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Ⅲ
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しおりを挟む翔が僕に視線を送っている感覚があったけど、僕に彼のほうを振り向く勇気はなかった。
蕗ちゃんが目を細めて笑う、そう、と顔を傾ける。その顔は、とても満足している風だった。
吐きそうだ。
僕は下を見ながら思わず口に手を当てる。もう喋るな僕の口。嫌だ嫌だ。
俯いたまま視線をきょろきょろさせていたら、変な違和感に襲われる。大切な何かがなくなってしまった感じがする。目を離した隙に。目に入れていないと、風船みたいにふわふわと、どこかに飛んでいってしまうような……。僕ははっとして顔を上げた。体ごと動かして周囲360度辺りを見渡す。
「いない」
背筋が凍りついたように悪寒が走り抜け、うなじに突き刺さるような痛みを感じた。
「ノエルがいない」
掠れた声で言いながら翔を見上げた。
呆然としているようだった翔は、僕の声に我に返ったみたいにハッとする。そのあとにすごく悲しそうな顔をして手で顔を覆った。
「俺のせいだ……見てなかった。探してくる。そんな遠くにはいってないはず」
最悪だ、と翔は言った。
まるで自分に言っているみたいだった。自分に失望しているような顔だった。
僕は、僕も一緒に探す、と言うために口を開いた。その瞬間腕を強く引き寄せられる。心臓の拍動を強く感じた。冷たい体で振り返る。
蕗ちゃんが僕の腕を引いて笑ってる。
「早く大学へ行きましょう?」
僕は息が止まるかと思った。
駆け出そうとする翔の足が止まった。
僕の答えを、二人は待っているようだった。
蕗ちゃんと一緒に行くか、翔と一緒にノエルを探すか。
僕は。
僕は選べない。選べない、選べない、選べない……。
蕗ちゃんを選べば、翔が一人でノエルを探すことになる。一人より二人の方がずっと探しやすい。僕もノエルのことを放っておいてしまった責任がある。僕はノエルを探すべきだ。
一方で、翔を選べば、蕗ちゃんと約束していた履修科目の選択や、サークル活動への参加を土壇場で断ることになる。それだけじゃない。きっと彼女は、自分の約束を差し置いて僕が『知り合い』と言い切った翔と一緒に小さな男の子を探したことを不服に思わないはずがない。なにかを勘繰ってしまうだろう。サークルの仲間にも、蕗ちゃんに何かをしたんじゃないか、と白い目を向けられるかもしれない。それでなくても彼女が僕に構うから、僕は居心地が悪いんだ。そうすると僕の大学生活はどうなる?
僕の手に入れたありきたりな日常は?
僕は?
僕はどうしたらいい?
恐怖を感じるほどの沈黙が続いても、僕は選べなかった。
蕗ちゃんは手を離さない。翔は今すぐにでもノエルを探しに行きたいはずだ。そういう空気を感じる。
最初に口を開いたのは僕じゃなかった。
「いいよ」
翔が沈黙を切り裂く。
絶望しながら翔の顔を見上げた。一体どんな顔をしてるんだろう。選べない僕を、彼は侮蔑しているのか、呆れているのか。軽蔑しているか。わからない怖い。怖いけど、声に引き寄せられるように、僕は彼の顔を見上げずにはいられない。
「自分で選べよ、自分のことだろ」
翔は笑っていた。
目を細めて、笑っていた。
歯並びのよい白い歯が、整った唇の間からのぞいていた。
瞳はまるで、昔を懐かしむみたいに細まって。
僕は彼に、ずっと昔にあったことがあるような気がした。
「でももう、これ以上俺は待っていられない。子どもは待っていられないからね」
翔は僕の頭に手を乗せて、ぽん、と一度撫でると、もう駆け出していた。
「ノエルを見つけたら、二人で大学見て回るよ。『DEAR ROI』で落ち合おう。俺は行く、追いかけるならどうぞ。またな!」
翔の背中が遠くなっていく。早い。背中に翼が生えてるみたい。僕は思わず待って、と手を伸ばしそうになる。
蕗ちゃんの笑い声で現実に引き戻された。
行きましょう、と彼女は言った。僕は翔が消えていった方角を、後ろ髪が引かれる思いで振り返る。
蕗ちゃんの手を、振りほどくことはできなかった。
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