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第二章
10.不審者への対応
しおりを挟む「侵入者だと? 男か? 人数は?」
クエレブレ辺境伯サルヴァドール・フアンは眉間に刻まれた皺をよりいっそう深くした。
ルーカスが辺境伯の執務室へ赴き、『風の守護結界』に触れた侵入者の存在を父へ報告したのだ。執務室には老執事の姿もあり、彼も父と同じように眉間に力を入れると自慢の口ひげに触れた。
「どんな人間か分かりますか?」
「白馬に乗った金髪の若い男がひとり、豪華な衣装着てるって……うん、見るほうが早いかな……ディーネ」
ルーカスがその名を呼べば、彼のすぐそばに青く煌めく小さな光が出現した。彼の契約精霊だ。
辺境伯や老執事の目には小さな青い光にしか見えないが、ルーカスには人型の小さな精霊に視えている。
「協力してくれる?……うん、ありがと……『水鏡』」
ルーカスが呪文を唱えると、すぐさま目の前に大きな水の塊が出現した。それは宙に浮いた丸い球体で、その中に指定したモノの姿を映し出している。そこにはルーカスが報告したとおり、金髪碧眼の若い男が疲労の色を濃く見せながら馬の背に揺られている姿だった。
「若さまは、水系の魔法も鮮やかでございますなぁ」
老執事がぽつりと溢した。相変わらず規格外だと。
この国の常識では。
魔法はその属性の精霊と契約した者が、己の魔力と変換して精霊の力を使う現象である。そして多くの魔法使いにとって、複数属性の精霊と契約を交わすことは困難を極める。不可能に近い。
そもそも、精霊に気に入られるという前提条件をクリアしなければどうにもならない。
そのうえで、一属性の精霊と契約を交わすために大量の魔力を必要とするのだ。
体内魔力は人間ならだれしも保有しているが、その量はひとによって違う。
魔法使いと呼ばれる職業は、魔力が多くなければなれない。
だがルーカスは、一般の魔法使いより遥かに豊富な魔力を保持している。
そんなルーカスだからこそ、全属性の精霊と契約を交わし自由自在に魔法を扱うことができる。まるで初代国王陛下とその子どもたちのように――。
「ありがと。でもぼく、風属性以外の魔法はすぐには発動できないから。まだまだだよね」
ルーカスにとって風属性の魔法は、息を吸うより簡単に使いこなせるものだ。
それ以外の魔法も使えることは使えるが、いちいち精霊を呼び出さなければならないので、少しばかり面倒くさい。
今回の『水鏡』も水の精霊を召喚し発動した魔法だ。
……とはいえ、普通の魔法使いはそういう手順で、しかも長ったらしい詠唱を経て魔法を使うものなのだが。
「なんのなんの。若さまでしたら、すぐに上手くおなりでしょう。希少な光の魔法すら、練習して使いこなせるようになったではありませんか」
「そうかな」
老執事とルーカスがほのぼのとした会話を交わしている隣で、ルーカスが出現させた『水鏡』の映像を食い入るように睨み続けていた辺境伯が、首を傾げながら声を出した。
「ん? んん? この顔、どこかで……どこで……あ。バカ王子だ」
「ばかおうじ?」
「廃嫡されたという第一王子ですか。……そういえば、王家から魔法急報が届いていましたが、もしや」
「あぁ。バカはクエレブレに来てたのか」
「魔法急報? 昨日ちちうえ宛てに届いたあれですか。なにを知らせてきたのですか?」
魔法急報とは、緊急時に書簡を届けられる魔法だ。王家など魔法使いを多く抱えた有力貴族が緊急時に使う魔法である。なにもない平時ならば人の手を介し紙の書簡が使われるのが一般的だ。
昨日もたらされた『魔法急報』は、ルーカスの張った『風の守護結界』に当然触れたが、送り元が王家で宛先が父だったので素通りさせた経緯がある。
「バカが行方をくらませたとあった。バカの元側近たちがいる領へ同じ書簡を送っているが、万が一クエレブレに来たら問答無用でバカを王宮へ送り返すようにと」
なんと。
第一王子が行方をくらませたという報だったのか。
たしかあの夜会の手打ちで、第一王子はご執心の男爵令嬢とやらと結婚したはずだ。あの騒動から二ヶ月以上が経過している。いまごろは幸せに暮らしているのではなかったか。
ところでバカバカと連呼しているが、廃嫡したとはいえ王家の一員のはずだ。いちおう。
もしや不敬なのではなかろうかとルーカスは疑問を持ったのだが。
「バカはなにを思ってこちらに来ようとしているのでしょうか」
老執事も普通にバカと呼んでいる。
「分からん。バカの希望どおり男爵令嬢と結婚したと思っていたのだがな。好きな女と結婚してなにが不満なのやら」
辺境伯も平然とした顔でバカ呼ばわりである。
聡明なルーカスは理解した。
うん、あれの代名詞は決定済なのだなと。この場では不敬に該当しないと。
ちょっと安心したので辺境伯へ尋ねる。
「そのバカとやらは、王家にとってどのような位置づけになっているのでしょうか」
ルーカスの質問に、辺境伯はその質問の意図はと、逆に質問返しをした。
ルーカスは答える。
「そもそも、不毛の地だと認識されているこの地を目指す人間は少ない。
それにも関わらずここに来ようとした人間への対処法は二種類。
知り合い、あるいは身内、もしくは善人なら受け入れる。
不逞の輩が逃走のため来たのならば、死の山の向こう側へ誘導し魔物の餌食にする。死の山の向こう側は相変わらず魔物の宝庫ですから」
逃走を選ぶような不逞の輩は後ろ暗いところが満載で、探されたり死んで悲しんだりする人間がいない。追手もしつこくはかからない。
「今回の王子はいちおう王族ということなので厄介かと。
不逞の輩と同じ扱いにするか。
このまま風の迷宮のなかで餓死させるという手もありますが、そうすると遺体が残る。そうなった場合、砂漠に埋めますか? それとも勝手に砂漠で野垂れ死んだことにして王家へ返却すべきですか?」
ルーカスの冷徹な意見に辺境伯は頷くと、腕組みをしながら考え込むようすを見せる。
「なるほど。死体でもいいから欲しがるかどうか、か……。
王家からの希望どおりひっ捕まえて送り返すか……不逞の輩と同じ処置をして、王家へは知らぬ存ぜぬで押し通すか……悩ましいな」
老執事も主と同じように頷いた。
「一番穏便に方を付けるのならば、王子と面会し訪問意図を聞き出しお帰り願う、ということでしょうか……王子へは今までの通説どおりの辺境の地だという幻影を見せ続けたまま。それはそれで、若さまの負担が多うございますね。それに、王子対応がとても面倒臭い気がしますが」
この辺境の地によそ者を招きたくない。
根底にあるのはその思いだ。
だからこそ、よそ者は排除し続けてきたのだが。
たとえば、王家が王子の行方などどうでもいいと思っているのならば。
魔法急報は、王家側としては捜索しましたよという体を装っているだけなので、王子はこの地には来ませんでしたと返答すれば、それで済む。王子は魔獣の腹の中へご案内すればいい。
だが、王家が生死の如何を問わずなにがなんでも王子を探し出そうという姿勢ならば。
王子が行方不明のままならよりいっそう面倒くさいことになる。
今は急報を差し向けているだけだが、ちゃんとした魔法使いと魔法騎士を編成した捜索隊など出されたら、王子の魔力の痕跡を辿られることになるだろう。優秀な魔法騎士ならばそれぐらいはできる。たとえ魔獣の腹の中にその遺体があるのだとしても、クエレブレを通った道筋は判明されてしまい辺境伯への責任問題が追求される。さらに大勢の人間がこの地を訪れることになる。
たとえルーカスの隠蔽や幻影の魔法が優れたものであろうと、それを打ち破る魔法使いがいないとは限らないし、残り香のような痕跡は隠しようがない。
「あの王子の立ち位置か……廃嫡されたから王位継承権はない。王族から降りて男爵家へ婿入りしたから貴族の末端、ということになるな。王位には第二王子か第三王子あたりが就くだろうし、王家にとって王子はお荷物状態だと思うが、どうだろうなぁ」
辺境伯が自分の見解を述べると、老執事もそのあとに続いた。
「惚れた女より王位に執着があったから出奔した、ということなのでしょうかね。それでこの地を目指したのなら……目的はフォルトゥーナ嬢、ということでしょうか」
やっぱりそう思うかとルーカスは老執事を見る。恐らく、王子の目当てはフォルトゥーナ嬢であろう。それ以外に王子の興味を惹くものはこの地にはないはずだ。
「目的はフォルトゥーナ嬢だって? 貴族たちの面前で婚約破棄をいうくらい嫌いだったはずだがなんのために……あぁ、令嬢を連れ戻せば宰相のご機嫌とりができて公爵を後ろ盾に王族に返り咲けるとでも思ったのか? 廃嫡されたという意味を理解できないのか。相変わらずバカの思考はわからん」
しかも、あんな状態の令嬢になにができると思っているのか。
憤慨したように辺境伯が言い捨てた。
「令嬢がここに来た経緯を知らないのかもしれませんね」
老執事がやれやれと肩を竦めた。
「ルーカスはどう思っている?」
辺境伯がルーカスへ水を向けると、老執事も少年に注目した。
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