彼女は父の後妻、

あとさん♪

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第五章

27.いつのまにか恋に落ちていた(side:公爵令嬢)

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「あ」

 振り返ったフォルトゥーナは見た。
 思っていたよりも近くにいた騎士団長が自分に向かって剣を振る姿を。
 彼の腕の動きは高速すぎて彼女の目にはよく解らなかったが、団長の目が驚愕に見開かれたのはわかった。
 彼の頭が僅かになにかを避けたことも。そしてその頬に、真新しく真一文字につけられた切り傷と飛び散る血飛沫ちしぶきも、つぶさに見た。


「エドムンド団長! 血がっ」

 フォルトゥーナが慌てて駆けよれば、彼は手の平を向けることで近寄るなと制した。

「掠り傷です。問題ありません」

 魔獣討伐に出ればこれ以上の怪我を負う場合もある。
 エドムンドはそう言うが、目の前で血を流す者と対峙するのが初めてのフォルトゥーナは気が気ではなかった。それに。

「さきほどなにかを避けましたよね?」

 彼は僅かに頭を動かし、なにかから逃げた。

 エドムンドは、標的にしていたフォルトゥーナがとつぜん振り返ったことに動揺した。
 髪を一房落とすつもりで横に振った剣は、標的が動いたことでわずかにずれ、彼女の首筋を目指した――はずが、目に見えないなにかによって阻まれたあげく、その剣の軌道は自分の顔に返ってきた。
 一瞬のうちに、それを理解したエドムンドは首の角度をわずかに変えることでそれを避けた。
 すべてを避けきれず、剣圧は彼の頬をざっくりと抉った。


「うん。さすがの反射神経だ」

 いつのまにか側に来ていたルーカスが言う。
 身振りでエドムンド団長を跪かせると、手を伸ばし団長の頬に触れ治癒魔法を施した。緊張から解放されたように長いため息をついた団長が恐縮ですと呟く。

「反射神経?」

「エドムンド団長は、防御結界に弾かれた自分の剣を避けたんですよ」

 フォルトゥーナがルーカスへ問いかければ、彼はごく当たりまえのことのように説明してくれる。

 ことここに至ってようやくフォルトゥーナは理解した。
 さきほどルーカスが言っていた“そろそろ被験者が来てくれるはず”ということばの意味を。

(なるほど! この魔導具の性能を確かめるための攻撃役の人は、自分の技をくらうことになるのね! だから“被験者”なのね!)

 魔導具に守られる立場のフォルトゥーナより、よほど重要かつ危険な役目だったのだ。
 ルーカスはちゃんと『防御』されるのかという実験をしたかったのではない。彼が着目していたのは『防御』によって弾かれた攻撃がどうなるのか、だったのだ。

「フォルトゥーナさま、イヤーカフを見せてください……いえ、外さずに。かがんでくださればそれで」

 フォルトゥーナがルーカスの前で腰を屈めると、彼は両手を伸ばし彼女の両方の耳に触れた。
 目の前には真剣な瞳でイヤーカフを観察するルーカス。
 彼の視線は、そのままフォルトゥーナの胸元にあるネックレスの宝石に移動した。

(どうして……こんなにドキドキするのかしら……)

 ルーカスが見ているのは彼女ではない。彼女が着けている魔導具であるのに。なぜか胸の鼓動が走ったあとのように激しく動き出した。
 フォルトゥーナの内心を知らないルーカスは「うん、消費量も想定内だ」と呟いている。

「あぁ! そのイヤーカフに仕掛けが⁈」

「え? どういうことですか?」

 興奮したようすのシエラとオレステに左右両側から話しかけられたルーカスが苦笑いする。

「うん。このイヤーカフが魔導具。ぼくの魔法を文字列に変化させて書き込むことによって魔法を付与した」

 ルーカスはあっさりと説明していたが、シエラとオレステは目の玉が落ちそうなほど目を見開くと、揃って「ありえない!」「そんなことが!」と悲鳴をあげた。
 それは絶叫といってもいい大音量の悲鳴で、フォルトゥーナは思わず自分の耳を押さえてしまった。


 ◇



 気がつくと、訓練所はちょっとした騒ぎになっていた。
 ルーカスが招集し、なにかしらの実験を団長や副団長、小隊長たちとでやるらしいと騎士団内では知れ渡っていたのだ。
 訓練所の入り口付近は騎士たちが群れをなし、みな固唾を呑んで“実験”の行方を見守っていた。
 その見学者の中でも魔法使いを始めとする若い騎士たちが、こぞってルーカスを取り囲んだ。

 小柄なルーカスは彼らに囲まれるとその姿が見えなくなってしまった。
 さきほどまではルーカスに質問していたシエラは、若い騎士たちの勢いに押されてその輪から外れ、フォルトゥーナの警護についている。公爵令嬢である彼女を若い騎士たちに触れ合わせるわけにはいかないという配慮だ。エドムンド団長もいっしょに若い騎士の群れから避難した。
 でもそのせいで、フォルトゥーナにとってはルーカスの姿を確認できなくなった。

 少し、心もとなかった。

「すごい人気、ね」

「若は騎士たちの希望ですからね」

 ルーカスの姿は見えないが、騎士たちの質問攻めにあっているのは分かった。
「文字列に変化って、どういうこと?」とか「それなら俺にも魔法が使えるってこと?」とか「普通の剣にもその魔法って付与できるんですか⁈」などなど声が飛び交っている。

 彼らのあまりの熱気に呆然と見守るしかないフォルトゥーナをよそに、「えぇい! 若の説明じゃ埒が明かない! 実践で見せてくださいっ!」というオレステの声が聞こえたと思ったら、そうだそうだ、工房へ直行だぁと誰ともなく叫び、ルーカスの軽い身体は数名の騎士たちに担ぎ上げられた。人垣の上になったルーカスと、一瞬、目があった。
 ルーカスを担ぎ上げた一団が怒涛の勢いで訓練所から去っていく途中、手を伸ばしたルーカスがあげた

「シエラ! フォルトゥーナさまを城へお……」

 という悲鳴のような命令がだんだんと遠ざかるのがなんともいえない哀愁を帯びていた。

「なんというか……おおごとになってしまったわね」

 フォルトゥーナの呟きに、誇らしそうな笑顔のシエラが応える。

「当然です。若さまは我ら騎士と魔法騎士たちに、新たな可能性を示唆したのですから」

「新たな可能性?」

「フォルトゥーナさまのイヤーカフのように、なにがしかの魔法をあらかじめ付与することが可能ならば、防具や剣にそれを応用できます。そしてたとえ土の精霊と契約していた者でも火魔法を使えるかもしれないですし。その逆もありです。精霊と契約していない者ですら、魔法を使えるかもしれない! なんだか夢が膨らみます!」

 副団長という立場と理性をもってして、フォルトゥーナの護衛役を自主的に買って出たシエラだが、彼女も魔法使いのひとりとして興味津々であるらしい。
 なんだか頬が紅潮していろっぽさが倍増している。

「俺の剣にあらかじめ“ファイヤーボール”を仕込んでおけば、一振りで発動! なんてこともできるってわけだよな」

 エドムンド団長も感心したように言う。
 彼は己に身体強化の魔法をかけることはできるが、契約精霊がいないために魔法は使えない。

 なるほど、今までできなかったことができるようになるかもしれない。
 それは画期的だとフォルトゥーナも思った。
 そして、ついひとりごちる。

「つまり……物品に魔法付与させる方法がルーカスさまだけの技術でなく、このクエレブレで秘匿独占できれば……莫大な富の源泉になる可能性があるってことね。そして武具の歴史が変わるかもしれない、と」

 だが有益な魔法は万人で共有すべきだという考え方もある。
 秘匿すべきか公開すべきか。
 どちらにすべきなのだろうと考えていたフォルトゥーナの耳に、ルーカスの声が届いた。

『フォルトゥーナさま。その魔導具イヤーカフはフォルトゥーナさま専用にカスタマイズされていますので、他の人には使えません。ぜひ、普段使いして外さないようお願いします。できればネックレスも』

「ルーカスさま?」

 キョロキョロと辺りを見渡しても、どこにもルーカスの姿はなかった。
 ただ白く光るちいさな風の精霊がにっこりと微笑みながらフォルトゥーナを見ている。

「あなたが……ルーカスさまのことばを届けてくれたの?」

 風の精霊はフォルトゥーナの頬にちいさなキスを落とすと、キャラキャラと笑いながら天高く舞い、消えていった。

(そのキス、も……ルーカスさまのお気持ち、なの?)

 そう思ったとたん、ぶわっと体温が上昇した。
 顔が火を噴いたように熱くなり、胸中に湧いたのは“喜び”だった。

 きまぐれな風の精霊が落としたちいさなキス。
 自主的にしたのかもしれない。あの子はフォルトゥーナの前でよくダンスを披露してくれた子だったから。

 それでも。
 もしかして。
 彼の指示でフォルトゥーナにキスを贈ってくれたのかもしれない。

(だとしたら……嬉しい)

 そう思ったフォルトゥーナは唐突に自分の中の想いを自覚した。

 狭い馬車の中で距離があるのが寂しいと感じたわけも。
 顔が近づいただけでドキドキと鼓動が跳ねたわけも。
 姿が見えないと心もとなく思ったわけも。
 そして。

(辺境伯さまとの結婚が嫌だったわけが、分かったわ)

 フォルトゥーナはいつのまにか恋に落ちていたらしい。

 年下の、ちいさな騎士さまに。
 だから。

(辺境伯さまが嫌だったんじゃない。ルーカス以外は嫌だったんだわ)

 フォルトゥーナの胸の奥に、ちいさな赤い花が咲いた。
 その花は、以前いつのまにか指につけていた花の指輪を思い出させた。



 ◇



 フォルトゥーナの“クエレブレで秘匿独占できれば”というひとりごとに近い呟きを聞いたエドムンド団長とシエラ副団長は、ハッとしたようにお互いの顔を見合わせた。
 フォルトゥーナから一歩離れ、こっそりと目配せしながら内緒話をする。

「さすが、宰相閣下であらせられるラミレス公爵のご息女、というべきか」

「そうね。同じ魔法使いであっても私たちとは着眼点が違うわ。政治や経済に才がおありなのよ」

「俺らは実践することしか考えねーからな」

「クエレブレの民は、脳筋の集まりだもんね」

 頭の切れる人材が領主一族に加わるのは大歓迎だ。
 ことばにしなかった本音がこの夫婦の共通認識になるのに、そう時間はかからなかった。




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