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Ⅴ
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しおりを挟む途中、町と町の境目の坂で僕らは少し立ち止まった。
僕は翔と眠っているノエルと一緒にこの場所に来た日のことを思い出さずにはいられない。あの時見た景色はもっと、もっと美しかった気がする。一週間で町の風景ががらりと変わるわけもないのになんでだろう。山にほのかにさくら色がちらついているくらいだった。
ふいに彼女が僕の手を掴んでくる。
「お店に着くまで握っていてもいい?」
僕はなにも言えなかった。
彼女の手は僕よりずっと小さくて柔らかい。彼女は無言を同意と捉えたようで、すごく幸せそうに僕の手を掴んで坂を下っていく。好きにして、という言葉以外なにも出てこなかった。彼女に抗う力など、僕にはない。
翔と二人でノエルを追いかけたあの夕立の日をなんとなく思い出していた。いつだって誰かに引っ張られて歩いている。僕が歩いている道ってなんなんだろう。僕が決めて歩いてきた道だと思うんだけどな。なんで自分が決めて歩いてきた道で、こんなに後ろめたい気持ちになっているんだろう。どうして僕は、こんなに苦しいのか。
「今、なにか考えてたでしょ」
蕗ちゃんが僕を振り返り不満げに見上げていた。
十人いたら八人は可愛いって言うに違いない上目遣いだ。プロだ。ちなみに僕は二人の方に入っている。いや可愛い上目遣いだとは思うけど。可愛いけどそういうんじゃない。もっと可愛い上目遣いを僕は知っているし、可愛い以上のなにもなかった。
「考えてないよ」
「嘘つき」
そうだよ。いつもなにかに嘘をついて、なにかを精査して、なにかに納得して、なにかに言い聞かせて言い訳している。
「樫崎くんって気持ちが雰囲気に出るのよ」
蕗ちゃんが言った。
「雰囲気に出てる?」
「傍にいるとあなたの気持ちが全て分かってしまいそう」
それが本当なら僕はもっと自分に嘘をつかなければならないと思った。
蕗ちゃんに軽蔑されるくらいなら大嘘吐きになったっていい。
僕はそう思っていたはずだった。
秋のお菓子屋の扉を蕗ちゃんが開ける。手が離れる。僕は一息吐く。
今何時なんだろう。
ノエルは、もう泣き止んだのかな。
「伯父さん、こんにちは!」
蕗ちゃんが中へ入って行く。慶秋さんといくつかの談笑を始める声が聞こえた。
僕はさっきから翔とノエルのことを思い出してばかりいる。
なんで叩いてしまったんだろう。
彼の笑顔が見たい。ノエルを泣かせてしまったことを伝えたい。翔の笑顔はいつだって僕の背中を押してくれる。僕の気持ちを大切にしてくれる。僕が選んだ選択肢を受け入れてくれる。そういう笑顔だった。だから彼には素直に何かを言えたんだ。
「樫崎くん、早く中に入って」
「……ごめん、今行くね」
彼女はもう、キッチンのほうへ入ってしまっているようだった。ショウケースの裏、いつもの立ち位置にいる慶秋さんはいつもみたいに笑って僕にこんにちは、と言った。
僕もこんにちは、と言って頭を下げる。
「慶秋さん、マダムが、いつも美味しいお菓子をありがとう、と。よろしく伝えてくださいと言っていました」
僕は蕗ちゃんが伝えていないマダムの伝言を慶秋さんに言った。
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