DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

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「夕方には帰ってくる。戻ったら一緒に食べよう」

 胸が苦しい。

「いかないで」

 僕は、彼が相手を困らせるような自分の要求を通そうとするのを初めて見た。びっくりする。僕のシャツを、小さな手がぎゅっと握った。顔には悲しさが溢れ出ている。彼の「行かないで」は、どこまでも「行かないで」だった。

 僕の顔も歪みそうになる。

「……前から約束していたから、いかなければならないんだ」

「ノエル、やだ」

 ノエルの大きな瞳の目の縁に、うっすらと涙の雫が溜まっていく。

「ゼリーは、たべて、くれないの?」

 僕はそれをなにも言えずに見ていた。

「まほうがとけちゃうよ、いかないでよ」

 朝露が葉脈から落ちるように、彼は涙をぽろぽろ零す。彼が顔を歪ませて悲しむのと同じくらい、僕の心も歪んでいった。

「いっちゃやだ、おにいちゃん、いかないで……! やだよ!」

 見かねたマダムが僕からノエルを引き離す。

 それでもノエルは、僕の方に小さな腕を伸ばして抵抗していた。

「ノエル……」

 土砂降りのように泣くノエルに、どんな言葉をかければ良いのか分からなかった。

 いいや。

 知ってる。

 知ってるけど、言えない。

 僕は本当に、なにをやってる……。

「酷い顔ね、笑いなさいよ、ユヅキは笑った顔が一番素敵よ」

 マダムが雲を吹き飛ばすような声で言った。困ったように笑っている。彼女の腕の中にいるノエルはしきりにマダムから逃れようと動いていた。

「行くなら急いで、早くしないと、私もずっとはノエルを抑えられないわ」

 おにいちゃん、と僕を呼び続けている。僕は今すぐにでも彼の元へ言って、その体を抱きとめて、涙を拭いてあげたい。笑ってほしいのに。

「選ぶのは貴方、いつでもそう」

 僕の葛藤を見透かすように、マダムが言った。

 僕は出口へと向けた体を傾けながら、呆然と立ち尽くすことしかできない。

「ノエル、僕……ほん、とは……」

 渇いた震える声で零した途端、ドアベルがけたたましい音を立てて鳴り響く。

 時間が止まったようだった。ノエルもマダムも、僕も、動きを止めて音の鳴る方へ視線を動かす。

 蕗ちゃんが立っていた。

「樫崎くん! まだ? 日が暮れちゃうわ」

 彼女はとうとう堪忍袋の緒が切れたようだった。声や口調にあからさまに毒がある。

「……今、行く」

 僕は蕗ちゃんに引き摺られるようにマダムとノエルに背を向けた。

「気をつけてね」

 マダムが穏やかな口調で言う。

 僕ははい、と、か細い声で言った。

 ノエルはなにも言わなかった。

 梅雨の雨みたいに泣いているノエルを置いて『DEAR ROI』を後にした。





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