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第六章
35.樹海でのぼくと精霊たちと
しおりを挟む衝動的になにも考えず城を飛び出し、走って転んで嘆いて眠りこけて目が覚めて。
風の精霊ゼフィーが勝手に養父への『風の便り』を届けに行ったのを見送ったあと。
真っ青な空を見ながらルーカスは思った。
「腹が……減った……」
記憶にある限りクエレブレの城以外で寝泊りしたことなどなかった。辺境騎士団たちの魔獣討伐遠征にも同行したことがない。
本で読んでいるから野営の知識はある。だが実践したことはない。
そんなルーカスは、箱入りの温室育ちといっても過言ではないだろう。
しかもなんの準備もせず丸腰で飛び出してきたから、この樹海でこれからどうすべきかと途方に暮れかけたのはちょっとのあいだ。
ルーカスが空腹だと呟いたから気を利かせたのか、ちいさな風の精霊たちが食べられそうな木の実を持ってきた。気がつけば両手いっぱいに小さな赤い実が。
彼らに礼を言い食べてみる。食べられなくもなかったが、それよりも肉が喰いたいとルーカスの本能が告げる。
まずは獲物を探すことから始めた。
できるだけ自分の気配を消し、周囲に魔獣でもいいから生き物がいないか『探索』をかければ、それなりの距離に魔獣、ビッグフットベアがいた。
ルーカスの存在に気がつかれると魔獣は逃げてしまう。だから自分自身に『陽炎』をかけ木の上を移動。音もなく忍び寄り獲物の真上から狙いを定め『風の刃』で首を切れば一発だった。
ビッグフットベアは熊が魔獣化したものだと言われている。
もとが熊ならまぁ食えないこともないだろうと木に吊るして捌いてみる。
刃物は携帯していないが、『風の刃』で充分だ。
水の精霊ディーネを召喚しビッグフットベアを捌いた後始末をする。ついでに手や顔も洗った。
風の精霊たちに捌いた肉の血抜きを命じ。
火の精霊レイヤを呼び出して焚火を用意した。
土の精霊ガイを呼び出し、地面を変形させ椅子やら机やら用意させたり、ついでに血抜きした肉の熟成も命じ。
毛皮の部分はなめして使えるかなぁどうしよう、と精霊たちに相談したらみんなで寄ってたかってなんとかするーと言っていたので任せた。
ビックフットベアの肉の部分も、ルーカスひとりでは半分しか食べられないのでどうしよう、と相談したら亜空間という精霊界と人間界の狭間に一時保管するなどと言うから任せた。
もしかして、全属性の精霊がそばにいるというのは無敵に近いのでは、と認識を新たにした。
城にいたころはそんなこと考えたこともなかったのだが。
肉を焼いているとゼフィーが戻った。ちゃんと『風の便り』も辺境伯に届けたし、『風の結界』もちゃんと機能しているのを確認したと聞き安堵する。
「余計なことは言ってないだろうな!」
『我を信じろ。辺境伯には主の『風の便り』を届けただけで、一言も口をきいておらん』
ゼフィーはそれだけ言うとふいっと離れ、高い木の上へ行ってしまう。どうやら周囲のようすを窺っているらしい。
『あるじ。これいじょうやくとこげるぞ』
火の精霊レイヤに言われ、慌てて肉を火からおろす。食べてみれば、ただ焼いただけの肉はなにか物足りない。
「せめて塩が欲しい」
塩があればもう少し……と思い口にすると、気を利かせてくれたのか土の精霊ガイが岩塩をくれた。
「なるほど。先に口にだして言うべき案件だったね」
岩塩を振りかければそれほど不味くなかった。とはいえ、城の料理人トーニョが提供してくれるものには敵わない。トーニョがここにいればなぁと思ってから、バカなことをと打ち消した。
そういえば風のちびたちもルーカスが“腹が減った”と呟いたから、彼のために木の実を持ってきてくれたことを思い出す。
「そうか。ことばにして伝えるというのは必要なことなんだね」
いつも『念話』で済ませてしまうのも考えものだなと思い直した。
風の精霊たちには『念話』での会話は定番になってしまっているが、それ以外の精霊たちとはそこまで同調していない。自分の思いを他者に解って貰うにはことばは有用である。
精霊たちがニコニコの笑顔でルーカスの周りにいる。風以外の精霊たちはいつも用事が済むとすぐに精霊界へ戻ってしまうが、今はルーカスのそばでゆったりくつろいでいるように見えた。
夜になると急激に気温が下がった。
でも焚火があるから寒いとは思わない。
パチパチと弾けた音を立てながら揺れている火はいつまでも見ていられるなぁと思いながら、もうこのままでいいのかもしれないと感じた。
ルーカスが造りだしてしまった樹海で、こうやって生きていくのも悪くない。
どうやら地面の上でも問題なく眠れたし、精霊たちがいれば寂しくもないし、こだわる物なんてない……。
そこまで考えて、心にひっかかる“者”がいたことに気がついた。
こだわる“者”なら、いるのだ。
あの長く赤い髪が陽に透けキラキラと光るさまを思い出す。
彼女のことを思い出すと、まだちょっと胸が痛む。ルーカスは頭を振ると、脳裏によぎった幻影を打ち消した。
そういえばと思い出したのは、朝言われたゼフィーのことば。
“あの地に縛られる必要はない”と。
「ぼくは……クエレブレに縛られていた、のかな」
ルーカスがぽつりと溢したひとりごとに、水の精霊と土の精霊が顔を見合わせた。ルーカスがディーネと名付けた水の精霊が言う。
『あるじ。あるじをしばるものなど、このよにはない』
ガイと名付けた土の精霊も続く。
『あるじ。あるじはしばられてなどいない』
風のちび精霊たちはきゃらきゃらと笑いながら踊る。
『るー』『るー』『るー♪』
ルーカスの名を呼びながら踊るのは、いつのまにか定番化している。
(おまえら……能天気というか、楽観的というか……)
風の精霊が能天気で楽観的なのは、風の性でもある。彼らの親分格であるところのゼフィーは今も高い木の上にいて、我関せずを貫いている。
(もしかしたらゼフィーも一緒に踊りたいと思っていたりして?)
『思ってないぞー!』
『念話』で語りかければすぐに返答がある。
「老成したふりなんて、ゼフィーには似合わないぞー!」
ゼフィーは冷めた目でルーカスを見下ろしたかと思えば、ふん! と鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。
あいつはしょうがないなぁと思ったそのとき。
ドォォン……
遠くでなにかが爆発する音が微かに聞こえた。
精霊たちが一斉に空へ飛ぶ。皆が同じ方向へ顔を向けている。
ルーカスも彼らを追うように高い木のてっぺんへ上った。高い木の上から見渡す樹海は、すべて暗闇に覆われ僅かに木々のシルエットが分かるのみ。そしてあれ以来なんの音もしない。
辺りは静けさに包まれている。聞こえるのはルーカスが熾した焚火のはぜる音のみ。
「ゼフィー。みんなも。爆発音があったのは気のせいじゃないよな」
『風に乗った衝撃が微かに届いた。なにかがあったのは確かだ』
『あるじ。火の魔法がつかわれた』
ゼフィーのことばに応じるように火のレイヤも報告するが、火の魔法が使われたということは、ルーカスではないほかの人間がこの樹海にいるという意味になる。
「だれか人間がいるってことか?」
『いる。クエレブレのほうがくに』
レイヤの応えにルーカスは考え込む。
この樹海はルーカスの嘆きが作り上げたものだとゼフィーは言った。つまり、できたての樹海。そんな場所に人間がいるということは……。
「ぼくを探しに父上が来たってことかな」
『あるじ。ようふどのは魔法をつかえない』
ルーカスの呟きに水のディーネが冷静な声で応えた。
言われてみればそのとおりだし、もしや捜索隊を組んで大人数が樹海に入ったということなのだろうか、だが捜索隊があの爆発音を生むような火魔法を使ったわけはなんだろうと疑問がつぎつぎに湧く。
『あるじ。あるじの魔力をかんじる。あちらのほうこうに、あるじの魔力をつかうやつがいる』
『いるな』『たしかに』
精霊たちが口々に言う。自分の魔力を使う奴とはなんだと思った瞬間、思い出したのはフォルトゥーナへ贈ったネックレスの金剛石だった。
魔力を保持しておく器としていろいろ試したあげく辿り着いた金剛石。ゆっくりゆっくりルーカスの魔力を滲ませ、沁み込ませ、その過程で原石だったものが研磨され、指の先ほどの大きさにまで濃縮されたときには、無色透明だったはずの金剛石に真っ赤な色がついていた。ルーカスの魔力に染まった宝石は、いまもフォルトゥーナの胸元を飾っているのだろうか。
「まさか! フォルトゥーナさまがこの樹海にいるのか⁈」
ルーカスが声を上げた瞬間。
遠目にも鮮やかに朱色の火柱が高く高く燃え上がった。
遅れて、ドォォォンという爆音が聞こえ。
「フォルトゥーナ!」
ルーカスは火柱へ向け飛び出した。
※作者の内緒のひとりごと※
冒頭ルーカスの「腹が……減った……」は、某TVドラマ『孤独のグルメ』の井〇頭氏のあれを想定していただければ幸い。
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