記憶のなかで、決して繋がるはずのなかった回路が繋がった。
彼女はその記憶にしばらく愕然としたのだった。
◇
魔獣侵攻から一週間ほど経ってから、フォルトゥーナはルーカスにお願いごとをした。
ふたりだけで話したい。場所は死の山の、あの花畑がいいと。
そのお願いをしたときのフォルトゥーナの表情が、とても固く暗い雰囲気だったのが気になったルーカスであったが、彼は快諾した。
もともと彼に“フォルトゥーナからの願いごと”を拒否する選択肢などない。
ルーカスは当然のようにフォルトゥーナを抱き上げ、自室の窓からひと蹴りで飛び出した。
すぐ風に乗って飛行する。
フォルトゥーナにとってはその生涯で二回目になった飛行体験。
羽を持たざる生き物の分際で二度も体験するとは。しかも死の山に到着するまで、実質二歩。
ルーカスという人を知らなければありえないわね、とフォルトゥーナは半ば呆れ遠い目になってしまった。
◇
死の山の山頂にあった花畑は、ほぼ全滅していた。
先日山越えをした魔獣たちに踏み荒らされ、めちゃくちゃになってしまったのだ。とても花畑があったとは思えない場所になっていた。
ここに花畑があったなんて今では信じられないねと、ルーカスは残念そうに言う。
そう言いながら、彼は心の中で別のことを考えていた。
フォルトゥーナがわざわざ城を離れふたりだけで話したいと言った意図はなんだろう、と。
竜のちからをふんだんに使ったせいで彼の正体に気がついたフォルトゥーナが、結婚を拒否したいと思うようになったのかな、とか。
そんな話ならしたくないなと、やや後ろ向きな思考になってしまったルーカスに、フォルトゥーナは居丈高に口を開いた。
彼女が眉間にしわを寄せて睨めば、そこそこの威嚇になるとフォルトゥーナは自覚している。
「ねえ、ルーカス。わたくしの記憶のなかでは……初めてあなたと会ったのはここだったのだけどね」
あのとき――。
見渡す限りうつくしい花々が咲き乱れる場所で、フォルトゥーナはルーカスを見た。
自分がどうしてその場にいるのか分からなくて不安に駆られていたときに視界にはいった少年。
ほとんど白に近い淡い色の金髪と紅玉のように赤くうつくしく煌めく瞳に魅入られたのだ。
少女と見紛う秀麗な容貌の少年に。
今は背の高い眉目秀麗な偉丈夫。
長い髪を一括りにして、しなやかな体躯を騎士服に包んで。
でも、紅玉のように潤んだ瞳は変わらない。
同じ熱を持って、彼女を見つめるのだ。
「あのとき、あなた……わたくしが意識をとり戻すまえ……プロポーズ、した?」
「え」
まさか思い出したのかとルーカスが絶句する。あの時は忘れてしまったのに、と。
「プロポーズしたあとでわたくしの意識が回復して……なに食わぬ顔でしれーっと“頭は痛くないですか”とか訊いてたの?」
なぜかフォルトゥーナは不機嫌そうな顔のままであった。
「……記憶が戻るまえのこと、思い出したの?」
恐る恐る問えば、フォルトゥーナはあっさりと肩を竦め否定した。
「思い出していないわ……代わりに、別の記憶があるの」
「別の記憶?」
ルーカスが尋ねると、フォルトゥーナは頷いた。
「えぇ。摩訶不思議な記憶だわ。……まだ幼かったころに、花の王子さまがわたくしにプロポーズしてくれたっていう記憶よ」
心慰められるうつくしい花々が咲き乱れる、まるでおとぎ話にでてくる神の庭のような場所で、幼いときにとても愛らしい少年――彼女の認識では“花の王子さま”――に、花の指輪を着けてもらいながらプロポーズを受けたというものがあったのだ。
だが理性的に考えれば、これは奇妙な記憶といっていい。
本来のフォルトゥーナは幼いころから公女として、あるいは第一王子の婚約者として勉強に励んでいた記憶しかなかった。
そのはずなのに。
山の上の可憐な花畑にいる自分、という記憶があったのだ。
ラミレス公爵領にそんな場所はない。(豪華絢爛な庭園ならばある)
あるはずのない記憶がある。
これはどういうことかとフォルトゥーナは考えた。
フォルトゥーナは幼児退行していた。
ルーカスと初めて会ったとき、彼女は赤い花でできた指輪をつけていた……。
以上の事柄から導き出された答え。それは――。
「ルーカス! あなた、わたくしの記憶を勝手に改ざんしたわね!」
「え゛っ」
意外なことを聞かされ目が点になっているルーカスに、フォルトゥーナは彼女の人差し指を突き付け叫んだ。
「勝手に記憶改ざんして、勝手にわたくしの“花の王子さま”になるなんて、ひどいわ!」
「えぇぇぇぇぇぇぇー?」
いやいやフォルトゥーナさま? さすがにその理屈は理不尽じゃありませんかねと思ったルーカスは叫び声をあげた。
なおもフォルトゥーナは胸を張ってことばを続ける。
「そうよ。理不尽よね。怒っていいのよ? 理不尽な言いがかりをつけられているのよ? ルーカス、怒りなさい!」
フォルトゥーナのちょっと猫目の美貌は、不機嫌な表情になって相手を睨みつけるとそれなりの迫力がある。
美人は怒らせると怖いな、と思わせる程度には。
ルーカスにはなにをしていても『かわいい……』としか思えないけれど。
ルーカスは固まった笑顔のまま、ゆっくりと首を傾げた。
フォルトゥーナは自分に怒って欲しいのかな? それはなぜなのか? と考える。
ルーカスが想定していたことと違う。
彼女の目の前で披露した魔法について聞かれるだろうと、それによって結婚に暗雲が立ち込めたかと覚悟していたのに、とんだ肩透かしを喰らわされた気分である。
とはいえ、そんな心理をつぶさに説明できなかったルーカスだったのだが、よっぽどヒドイ顔をしていたのだろう。
しかめっ面していたフォルトゥーナが堪りかねたようすで吹きだした。
笑いだしたフォルトゥーナを拍子抜けしたように呆然と見つめるルーカス。
フォルトゥーナはひとしきり笑ったあとで。
「こんなわたくしだけど、まだ伴侶に望むの?」
と、きいた。
フォルトゥーナは自分自身の頬が真っ赤に染まっていることを自覚している。なんて恥ずかしいことを言っているのだと理解している。
そう、彼女はちゃんと理解しているのだ。これからもっと恥ずかしいことをルーカスに要求する自分を。
ルーカスがなにを恐れているのかも。
「いい? わたくしの記憶のなかの幼いわたくしはね……決めてしまったの。“花の王子さまと結婚するんだ”って。ルーカスは、それの、責任をとらないといけないのよっ!」
頬を赤く染め宣言するフォルトゥーナを目の当たりにしたルーカスは。
一瞬、すべての動きを停止させ。
思い出したように慌てて彼女の眼前で跪いた。
「望むよ。ぼくは望む。ちゃんと責任を取る! たとえ理不尽な言いがかりをつけられても、八つ当たり気味に怒られても、きみを……フォルトゥーナ・クルス嬢をぼくの永遠の伴侶にしたいと」
跪いたルーカスはフォルトゥーナの手をとった。
「……分かったでしょうけど、わたくし、短気よ? それに怒りっぽいわ」
「感情が豊かで心配性だからだ」
「頭がいいフリをして、ほんとうはただずる賢いだけなのよ?」
「ズルのひとつやふたつできないようじゃ、辺境伯夫人は務まらないとぼくは思うよ」
「ルーカスがどこにいたって追いかけようとするわ。あなた、逃げられないのよ? それにその度に大騒ぎになるのよ?」
「ぼくはとっくに捕まってるし逃げる気もないよ。大騒ぎもいっしょにやればきっと楽しい」
「ほんとうは、とっても泣き虫なのよ」
「知ってる」
ルーカスは立ちあがるとフォルトゥーナを抱きしめた。
「ぼくのいないところで泣かないでくれれば、それでいい」
「わたくしが泣いてるの、見たくないって言ってたくせに」
「見たくないよ。でも、ぼくがいないところできみが泣いているって考えたら……きっとぼくは気が狂う。ぼくの前でなら、こうやって抱きしめられるし問題解決をいっしょに考えられる……だからフォルトゥーナ。泣くならぼくの前で……ぼくの腕の中で、泣いて?」
どちらからともなく、唇が近づき……触れあう。
フォルトゥーナが目を伏せると、長い睫毛からコロンと涙が零れた。
それを見たルーカスは、やっぱり彼女は泣き虫で……かわいいなと思った。
◇
「ほんとうは……もっと他のことを聞きたかったんじゃないの?」
ルーカスが恐る恐る問えば、フォルトゥーナは首を傾げた。
「ほかのこと?」
「その……怖くなったんじゃないの? ぼくのことが」
なにを理由に怖くなったのか。
明確な名詞を言えなかったルーカスに、フォルトゥーナは自信満々に応えた。
「ルーカス。あなた、わたくしの先祖を誰だと思っていて? わたくしが誰の血を引いているか知らないとでも?」
そう。
彼女はラミレス公爵家の令嬢。彼女の先祖を辿ればアクエルド王家に、初代の建国王に辿り着く。
彼女は竜の血を引く娘なのだ。
「それを理由にわたくしが怖気づくとでも思ったの? フォルトゥーナ・クルスを見くびらないでちょうだい」
フォルトゥーナの女王然とした無敵の微笑みを前にしたルーカスは、やっと彼女が意図したところを理解した。
ルーカスに『どんなに無理難題を突き付けられても、メンドクサイこと言うような女でも、フォルトゥーナを伴侶に望む』と口にして貰いたかった訳を。
彼女はこう言いたかったのだ。
『ルーカスがどんなフォルトゥーナでも求めるのと同じように、たとえルーカスが人でなくても、彼女はルーカスと共にありたいのだ』と。
それに、もともと彼女は言っていたではないか。
ルーカスが子どもでもおとなでも、ルーカスならばいいのだと。
「フォルトゥーナ。たとえ生まれ変わってもきみと結婚したい。きみを伴侶にすると誓うよ」
まだまだ自分は覚悟が足りなかったなと思いながら、ルーカスはフォルトゥーナの耳元で囁いた。
愛しい彼女がうつくしく微笑みながらルーカスを見あげる。
フォルトゥーナ・クルス。
停滞していたルーカスの未来を変えた娘。ルーカスにとって『目覚めの乙女』。
「心の底から……フォルトゥーナ、愛してる」
長くなった腕で彼女を抱きしめた。
この命をまっとうしても、きっと彼女を手放さないだろうとルーカスは薄く笑った。
なんども繰り返し、やっと巡り合えた番なのだから。
ルーカスの気持ちを反映したのか、辺りは徐々に花が咲き始めていた。
※あと一話※
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