DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

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 僕は自分が無機的になっていくのを感じた。足元からだんだん自分が石になっていくような間隔がする。悲鳴を上げそうになる。声も出なくて、僕の瞳の水晶体が、ただただ僕の脳裏にワンピースをきてはしゃぐノエルを映し出している。

 耳鳴りがする。聞きたくもない言葉の羅列が、聞こえてきてしまいそう。

 その言葉に意味を、思い描いてしまいそう。

「優月」

 ハッとした。気持ちが体に戻ってきた気がする。間近で翔が僕の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫? 顔色悪いよ?」

「……大丈夫」

 僕は歩こうとした。そうしたら歩けたので、マダムに言われたことをこなすために、店の奥の階段へ足を踏み出す。大丈夫、歩ける。

「翔、こっち」

 翔の顔は見なかったけれど、彼は僕の後をついて来ているようだった。

「……お兄ちゃん?」

 階段の下からノエルが僕を見上げて呟く。僕は彼を一瞥して、苦い笑いを浮かべることしかできなかった。

「ノエルはこっちにいらっしゃい」

 マダムの声にノエルは素直に返事をしながら店のダイニングキッチンのほうへ姿を消した。

 緊張の糸が切れる。大人げなかった。やだな。

 僕は、もう十年くらいも前のことなのに、昔にあったことを全然克服できていない。ふとした瞬間に思い出してしまって、平然でいることが難しくなってしまう。なんでだろ。

 歩くごとに自己嫌悪が積もって、今すぐにでもうずくまりたい気持ちになった。ノエルに一言、可愛いって言えたらよかった。今なら言えそうな気がする。だけど、普通じゃないよ。僕は、当たり前を取り戻したくて、今ここにいるのに。

 当たり前じゃないことばっかり起こる。自然じゃないことばっかり。

 自分の気持ちにも追いつけないよ。

 一人になりたい。でもそうもいかない。

 頭が酷く痛んだ。

 階段を上がると、真っ直ぐ廊下が伸びていて、両端には二つずつ、四つの扉がある。ダークブラウンの木でできた廊下も、壁も、クラシカルな雰囲気があって僕は好きだ。

 行き止まりには格子の入った大きな両開きの窓があるので日差しもよく明るい。

「シズクのクローゼットってなに?」

 翔が僕に尋ねる。

「マダムの旦那さんのクローゼット」

 翔はへえ、と言ったきりなにも言わなかった。なにかに遠慮しているみたいだった。僕は無意識に頭を抑えながら、向かって左一番奥の扉を開けた。

 七畳くらいの部屋が現れる。目の前には廊下にあったのと同じタイプの窓があった。僕は家事を放棄したマダムによく掃除をさせられるので、四つの部屋全てがこの間取りなのを知っている。クローゼットは入ってすぐ右のほうに置いてあるから、マダムに言われたとおりに翔に案内してピーコートを脱ぐと、窓の目の前にある椅子に腰掛けた。

 日の光が僕の頭をもっと痛くさせる。机に肘をついてこめかみを覆うように頭を抑えた。気圧に振り回されるのは久々だった。頭痛なんて何年ぶりだろう。ついでに言うと、真っ向から雨にあたりに行ったのだって十年ぶり以上な気がする。

 クローゼットを開いて、翔に言った。

「ここから好きなものを着て、選べそう?」

「大丈夫、手前に出てるのを着させてもらうよ」

 目を閉じると脈動と一緒に頭がズキズキしているのをはっきりと感じ取ることができた。ちょっと横になろうかなあとも思ったけれど、できそうにない。今はお客さんの接待が先。

 マダムはおもてなしが好きだ。僕はここで部屋を借り始めてからいろんなことを彼女に仕込まれた気がする。マダムは、一つぶんのことをお願いされたら、それの他に二つか三つのことを叶えるのよ、と僕に教えてくれたことがある……どんなことでも、誰かが幸せになるささやかな魔法をかけることを忘れては駄目よ、ユヅキ。マダムはウィンクする……僕は翔の気持ちを考えて後悔して、今すぐ立ち上がって翔に案内を続けようと思った。でも頭が痛い。その狭間で意識を行ったり来たりさせていたら、包み込むように肩を叩かれた。

 いつの間にか、翔の声がすごく近くから聞こえる。僕は顔を上げた。

「優月、やっぱり具合が悪いんじゃない?」

 翔が覗き込むように僕の顔を見てくる。

 近い。

 僕は反射的に身を引こうとした。だけど肩を掴まれていたのでできない。

 翔は黒のワイシャツにとっくに着替えていたみたいだった。印象がまるで違う。すごく大人びて落ち着いて見えた。纏うもので印象が変わることは分かってたはずだったけど、想像以上で戸惑った。二、三個開いた襟の間から覗く首筋に目が行く、のをなんとか逸らそうと視線を上に向けると僕を心配そうに見つめている眼鏡越しの漆黒の瞳に射止められる。僕の脈動はおかしいくらい早まって、その分頭痛も酷くなった。

「俺やっぱ帰った方いい?」

 できる範囲で首を横に振った。

「ちがう、雨が降ると、たまに頭が痛くなるんだ、それだけ」

 僕は息を潜めながら小さな声で言った。至近距離がこそばゆくてたまらず視線を床のほうに向ける。肩から腕を離して欲しい。身を引いても少しも距離が変わらない。触れられている部分がそわそわするから。頭はガンガンに痛いのに、こそばゆくて、ドキドキして、熱くて、もうなにがなんだかわかんないよ。






 
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