彼女は父の後妻、

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第六章

36.樹海でのわたくしと魔獣たちと(side:公爵令嬢)

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「死の山って、いったいなんなの⁈」

 フォルトゥーナは死の山の山頂で驚愕の声をあげた。
 ここが死の山だと言われたのは、もう十年以上昔の話。最近では緑溢れるふつうの山と同じで、その向こう側は昔のように荒涼とした山々なのだと聞いていたのだが。

「見渡す限り、原生林にしか見えないんですけど⁈」

 フォルトゥーナのいる場所から見下ろせる“向こう側”の風景は、緑なす原生林だ。あちらもこちらも、みどりみどりみどり……。樹海といっても過言ではなかろう。

 これはどうしたことなのか。
 ルーカスや鍛冶職人の親方は、偽情報をフォルトゥーナに伝えたのか。

「いいえ。これこそがルーカスさまがこちらへ赴いた証拠なんだわ」

 辺境伯が教えてくれたではないか。
 ルーカスがいるだけでその場は王都のような恵まれた地になるのだと。
 とはいえ、たった二日で荒野がこのような樹海になるとは凄すぎないか?
 フォルトゥーナはそう思いながら、サラの案内に従い道なき道を進んだ。

 そうして歩くこと数刻。
 しみじみとルーカスの天才児ぶりを実感していた。

 道なき道を歩いているのだ。
 舗装されていない場所を歩いているのにも関わらず、フォルトゥーナの足は一切の怪我を負っていない。快適なものだ。

 だが普通に考えれば、それは不自然だ。

 でこぼこした石や踏みしめる草がたくさんあるのは目に見える。やわな室内用の靴がそれらに壊れないのだから、その時点で不自然なのだ。
 長く歩いているのだから、足のほうにダメージがないのも異常なのだ。

 それはスカートが藪に引っかかったときに理解した。
 スカートが藪に絡まり、今までの経験上、スカート部分のなんらかの破損を覚悟したが、平気だった。藪の方がさきに折れたのだ。

(ルーカスさまはなんて言ってたかしら……物理衝撃を弾く……だったかしら。それって、わたくしだけではなく、わたくしの衣服にまで適用されるの?)

 さすがに疲れはするので、おおきな木の根元に腰をおろし休息をとりながら考えた。

(このイヤーカフが、わたくしを守っているのね)

 ルーカスが着けてくれたイヤーカフ。
 彼のぬくもりを感じる気がして、あの日から着けたままである。

 防御結界を張っていると言っていた。
 これを着けていれば下手な鎧よりよっぽどマシな防御が可能になると。死角からの攻撃にすら自動で反応するのだと。

 そして彼が着けてくれたネックレス。
 彼の瞳をそのまま写し取ったような紅玉ルビー色の宝石が煌めく。
 これがある限り、フォルトゥーナはルーカスに守られているのだ。

 紅玉ルビー色の宝石を両手でぎゅっと握り締める。ルーカスがそばにいるような気がする。
 けれど彼はそばにいない。その事実が悲しくて、フォルトゥーナはこんなところにまで来たのだ。

 ルーカスを思い出しため息をついたとき。
 サラが警戒するような声を発した。
 なにごとかとサラを見れば、真剣な顔で一点を見つめている。
 そこに、なにか生き物がいる気配に気がついた。
 急に緊迫した場の雰囲気に生唾を飲み込む。

 茂みの向こうにいたのは、ホーンラビットというつのの生えた魔獣。見かけは一見愛らしいが狂暴。その角で攻撃をしかけてくる厄介な魔獣だ。

 攻撃すべきか、逃げるべきか。

 フォルトゥーナはその一瞬の判断に迷ってしまった。
 なにも言えずなにもできないでいるうちに、間合いを詰められた。
 素早い跳躍をみせたホーンラビットの尖った角に刺される! と思った矢先に。
 悲鳴を上げたのは魔獣の方だった。角が折れ、フォルトゥーナの足元でのたうちまわっている。
 フォルトゥーナはその隙に走って逃げた。

 怖かった。
 自分の心臓が今までにない速さで鼓動を刻んでいるのが分かった。
 耳元でドクドクと血流の音がする。

 怖かったのだ。
 魔獣が自分に迫ってくる一瞬、死を覚悟したのだ。

 結果的に、ルーカスの防御結界のお陰でフォルトゥーナは無傷ではあるが、本当に間近にならなければその結界は発動しない。

(迷っている暇なんてなかったんだわ)

 こちらに気付かれたのなら攻撃魔法をかければよかったのだ。
 あの角に迫られた瞬間がとても怖かったのを思い出した。

(目の前まで魔獣に近づかれるのは……だいじょうぶだと判っていても、やっぱり怖いから避けたいわ……いざとなったら目を瞑って歩いてもだいじょうぶなのかも?)

 ルーカス特製の魔導具はフォルトゥーナを完全に守護するはずだ。だからだいじょうぶ。
 そう覚悟を決めたフォルトゥーナであったが。



 辺りが闇に包まれる夜に、事態は深刻化した。
 疲れ果てて身動きがとれなくなってしまったのだ。自分の体力の無さを痛感する。
 喉も乾いたし食べるものもない。
 大きな木の下に座り、途方に暮れた。

 サラがいるお陰で火を熾すことに成功している。
 枯れ枝をいくつかまとめ、焚火のようにすることはできたのだが、やはり無謀な挑戦をしてしまったかと焚火を前にして膝を抱えたとき。

「サラ。わたくしの気のせいでなければ、今のわたくしたちは魔獣に囲まれているのではないかしら」

 フォルトゥーナの周囲に生き物の気配が濃くなったのに気がついた。

(わたくしを今日の晩御飯にしようという魔獣がぐるーっといる状態なのね)

 ルーカスの防御結界のお陰でなにごともないだろうとは思うが、目の前まで魔獣の爪や牙に迫られるのは勘弁してほしい。
 それもどうやら狼型の魔獣がウロウロしているのがちらりと見えた。はっきりとその姿を確認できないので種別の認定まではできなかったが。

「もしや、わたくしのこと、威嚇もしない歯向かえない無抵抗なか弱い生物に見えているってこと?」

 舐められたものである。
 ここまでたくさんの魔獣の気配に囲まれるとは思ってもいなかった。
 疲れと喉の渇きと空腹と睡眠不足があいまって、フォルトゥーナのイライラは最高潮に達する。

「よし。一発かますわ。サラ、いくわよ。炎の拳、敵を討て! 『ファイヤーボール』!」

 キュィィイィィィィンっっドォォォォオオオオンン!!!

 発生した炎の爆炎は、フォルトゥーナを囲んでいた魔獣たちの一角を一掃した。
 魔獣たちどころか、原生林の一角まで吹き飛んでいる。

「あ。いけない、火が残ってしまう」

 フォルトゥーナの放った『ファイヤーボール』で吹き飛んだ一角の木々がぷすぷすと煙を上げているのを見つけてしまう。放置すれば森林火災に発展する可能性にゾッとする。
 魔法で出した火ならフォルトゥーナの意識下で制御できる。

 できるはずなのだが。

 今日は調子が悪いのか、制御がうまくできない。
 火がすぐ風に煽られ燃え広がろうとするので、抑えるのに苦心惨憺した。
 ほかの木々に燃え移らないよう懸命に縮小させている間に、背後から魔獣がジリジリと忍び寄る気配がする。

 逃げないのか。
 あれを見ても逃げないのかとフォルトゥーナは内心で呆れる。
 仲間たちがどうなったのか見ていないのか?
 こちらが消火活動に気を配っているにも関わらず、まだフォルトゥーナを獲物として狙う気なのか?

「あぁもう、鬱陶しいわね! 燃え盛る業火よ、我を守れ!『ファイヤーウォール!』」

 キュィィイィィィィンっっドッゴオオオオンン!!!

 フォルトゥーナは詠唱しながらその場で一回転ターンした。彼女の立った地点を中心に風を孕んだ火壁が派手に立ちあがった。
 爆風を伴うその上昇気流が彼女の髪やスカートを舞い上げる。
 彼女が身を寄せていた大木は、『炎の壁』の展開線上にあったせいか根こそぎ上空へ舞い上がった。
 炎を纏ったその大木は、上昇気流で舞い上がりながら空で燃え尽きた。

「ずいぶん……高い所まで壁ができたわね……壁? っていうより円柱? 塔?」

 炎の壁が自分の想定外に高く大きくなってしまい、フォルトゥーナは驚いた。
 なんなら天に突き刺さらんと思うほど高いところまでできたそれは本当に『炎の壁ファイヤーウォール』と呼んでもいいシロモノなのだろうかと首を傾げる。

 ひとまず名称問題はおいておいて、とフォルトゥーナは意識を魔獣たちへ切り替える。自分のまわりにぐるりと炎の城壁を作ったはいいが、もしかしてこれはジリ貧とか呼ばれる状態なのでは? と。

(朝までこの状態を維持しなければならないのかしら)

『炎の壁』がある限り、これを突き破ってまで襲い掛かろうとする魔獣はいないようだが、いつまでも壁の向こうに居座る気配があるのだ。
 この壁が縮小するのを待っているのだろうか。
 魔法を使って抵抗するような獲物フォルトゥーナは諦めて、別口を探してくださいと言いたかった。

「わたくしなんて食べてもおいしくないと思うのだけど」

 どうにも魔獣たちの自分に対する執着具合が恐ろしい。まるで初めての獲物を前にしたかのよう。
 彼らは知能的に状況判断ができないのだろう。
 あるいは群れのボスがいない状態なのだ。統制された動きではなく、目の前にある獲物にありつきたいだけ。だから仲間たちの一部がやられたとしても引かない。打算がないから戦略的撤退などありえないのかもしれない。

 周囲360度、ぐるりと炎に囲まれるのは熱すぎたので、フォルトゥーナ自身からの距離を広げた。
 炎の円陣が大きくなる。まるで炎に囲まれた広場に立っているような心地になった。

 少しずつ炎の壁を広げたり変形させたりして魔獣たちとの距離感を計ってみたが、彼らの包囲網が解かれることはない。

「しつこいわ。朝になっても奴らが引かなかったら……いいえ、わたくしの魔力がつきたら……どうすればいいのかしらね」

 籠城戦は援軍が来ることが大前提。
 今のままジリ貧状態を続ければどうなるのか。それは考えずとも分かる。

 どうすればいいのだろうか。
 つい苛立ってしまい大きな魔法を放ってしまったが、これは自分の首を絞めているのではと思い至った。

 そうなのだ。

 フォルトゥーナにはルーカスが着けてくれた防御魔法があったのだから、最悪、蹲ってまるくなってなにも見ないでいれば、彼らを弾き返すことなど容易だったのに!

 だからといっていまさらこの『炎の壁』を縮小させるのも怖い。
 フォルトゥーナは魔獣なんて見慣れていないのだ。せめて一頭二頭なら冷静に対処できただろうが、自分の周りにぐるりと取り囲まれるほどの数で迫られるなんて、考えたこともなかったのだ。

「うーーーー。わたくしのばかぁ……」

 へたに炎を出現させてしまったせいで、森の木々に燃え移らないか危惧しなければならない。つまり、身動きが取れなくなってしまった。
 英邁で冷静沈着と謳われたフォルトゥーナはどこへ行ってしまったのだ。

 目頭が熱くなってきた。

「うーーー、なんでこんなことに……」

 聡明だと信頼され幼馴染みたちの悩みごとの相談も受け、さすが次期王妃だなんて呼ばれていた公爵家のご令嬢はどこへ行ったのだ。

 いない。
 そんな完璧な公女はどこにもいない。
 ここにいるのは、うっかり死の山へ踏み込んだ粗忽で考えなしで短絡的で怒りっぽくて、ひとつのことしか頭にないただの愚かな女だ。

 力なくへたりこんで、フォルトゥーナはやっと気がついた。
 なんでもできると思っていた賢い女なんていない。
 なんにもできない小娘が、泣いているだけなのだ。
 
 涙がぽろりと零れた。
 悔しくて悲しくて、そして寂しくて。

 寂しくて。それがなによりもつらい。つらいのだ。
 
 あれもこれもそれも。
 なにもかも、ぜんぶ。
 全部。
 ぜんぶ、あののせいなのだ!!

「ルーカスの、ばかーーーーーーーーー!」

 フォルトゥーナが八つ当たりぎみに叫んだ、ちょうどそのとき。

「ごめんなさーーい!!!」

 炎の壁を突き破って、ルーカスが転がり込んできた。 

 





┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
次回から第七章!

37話と38話は、一話の中にふたりの視点を書きます。
ちょっとずつ話が前後し混乱するかもですが、ついてきてくださいませ。
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