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Ⅱ
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しおりを挟む「そのほうが都合がよいから。好かれやすいから。でもそれは君が悪いのではない」
君は、と僕は言ってから、一呼吸置いた。
それを言ってしまってはいけない、と心が警鐘を鳴らしたけど、遅かった。
「僕は君の言葉に惑わされてしまいそうになる。でもあれもこれも、君は君のために言葉を吐いてたんだね。僕、なんか馬鹿みたいだったね」
違う、そういうことを言いたいんじゃない。そうじゃないのに。
「僕……目が覚めたら夜になっていて、君がいなくて、寂しくなったのに。こんな夜更けじゃあ、もう帰る場所へ戻ってしまっただろうって、寂しくなったのに。連絡先も聞いてないし、もう二度と会えなくなるかもしれないことが、意識を失っている間に起こってしまっている現実に、すごく悲しくなったのに」
なんで?
「君の口車でそう思わせられただけで……僕は君の知り合いの千人の中の一人にしか過ぎないんだって思ったら、馬鹿みたい。でもよかったよ、それでよかった。僕のこの気持ちが勘違いで済まされてよかった」
よかったよ、と僕の口は繰り返す。
「僕は普通に大学を卒業して普通に女の子と付き合って普通に就職して普通に結婚して死んでいきたい」
だからよかったと僕は言った。
「お前がそう思うなら」
翔は夜闇を引き裂くような明るい声で僕の止まらない呪いのような言葉を遮る。
「俺はお前の望む未来を応援する。お前が選んだ選択を尊重する」
思わず彼の顔を見上げた。笑っていた。口元だけ。眼鏡が月明かりを反射して瞳が見えない。眩しくて僕は、目を細めてしまった。
「俺は優月のことが好きだから」
「分からないよ!」
僕は彼を掴んでいた腕を離した。二、三歩後ずさると、翔は柵から降り立って僕を見て不思議そうに首を傾げる。
視界がゆらゆら揺れていた。月の光が粒になって降り注いで見える。翔の後ろで星がちかちかと弾けては消え、消えては弾ける。不思議な夜だった。
「それは本音なの? 建前なの? 僕は、君の気持ちが全然、分かんないよ!」
自分でも思っている以上に声が出てしまって青ざめた。窓一枚の向こうで眠っているノエルのことが頭を過ぎる。起こしてしまったらどうしよう、こんな僕のくだらないことで、と後ろめたい気持ちになった瞬間、今さっき彼に放ってしまった言葉全部が重く自分にのしかかってきて、ああ僕なんて酷いことを言ってしまったんだろうと今まで感じたことのないくらいの後悔が押し寄せてきた。
ごめん、と反射で呟いてしまった。
「違う、そういうことを言いたいんじゃなくて、僕、ごめん……すごく、混乱してるんだ、今日、すごく、いつもと違うことが、たくさん起きて……君を傷つけたいわけじゃないんだ、言い過ぎた、嫌いとかじゃなくて、こんな酷いこと、言うつもりはなくて……!」
こんなに感情が乱れてしまうのは、本当に久々のことで、僕は僕自身も自分が何を言っているのか分からない。
「ごめん、本当に、僕、もうよく、分からないんだよ……!」
手に力がこもった。体は小刻みに震えていた。自分でも自分を制御できない。気持ちが昂ぶるってこんなにしんどい。疲れるし熱い。
僕の力が入り過ぎた拳がなにか優しい触感のものに包まれた。表面はひんやりしているのに温かい。彼の手だった。
「優月の気持ち聞けて、嬉しかった、ありがとう」
彼の両手が僕の拳を優しく解いていく。僕の手はすごく冷たくなっていた。彼の手の体温が骨身に沁みるみたいにぽかぽかして、緊張がゆるゆる溶けていく。僕はおずおずと彼の顔を見上げた。
翔は、僕の言葉を受け止めた上で赦しているようなそんな器の大きい笑みで僕の顔を覗き込むように身を屈めているんだった。
眼鏡越しの彼の瞳は月光に青白く煌めいている。
僕はこの人の目を眼鏡越しじゃ無く見てみたいと思った。黒縁のレンズが、まるで僕に何か隠し事をしているかのように鈍く光を反射する。
でも彼の体温も眼差しも微笑も、全ては事実だった。
「俺は傷ついてないし、酷いこと言われたとも思ってない。俺がこんなことを話すから、優月が混乱してしまったのも分かる。ごめんね。でも言いたかった。優月が昔のこと教えてくれたから、俺も教えたくなった、俺の秘密というか……そんなもの。誰にも言ったことないよ。誰にも言ったことがない言葉だったから……少し不器用だった」
彼は悪びれたように目を逸らす。
解かれた両手が彼の手に優しく包み込まれていた。
僕は返す言葉を見つけられずに、僕の手を握る彼の両手を見下ろしていた。その手にぎゅっと力がこもる。優月、と彼が僕の名前を呼んだ。
「優月が寝てしまっている間に、俺、何日かここに泊めてもらうことになったんだ」
「……え?」
予想外すぎる言葉に、目を見開かずにはいられない。
彼は首をかしげるようにして笑うと、ぐっと僕の両手を引き寄せた。
彼の顔との距離が近くなる。
「それまでの間に、俺の気持ちが本音だって、優月に分かってもらうように頑張るね。だから、好きでいることをどうか許してほしい」
彼は言った。
「俺の中で、優月は千人いる知り合いの中にはいないよ」
僕の目を見て言った。
僕が知り得る中で、一番真っ直ぐで、真剣な瞳で、彼は言った。
「優月は俺にとって、最初で最後の特別な人だよ」
立っていることが難しいくらい、僕の心臓は早鐘を打っていた。
でも疑念は晴れない。
彼を心から、好きと言える勇気もない。
僕は、こんなに熱のこもった言葉を未だかつて、誰かに言われたことはない。
だから、こんな時どんな顔をすればいいのか分からなかった。
「信じてもらえなくていい、今は……でも、信じてもらえるように頑張るね」
複雑な僕の顔を見て、彼は少し寂しそうに笑った。
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