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第五章
23.いつのまにか肩の荷を下ろしていた(side:公爵令嬢)
しおりを挟むフォルトゥーナは辺境に来て以来(正確には正気に返ってから)、とても気分のいい毎日を過ごしている。
体調も万全。
この地の気候がその身に合っているのか、毎日が絶好調である。
なによりも彼女に喜びを与えたのが「解放感」だ。
ここでは“しなければならない”ことがないのだ。
公爵令嬢だから守らねばならぬと言われたマナー、それがない。
第一王子の婚約者だから人の目を気にしてきたが、それもない。
学園は卒業済みだから、めんどうな課題もない。
第一王子の婚約者だから彼の仕事を手伝ってきたが、もうそんなことせずともよいのだ。
ここでは、彼女が望んだことができた。
この解放感たるや!
(空って、こんなにも青くて高くて気持ちいいのね)
毎朝起きると、まずは空を見上げるのが日課になっている。
清々しい朝日を浴びながらの深呼吸は、一日の始まりにぴったりなのだと知った。
知らず、笑顔になる。
空を見上げるのも久しぶりな気がするのだ。今までずっと、スケジュールに追われ、書類や資料や書物ばかり見ていた。ずっと俯いてばかりいた。天気や景色など気にする余裕もなかった。
十八年間、ずっと。
いまは空を見上げ、天気を確認して思うのだ。
(今日はなにをしようかしら)
いまはスケジュール管理されていない。
学園も卒業したし、国政に係わることもない。煩わしい社交界の付き合いもない。完全になにもすることがない。
そんな現状が初めてで目新しくて、ワクワクしてしまうのだ。
ラミレス公爵家の公女として生まれ、第一王子の婚約者になったフォルトゥーナは人の規範とならんと務め、家の恥にならぬよう努め、毎日毎日決められた分刻みのスケジュールの中、学業や王子妃教育など自分の能力値ギリギリまで勉学に励んだ自覚がある。長じれば第一王子の公務まで肩代わりしてきた。
(思えば……王子の婚約者になってからここ十年くらいは休みらしい休みなんてなかったものね……)
食事をしながら資料に目をとおし、馬車でのわずかな移動時間も書類の確認か目を瞑って眉間を揉んでいるか。
日々の睡眠時間を削って学業に専念。
王妃陛下とのお茶会も出席者が社交界のお歴々なため、腹の探り合いで気が休まったためしがない。茶の味も品評として判断するのみ。
これのどこに休める要素があっただろうか。
それらぜんぶ、いっさいがっさい。
やる必要がなくなったのだ。
いまやフォルトゥーナに課せられた仕事はないのだ。
ひがな一日なにもせずぼーっとしていても、誰にも怒られないし誰にも迷惑をかけない。
(ぼーっとできるって、サイコーじゃないかしら)
空を見上げる毎日になってから気がついたこと。
慢性といってもいいような地味に続く頭痛から解放されていた。
なんとなく、胃痛も解消されたような気がする。これは将来王国を背負わなければならないという心理的プレッシャーから解放されたからかもしれない。
そのせいか、ごはんがおいしい。食事が楽しみだなんて、王都で思ったことなどなかった。
馬車も使うが、毎日あちらこちら歩き回るから足が疲れる。
見るもの聞くもの、出会う人、訪れる場所。すべて目新しくて新鮮で、ワクワクが止まらない。足が疲れるなんて些細なことなのだ。
身体的な疲労を感じるなんて、それこそ子どものころ以来なのである。
フォルトゥーナにとっては、ほぼ初めてチャレンジした火の攻撃魔法。
初めは思ったようにできなかったが、最終的には指南役についたシエラ副団長よりも威力の強い『ファイヤーボール』を打てたので自信がついた。
調子に乗って何度も試して魔力枯渇状態になり昏倒してしまったが、それすら楽しかった。
なにより、毎日が楽しいのだ。
“今日はなにをしようか”とワクワクした気持ちになる。
それもこれもぜんぶ、ルーカスが笑顔できいてくれるからだ。
「今日はなにをしましょうか」
彼の愛らしい笑顔に癒される。
行きたい場所、知りたいこと。博識の彼はすぐに答え、手配し便宜を図ってくれる。
生まれてきて十八年。やっと深呼吸ができたような気分なのである。
(ここでの生活って、サイコー!)
この気持ちをルーカスに伝えたところ、彼はため息をついてしみじみと答えた。
「本来それらは子どものころに味わう感覚だと思いますよ、フォルトゥーナさま」
どうやら彼はフォルトゥーナを憐れんでいるらしい。
だから、彼女に付き合ってくれているのだろう。
きっと、そう。
◇
先日は辺境騎士団の魔法専用訓練所で、ひさしぶりに彼女の契約精霊を召喚した。
「サラ。わたくしの声に応えて、」
詠唱をぜんぶ言い終わるまえに現れた火の精霊は、しばらくフォルトゥーナの顔に貼りついて離れなかった。
「心配かけたのね……ごめんなさいねサラ」
そう語りかければ、サラはなにやら猛烈な勢いでフォルトゥーナへ文句を言っていた。彼らの話しことばは分からない(小さな鈴の音のように聞こえる)が、憤っているのは理解した。
フォルトゥーナがサラと名付けた火の精霊は、寂しかったと。呼び出してくれて嬉しいと。フォルトゥーナとまた一緒にいたいという気持ちを目に涙まで溜めて伝えてきた。ことばは分からないが、身振り手振りやその表情でぜんぶ分かった。
サラはひととおり文句を言ったあと笑顔を見せてくれたので、仲直りしたのだと思う。
精霊にまで心配をかけてしまった自分自身が情けなく、けれど彼女のことをここまで心配してくれる存在が乳母以外にもいるのだと知ったのは僥倖だと思った。
(わたくしは……ひとりではない)
学園の卒業を祝う夜会で、今まで信じてきた幼馴染みたちに憎まれていたと知った。彼らとの友情は無くなった。
忙しい毎日のなかで、学園ではろくに友人も作れなかったフォルトゥーナであったが、むしろそれで良かったかもしれないと思っている。
王都に心残りがないからだ。
(もしかしておとうさまは……中央のメンドクサイ貴族社会からわたくしを解放したくて、こちらに寄越したのかも……なんて、考えすぎかしらね)
いまやフォルトゥーナの心は軽い。
◇
笑顔のルーカスに案内されて訪れた鍛冶職人の工房も目新しいものばかりで興味深かった。
そのとき工房の親方に死の山の真実を告げられ驚いた。
今現在は緑の生い茂った普通の山に見えるが、その昔「死の山」と呼ばれていたころから地下資源の豊富な山だったという。金銀を始め鉄や銅、果てはミスリルやオリハルコンまで。ありとあらゆる種類の鉱物資源の宝庫なのだとか。
考えてみれば、このクエレブレの地の住民は戦闘民族の集まりだと言われている。彼らが戦闘民族であり続けるには武器や防具などが絶対必需。それを彼ら自身の手で作るにはそれなりの資源も必要なのだ。
(クエレブレが隣領と取引をしている記録は知っていたけど、討伐した魔獣素材を売って、そのお金で食料を仕入れているってことしか知らなかったわ)
クエレブレからの武器の輸出記録は、あいにくフォルトゥーナの記憶にもない。完全に地産地消だったのだろう。
その工房で見せて貰った彼らの作る武器や防具は、フォルトゥーナの目から見ても素晴らしい逸品揃いだったと思う。持っていく場所によっては、剣一振りだけでもひと財産だといえる。
なによりそれらを作る技術や人材を育てるのに、どれだけの手間暇がかかるか。
長い間の秘密事項が多すぎではないかと思ったが、今後のフォルトゥーナはその秘密事項を守る側だ。
同胞認定されたからこそ、秘密を打ち明けられたのだと思えば納得するしかなかった。
◇
いまでは数日置きに騎士団の訓練所へ通っているが、その際ひとりで女性騎士用の服(シャツとスラックスとブーツ姿)に着替えることもできるようになった。
(すごいわ。コルセットなしなら、着替えってひとりでできるのね!)
その感想を彼女の師範であるシエラ副団長に告げたところ、しみじみと「おひめさまって大変ですねぇ」と憐れみの瞳を向けられてしまった。
たしかに、自由度が違うと納得した。
そのシエラ副団長に、これ以上大きな攻撃魔法はフォルトゥーナの魔力許容範囲を超えるだろうと告げられるほど上達した。
シエラは、攻撃もだいじですが防御もたいせつですよと『ファイヤーウォール』という防御魔法を教えてくれた。
フォルトゥーナが学園で修得してきた火の魔法は、どちらかといえば燃え広がった火を維持し鎮める方向に発動させていた。彼女が想定していたのは、王都が大規模火災になった場合である。
なので、一定量の炎の塊を維持させるこの『火の壁』は彼女にとってはとても扱いやすい魔法であった。
『火の壁』を出現させる場所や規模、範囲にいたるまで自由自在にできるようになった。
たとえ木造家屋のなかにいても、ほかのところに燃え広がらないよう維持できるので師に褒められた。
「いっそのこと、このクエレブレすべてを囲うほどの『ファイヤーウォール』が発動できたら凄いわよね?」
「……スゴイとは思いますが、実行しないでくださいよ? 一発で魔力枯渇になってぶっ倒れますからね⁈」
思いつきでシエラへ問えば、彼女の笑顔がなんとも生温かいものになったような気がする。
ちょっとだけ彼女の頬が引き攣っているように見えるから、自分は冗談のセンスがないのだなと自覚する。
ただの戯言だというのに本気に取られ過ぎたようである。
「フォルトゥーナさまの発想は、なんとなく若さま寄りな匂いがするから気が気じゃありませんよ」
乾いた笑いをしつつシエラはそう言うが、ルーカスのような全属性を操れる天才児と一緒にするのはいかがなものだろうかとフォルトゥーナは思う。
初めてそれを聞いたときは目の玉が飛びでるかと思うほど驚いたものだ。
この世でそんなことができたのは、初代国王陛下を除けば彼のこどもたちだけだというのに。
(あら……? でもこのクエレブレの創始って、その初代国王陛下のお姫さまが嫁いできて興された家だったはず……つまりルーカスさまは、“先祖返り”……とかなのかしら)
あの全属性を自在に操れるのには、やはりわけがあるのだろうと考えていたフォルトゥーナにシエラがもののついでといった調子で問いかけた。
「ところで、結婚式はいつやるのですか?」
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