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まあちょっとはね

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「腕のお守り……切りたくなったらこれを見て」

 思いがけない言葉に、春人はしばし言葉を失っていた。ミチルが微笑みかけてくれる。忘れていたほどここ数日、少しも手首を切りたいと思わなかった。ずっと悩んでいたことだったのにすっかり忘れていたなんて自分でもちょっとおかしい。

 ミチルは腕を切ってはいけないとは決して言わなかった。胸がいっぱいになって、なにも言えなくなった。ありがとうとか細い声で呟く。

「いつか……お母さんとも、普通の日々が過ごせるといいね」

「……うん」

「春人はなにも悪くないんだからね」

 不意に抱きしめられた。

「春人は悪くない。だから自分を責めないで……なるようになっただけ。誰にもどうしようもできなかったこと。春人は春人で、親は親、分かるね?」

 ミチルが喋ると、触れ合っている彼の体が振動する。それがちょっと心地いい。

 春人は少し考えながら、一つ頷いて分かる、と言った。

「ならいいんだ。さて……じゃあ、あれ全部食べたら学校に行こうか。会いたがってる人もいることだし」

 春人を離したミチルは、斜向かいの食べかけの食パンを指差して言った。いたずらがばれた子どものような気持ちになる。春人は咄嗟にミチルの胸に凭れかかって裾を掴んだ。彼の顔を若干見上げるようにして控えめに見つめる。

「残しちゃだめ?  ミチル……」

 わざと色っぽく言ったけど頬をつねられて終わった。

「そんな顔してもだめです。効きません。ちょっとしか」

「ちょっとは効くんだ」

「まぁちょっとはね」


  *


 久々の教室は特になにも変わっていなかった。このなんの変化のなさがたまらなく心地がいい。ミチルが逐一配られたプリントを持って来てくれていたから机の中も最後に見た時となにも変わらない。まだ登校時間には早すぎて誰も来ていなかった。静かな教室はすごく好きだ。

「みんなは風邪引いたと思ってるからね」

 ミチルがおかしそうに言った。春人は頷いて窓際に寄って校庭を見はるかす。



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