DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

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 僕はもっと距離を詰めたくて彼を抱き上げる。彼の重みが腕に心地いい。僕の首に手を回してくれるノエルが愛しい。ノエルに頬ずりしながらマダムのいるカウンターの方へ歩いていく。

 マダムが僕を不思議そうに見つめていた。

「今日はこれから予定があるのよね? それとも全て終わって来たのかしら」

「……いいえ、これからです」

 胸がぎゅ、っと苦しくなる。

 僕は予定がある。5日前に蕗ちゃんと約束した用事だ。秋のお菓子屋で花見だんごを作る。本当はサークル活動の後に直接向かう予定だったけど、どうしても気分が乗らなくて少し図書館で暇を潰してここにいる。

 蕗ちゃんにも会ってない。

「……サークルが終わる時間まで余裕があったから、お店によりました」

 マダムが笑う。すごくおかしいとでも言うように笑う。

「お茶のサークルだったかしら?」

「ええ……でも、名前だけなんです。全然、そんな活動はしていない。お喋りするだけ」

「ユヅキはお喋りを楽しんでいるの?」

 僕は何も言えずに俯いた。不安そうに僕を見上げるノエルと目が合ってしまった。

 全幅の信頼を向けられているような体重の重みがふっと少し軽くなる。

「おにいちゃん、おでかけしちゃうの……?」

 しないよ、いかないよ、ノエルとゼリーを食べるから、って。

 ……言えない。

「気が乗らないのなら抜けてしまえばいいじゃない」

 ノエルの質問に答えられない僕に、マダムが言った。

 僕は溺れるような気持ちで首を横に振る。

「どうして抜けることができないの?」

「……蕗ちゃんがやめないでって言うので」

 まあ、とマダムは言った。

「あなたは蕗さんの言うことを聞かないとねずみにでもなってしまう魔法をかけられているのかしら?」

 彼女はいたずらに笑う。

 僕は全然笑う気になれなかった。

 魔法にかけられてねずみになるんだったらどれだけ良かったろう。そんなかわいいものじゃない。僕はきっと、蕗ちゃんを裏切れば、化け物になってしまう。

 そういう扱いを大学で受けるに違いない。

 僕はそれに耐える自信がない。

 だからノエルを安心させるような言葉を紡げない。

 でかけないよ、の6文字が、出てこない。





 
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