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Ⅴ
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しおりを挟む慶秋さんは笑って、僕に少しだけ頭を下げた。笑むと目元の皺が浮き出る。それがかっこいいと思う。
「キッチンを貸していただいて、大変感謝しています」
「構いません。そもそも蕗が言い出したことです。優月くんが遠慮する必要はないのです」
慶萩さんの優しい言葉に、僕はもう一度深々と頭を下げる。
いつもの慶秋さんだったらこれで会話が終わるのだけれど今日は違った。裏へ続く入り口の前で、慶秋さんは右腕を伸ばして僕の行く手を遮る。そんなことされたのは初めてのことだったので、僕は少なからず驚いた。思わず慶秋さんのほうを見る。なにか慶秋さんの気に触ることをしてしまったのかと、胸がきゅう、と引き締まる。
「優月くん、少し、僕と君とで、お話をします……よろしいですか?」
慶秋さんは笑顔で僕に言った。
君と僕って、サシでってこと? それとも別の意味があるのか?
僕は歯切れの悪い口調で言った。頭の中で、店に入ってから今までの自分の行動を最高速で振り返る。何かを言われるような態度は取っていないはずだった。
それなのにどうしてだろう?
僕は慶秋さんの奥にいる蕗ちゃんの方をちらと伺った。視界に入る範囲に彼女の姿はない。身支度を整えているのかもしれなかった。
僕は用心深く、僅かに頷いて口を開く。
「……はい、なんでしょう」
慶秋さんが、こほん、と一つ咳払いをした。
その瞬間から、慶秋さんは店長というよりはむしろ僕の友人みたいな表情に変わった。
君と僕、ってそういうこと?
「今日、翔くんが、この店で、ケーキを買って行きました」
「え?」
全く予想だにしていなかった言葉に僕の心臓は跳ねる。
「お菓子を手土産に、《DEAR ROI》へ行くと言っておりました」
慶秋さんは至って真面目に言っていた。とても嘘だとは思えない。
「それは何時の話ですか?」
「二、三十分前です」
翔が白萩にいる?
今?
「そう……ですか」
僕はいろんな気持ちがこみ上げて、体の半分が夏で、半分が冬みたいになる。風邪を引いてしまった時のような感覚。熱いのに寒い。
「道ですれ違ったかもしれませんね」
僕も同じことを考えていた。
僕は蕗ちゃんと一緒にここまで来た。しかも手を繋いでいた。
勘違いされたらどうしよう、と真っ先に思ったけど、される勘違いなど一体どこにあるっていうんだろう? 過ぎ去ったことはどうにもできない。でも、蕗ちゃんと手を繋いで歩いている姿を見られたかもしれないという仮説は、僕の中で取り返しのつかない後悔のような苦しさを飽和させていった。
言い聞かせても言い聞かせても、焦る気持ちは収まる気配がない。
僕はなにも言えなくなってしまった。
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