60 / 104
Ⅴ
6
しおりを挟む「夕方には帰ってくる。戻ったら一緒に食べよう」
胸が苦しい。
「いかないで」
僕は、彼が相手を困らせるような自分の要求を通そうとするのを初めて見た。びっくりする。僕のシャツを、小さな手がぎゅっと握った。顔には悲しさが溢れ出ている。彼の「行かないで」は、どこまでも「行かないで」だった。
僕の顔も歪みそうになる。
「……前から約束していたから、いかなければならないんだ」
「ノエル、やだ」
ノエルの大きな瞳の目の縁に、うっすらと涙の雫が溜まっていく。
「ゼリーは、たべて、くれないの?」
僕はそれをなにも言えずに見ていた。
「まほうがとけちゃうよ、いかないでよ」
朝露が葉脈から落ちるように、彼は涙をぽろぽろ零す。彼が顔を歪ませて悲しむのと同じくらい、僕の心も歪んでいった。
「いっちゃやだ、おにいちゃん、いかないで……! やだよ!」
見かねたマダムが僕からノエルを引き離す。
それでもノエルは、僕の方に小さな腕を伸ばして抵抗していた。
「ノエル……」
土砂降りのように泣くノエルに、どんな言葉をかければ良いのか分からなかった。
いいや。
知ってる。
知ってるけど、言えない。
僕は本当に、なにをやってる……。
「酷い顔ね、笑いなさいよ、ユヅキは笑った顔が一番素敵よ」
マダムが雲を吹き飛ばすような声で言った。困ったように笑っている。彼女の腕の中にいるノエルはしきりにマダムから逃れようと動いていた。
「行くなら急いで、早くしないと、私もずっとはノエルを抑えられないわ」
おにいちゃん、と僕を呼び続けている。僕は今すぐにでも彼の元へ言って、その体を抱きとめて、涙を拭いてあげたい。笑ってほしいのに。
「選ぶのは貴方、いつでもそう」
僕の葛藤を見透かすように、マダムが言った。
僕は出口へと向けた体を傾けながら、呆然と立ち尽くすことしかできない。
「ノエル、僕……ほん、とは……」
渇いた震える声で零した途端、ドアベルがけたたましい音を立てて鳴り響く。
時間が止まったようだった。ノエルもマダムも、僕も、動きを止めて音の鳴る方へ視線を動かす。
蕗ちゃんが立っていた。
「樫崎くん! まだ? 日が暮れちゃうわ」
彼女はとうとう堪忍袋の緒が切れたようだった。声や口調にあからさまに毒がある。
「……今、行く」
僕は蕗ちゃんに引き摺られるようにマダムとノエルに背を向けた。
「気をつけてね」
マダムが穏やかな口調で言う。
僕ははい、と、か細い声で言った。
ノエルはなにも言わなかった。
梅雨の雨みたいに泣いているノエルを置いて『DEAR ROI』を後にした。
0
お気に入りに追加
86
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…
まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。
5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。
相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。
一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。
唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。
それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。
そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。
そこへ社会人となっていた澄と再会する。
果たして5年越しの恋は、動き出すのか?
表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。

心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる